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伍幕 目。ただそれだけが 弐

 ベッドの上に腰かけながら言う狐子にうなずいて、話に耳を傾ける。


「まず、術と言っても三種に大別される。神としての力を使う、通力。魔としての力を使う、魔術。そして霊力を使う、霊術。ぬしの中には霊力と、わしとつながっておる故に神としての力がわずかにあるはずじゃ。ゆえに、使えるのは霊術と、可能性は低いがごくごく小規模な通力のはず。では、本題に入ろうか」


 なるほど、ここはまだ前置きか…たしかに、長くなりそうだ。


「術の基本としては、通力、魔術はそれぞれ正と負の力を用いて、人の世の理を無視して何かを生み出したり、何かを消し去ったりする。それも、大規模にな。では、霊術はどうなるのか。それは、この世の理の中で利用できる物を利用する、というものじゃ。もっとも、大規模な霊術となれば小規模ながら理に干渉することもあるが…違いは実演を交えて話すと…」


 そこまで言うと狐子は両手にライターの火くらいの火を発生させた。


「ぬしから見て右の火が通力で生み出した火。左の火が霊術で作りだした火じゃ」

「見た感じ、違いはないみたいだけど…」

「うむ。その程度になるように調整しておるからな。では、違いを説明しよう。まず、通力の火…これは神力をそのまま火に変化させたものじゃ。人の世の理ではありえない火じゃな。可燃物がなくとも、この火は燃え続ける。例え、真空であろうともな」

「それって…神としての力がどんな状況であっても燃えている、ってこと?」

「そうともいえる。ゆえに、どのような場所であろうと発生、維持させることができる」


 そこまで話すと、狐子は右側の火を消した。


「では、こちらの火は、どうして燃えていると思う?」

「えっと…霊力が燃えてる、ってわけじゃないんだよね。この世の理の中で利用できる物を利用して火をつけているわけだから…」


 考え込むけれど、さすがに分からない。


「まあ、分かるはずもないな。助言するならば、この空気中に含まれている物を用いて燃やしているのじゃ。考えてみよ、大気中には何がある?」

「えっと…大半が窒素(ちっそ)で、あと、酸素。少し二酸化炭素があって…あ、あとアルゴン?」

「他にもさまざまあるが…次に、物が燃えるには何が必要じゃ?」

「酸素と…可燃物、点火源?」

「そう。ここまで言えばわかるじゃろう?」


 …? どういうことだ? 狐子がこういうからには、ヒントは十分だされたはず…。


「あ…もしかして、空気中の酸素、可燃物を集めて燃やしているの? 点火源は…そうだ、静電気がある!」


 僕がそう言うと、狐子は満足げにほほ笑み、頷いた。


「正解じゃ。空気中のちりを集める、二酸化炭素から炭素原子のみを取り除いて集め、別の何かと結び付け、可燃物とするなど、可燃物を集める手段はいくらでもある。その可燃物を集めるのをやめなければ火の元はなくならぬし、酸素の濃さを調節してやれば火の強さもある程度変えられる。ついでに言うならば、原子構造からいじって可燃ガスを生み出すこともできる」

「なるほど…力を使って状況を変化させることで現象を発生させるのが、霊術なんだね」

「飲み込みが速くて助かる」


 そう言いながら狐子は左の火も消した。


「正確には、ほぼ物理的な現象であるのが霊術。大規模なものならともかく、この程度ならば精神体への威力はさして高くない。先ほど程度の火ならば、わしは…触っても熱いと感じる程度じゃろう。それとは違い、通力の火は完全に霊的な現象。ゆえに、先ほどの火にふれればわしは間違いなくやけどをすることじゃろう」


 狐子の話にうなずいて、先を促す。


「魔術の説明は、済まぬがはぶくぞ。実演ができん以上説明が難しい。まあ、奪う、消し去る、が主体となる負の力だと理解しておけば、ぬしの頭脳なら何ができるか予想がつくじゃろう」

「まあ…少しくらいなら」


 周囲の温度を奪えば、そこを凍らせることができるだろうし、強く使えば物を消し去ることもできるはずだ。

 しかし、何だろう。何か違和感を覚えたような…。


「まあ、ざっくりではあるが基礎は教えたつもりじゃ。疑問点はあるか?」


 首を横にふる。これ以上詳しいことを知ろうとしてもそれは一朝一夕では身につかないだろう。


「ならば、良い。では、次は詠唱じゃな。ここからは暗記になるが…ぬしよ、記憶力に自信はあるか?」

「好きなもの、興味のあるものに対する記憶力ならそこそこかな」

「そういえば、花言葉も少しは覚えていたな。期待できそうじゃ」


 そう言うと狐子はにやりと笑った。


「まず説明から。詠唱とは言霊…霊力のこめられた言葉によって行われる。つまりは、霊力を言葉に込める、ということができねば話にならぬというわけじゃな。ちなみに、言霊は使い方によっては他者の行動をある程度操ることもできる。まあ、本人の意志を曲げてまで操ろうとすれば、相当な霊力が必要になるがな…さて、実際にやってみると良い。本田の件で詠唱ができていたのじゃから、練習など必要ないかもしれぬがな」


