漆幕 化物もどきの日常 弐
「へぇ、それじゃあ、先輩はあの美人さんと付き合いだしたんっすね」
弓道部の朝練を終え、僕は普段着に着替えながら後輩の与一君と雑談をしていた。
「うん。うらやましいでしょ?」
「うわー、いきなりのろけっすか……まあ、うらやましいっすけどね。あんなきれいな人と付き合える人がうらやましくないわけがないっす」
その内容は里奈さんと僕が付き合いだした、ということ。周りの人たちも若干興味を引かれているようだ。
「与一君も早く彼女作りなよ。幸せだよ?」
「ナントカは人生の墓場っすよ、先輩。幸せが続くのなんて、きっと最初のうちだけっす」
「うちの両親、二十年近くラブラブで幸せじゃない時を見たことがないんだけど?」
「……それは、まあ……よっぽど相性がいいんっすね……」
……ん? 二十年近く……? そういえば、何か僕にもあった気がするんだけど……。
「まあ、そんなの例外っすよ。普通ならある程度の不和はおこると思うっす」
「それを起こさないのが愛の力、ってね。さ、そろそろ着替え終えないと、授業遅れるよ?」
「げ、もうそんな時間っすか……」
そういって少し焦りだす与一君。
「まあ、僕は先に出るからね」
同じ部屋に行くわけじゃないのだから、着替え終えている僕は先に更衣室を後にする。
「遠坂慎一。少し腕を上げたようだね」
その直後、部長の有手さんに声をかけられた。
「はあ……そうでしょうか……」
「ああ、君は腕を上げたよ。もっとも、この部で教える型とは違うようだが。私や顧問以外の師匠でもできたのか?」
師匠……まあ、小夏さんが師匠といえば師匠、かな?
「そんなところですね」
「なるほど……ぜひご紹介願いたいものだが、私が言いたいのはそのことではない。今日の君はどこか浮ついて見える。それさえなければ君の腕は少しどころではなくかなり上がっているはずなのだが……外にまで聞こえたよ。彼女ができたとはね……腕に影響がなければ素直におめでとうと言えるのだが」
有手さん……本当に弓道第一だなぁ。
「これからの君には精神的な鍛錬が必要だろう。寺に行って座禅でも組むといい。そして、無の境地を感じたまえ」
いつも通りの冷静な口調で言うと、有手さんは校舎へと向かった。
「僕も行かないと……」
荷物を詰めたカバンを肩にかけ、考世学部の教室に向かう。
そういえば、里奈さんの用事って何だったんだろう。双葉も一緒に行ったってことは、二人の用事……? 礼尾が技をかけに来なかったのは、普段より登校時間が速かったからだとして……。
まあ、考えるより本人に聞く方が早い。そう思いながら教室の扉に手をかけ、開く。
その直後、破裂音が響き、僕の頭に何か紙が降りかかる。
「おめでとうございます! 慎一さん!」
「おめっとーさん、シン」
「おめでとう、慎一」
「おめでとうさまだよ~にゃは~」
里奈さん、礼尾、双葉、凛香先輩が何か手に持っておめでとう、と言っている。手に持っている物は……クラッカー?
「えっと……何事? 僕、この教室に入った記念すべき千人目とかになったのかな?」
「何を言っているのですか、慎一さん。今日は慎一さんの誕生日ですよ!」
誕生日……? あ! そういえばそうだった!
「覚えててくれたんだ……ありがとう」
「当たり前じゃないですか。私は慎一さんの彼女ですよ?」
明るい笑みを浮かべながら言う里奈さん。その肩に手をまわして双葉が笑い、その様子を見て礼尾が、凛香先輩が笑う。
「ま、何はともあれこれで俺たちは全員ハタチってわけだ! 今週末に、酒飲みに行こうぜ!」
「お、れおぽんいいね~。おいしいお酒~、飲みたいね~」
「飲み過ぎんなよ? 礼尾。酔いつぶれても介抱してやらねーかんな?」
楽しそうに話す三人。それを里奈さんと二人で眺める。
「お酒、かぁ……僕たちも、そんな年になったんだね」
「なんだか、感慨深いですよね。初めては慎一さんと一緒に飲みたくて、今まで飲みませんでしたが……その時にひどい酔い方をしてしまったら、ごめんなさい」
「電車酔いした里奈さんならよく見てるからね。介抱の仕方くらいわかるよ」
「やだ、慎一さんったら……もう」
うっとりとした瞳で僕を見上げる里奈さん。それだけで僕もとろけそうになる。
「おぉ~、ここの準備をする前にみんなから話は聞いていたけど……お似合いだねぇ~」
にやにやしながら凛香先輩が言う……って、ここの準備って……? 里奈さんから視線を外し、周りを見渡す。
