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漆幕 化物もどきの日常 壱

 そして、朝が訪れる。目覚まし時計が鳴ったわけでも、日が昇ってきたのに気が付いたわけでもない。ただただ、目が覚めた。


「……まだ、こんな時間か」


 カーテン越しに伝わる外の明るさ。それはまだまだ弱いもの……おそらく、街灯のものだろう。時間も合わせて、自分が眠りすぎたのではないと確信する。

 だけど、暗くても物が見えるのは相変わらずだ。まだ昨日の言葉の影響が残っているのか……?


「何はともあれ、おはよう……って、いないか」


 いつも僕の隣で眠っていた狐子の姿は、見当たらない。昨日みたいなことがあった後では、顔を合わせるのも気まずいものがあるから、助かるといえば助かる。

 しかし、一つ気になることがある。昨日の狐子は、ひどく追いつめられているように見えた。

 原因も分かっている。僕のせいだ。僕が、化物がどうのと言ってしまったから、狐子は自分が僕を化物にしてしまったのだと、これからより化物に変えていくのだと考えたのだろう。

 神の世界に帰れないというのが本当かどうかは分からないけど、とにかく、狐子は、自分は殺されてもいいから僕を人間であり続けさせてあげたいと思ってくれている。

 ああ、本当に僕は自己矛盾の塊だ。狐子を守るために化物の力を欲しておいて、その力が手に入ると分かると自分が化物になってしまうと考えてしまう。


「決心しただろう、僕。僕の日常に化物は僕一人で十分……分かっているだろう。人間じゃダメなんだ。人間じゃ、神様を守れないんだ……守るために、人外に、化物にならないといけないんだ……!」


 一晩たったからか、少し冷静に頭が動く。父さんの言っていた、人間と化物の違いのことも頭にある。

 なら、僕はぱっと見は人間のような化物になろう。狐子に責任を感じさせるような言動もしないようにしないと。

 同じことばかり考えているけれど、まずは普段通りに今日を過ごさなければ。

 服を着替え、自室を後にする。今日の朝食は何だろうか。


「あら、しんちゃん。今日は随分はやいのね~。なにか学校であるのかしら~?」

「ううん、別に。たまたま早く目が冷めちゃって」

「あら、そうなの~……二度寝するには~……時間がないわね~」

「そうなんだよね。だから、とりあえず起きてきたわけ。何か手伝うことはある?」


 力を入れすぎて何か壊してしまわないか心配だけど、昨日までの僕にできたんだ。今日の僕にだってできるはず。


「それじゃあ~……そうね、朝ご飯の支度、ちょっと手伝ってもらおうかしら~」

「分かった」


 母さんのいる台所へと歩み寄り、袖をまくる。見たところ、今日の朝食は焼き魚らしい。


「そういえば、しんちゃん。昨日の話だけど」


 料理する手を休めて母さんがそんなことを言いだす。


「昨日……って言うと?」

「ほら、化物がどうとか~、って話よ」


 化物、という言葉に胸がちくりと痛む。


「ああ、そんな話もしたね。それがどうかした?」

「うーん、なんとなくなんだけど……その人のことを本当に大切に想ってくれている人なら、化物でも人間でも変わりないんじゃないかなぁ……って、私は思うの。例えば、しんちゃんが他人に化物と呼ばれるような何かを持っていたとしても、私や衛二さん、それとあいちゃんにとっては、関係ないことだと思うの~。私たちにとって、しんちゃんがしんちゃんであれば、大切に思うに値するわ~。読んでいないから分からないけれど、きっと本の主人公にも、人間か化物か関係なしに想ってくれる人はいると思うわ~」


 そう言うと、母さんは朝食作りを再開した。


「化物でも……想ってくれる人?」

「ええ。しんちゃんは、里奈ちゃんが化物だったとしたらどう思う~? 嫌いになる~?」

「そんなわけないよ。僕が好きになったのは里奈さんで、人間だとか、そんなこと関係ない。そりゃ、今までの里奈さん全部が演技で、本当は冷酷無慈悲な化物に呼ばれるにふさわしい存在だったら分からないけど……」

「でしょう? 本当に好きなら、その相手が人間かどうかなんて気にならない。そういうものよ~。結局は、その人の心なのよね~……って、これじゃあ昨日と話の内容が変わらないかしら~?」