 練習…うーん…あの時はどうやったんだっけ…あの時はほとんど無意識でやってたような感じがする。


「狐子、具体的なやり方って、どんな感じかな…?」


 僕がそう言うと、狐子は少しだけ目を丸くすると、ため息をついた。


「やれやれ…あれだけのことをやり方も知らずにやったというのか? 自信がなくなるな…」


 耳の裏あたりを軽くかきながら狐子はあきれたように言う。


「そうじゃな。口から霊力を吐き出すようなつもりで何か言ってみるがよい。わしを操れると思うなら、わしに何か命じてみても良いぞ?」


 そう思ったのもつかの間、今度はニタニタと笑いながら狐子はいう。からかわれてるなぁ…何か言い返したいけど、特に思いつかない。


「それじゃあ…僕のことどう思ってるか言ってみて?」


 ふと思い浮かんだことで言ってみる。


「…なんじゃ、つまらん。性欲を持て余した男子特有の色欲に満ち満ちた命令でもしてくるかと思ったら」


 どこかがっかりとした様子で狐子はいう。


「なにさ、今すぐこの場で全裸になれ、とか言われたかったわけ?」

「殺すぞ破廉恥小僧」


 狐子は無駄にいい笑顔でそう言った。


「なんて言えばよかったのさ…っていうか、僕は小僧呼ばわりされるような年じゃないよ」

「わしから見れば人間など皆ガキ同然。生きてせいぜい百年…わしの年齢の十分の一…もっとか? その程度じゃからな。刹那にはじけるうたかたの存在よ」


 フッと笑いながら狐子はいう。けど、それはどこか悲しげな笑顔だった。


「そんなことより、問題は今の言葉にはまるで霊力が込められていなかったことじゃ。やる気があるのかどうかを疑うほどにな」

「そんなこと言われたって…あの時は自分でもよく分かってなかったんだから、初めてみたいなものだよ? 失敗くらいするよ…」

「霊矢を作るのをあんなにもたやすく行ったぬしなら簡単にこなすだろうと思っておったのじゃが…やれやれ。勝手が違うか? とにかく、もう一度じゃ。言霊も使えぬ者に術式をおしえても仕方がない」

