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序幕 日常と、なじんだ非日常

 家路は、いつでも寂しいものだと僕は思ったことがある。仲の良い仲間たちと、少しとはいえ別れなければならないのだから。

 前の僕だったら、そんな風に思っていた。だけど、今の僕は違う。


「それでは、また明日…って、明日は休みでしたね。なんだか、残念です」


 僕の家の前で、そう寂しげにつぶやくのは、外見も内面も非の付けどころがないといっても過言ではない、僕の幼馴染、紫藤里奈さん。何の間違いか、僕なんかを異性として好きになってくれているようなのだけど…正直に言って、今の僕にはその思いにこたえる勇気がない。告白されでもしたら何ら迷うことなく首を縦にふるのだけれど…要するに、こちらから告白する勇気がないのだ。


「残念って…里奈さんの家から僕の家はちょっと歩けばすぐじゃないか。いつでも遊びに来てくれていいんだよ?」


 遠坂とかかれた表札のかけられた家――要するに、僕の実家を指さしながら言う。


「そうなのですが…その、迷惑になってしまわないか心配で…それに、二人きりになるのは…」


 もじもじとしながら言う里奈さん。その様子はとてもかわいらしい。抱きしめたいくらいだ。


「心配しなくても、襲ったりしないよ」

「慎一さんがそうでも、私がそうとは限らないので…」

「え、襲われるの僕なの!?」

「ふぇっ!? あ、ち、違います! 言葉のあやというか、なんというか! そ、その! やっぱり、年頃の男女が一つの部屋で水入らずというのは問題があるのではないでしょうか!?」


 わたわたとする里奈さん。


「でも、大丈夫じゃない? 愛紗もいるし」


 その様子を眺めていたい気分になりつつも、少しでも落ち着かせるために、そう口にする。


「愛紗さん、ですか…いえ、それはそれで…争いが始まりそうなので…」


 あ。チョイスミスったかな、これは。そういえば、愛紗と里奈さんは仲が悪いんだった…しかも、その仲の悪い原因は、僕。二人とも僕のことを好いてくれていて、それで僕を巡った争いをしているというか…。


「と、とりあえず、今日はここで。またね」


 それを思いだしてなんとなく憂鬱になりながら、玄関へと歩んでいく。


「あ! あ、あのっ! ちょっと、思いだしたことがあるのですがっ!」


 その時、里奈さんがそう声をかけてきた。


「あの…その、あ、明日、近所のショッピングモールで、マジックショーをやるそうなんです! それで、もし、よろしければ…一緒に行っていただければなぁと…ダメ、でしょうか?」


 真っ赤な顔で里奈さんは言う。こ、これはもしかして…デートのお誘い!?

 ショッピングモール…ショッピングモールといえば買い物…ウィンドウショッピングを楽しんだり、中に入っているゲームコーナーのUFOキャッチャーで狙った景品をとろうと二人で頑張ったり…とりあえず、楽しむことに事欠かない。

 って、いやいや。今はそんなことはどうでもいいよ。今重要なのは、里奈さんのこの言葉が友達に向けてのお誘いなのか、異性に向けてのお誘いなのかが問題で…。


「…すいません。慎一さん、お忙しいですよね…愛紗さんのことも、まだいろいろあるでしょうし…」


 僕が難しい顔で考え込んでいたのか、里奈さんはそう言う。


「いや、そんなことないよ。僕も明日、ちょうど時間空いていたからさ。マジックショーかぁ…楽しそうだね。ぜひ一緒に行きたいな」


 僕がそう言っただけで、里奈さんは瞳を輝かせて、本当にうれしそうな表情をしてくれる。そんな様が愛おしい。


「それでは、明日のお昼ちょっとすぎごろに合流しましょう! 慎一さんの家に伺いますので、そこから一緒に、ショッピングモールに!」


 嬉しそうな笑みの里奈さんにこちらも笑顔で応える。


「楽しみにしてるね。それじゃあ、また明日」

「はい! また明日!」


 今日は暖かいほうとはいえ、まだ吐く息は白く、防寒具は欠かせない。そんな中を、長い黒髪を揺らしながら里奈さんは駆けて行く。僕なんかと一緒に出かけられるってだけでこんなに喜んでくれるのなら、毎日でも出かけたいくらいだ。