 心……結局は、そこに行きつくのか。


「それにしても、難しい問題ね~。人間と、化物の境界線……私と衛二さんは心で分けたけれど、他の人は何でそれらを分けるのかしら……」


 そう呟く母さん。


「…………」


 僕はただ黙っているだけだった。

 そのまま、しばらく料理を続け、朝食が完成した。


「おはよう。慎一、早いね」

「うん、目が覚めちゃったんだ。二度寝するにはアレな時間だから、とりあえず起きてきた感じ」

「なるほど。いつもだったら愛紗と一緒に起きてくるのにね……そういえば、昨日は愛紗と何かあったのかい? 僕たちの部屋で一緒に寝る、と言って入ってきたけど」


 良かった。ちゃんと布団のあるところで狐子は寝ていたんだな……。


「あー……うん。まあ、ちょっとケンカしたって言うか……」


 本当の理由を話すわけにもいかず、適当な返事をする。


「それで起きたがらなかったのか……布団から出ようとしなくてね。慎一、仲直りも兼ねて起こしてきてあげてくれないか? 愛紗にも学校があるからね」

「そうだね……いつまでもケンカしているわけにはいかないもんね」


 そう答えるまでに少し時間が空いたことを感じながら、父さんと母さんの寝室へ向かう。


「愛紗ー、入るよー」


 とりあえずドアをノックして少し待つ。着替え中とかだったらまずい。

 けれど、いつまで待っても返事はない。


「……入るよ?」


 確認をしてから扉を開ける。

 部屋の真ん中に、膨らんだ布団がある。あの中にくるまっているのかな? そんなことを思いながらドアを閉じる。


「狐子、学校遅れるよ?」


 できる限り平静な声でそう声をかける。


「……どうでも良い。わしにそのようなことは関係ない」


 硬い声で返事が帰ってくる。


「なに言ってるのさ。神様であっても、愛紗として……人間として生きる以上外見相応の事していないと。父さんと母さんが心配するよ?」


 しゃべりながら膨らんだ布団へと歩み寄っていく。


「…………ぬしは、なぜそんな平気な声で話せる?」

「え?」

「……わしは、ぬしと顔を合わせることすらできん。なのに、ぬしは普通に話しかけてきてくれる。わしは……どうすればよいのじゃ」


 ぼそぼそとつぶやくように放たれる言葉は、注意しなければ聞き逃してしまいそうなほどだ。


「どうすればいいかって? そんなの決まっているよ」


 布団が少し動く。


「そこから出て、愛紗としての生活をして? 僕は、僕の事でいろいろ落ち込んでいる狐子より、明るくていたずら好きな狐子のほうが好きだから」

「……それができれば、苦労はせぬ……それに、好きだなどと言ってくれたが、本当はわしが憎いじゃろう? わしと出会ってしまったせいで、今の状況がある。そもそも、わしが神野の家の者たちと共におとなしく殺されておれば、ただの人間だったぬしを化物にすることなど……」


 暗い声で言う狐子。それを聞いて僕はその近くへと早足で歩み寄り、布団をはぎ取る。


「狐子。僕はいつ狐子が憎いなんて言った? それに、僕は最初からただの人間なんかじゃないでしょ? ナーの封印。これがある以上、僕は少なくとも普通ではあれない。普通でなければ、悪魔とかに狙われる可能性もあった。僕は狐子と出会ったことで自衛手段を学べた。むしろ感謝したいくらいだよ」

「じゃが……! それでも、封印の解除法を教えたのは小夏で、小夏とのつながりを作ったのはわしで……!」


 そう自分を責める狐子。僕はそれを遮るように口にする。


「そういうの、やめにしない? 狐子は責任感強すぎって言うか、自分のせいだって思いこみすぎ。僕だって人間の世界では大人。自分の行動には自分で責任を持つ。その結果僕がどうなろうとそれは僕の責任。死のうが化物になろうがそれは僕が始末をつけることだ。僕の判断で何か起きたら、それは僕のせいだ。いいね?」