「わかってる。それじゃあもう一回やってみる」


 うーん。口から霊力を吐き出す気になって、か…とりあえず、さっきと同じことを聞いてみよう。


「狐子は僕のことをどう思ってるか聞かせて?」

「まだまだ。ほれ、どんどん口に出せ。試行回数を増やせ」

「うう…! 狐子は僕のことをどう思ってる!?」


 この後、何十回と同じ言葉を繰り返し、そのたびに霊力を吐き出すイメージをしてきた。


「駄目じゃな。ピクリとも心が動かん。やれやれ…あれだけのことができて、なぜこの程度のこともできぬのか…」


 その狐子の口調は紛れもなく落胆。

 期待、されていたんだな…それに応えられないなんて…自分が悔しい。


「……っ!」


 悔しさに、歯噛みする。


「…もう一度、先ほどの言葉を言ってみよ」


 その時、狐子からそんな事を言われた。よくわからないけど…言えというなら言ってみよう。


「『狐子は僕のことをどう思っているのか聞かせて!』」


 …? なんだ? 今の僕の声…普段と違って聞こえたような…。


「…うむ。良い言霊じゃった。備えておらねば普通に答えていたじゃろう。今の感覚を覚えておくのじゃぞ」

「えっと、つまり今のが言霊?」

「うむ。どんな言葉でもやろうと思えば込められるじゃろう。『このように』な」


 狐子の言った”このように”の部分が妙に耳に入るというか、魂に響くというか…なるほど。言霊というのはこういうものなのか…。


「じゃあ、確認のためにもう一回やってみるね」

「そうじゃな、感覚を忘れぬうちにやっておいた方が良い。一度と言わず、何度でもな」


 そう言って頷く狐子。そうだ…さっきからかわれたお礼を、ちゃんとしておかないとね…。


「えっと…『僕、狐子のことが好きだよ』」

「……は?」


 よし。つかみは完璧、かな? 言霊で言えた感覚もあるし、笑顔も大丈夫なはずだ。


「あれ? 言霊で言えたと思ったんだけど…『僕、狐子のことが』」

「いや、聞こえた、聞こえたぞ? じゃが、待て。ぬしには里奈というものがあろう? その身でわしなどにかまけるなど到底許されることではないぞ?」

「いや、でも…『僕は狐子のことが好きなんだよ?』」

「~~っ!?」


 よしよし…いい感じだ。持ち上げて、持ち上げて…一気に落とす。


「『人間的な意味で、ね』」

「…あ、ああ。なるほどな。わしも、ぬしのことは嫌いではないぞ。人間的な意味で」


 気が抜けた声、というのがこれほど当てはまる声はそうそうないだろう。それも、狐子相手となれば余計に。


「狐子って、本当にこういうのに弱いよね…千年以上生きて老成された神様って言うより、異性との付き合い方もろくに分からない箱入り娘って感じ」

「わしが箱入り娘で悪いか? 言っておくがな、わしは色恋などにうつつを抜かすほど愚かではない。そのような時間があらば、訓練に訓練を重ね、神としてより強くなる方が皆のためじゃからな」

「要するに、色恋沙汰がなかったから異性との付き合い方もわからないってこと?」

「…………」


 無言で微笑む狐子から凄い力を感じる…少しからかいすぎたかな…。


「まあ、僕は玉藻の前みたいに傾国させるようなことした人よりは、狐子みたいにうぶな人のほうが好きだよ?」

「…っ、そうじゃな。里奈も比較的うぶゆえ、そのあたりはなんとなくわかる」


 なんだろう、今狐子が少し恥ずかしがったような気がする…。


「里奈さんは積極的なのか奥手なのかよくわからないけどね…僕が鈍感でさえなければ、もっと早くに里奈さんの思いには気づいていたと思う程度にはアタックしてきてくれていたし」

「いや、あれは鈍感とかそういう問題でなく、気付いたうえで無視していると思うくらいには積極的じゃったと思うのじゃが…良かったな、あれが気長で。他の娘なら諦めて別の男に手を出しておるぞ」

「…僕、そんなふうに見えた?」

「うむ。わしがぬしに触れているときのあやつの顔を見れば分かる。ぽっと出の小娘が生意気な…という顔じゃった」

「里奈さんはそんな言い方しないと思うけど…まあ、狐子にはそういう風に見えたんだね」


 そんな風になるほど僕のことを好いてくれていたんだな…何年間も。これからはちゃんと幸せにしてあげないと。


「ぬしよ、顔がにやけておるぞ? あの娘との今後を思い描いておったのか?」

「う…しょうがないじゃないか。器量良し、性格良しの僕にはもったいないくらい素敵な人にそこまで思われているって考えると…頬も緩むよ」

「…そうじゃな。あれはぬしにはもったいないくらいの奴じゃ」


 どこか落ち着かない様子で狐子は言う。


「さて、わしは出かけるとするかの」


 少し沈黙が続き、話題を変えるように言うと狐子は立ち上がった。


「え? どこに? まだ詠唱教えてもらってないんだけど…」

「まあ、それは夜でも良いじゃろう。今は少々気になることがあるのでな」

「気になるって…何がさ?」


 首をかしげながら尋ねる。気になる事…なんのことだろう。


「帰りに話したじゃろう? いくつか小夏に聞きたいことがあるのでな…」


 ああ、そういえばそんな事を言っていたっけ。たしかに、あの言葉をどうして知っていたのかは気になる。


「僕も一緒に行こうか?」

「いや、いい。ぬしが居ては話しにくいことやもしれぬからな」

「そっか…分かった。貞操には気をつけてね」

「ああ。十二分に気をつける」


 そう言うと狐子は僕の部屋を後にした。


「さて…僕はどうしようかな」


 訓練をつけてもらえるような相手は小夏さん以外に心当たりはない。だからと言って自主訓練をするほど剣術には詳しくないし、弓術を練習するほど場所もない。術はどんなものがあるかもわからないし…。