 さて、彼女を見送った僕には、少し前ならちょっとした孤独感を感じるところだけど、今は違う。


「ただいまー」


 玄関の扉を開けると、暖かい空気が出迎えてくれる。


「おかえり、しんちゃん。外、寒かったでしょう?」


 リビングに入った僕に、母さんがそう声をかける。


「うん、寒かったよ…父さんは、仕事だよね?」

「そうなのよ~。新婚旅行中に、結構仕事たまっちゃって…しばらくは遅くなるのよ~」

「新婚、か。結婚してから約二十年たってなおそう言える精神がうらやましいね」


 孤独感を感じないでいられるのは、両親の存在がある。この間まで、新婚(?)旅行に行っていたから、家には僕一人だったのだ。


「そういえば、愛紗は?」


 そして、僕の孤独感をもっとも薄れさせる人(?)がいる。普段だったら、母さんより先に僕を出迎えてくれるのだけど…。


「あいちゃんは、しんちゃんの部屋でマンガ読むっていっていたわよ~」

「そっか。分かった」


 荷物を持って二階の自室に向かう。


「ただいま」


 自室の扉を開けると、そこには前の僕だったら夢だと思うような光景が広がっていた。


「む、帰ったか。ご苦労な事じゃな」


 そこには、かわいらしい少女がいた。長い黒髪は一本一本が絹のようにつややかで、その端正な顔や、線の細い体と組み合わさると、一つの芸術として完成しているとすら思える。

 ただ、問題があるとしたら、そこに普通の人間ではありえないものがいくつかある、ということだ。

 まず、頭の上には狐の耳が生えている。それと、腰のあたり。そこからは、四本の狐の尾が生えている。どちらも金色の毛で、キラキラと光っている。

 どういうことか分かりかねる人もいるだろうから、はっきり言ってしまおう。

 彼女の名は、遠坂愛紗。といいたいけれど、これは彼女が人間として暮らす際に使う名前、要するに偽名だ。

 彼女の本名は、稲荷狐子。齢千を数える、狐の神様なのだ。

 僕も最初は信じられなかった。でも、記憶や現実は確かにそれが事実であることを告げている。

 例えば、体を影のように変化させる男に僕の心臓を貫かれたのに、生きていること。

 例えば、不思議な力を目の前で見せてもらったり、自分でも使えるようになったこと。

 例えば…妹、紫織の仇とその力で戦ったこと。

 そのどれもが現実離れしすぎていて、自分の正気を疑いもした。だけど、そのどれもが紛れもなく実際に起きたことなのだ。

 そんな神様がなぜ僕の家にいるのかというと、彼女は“覇王”と呼ばれる存在(よくわからないけど、全人類を敵に回しても勝てるような存在らしい)との戦いの中で、その力の大半を使い果たしてしまったからなのだ。

そんな状態でそこらへんをぶらつくわけにはいかない。だから、とある家に身を寄せていたのだけれど…狐子にとどめを刺そうとした者によってその家の人々は皆、殺されてしまった。そして、狐子自身も危うい状況になったのだけど、そこに僕が偶然居合わせた。

助けたとは言えないけど、その縁から僕の家でしばし暮らしてもらうことになったのだ。

さて、そんな彼女はいま、僕のパソコンをいじっているようだ。そういえば、両親用にゲストアカウントもいれてあったっけ。おそらく、それでサインインしたのだろう。


「まあ、将来のためにはちゃんと勉強しないといけないからね。それで、狐子は何をしているの?」


 話しながら画面をのぞき込む。そこには無料姓名診断のサイトのトップ画面が映っていた。


「なに、人間の間ではやっておる占いにも興味があるのでな。ふと、わしやぬしの名を占ったらどうなるか、と気になったのじゃ」


 そう言うと、狐子はたどたどしい手つきで僕の名前を診断の欄に入力していく。


「これで、良いのかのぅ…ふむ、運気の良さを五点満点であらわしておるのじゃな。ぬしは…天運、外運、総運はなかなか良いようじゃが、人運と地運とやらはからっきしじゃな。悲観、薄幸、孤立、自滅…散々じゃの」