 強い口調で言うと、狐子は若干驚いたような表情を浮かべた。


「……情けないな。わしを盾にしてでも生き延びろと言った相手に、ここまで言われてしまうとは……な……」

「お互い様でしょ。僕だって、守りたいと言った相手に何度命を助けられたことか」


 軽く笑いかけると、狐子の表情も多少柔らかくなったようだった。


「さ、朝ご飯、食べよう? 僕も手伝ったんだ。学校なんてどうでもいいって思ってるなら無理に行けとは言わないけど、このままじゃ父さんも母さんも心配するから。もちろん、僕もね」

「そうじゃな……無用な心配をかけるのは好きではない。ぬしの言うとおりにするとしよう」


 表情は柔らかいとまではいかないけど、部屋を出てくれそうだ。とりあえずは、よかった。

 部屋を出ると、父さんと母さんが安心した様子でこちらを見た。狐子が部屋を出てくれたということに対してか、ケンカしたという言葉を信じて、僕たちが仲直りしたのだろうと思ってくれたのかはわからないけど、どちらにせよ二人とも心配していたのだと分かる。


「おはよう、あいちゃん。気分はどう?」

「ごしんぱいおかけしましたです。おにーちゃんといろいろお話したので、もうだいじょうぶです」


 狐子が若干舌足らずな口調で言うと、二人はますますほっとしたようだった。


「話し合いはできたようだね。よかったよかった」

「まあね。やっぱり、ケンカからの仲直りは殴り合いより話し合いに限るよ」


 そういえば狐子には僕たちがケンカした、という設定は伝えていなかった。なにか疑問に思って聞きかえして矛盾点が出る前に状況をそれとなく言っておこう。


「慎一はそんなことを言って……でも、礼尾君とは殴り合いで仲直りしたんだったかな?」

「殴り合いで仲直りしたというか、殴り合ってるうちに友情が芽生えたというか……そんな感じ?」


 僕と狐子が話している間に母さんが料理をはこび終えていたらしい。話をしながら席につくと、父さんが手を合わせた。それを合図に僕たちも手を合わせる。

 いただきますとみんなで声をそろえて言い、朝食が始まる。

 若干怖さはあるけれど、それを父さん、母さん、狐子に気づかれるわけにはいかない。なるべく平静なふりをして焼き魚をつつき、白米を口へと運ぶ。母さん手製の味噌汁はダシがきいていておいしい。


「それにしても、いつも仲のいい二人がケンカとはね。いったい何が原因だったのやら……」


 そうしていると、父さんが口を開き、そんなことを言いだした。まずい、ケンカの内容までは考えていなかった。


「おにーちゃんがいつもわたしをこどもあつかいするから、それにちょっと怒りましたです。わたしだって、りなさんみたいな関係になりたいのに……」


 頬を膨らませて言う狐子。こういうのは愛紗としての狐子が言いそうな理由だ。二人とも特に変に思わないだろう。


「愛紗。愛紗だって僕にとって大切な人だよ? でも、その大切さは里奈さんとは違う。里奈さんに向けている大切って言う感情は、生涯一人に向けるべきものだから、愛紗に向けることはできないんだ」

「慎一は固いね。でも、そういう考え方は大切かな」

「あら~、幼馴染と義妹のハーレムルートに入らないの~? それくらい奔放な方が人生楽しいのに~」


 僕の言葉に、父さんと母さんはそれぞれの考え方が真逆の言葉を返す。


「人生は楽しいかもしれないけれど、大切な人を失ってしまう可能性があるからね。例えば幸衛、僕がそのほうが楽しいからって言う理由で幸衛以外の女性とも友達以上の関係になりだしたらどうする?」

