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壱幕 平穏な世界と時の中で 壱

 里奈さんは電車酔いしやすいから、ショッピングモールまでは歩いて向かった。少し時間はかかるけど、お金が浮くのは助かる。時間はあるけど金はない、なんて言われる身分だからね。まあ、実際にはどっちもないんだけど。

 それにしても、だ。


「…おい、見ろよあの子…」

「まじかよ…あんな美人この町にいたんだな…」


 とか、


「すげくない? モデルかなぁ…」


 とか、


「あの男…だよな? なにもんだよ…」


 とか。

 とにかく、里奈さんに対する羨望と、僕に対する嫉妬の目線が痛い。


「ですが、慎一さんが頬を腫らして階段をおりてきた時は内心驚きました。またケンカでもしたのかと…」


 でも、里奈さんは慣れた様子で話を続ける。まあ、実際に慣れているのだろうけど。


「えっ、あー…まあ、母さんの誤解でね。全力の右ストレートをくらったんだ」

「そんな事が!? いったい何があったのですか?」

「いやー…愛紗が転んだのを引き起こそうとしたところを見られて、押し倒したと思われたみたいでさ」


 そんな雑談をしている間も、羨望と嫉妬の目線は突き刺さる。人とすれ違うたびといっても良いくらいのペースだ。


「慎一さんがそんなことするわけないのに…ひどいですね」

「ああいう人だから、仕方ないと思ってるんだけどね…まったく、母さんは僕が色欲や淫欲の塊で、だれかれ構わずそれをぶつけると思っているのかな?」

「本当ですね。慎一さんにはそんな悪い意思があるはずないのに…」


 信用してくれているのはうれしいけど、ずいぶんな確信に満ちているな…いや、まあ確かにそんな悪い意志があったらとっくに里奈さんに何かしでかしていそうだけど。具体的に言うと、悪友が里奈さんの着替えをのぞきに行こうといった時に賛成したり。


「分かってくれてうれしいよ。あ、ショッピングモール見えてきたね」


 そう言って建物を指さす。この辺りでは一番大きくて、有名なショッピングモールだ。欲しいものがあったらここに来ればよっぽど専門的なものでない限り、とりあえずそろう程度には品ぞろえもいいし、僕も時折利用している。ちなみにゲームコーナーや食事コーナーもそろっているから、暇つぶしに困ることもない。


「ここの屋上で、一時半からマジックショーをやるんです。全国的に有名な方ではないようですが、そのマジックの腕は本物だそうですよ」

「へぇ…それは見るのが楽しみだね」


 でも、今の僕にマジックは通用するのだろうか。狐子の式神になった結果、五感が鋭くなって、タネを見抜く力も上がっていそうというか…。


「それまではいろいろ見て回ろうか。新しいお店も入ったんだっけ?」

「はい! お洋服のお店がいっぱい増えたんですよ。かわいいお洋服も、かっこいいお洋服もそろうそうですから、楽しみです」


 でもまあ、そんな事は些細な事かな。里奈さんが僕といる事で、笑顔になってくれる。それで十分だ。


「まるでデートだね」


 里奈さんの慌てる顔が見たくて、そんな事を言ってしまう。


「で、デートだなんてそんな! 私なんかじゃ、慎一さんとは不釣り合いですよ!」

「そうだね…里奈さんは高嶺の花だよ。ここに来るまでだって、里奈さんを見て振り向いた人はいても、僕を見て振り向いた人はいなかったでしょう?」

「そんなの関係ありません! そんな人、私の胸ばっかり見てるような人ですよ! 人間的魅力なら私は慎一さんに遠く及ばないというか! 慎一さんは…その、すごく素敵ですし」


 予想どおりの反応。だけど、それを見るのは楽しい…って、狐子のからかい癖が移ったかな。


「落ち着いて、里奈さん。ところで、今のは告白と受け取ってもいいの?」

「こくはっ…!? そ、そのような大層なものでなく、私は事実を述べたまでというか…!」


 里奈さんはますます混乱していく。うーん…やっぱり、からかい癖が移ったなぁ。見ていて楽しい。

 とはいえ、これ以上パニックにさせたらかわいそうだし、何か落ち着かせるような言葉を…。


「ん? おお、シンに里奈じゃねぇか。何やってんだ? こんなところで」


 そう思っていると、なぜか悪友の声が聞こえてきた。


「レオ。それにフタハも。二人の方こそ、どうしたのさ」


 そこには、悪友の礼尾のみでなく、幼馴染の双葉もいた。


「ん? いやー、ここのゲームコーナーに限定プライズ景品があるって聞いてさ。好きな作品の限定っつわれたら、そりゃとりたくなるだろ?」


 そう言って笑う赤髪ショートの、少年的な雰囲気もあるスレンダーな女性が千歳双葉。双葉と書いてふたはと読む。読み間違えるとケンカになるから注意。ちなみに、幼馴染になったのは里奈さんと同じ時期。