 苦笑しながらこちらを見やる狐子。それを見て、ちょっとしたいたずら心がわいた。


「じゃあ、狐子の名前はどうなのかなー、っと」


 ワイヤレスのキーボードを持ち上げ、片手で狐子の名前を入力する。


「なんだ、狐子だって悪いところがあるじゃないか。天運は二点、人運は一点だよ? 苦労、病気、波乱、衝突…大変そうだね」

「む、それでも、ぬしよりはましじゃろう?」

「確かに、薄幸や自滅と比べればましかもね…あ、相性診断なんてのもあるんだ…」


 いたずら心の延長で、なんとなくそこをクリックする。


「えーっと、男性は僕、女性は狐子でやるとー、っと」

「おい、待てなぜそのような事をする!?」

「いいじゃないか。無料サイトの占いなんてしょせんお遊びの範囲内だよ」


 止めようとする狐子をよそに、診断をしてみる。

 結果。


「…狐子、遠坂姓になったらものすごいね。全部四か五なんだけど…」

「…そうじゃな」


 なぜかちょっと気まずい。いや、その理由は分かっている。

 苗字が変わると運勢が変わりますと書かれた下に、嫁入りすると遠坂狐子さんと書かれているからだ。そう、“嫁入りすると”。


「…お天気雨、降らす?」

「ば、バカを言うでない! な、なな何が悲しゅうて、ぬしのような普通、平凡な人間に嫁がねばならぬのじゃ! ぬしなぞ、路傍の石じゃ! そんな関心がわく相手ではないわ!」

「…冗談のつもりだったんだけど。そこまで言われると…はぁ…傷つくなぁ…」


 わざとらしくいじけてみせる。


「…そもそも、ぬしが相性占いなぞやるから悪いのじゃ…わしは悪くない」

「ココロガイタイヨー」

「…ま、まあ、言いすぎたかもしれんが…ぬしには里奈というもっといい相手がおろう? わしなんぞにかまけておらず、あの娘ともっとうまくやればよかろう。うむ。それで問題解決じゃ」


 その言葉で、里奈さんと約束をしたことを思いだす。


「そうだ、狐子。じつは明日、里奈さんと一緒に出掛けることになったんだ」

「それは重畳(ちょうじょう)。この機会に、仲を深めるんじゃな」

「…嫉妬、してくれないの? 普段はあんなに僕のこと好き好きー、って感じなのに」

「それは愛紗としての演技じゃ。わしとしては、ぬしは式神。それ以上でもそれ以下でもない」


 狐子は、愛紗…僕の義理の妹としてふるまっているときは、なぜか僕に必要以上のスキンシップを取ってきたりして、お兄ちゃん大好きな妹を演じている。なんでかなんてわからない。神様の気紛れなのだろうか…。


「それともなんじゃ? わしに嫉妬してほしかったのか? あんな女と二人きりで外出など許さぬー、とでも言うて欲しかったのか?」


 にやにやとしながら言う狐子。これは…からかいスイッチが入ったな。でも、出会った頃のように僕を思いどおりにからかえると思ってもらっては困る。


「…そうだよ。狐子に、嫉妬してほしかった。だって、僕は狐子のことが…好きなんだから」


 できる限り恥ずかしそうに、恋愛に奥手な人が自分の思いを一生懸命に伝えるような感じで言う。


「……は?」


 僕の言葉を反芻している様子の狐子。一応、予想外の返答はできた…のかな? でも、これ…だいぶ恥ずかしいぞ…!