すると、壁には色付きのテープがHAPPY BIRTHDAYの形に貼られ、黒板にはチョークアートで僕の似顔絵が大きく描かれている。このタッチは……双葉か。意外なことに美術は得意だもんな、双葉。
「こんな風にしていたのですか……」
「今になって気づく~? どれだけりなちんに見とれてるのさ、イッチーってば~」
苦笑を返し、いつも使う机の上に荷物を下ろす。
「さてと~。片付け始めよっか~。教授に話したらオッケーしてくれたけど、授業が始まるまでには片付けておいてって言われたんだよね~」
「……先輩、授業までって……もうあまり時間無いんですけど」
「そだよ~? だから、飾り付けとかも簡単なものにしておいたのだ~」
「ま、ゆっくりはしてらんねーってわけだ。双葉、おめーはクラッカーの掃除頼む。俺は黒板消しておくから、先輩と里奈でテープをやるって感じで」
礼尾が珍しく皆に指示を飛ばしている。
「僕は何もしなくていいの?」
「これは俺らが勝手にやった誕生日祝いだからな。主役になんかやらせるわけにはいかねーって。ま、里奈のことを見守っててやれよ」
「言われなくてもそうするよ、っと」
言いながら里奈さんの背後に回り、あと少しというところで里奈さんの手が届かないところにはってあるテープをはがす。
「あ、ありがとうございます、慎一さん」
「どういたしまして。先輩、このテープはどこにやればいいですか?」
「あ~、ゴミ箱に捨てちゃって~」
言われたとおり、ゴミ箱へとテープを捨てる。
「礼尾が一番身長高いんだから礼尾がテープはがしなよ。二人じゃ手が届かないよ?」
「それは黒板だってそうだろうが。上のほうは俺の身長でギリギリだぞ?」
「椅子使えばいいじゃん。壁のほうと違って椅子置きやすいし……礼尾、一番楽なところ選んだでしょ?」
「それはあらぬ誤解ってやつだな。女性陣の服をチョークの粉で汚させるわけにはいかないって言う気づかいだ」
「そっか。それじゃあ黒板は僕がやるから礼尾はテープをお願いするよ。やっぱり何もしないでいるのってなんか落ち着かなくて」
僕がそう言うと、礼尾は嫌そうな顔をしてから里奈さんと凛香先輩のほうへと向かっていった。やっぱり自分が楽な事したかったんじゃないか……。
五分ほどであらかた片付け終ると、ちょうど教授が部屋に入ってきた。
「お誕生日おめでとうございます、慎一君。これで皆さん、立派な成人です。そう考えると、私も感慨深いと感じます。人に迷惑をかけない範囲で騒ぐのもありでしょう」
あいまいな笑顔で言う教授。
「今週末に全員で酒盛りとしゃれ込もうと思うんすけど、教授もどうすか?」
「それは楽しそうですね……ですが、若い人の集まりの中に私のようなおじさんが入っては場が盛り上がらなくなってしまうでしょう。また、別の機会にしましょう。さ、授業の時間ですよ」
「うぃーっす」
教授の言葉に、みんなが席につく。すぐに、授業は始まった。
‡ ‡
そして、昼休み。
「はい、慎一さん。どうぞ」
僕は、里奈さんにあーんをされていた。
「この間はあんな恥ずかしがってたのに……変わったなぁ、里奈」
「あの時はまだ付き合っていませんでしたから……恋人同士になって、その……キスまで済ませた以上、これくらいでは恥ずかしくないというか」
頬を染めながら言う里奈さん。
「は!? もうそんなところまで行ってんのかよ!? どこでどんな感じでしたんだ!?」
即座に食いつく双葉。先輩と礼尾も驚いているようだ。
「その……告白されて、うれしくて気分が舞い上がって……そのまま」
「つまり……ショッピングモールの前で? あの大勢人がいるところで!?」
「……はい」
ポカーン。双葉の顔はそんな感じだった。
「大胆だね~、二人とも~。りなちんのたまった感情が大爆発しちゃったのかにゃ~?」
一筋の汗を額から流しつつ先輩がそう尋ねる。
「そうですね……一応、里奈さんのほうから来たので……」
里奈さんから差し出されていた卵焼きを食べながら、そう返す。
「約束のキスは慎一さんのほうからしてくれたじゃないですか! わ、私ばかりが暴走しているわけでは……」
「そうだね。ごめん」
隣に座っている里奈さんの頭をなでる。
「あっついなぁ! おい! そして気持ち悪くなるほど甘々だぜ!」
「一周回って気持ちいいぜ? おい」
「先輩的には素直におめでと~かな~」
「学生としての自覚は持って、秩序あるおつきあいをしてくださいね」
「「「教授居たんですか」」」
僕を含めた全員が声をそろえて言う。
「…………ええ、最初から。こんなこと、前にもありましたね」
そう言って教授が飲むのは、今日はペットボトルのミルクティーだった。