「体力作りに、走り込みでもしてみようかな…それとも素振り…? どちらにせよ、短時間で成果は出ないか…」


 ぼんやりと椅子に座りながらつぶやく。今僕にできることはあまり無いように思える。


「…あの場所に、行ってみようかな」


 特に意味はないだろうけど、狐子が愛紗じゃないと知ったあの場所に。あそこなら少しは空間もあるし、人通りもないからある程度気にせずにいろいろできるかもしれない。


「…そうと決めたら、さっそく行ってみようかな」


 椅子から立ち上がり、自分で買った上着を着る。里奈さんの作ってくれたコートを着ていって汚したくないからね。

 マダチは今も体の表面にまとっているし、家の鍵も持った。忘れ物はないかな。確認しながら部屋を出て、玄関をくぐる。鍵をちゃんとかけて、と。

 本田の件があった廃ビルまでは、歩いてほんの少しの距離だ。その程度の距離だけど、周りに特に何もないからか本当に人通りはないに等しい。中に入ってくる人となれば、まずいないと言って間違いない。


「着いた…」


 古びたビルを見上げて呟く。


「一回…本気で跳ねてみようかな」


 このビルは五階建てだったはず。今の全力を知るためにも霊力強化を試してみる意味はあるように思える。跳躍力は脚力。脚力はキック力につながる。ピエラータとカレンを生かしておきたいのなら、蹴りの威力を知って手加減が必要か否かを判断できるくらいのことはしておきたい。


「さて…と」


 ビルのそばまで歩み寄り、足に全身の霊力を集中させる。その量は昨日里奈さんをナンパしていた連中の特殊警棒を蹴り曲げた時の比ではない。

 短く息を吐き出し、全力で地面を蹴る。

 と、同時にあたりに大きな音が響く。思わず何事かと足元を見ると、そのはるか下の地面に結構な大きさのくぼみができていた。ああ…今のは僕が地面を蹴った音か。

 …って、こんな音が出るような強さで跳躍したら、いったいどれくらいの高さまで跳べているんだ? ビルの方を見る。

 屋上の床が、目線の高さにあった。


「まさかここまでとは…おっと」


 上昇が止まるのを感じて、とっさにビルに手を伸ばす。何とか手が届き、屋上からぶら下がる形になる。


「今度は腕の方に霊力をまわして…よ、っと」


 軽々と体を持ち上げ、屋上に上がる。

 そのあと少し下の方を見渡すけれど、近所の人と思わしき人が様子を見に来るだけで済んだようだ。良かった…警察とか呼ばれなくて…。

 それにしても、まさか五階建てのビルの屋上に手が届くとは…精神世界らしき場所で跳んだ時や、小夏さんとの訓練中に飛んだ時より高いじゃないか。ひょっとして、さっきの霊力が増加した分の影響がまだ残っているのかな?


「だとしても…人間離れしているにもほどがあるよなぁ…」


 霊力強化した脚力でこれだけ跳べるとなると…生身の人間に全力でキックしたら足が体を貫通するとかそういうレベルなんじゃあ…それ以上かもしれないけど、とりあえず想像したくはない光景だ。


「そもそも、お前は人間なのか? 遠坂慎一」

「!?」


 聞こえるはずのない声。恐怖と共に、慌てて振り返る。


「久しぶりだな、遠坂慎一。どうだ? 金色の戦姫との生活は?」


 そこには、狐子が人間界で最初に身を寄せた、神野家の人々を皆殺しにした相手。影の男がいた。


「…おかげさまで、楽しいものだよ」


 全身の緊張を解くことなく答える。


「そう身構えるな。今日は戦いに来たわけではない…お前を、成長させに来ただけだ」

「…僕を、成長させに?」

「そうだ。同じ家畜なら、太らせてから食う主義なのでな」

「へぇ…要するに、稽古つけてくれるってわけ? それは…ありがたいねっ!」


 そう言い終えないうちにマダチを弓の形に変え、速射すると同時に影の男のほうへと駆け寄る。そして、足に霊力を限界まで集め、強化し、蹴りを放つ!


「霊力を用いた身体強化はできるようになったか。それも、かなり強靭だな」


 廃ビルの屋上に衝撃でひびが入る。しかし、その衝撃を直接受けた影の男自体は左手だけで僕の蹴りを止めている。


「ずいぶんと…人間をやめたものだな、遠坂慎一」

「人間じゃない奴と戦わないと狐子を守れないんだ。人外相手にご丁寧に人間のままで戦っていられるか!」


 次の一手のために足をつかむ手を振り払おうとするけれど、びくともしない。なんていう力だ…!