「ふ、ふん。からかわれたくないから、必死になって嘘を並べ立てておるな? その程度、仮にも神たるわしが見抜けぬとでも思うたか…!」

「嘘じゃないよ」


 一緒にモニターをのぞき込んでいた、ちょっと近めの距離から更に接近する。


「ばっ…! あまり近づいては、魅了術が必要以上に働いて…!」


 ああ、そういえばそんな話もしたっけ。人に好かれたほうがいろいろやりやすい、ってことで自分を見た人に好感を抱かせる術使ってるって。で、かなり近距離になると…異性としての魅了になるんだっけ?

 よし、ならここはそれを逆手にとろう。まだ大丈夫だけど、あえてその術にかかったような言動をとるんだ。恥ずかしいけど。ものすごく恥ずかしいけど!


「狐子…本当に、きれいだよね。顔だけじゃない。肌だって、白くて、透明感があって…髪もサラサラで。唇は桜の花みたいに、薄いピンクで。きっと…柔らかいんだろうな…」


 うわあああああ! 言ってるこっちが恥ずかしい! でも、狐子は顔を赤くして慌てているように見える。だったら、追い打ちだ! ここまで来て引けるかー! そっと手を狐子の頬に触れる。


「ねぇ…キス、していい?」

「~~~~!?!?」


 それで狐子の動揺は最高に達したらしい。僕から少しでも距離をとろうと椅子に座ったままのけぞって、椅子ごと倒れていった。


「つぁっ…!? あ、頭を打った…!」

「ふふふ…人をおちょくるからそうなるんだよ。それにしても、狐子ってこういう返しに対する耐性ないよね。ひょっとして、千年以上も生きているのに異性との接し方が分かってなかったりする?」

「そう言うぬしは可愛げが無くなったな…出会ってすぐのころはわしの冗談にいちいち反応を示していたものを…」

「毎日かわいい声でお兄ちゃん大好き! って言われてたら多少の耐性はつくよ。狐子が自分で引き起こした結果だね。でもまあ、今のはやりすぎたかな…ごめんね。頭、大丈夫?」


 そう言いながら狐子に手を伸ばし、起き上がるのを手伝う。


「まったくじゃ…やれやれ」


 素直に僕の手をつかんで、狐子は起き上がろうとする。


「相応の仕返しはさせてもらわねばな」


 そんな不穏当な言葉が聞こえると同時に、思いっきり手を引っ張られ、バランスを崩し、倒れてしまう。


「しんちゃん? 大きな音がしたけど、だいじょう…ぶ…」


 いきなり扉を開けてはいってきた母さん。その笑顔に怒りの感情が混ざるのが見て取れた。

 落ち着いて、現状を再認識してみよう。

 まず、狐子は床に倒れたまま。

 次に、狐子に引っ張られた僕は、それに折り重なるように倒れている。

 そして、大きな音がしたから見に来た母さんがいる。母さんから今の僕らを見たらどう映るだろう?

 結論。義理の幼い妹を押し倒す鬼畜兄がいるように母さんには見える。


「通報よね~? これはさすがに、通報よね~?」

「ま、待って母さん! この状況は誤解なんだ!」

「そうです。たがいにどういのあるかんけいです!」


 ちょぉっ!? 狐子、こんな場面でそんなこと言ったら…!


