捌幕 そして彼は朝を迎える
ジリリリリ…今日も、目覚まし時計のアラームで、朝が来たと感じる。ああ、もうそんな時間か…とりあえず、うるさいから目覚まし時計を止めよう。
そう思って右腕を動かそうとするけど、動かない。じゃあ左手で、と思うけどやはり動かない。なんだ…? 拘束されている…?
そこでようやく、目を開いて周囲を確認するという単純な行為をすべきだと気が付く。
「おはよう」
まず右側を見る。そこでは狐子が僕の腕に抱き付いていた。ああ、そうだ。家に帰った後、パジャマに着替えさせてもらってベッドに入ったんだっけ。床で寝るのは嫌だから一緒に。でもなんで抱き付いているのだろう。
とりあえず、右腕が動かないのは狐子が抱き付いているからか。じゃあ、左腕は? 確認しよう。
「すぅ…すぅ…」
そこでは、ユキちゃんが僕の腕に抱き付いて眠っていた。なるほど、だから動かないのか…って、え? なんで? ユキちゃんなんで?
とりあえず、ここは昨日のことを思い出そう…。
‡ ‡
「ユキちゃ…雪慈、ちゃん。ご両親が、目覚める前に、家に、帰ったほうが、いいと、思う」
廃ビルの外に出た少し後。体は言う事を聞かないけど、声は出せるようになっていたから、そういう話をする余裕もできていた。まあ、まだ切れ切れにしかしゃべれないけど。
「ユキちゃんで構いません。お兄さんが私を殺しやすいようにわざと嫌われるような、憎まれるような態度を取っていただけなので」
そう言うユキちゃんはどこか晴れやかな表情だ。たぶん、生きることに対して前向きになってくれたからだと思う。
「…どう、するの? 僕たちに、ついてきて、いるけれど」
「…実は、お兄さんにあの手紙を渡した日から家出をしていまして。鍵はあるので帰れるのですが、朝何事も無くおはようというのは抵抗があるというか…」
「ユキちゃんのご両親なら、少しお説教をされるくらいで、済むと思う」
「確かにそうなのですが…うーん…」
悩む様子を見せるユキちゃん。
「ならば、今晩はこやつの家に泊まるか?」
ふいに狐子がそう言い出した。ふむ、確かにそれはいいかもしれない。
「え? ですが、お兄さんに迷惑をかけてしまうのでは…」
「構わない、よ。父さんたちは、事情を話せば、理解してくれるし。問題があるとしたら、どこで寝てもらうか、かな。予備の布団とか、ないし…」
「川の字で寝ればよかろう。普通の寝方では二人でも狭いから、向きを変えてな」
狐子の言葉に首肯する…なんかつっこみどころがあった気がする。
「いえ、少し待ってください。仮にも年頃の男女である私とお兄さんが一つのベッドで寝るのは問題があると思うのです。それと、お兄さんたちは普段一つのベッドで眠っているのですか…?」
あ、そうだ。つっこみどころそこだ。感覚麻痺してた。
「まあ、わしは普段は兄を慕っている妹を演じているからな。一つの寝台で寝るくらいのこと、どうという事はない」
「は、はぁ…ですが、私はお兄さんの妹ではありませんし、一つのベッドで寝るというのは少し抵抗が…」
「わしも大昔はそうじゃった。まあ、つまりはそのうち慣れる」
「…今晩は慣れないわけですが、そのあたりはどうお考えですか?」
「なんとかなる。こやつには眠っているおなごに手を出すような度胸はないからな」
「それは分かっています。お兄さんは道徳観念がちゃんとしてらっしゃいますから。ですが…」
そう言いつつも僕たちについてくるユキちゃん。狐子とユキちゃんの会話は、家の前につくまで続いた。
「さて、ここまで来たわけじゃが…どうする? ともに寝るか? それとも、野宿か家に帰るか…」
なぜか強気な笑みを浮かべる狐子。
「…分かりました。覚悟を決めます」
大きなため息をつくと、ユキちゃんはそう言った。
「一緒に寝ましょう、お兄さん」
‡ ‡
そうだ、昨日は結局そうなって、一つのベッドで寝ることにしたんだ。
でも、なんでユキちゃんは僕の腕に抱き付いているんだ? あんなに一つのベッドで寝るのをためらっていたのに…。
って、このままじゃまずい。目覚まし時計を早く止めないと父さんか母さんが起こしに来る。そうなったらこの光景を見られてしまう…!
「狐子! 手を離して! 早く目覚まし時計を止めないと!」
自然と声を出せることで体力は回復したらしいと判断している冷静な僕もいる。けど、今は冷静になっている場合じゃない!
「いやじゃ。離さぬ方が面白くなりそうじゃからな」
「くっ…! ユキちゃん! 早く起きて!」
左腕をゆするけれど、ユキちゃんは「うぅん…」と声を出すだけで、腕を離すどころかますます強く抱きしめる。まずいまずいまずい…! ああ、足音が聞こえてきた…!