「とるのは俺だろうが。おめーはクレーンゲームからっきしだからなぁ」


 その隣で言うのは、来栖礼尾。僕の悪友だ。僕が、ケンカが強いって悪い意味で有名になってた頃にケンカを売ってきたのが出会ったきっかけ。紫織の死をきっかけにケンカをすることはなくなったけど、なぜか交流が続いて、悪友になった。自分でもどうしてそうなったのかはわからないけど…まあ、人生とはえてして奇妙なものなのかもしれない。


「で? また聞くけど、二人は何でここに?」

「……一緒に、マジックショーを見に来たんです」


 …! まずい、里奈さんが不機嫌だ。礼尾、双葉、これ以上里奈さんの逆鱗に触れないでくれよ…!


「あー。やっぱりデートな。お邪魔しましたー」

「ま、俺らは景品取ったらさっさと帰るから、存分にイチャコラしてくれや、お二人さん!」


 そう言って笑いながら二人はショッピングモールに入っていった。


「……」


 里奈さんは背後に般若を浮かべたままでいる。


「えー…里奈さん?」

「…すいません、ちょっと…イラッとしちゃいました。今日は慎一さんと二人でいろいろやるんだー、って思っていたのに…双葉ちゃんも、礼尾さんもそれを邪魔しているわけではないのでしょうが、やっぱり…」


 しょんぼりと落ち込む里奈さん。


「そうだね、僕もちょっとイラッときたよ。せっかく里奈さんと二人きりで出かけられると思ってたんだからね」

「え?」

「まあ、なんていうか…うん、デートだって思ってるんだったら、最初から声、かけないでほしいよね」


 僕がそう言うと、里奈さんはしばし戸惑っているようだったけど、意味を理解すると同時に、顔を赤くした。


「僕と二人でいたいって思ってくれること、うれしいよ。それを邪魔されて怒るのも、うれしい。ああ、僕は里奈さんにそういう風に思われてるんだなぁ、って感じられるから…」


 …あれ、これって、里奈さんが僕のことを好いてくれているのが分かってる上でのセリフじゃないか?


「だから、何というか…その…」


 どうする? 言ってしまおうか…言うのか? 僕も里奈さんのことが好きだって?

 でも、言っていいのだろうか。僕は狐子の式神で、里奈さんは普通の人間だ。狐子がいつかこの地を離れるのなら、僕は式神ではなくなるのだろう。だけど、僕の力は、たぶん失われるわけではない。

もちろん、その力で里奈さんを傷つけなんてしない。だけど、狐子は前に悪魔の力を感じて動いていた。その逆で、僕の力を感じた何かが僕やその周りに危害を及ぼすことになるかもしれない。恋人だったらなおさらのことだ。愛し合っている相手を人質にとるのは、相手の動きを封じる手段の中でも相当効果のあることなのだから。

 そんなリスクを、里奈さんにおわせていいのだろうか…?


「慎一さん…? どうかされましたか?」


 そう悩む僕に、里奈さんは心配そうな視線を向ける。


「いや、その…」


 そうだ、僕。そのまま、何でもないよ、と言ってしまえ。そうするのが、お互いのためになるのだから!


「慎一さん」


 そう決意した時、里奈さんのどこか蠱惑的な声が耳に響いた。


「もうばれてしまったようですから言いますが…私は、慎一さんのことが好きです。例え、その先にどれほどの艱難(かんなん)辛苦(しんく)が待ち受けていたとしても、私は、慎一さんについていきたい…そう思います。慎一さんは…どうですか?」


 今まで聞いたことのないような声音で話す里奈さん。だけど、それに不自然さは感じない。それどころか、心にしみわたるような感覚すら覚える。そして、僕の想いに変化が生まれる。

 その言葉は、こちら側を知らないから言えることなのだろう。

 だけど、一緒にいたい、つらいことを乗り越えたいと言ってくれている。

 ならば…僕は、その言葉に、感情に答えるべきなのではないか?

 それならば――。


「…僕も、里奈さんのことが好きだ」


 …言ってしまった。好きだと言ってしまった!

 いやいや、落着け。今だったら友達として好きという言葉を付け足すことができ…るわけ、ない、か…。


「……」


 里奈さんは無言だ。無言で驚きに目を見開いていて、そして…その場に崩れ落ちた。


「り、里奈さん!? 大丈夫!?」


 慌てて駆け寄り、抱き起こす。

 里奈さんは、気絶していた。


「ど、どうしよう。どうすれば…おーい。里奈さーん? 戻ってきてー」


 頬を軽くたたく。これくらいで意識が戻るとは思えないけど…。


「ぅ…ん…」


 あ、割と効果あるんだ。もうちょっとで…!