「しんちゃん? 目を閉じて、歯を食いしばりなさい?」


 母さんの右ストレートだけで済んだのは、幸運だったというべきだろう。


‡   ‡


 翌日。僕は頬を腫らしたままでいた。ちなみに、僕の姿を見た父さんが何事かと聞いてきたけれど、母さんが「ちょっとした体罰よ~」で済ませた。


「はぁ…こんな顔で里奈さんにあったら、また心配されるよ…」


 昔から里奈さんには心配ばかりかけているなぁ…たまには安心させるようなことをしてあげたいところだけど。そんな事を考えながら、着替えをしていく。


「あのようなことをした当然の報いじゃ。反省せよ」

「だよねぇ…って…ん?」

「ん?」


 首を回して、部屋の中を見る。

 当然のように、ベッドに座っている狐子がいた。しかも、こっちをしっかりと見ている。


「…いや…え? 普通、部屋を出るか目をそらすかくらいする状況だよね?」

「ああ、気にするな」


 涼しげな顔で言う狐子。ただし、こちらへの視線はそらさない。


「気にするよっ! 異性に見られながら着替えなんてできるわけないでしょ!?」

「気にするでない。ぬしの記憶にない時間にあったとある出来事に対する罰だと思え」

「記憶にない時間!? なにそれ!? その時間に僕が狐子に何をしたの!?」

 というか、何で記憶がなくなってるの!?

「分かった分かった。出ていけばよいのじゃろう? まったく、おのこともあろうものが度量の狭い…」


 …え、何で僕の方が悪いみたいになってるの?

 そんな理不尽さを感じるものの、とりあえずはこれで落ち着いて着替えられる状況になった。さっさと着替えてしまおう。


「里奈さんと二人で外出なんて久しぶりだな…どんな服着ていこう。里奈さんが昔くれたコートを着るのは確定としても、その下に何を着るのかが問題だよね。ショッピングモールの中は暖房はいってて、コート脱ぐだろうし、気を使わないと…僕はともかく、里奈さんに恥を書かせるような格好は…って、頬を腫らしている時点でそれは無理か…とりあえず、服装だけでも気を使っておこう…」


 ガチャ。


「乙女か、ぬしは」

「まだ着替え途中だから入ってこないで!?」


 バタン。扉の向こうから押し殺した笑い声が聞こえてくる。狐子、楽しんでるな…母さんに殴らせただけじゃ不足だということだろうか。

 そうなると、まだ何かされるかもしれないという不安感に襲われながらも、とりあえずは服を選び終え、着替えも終える。


「お待たせ、狐子。どうかな? おかしくない?」

「しいて言うなら顔が可笑しいな。その腫れた頬は笑える」

「誰のせいだと思ってるのさ…」


 ぶつぶつ言いながら階段をおりて行く。


「おはよう、父さん、母さん」

「おはよーございますです!」


 あ、狐子が愛紗を演じはじめた。愛紗を演じているときは、狐子は外見相応の子供のように見える。本当の狐子を知っている僕でさえそう感じるのだから、他の人にはそれが演技だなんて見抜けないはずだ。ちなみに、こうしている間も狐子の耳と尻尾は出ているのだけど、土地神と呼ばれる存在がはっている結界の力で普通の人には見えないそうだ。何というご都合主義。


「おはよう、二人とも」

「あら~。しんちゃん、今日は随分服装に気合が入ってるのね~」

「そうかな? いつもどおりだよ…あ、そうそう。お昼ちょっとすぎごろから里奈さんとちょっと出かけるから」

「あらあら。理由はそれね~? デート、楽しんでくるのよ~?」

「デートなんて物じゃないよ。友達と一緒に出かけるだけ」


 そんな話をしながら椅子に座る。狐子も僕の隣の椅子に腰かけ、一緒に朝食を待つ。

 こうしていると、平和な時間のありがたみがよく分かる。子供のころは実妹の紫織を守ろうという一心でケンカに明け暮れていたから、僕にはなかなか平和を感じる時間はなかった。