「お前の力はそんなものではないだろう? 前の戦いで見せたあの力を出してみろ」


 狐子には使うなと言われた力。狐子には命がかかっている状況でしか使わないと言った力。だけど…使うしかない。


「…ナーよ。我が内にありて我で無き者を解放する」


 自分の中の力が爆発的に膨れ上がるのを感じる。同時に、左足の付け根の痛みも始まる。

 でも、今回はそれだけじゃない。全身に微かな痛みが走るのだ。それは、まるで膨らみすぎた風船が破裂しそうになっているかのようにも感じた。理屈なしに、そう直感で感じるのだ。


「…ほう、興味深い」


 面白がるような声で影の男は言う。


「なにが興味深い…って!?」


 足にありったけの霊力を流し込み、影の男の手を払う。


「…今、お前は本当に人間か、と聞いたな。遠坂慎一」


 影の男は自分の左手のひらを眺めながら、どこか嬉しそうに言う。


「訂正しよう…お前は、何だ?」


 その手のひらを僕のほうへと見せる影の男。

 そこは鋭い刃物で切り裂いたかのように裂け、裂け目からは紺碧の光を放つ液体が流れ出していた。


「正直に言わせてもらおう。今、お前の前にいるこの俺は、俺の力で作った分身だ。だが、人間が式神になった程度の力では傷一つつけられんだけの力は込めた、と断言できる。なのに、お前は…くくっ。その俺の手に傷をつけた! 嬉しいぞ…好敵手と呼べうるかもしれない存在を、この手で育てられること!」


 そう言うと、影の男は狂ったような笑いをあげだした。


「さあ、再び問おう、遠坂慎一! お前は何だ! 人狼か? 吸血鬼か? それともこの国に伝わる妖怪、魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)というやつか? ならば、その本性を俺にさらけ出すがいい! どんなに醜い姿であろうと、俺はお前を好敵手として認めよう!」


 一種異様さすら感じる笑みを浮かべた顔を右手で抑えながら影の男は言う。


「…僕は、人間だよ。狐子の式神に偶然なっただけの、ただの人間だ。悪いけど、お前の期待するような存在じゃない」


 若干の恐怖を感じながらも、そう言い返す。だけど、僕が恐れているのは、影の男に本気を出させてしまったかもしれないということでも、影の男が浮かべている異様な笑みでもない。

 僕の心は、僕が人間じゃないのではないかという言葉に恐怖を感じている。


「本当か? 本当にそうか? 遠坂慎一。お前が知らないだけで人型の異形などこの世界にはいくらでもいるぞ? お前もその一種かもしれないぞ?」

「うるさい…」


 なんでだ? なんで僕はその言葉を怖がっているんだ?

 今の僕の恐怖は日常が壊れてしまうとか、そういうことではない。

 僕は、僕が人間じゃないかもしれないということそのものを恐れている!


「なにを隠す? 何を恐れている? お前の憧れだろう? お前の願いを…金色の戦姫を守ることができるだけの力を秘めているかもしれないのだろう!?」

「うるさい…!」


 やめろ。それ以上、言葉を続けないでくれ…!


「お前も俺と同じ、化物なのだろう!?」


 化物。その言葉を聞いたとたん、脳内にいくつかの映像が浮かぶ。

 困惑するような目の礼尾。

 憐れむような目の双葉。

 涙をためた目の里奈さん。

 軽蔑するような目の先輩。

 慈愛に満ちた目の狐子。

 おかしげな目の小夏さん。

 目が。

 無数の目が。

 頭の中に。

 浮かんでは。

 消えていく。

 そして、目が。

 目が、熱くなる。

 目が、うずく。


「うるさいって…言ってるんだよ!」


 違う!

 僕は人間だ! 化物なんかじゃない!

 そんな怒りと共に、影の男を見据える。


「……!?」


 驚愕。それを感じさせるだけの表情をする。

 けど、それも一瞬。


「…見間違い…か…? いや…事実だとしたら…より、面白い」


 すぐに影の男の顔は愉悦に歪む。


「お前の全力を俺にぶつけてみるがいい。それで、お前が人間か、化物か…はっきりする」


 愉悦の表情のまま、口にする。手を広げて、いつでも来いと言いたげな姿勢だ。

 いいよ…そんなふうにするんだったら、やってやる!

 右足にほぼ全ての霊力を集中。残りで強化した左足を軸足に、小夏さんから教わった体術を利用して全身全霊の蹴りをくりだす。

 振り上げた右足が男へと近づいていく。その時、すさまじい音が辺りに響き渡った。

 そして、影の男に足が当たる。

 その時何が起こったのか、正直に言ってよく分からない。

 気が付けば、目の前の影の男は足首から下を残して小さな黒い粒になっていて、僕は、そして周りの床は紺碧色の光る液体で濡れていた。


「…え?」


 自然と口からこぼれた声は、困惑。

 それを聞いたのは、僕だけだった。


伍幕 了

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