「里奈さん、しっかり」

「…慎一、さん? 私、なにを…」

「急に倒れたんだよ。びっくりしたよ」

「倒れた…? ……はっ!?」


 突然顔を真っ赤にすると、慌てた様子で僕から離れていく里奈さん。気絶する直前のことを思いだしたのだろうか…。

 ちなみに、これを行っているのは休日の有名ショッピングモール前です。大勢の注目をひたすら浴びています。


「きょ、今日の私、おかしいですね。急にこんなこと言いだして…迷惑、ですよね。やだ、私…」

「ううん、すごくうれしかった。僕も、里奈さんのことが好きなんだから。両思いだって分かって、すごく幸せな気分」


 再び、僕たちの間に沈黙が流れる。周りは突然の告白シーンにいろめきだっている。

 そして、里奈さんは再び倒れた。


「リアクションの天丼!?」


 なに? 僕の告白はそんなに衝撃を感じることなの? 二回も気絶するほど驚くべきことなの!?

 でも、そのままにはしておけない。再び駆け寄って、再び抱き起こす。

 先ほどよりは意識がはっきりしているのか、今度はそれだけで目を覚ましてくれた。


「里奈さん、しっかり。それと、もう気絶しないでね?」


 僕がそう言うと、ぼんやりとした瞳で里奈さんは顔を僕の顔に近づけてきた。

 そして、僕らの顔と顔は――正確には、唇と唇はそっと触れあった。


「……!?」


 突然のことに、僕の頭は真っ白になる。何も考えられない頭の中に、周囲の声だけが響く。これは…やばい。こっちが気絶しそうだ。というか、僕のファーストが!

 時間にすれば、ほんの数秒のことだろう。だけど、それが永遠に感じられるほどに、そして、永遠になってほしいと思うほどに、里奈さんの唇の感触は心地よくて、やわらかい。


「…バカ。私がその言葉を、どれだけ待っていたと思っているんですか?」


 その甘い響きは、周囲のどよめきなんかよりずっと頭にしみこんできた。


「…ごめん」

「本当に悪いと思ってますか? 何が悪いのか、分かってくれていますか?」

「うん。気付けなくて、本当にごめん」

「鈍感な慎一さんにしてはいい答えです」


 にっこりとほほ笑む里奈さん。僕の腕の中から抜けると、少しショッピングモールへと歩き、振り返った。


「さ、行きましょう。慎一さん」


 その笑顔に、僕の心はとろけそうになる。


「うん、今行くよ」


 立ちあがって、里奈さんのほうへと歩んでいき、その手を軽く握る。

 少し驚いたような表情をする里奈さんに、僕は言う。


「これくらい、いいでしょう?」

「…はい。もちろんです」


 照れくさそうな里奈さん。その指に自分の指をそっとからませ、いわゆる恋人つなぎをする。


「こんなに大胆になってくれるのでしたら、もっと早くに二人で出かけようといいだすべきでした」

「今の僕だからできるんだよ。もっと早くに誘われてても、こんな大それたこと、できなかった」


 あたたかな里奈さんの手のひら。そのぬくもりを感じながら、ショッピングモールへと歩いて行く。


「あ、そういえば服は汚れていないでしょうか…倒れてしまったので、心配なのですが…」

「ちょっと汚れてるけど…はらえば何とかなると思うよ」

「その程度で済みましたか…良かったです。慎一さんと初めてのデートなのに、汚れた洋服で過ごすなんて嫌ですからね」


 そういう里奈さん。しかし、汚れを払おうとはしない。


「はらわなくていいの?」

「えっと…なんというか、慎一さんの手を離さないといけないのが、もったいないというか…せっかく好きって言ってもらえたのだから、ずっと手を握っていたいというか…」


 顔を赤くしてぼそぼそという里奈さん。


「大丈夫だよ。僕はどっかに行ったりなんかしない。ちゃんと近くにいるから」

「…はい」


 はにかみながら僕の手を離す里奈さん。服の汚れをパタパタはらっていく。


「背中の方は大丈夫でしょうか?」

「うん、大丈夫だよ。それじゃ、行こうか」


 そっと手を伸ばすと、里奈さんもそっと手を伸ばしてきて、僕らの手はおずおずと触れ合った。


「慎一さん…私、こんなに幸せな気分になったのは、生まれて初めてです。私なんかに、こんな日が来るなんて…」

「僕も、幸せだよ。里奈さんみたいな素敵な人と両想いになれたんだから」


 少し照れくささを感じるけれど、今のこの思いを素直に伝えたい。そんな僕を、里奈さんはとろけそうな瞳でじっと見ている。


「まず、どこから回ろうか?」

「それじゃあ…ゲームコーナーに」

「え? 礼尾と双葉がいると思うけど…」

「だからです。私たちの関係の報告というか、そういう事をすべきかな…なんて、思いまして」


 恥ずかしそうに笑いながら里奈さんは言う。たしかに、そういう事はきっちりすべきかもしれない。


「分かった。それじゃ、ゲームコーナーに行こう」

「はい」


 僕らは手をつないだままショッピングモールに入っていく。

 その背に、無数の視線を浴びながら。

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