 いや、今だって僕を一度殺したと言ってもいいあの男や、覇王がどこかにいるのだから、純粋に平和というには程遠い環境かもしれない。

 でも、なぜだろう。そちら側の世界の存在である狐子とこうして食卓を囲むことは、不思議と心が落ち着く。まるで、こうなることが必然だったかのように。


‡   ‡


 朝食を終えて、しばし父さんたちと歓談する。


「それにしても、慎一と里奈ちゃんが二人きりで出かけるとはね。言い出したのはどっちなんだい?」

「里奈さんだけど…それがどうかした?」

「しびれを切らした、ってところかな」


 にこやかに言う父さん。


「早く告白してあげるんだよ、慎一」

「冗談みたいにいつも言うけどさ…里奈さん、僕のこと好きなの?」

「間違いないわよ~。あの目は友達を見る目じゃないもの~」

「そうです! そうでないと、わたしだってたいこーしん燃やしたりしません!」


 分かってはいるけれど、確認するように尋ねる。その答えは、まあ予想できていたというか。


「……そっか。思いには、応えないとだよね」

「まあ、答えは返してあげるべきだと思うよ。イエスにしろ、ノーにしろね」


 笑顔で言う父さん。やっぱり、そうだよな…何か、返さないと。


「いつまでも気付かないふりは僕にはできそうにないからね。うん…真剣に考えるよ」


 僕の言葉にうなずく父さん。


「あいちゃん、黙っていていいの~?」

「はい。わたしはおにーちゃんはさいごにわたしのところに来てくれるとしんじてますから!」

「あらあら、凄い自信ね~」


 その横で行われている会話はスルーしておく。

 そんなふうに平和を謳歌していると、ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。


「あら、誰かしら…はぁい」


 母さんが玄関へ向かう。


「あら~。あらあら~」


 扉を開ける音の後に、そんな声が聞こえる。誰が来たんだろう…。


「おはようございます、お兄さん」


 次に聞こえてきたのは、聞き覚えのある声。


「おや、ユキちゃん。いらっしゃい」


 父さんの言葉で確信を持ち、振り返ると、そこにはやはり彼女が立っていた。

 彼女は白坂雪慈。紫織の仇との戦いの中で久しぶりに会った、紫織の親友だ。彼女なりの考えで僕たちと敵対したのだけれど、僕の話を聞いてその考えを改めてくれた。


「ユキちゃん、突然どうかしたの?」

「お兄さんに会いたくて…と、いうのでは理由には不足ですか?」


 そうだ…彼女は彼女で、僕に好意を寄せてくれているのだった。戦いの後、すぐに家に帰れないという彼女を僕の家に泊めて…それで、それが父さんたちにばれて。ばれたとき、ユキちゃんはなぜか僕の腕に抱き付いていたから、必死に言い訳していたのだけど、その時唐突に私はお兄さんのことが好きだから抱き付いていた、みたいな事を言って…本心なのか、あの場を乗り切るためなのかはよくわからないけど、何はともあれ、嫌われてはいない…はず。


「まあ、それは冗談です。少し、紫織に報告したいことがありまして」


 そう言うと、ユキちゃんは紫織の仏壇の前に座り、手を合わせた。

 心の中で紫織に話しかけているのだろう。その横顔は嬉しそうなものだ。きっと、いいことがあったのだろうな。


「……ふぅ。なんだかやるべきことをやった気分です」

「お疲れ様。でも、なんでこんな早くに?」

「天啓というか、虫の知らせというか…お兄さんに何かありそうな気がしたものですから」


 どういうセンサーだろう。正確にもほどがある。


「別に何もないけど」

「あら、あるじゃない。今日は里奈ちゃんとデートでしょう~?」

「…なるほど、そう言う事でしたか」


 そういうと、ユキちゃんは真剣な顔つきになった。


「気をつけてくださいね、油断ならない相手ですから」

「そう言えば僕が里奈さんを襲わなくてもその逆はあるかも、みたいなことを本人が言っていたっけ」

「…! とにかく、お気をつけください」

「うん、ありがとう」


 一瞬見せた驚きというか、そういう表情に疑問を感じるけれど、まあ、問題はないだろう。


「それでは、私はお邪魔になる前に失礼します。デート、楽しんできてください」

「ああ、お邪魔も何も、約束はお昼過ぎからだから。そんな急いで帰らなくてもいいよ。ゆっくりしていきなよ」

「そうなのですか…では、もう少しだけ」

「うん。まあ、特に何かできるわけではないけど…ん?」


 ふと気が付くと、ポケットの携帯電話が震えていた。

 とりだして開いてみると、一通のメールが届いていた。


『発信者:里奈さん 件名:今日のお出掛け 本文:慎一さんがよろしければ、なのですがお昼ごはんも一緒に食べませんか? そうなると、出かける時間が少し早くなってしまうわけですが…』