「そんなの決まっているじゃない~。私が一番だってことを思い知らせて、他の人が自分の意志で衛二さんから遠ざかるようにするわ~」

「……僕の期待した回答とは違うなぁ。でも、大勢の相手と付き合う僕の事は好ましく思わないだろう?」

「まあ、そうね~。でも、大勢と付き合えるだけの魅力がある存在だってことは、今でも分かっているわ~」


 あ、のろけが始まった。止め……なくてもいいか。僕も狐子ももうすぐ朝食は食べ終わるから、そのままスルーして学校に行けばいい。


「二重の意味でごちそうさまでした。さてと……」


 壁掛け時計を見るとまだ時間に余裕はある。今日もいつものように紫織の仏壇に手を合わせ、目を閉じる。


「ご苦労なことだね、君も」


 ふいにそんな声がして、目を開く。


「やぁ。久しぶりだね」


 視界に広がるのは、誰も客のいない映画館の上映室。いや……客は、一人いる。目の前に立っている、この仮面の人物だ。


「君は出かける前、いつも妹の仏壇に手を合わせるね。そんなことをしても意味はないのに」

「わざわざ登校前の忙しい時間にこの世界を見せて、言いたいことはそれだけ? だったら、さっさと解放してほしいんだけど」


 視界に広がる世界は、精神世界と呼ばれる世界だ、僕の心を具現化した世界……らしい。


「まあ、そう言わずに。邯鄲の夢、という言葉があるだろう? それと同じように、ここ、精神世界での経過時間と外の世界での経過時間はイコールではないんだよ。だから、ゆっくりと話をしたいね」

「君のおかげでいろいろできるようになったのは認める。それがなければ僕はユキちゃんとの戦いの中で死んでいたかもしれないことも認める。だからと言って何か話をしようとは思わない」


 こいつは何か、違和感がある。僕にできないことをしてみせる、僕とは思えない存在だ。なのに、僕の心の中にいる。それだけで、怪しいと感じるには十分なように感じる。狐子が言っていたことがあっているのなら、きっとこいつが僕の中にいる僕以外の精神体なのだろう。


「そういえば、そんなこともあったねぇ。なんとなく懐かしさすら感じるよ。でも……そこで拾った命も、もうすぐ終わる」

「…………は?」


 命が終わる……僕が死ぬ……って、言いたいのか?


「心配しなくてもいい。終わるとしても、最短で明日だからね。逆に言うと、友人たちと楽しく過ごせるのは今日で最後かもしれない。未練を残さないように気をつけなよ?」


 明日? それって、つまり……。


「ピエラータの件で僕が死ぬって言いたいの? ありえないね、そんなこと。話し合いで解決するつもりだし、できなかったとしても狐子が守ってくれる。それに、僕だって足手まといになるほど弱くない」

「強い弱いじゃない。能力はともかく、君が生きていられるのは人間の生きていられる理由と大差ない。呼吸をし、血流で酸素を体の各部に届ける。食事でエネルギーを摂取する……そういったことをしなければ、化物ぶっている君も、あっさりと死ぬ」

「それができなくなるような状況になりうるって? 君は何が言いたいの?」


 僕の言葉に仮面の人物は男性にも女性にも聞こえる声で笑った。


「そうだね……ボクは可能性の話をしているんじゃない。結果のことを言っている……とだけ、言っておこうかな」


 笑いながら言うと、仮面の人物は僕に背を向けて上映室の出口へと歩みだした。


「ちょっと! 今の言葉はいったいどういう――」


 追いかけようとした時、出口の扉が開き、まばゆい光が目を刺す。あまりの眩しさに目を閉じる。


「しんちゃん? 携帯なってるわよ~?」


 母さんの声に再び目を開けた時、視界に広がるのは紫織の仏壇だった。


「え……ああ、うん。そうだね」


 この音はメールが来た時の音だ。携帯を取り出しながら壁掛け時計を確認すると、さっき見たときから十秒も経っていない。それ以上は話していたつもりだけど……。

 仮面の人物が言っていたことは本当だったんだと思いながらメールを確認する。


『送信者名:里奈さん 件名:ごめんなさい! 本文:今日はちょっと用事ができたので先に学校に向かいます。双葉ちゃんも一緒なので、心配しないでください!』


 それを見て思考が日常へと戻る。


「なんだったの~?」

「里奈さんから。今日は先に学校行くってさ」

「あら~……せっかく付き合いだしたのに、一緒に登校もしないなんて、なんだか残念ね~」

「用事ができたって書いてあるから、仕方ないよ。とりあえず、僕もそろそろ出かけないとね」


 言いながら立ち上がる。弓道部の朝練にも参加しておきたいし、ちょっと早いけどこれでちょうどいいくらいかな。


「そう~。じゃあ、いってらっしゃい、しんちゃん。気をつけてね~」

「今日も楽しんでくるといいよ、慎一」

「いってらっしゃいです、おにーちゃん!」


 三人の声に手を振り、僕は家を後にした。

 仮面の人物の不吉な言葉に若干の不安を感じながら。

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