 お昼ご飯か…外食しよう、ってことかな? まあ、この間バイトの給料日だったし、それくらいなら何とかなるかな。


『送信先:里奈さん 件名:問題ないよ 本文:たまにはそういうのもいいね。それじゃあ、何時に出かけようか? 僕は何時からでも構わないよ』


「誰からのメールですか?」

「ん、里奈さん。出かける時間を早めて、お昼一緒に食べましょう、って」


 ユキちゃんからの質問に答えていると、再び携帯が震えた。


『発信者:里奈さん 件名:本当ですか! 本文:それでは、今すぐにでも伺います! 着替えるので、少し時間はかかりますが、待っていてくださいね』


 ん、今からか。じゃあ、出かける時間が変わった事を言っておかないとね。


「父さん、母さん。出かける時間変わった。里奈さん、今から来るって」

「あら~、そうなの~」

「学生らしく楽しんでくるんだよ、慎一」

「学生らしくって何さ?」


 僕が尋ねると、父さんと母さんは顔を見合わせて笑った。


「それはもちろん…ねぇ?」

「そうよ~。学生らしく、ね~?」


 …よく分からない。まあ、学生同士なのだから一定の自重は持て、ってことかな。この二人のことだからその自重がどういう方面なのかは察しがつくけど。


「それじゃ、僕も準備しておかないと…ごめんね、ユキちゃん。本当に何もできなくて」

「いえ、お気になさらず。構われないですねるほど子供ではありませんので」


 そう言うと、ユキちゃんはその場を立ちあがり、玄関の方へと歩き出した。


「では、またお会いしましょう。お兄さん」

「うん。あ、見送るよ」


 立ちあがって玄関まで一緒に行き、ユキちゃんを見送る。


「わざわざありがとうございます。今日は、気をつけてくださいね。事故だとか…里奈さんの衝動だとか」

「うん、ありがとう。清い身でいられるように頑張るよ」

「…そうですね。それくらい心配したほうが良いかと」


 本気の表情で答えるユキちゃん。冗談のつもりだったんだけどな…まあいいや。


「それじゃ、またね。いつでも遊びに来てよ」

「はい、また」


 薄い笑顔で軽く手を振りながら、ユキちゃんは帰っていった。


「…明るくなってくれたかな」


 少なくとも、戦いの中で会った時よりは目もイキイキとしているし、表情も明るかった。このまま、どんどん明るくなってほしい。ちょっと話したくらいじゃつんけんしているように見えるけど、本当は優しい女の子なんだから、明るくなれば友達もできるだろう。そうしたら、きっと僕の心配は不要だ。明るくなったら僕の方が心配されたりしてね。


「さて、準備の確認をしておかないとな…」


 ポケットに携帯と財布は入っている。あと必要な物は…なんだろう。

 そうだ、買い物もするかもしれないんだから、念のためカバンは持っていっておこう。普段使いの、軽いやつ。

 部屋に戻って準備を続けていくと、再びピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。里奈さんが来たのかな? カバンを持って階段を降りて行く。


「あら~。里奈ちゃん、おはよう~。今日はしんちゃんをよろしくね~?」


 その途中で母さんのそんな声が聞こえてくる。


「お待たせ、里奈さん」


 あんまり話させておくと母さんが変な事を言いそうだから、ちょっと急いで階段をおりて、声をかける。


「いえ、こちらこそお待たせしました。今日は、よろしくお願いします」

「こちらこそ。それじゃ、行こうか」

「はい!」


 里奈さんの笑顔は本当に素敵なものだ。それこそ、魅了されてしまいそうなほどに魅力にあふれている。こんなきれいで、性格のいい女の子に好かれているんだなぁ…と思うと、それが照れくさい以上に誇らしい。

 こうして、僕のちょっとおかしな日常は何の問題もなく回っていくのだった。


序幕 了

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