「慎一? どうかしたのか…い…」
ガチャリと破滅の音が響く。そこには父さんが立っていた。
父さんの目に映っているのは、二人の少女に両腕を抱かれながら横たわる僕の姿。
「あー…漁色の気があるのは、ちょっと、まずいと思うな。僕は…」
「誤解だからあぁぁぁ!」
父さんの言葉に思わず叫ぶ僕。その声にようやくユキちゃんが目を覚ます。
「ん…あ!? お、おはようございます、おじさま」
「おじさま、か…とりあえず、慎一はやめた方がいいんじゃないかな…漁色の気があるとは初めて知ったけど…けっこうライバル多いし…」
「い、いえ! 違います! この光景に関しては説明をさせてください!」
ユキちゃんは、僕の腕に抱き付いていることに気付いて慌てた様子で離れる。そのまま転がっていき、床に落ちた。
「いった…!」
痛みに悶えるユキちゃん。だ、大丈夫かな? いや、それも心配だけど今何とかすべきはこの状況だ。
「説明は必要ないよ…ゆうべは三人でお楽しみでしたね。うん」
「違いますから! これは、家出している私を見つけたお兄さんが心配してしてくださった事で…!」
「家出? それは、ずいぶんなことを…それじゃあ、とりあえず朝食にしよう。お腹、すいているだろう?」
良かった。父さんの関心がそれた。あとはユキちゃんがうまく話してくれることを祈ろう。
父さんとユキちゃんと狐子と僕の四人で階段をおりていく。僕も何か言う事を考えておかないと…父さんたちが眠ってから女の子を自室に誘い込んだ、と思われるだろうから、それに対する言い訳を…せめて夜になってから出かけた理由を…。
顔が青ざめていてもおかしくないほどにまずい状況じゃないか? これ。戦いにおいては僕を守ってくれる、強くて頼りになる狐子だけど、こういう状況ではすすんで僕の敵になってくれる。それはきっと僕を口先での言い合いに慣れさせるための訓練…なわけがない。自分が楽しいからだ。僕をからかうのが楽しいだけだ。
つまり、狐子が敵で、ユキちゃんが味方だ。あ、父さんたちも敵か。どう立ち回ったものか…強敵ぞろいだぞ。
それらに対抗する策を考える前に、リビングにたどり着いてしまう。
「しんちゃん、愛紗ちゃん、おは…って、あら~? 一人増えてる~? でも、どこか見覚えがあるような…ひょっとして…雪慈ちゃんかしら~?」
「はい、そうです。お久しぶりです、おばさま」
「ああ、ユキちゃんだったのか! だから見覚えがあると…」
若干緊張した面持ちで口にするユキちゃん。おそらく、それは目の前のこの人がラスボスになりうると感じているからだろう。
「でも、どうしてうちにいるのかしら~? しんちゃんに、連れ込まれたの~?」
「いえ、違います。実は、私は家出をしてしまったのです。それで、行く当てもない私を偶然見つけてくださったお兄さんがとりあえず泊まっていきなよ、といってくださって…」
「つまり、しんちゃんに連れ込まれたのね~?」
「いえ、ですから…」
まずい、ユキちゃんが母さんの世界に飲み込まれつつある。
「まあ、躊躇するユキちゃんを無理に家に連れてきたんだから、連れ込むって言い方も間違っていないかもしれないけど…」
ここは、あえて相手の懐に飛び込む。
「うん、そこはとりあえずわかったよ。じゃあ、なんで雪慈ちゃんと同じベッドで寝ていたんだい? それも、腕に抱き付かれて」
母さんは黙ってくれたけど、その沈黙をぬって父さんの一撃。大丈夫だ、これならかわせる。
「ベッドがいくつもないから、仕方なかったんだよ。寝ている父さんや母さんのベッドに入れても朝に戸惑うばかりだろうと思って。腕に抱き付いていた理由は、ユキちゃんに聞いてもらわないとわからないな」
かわせるのはあくまで僕だけなんだけど。かわした僕の後ろにはユキちゃんがいるわけだけど。
「……!」
一瞬、僕を裏切り者を見る目でにらむユキちゃん。ごめんね。僕だけ生き残ろうとして。
「…それは…その…」
少し考え込むユキちゃん。そして、その目は僕をちらっと見た。
お兄さんが裏切るなら、私も裏切っていいですよね?
その目は、そう言っているように見えた。
「私が、お兄さんのことを好きだからです」
周囲の空気が固まる。僕の空気も固まる。
だって、そんなの初耳だから。いやいやいや…落ち着け。これも、狐子が愛紗としてしているような、演技に違いない。
「あら~。好きだから抱き付いたっていう意味なら、ずいぶん大胆ね~」
「ええ、そうかもしれませんね。ですが、好きな人に触れたいという思いは、いけない物でしょうか?」
「あらあら~。うふふ~。しんちゃんに、モテキとかが来ているのかしら~?」
いや、演技か否かはここでは重要じゃない。問題は、父さんたちが聞いてどう思うかだ。とりあえず、母さんの考えは分かった。
「慎一…一人に絞りなさい。大勢の自分に対して好意を持った女性に囲まれてはしゃぐなんて、今の時期しかできないから」
父さんの考えもわかった。うん、この程度の考えなら何とかなる。というか、狐子の時の方がよっぽどひどかった。
「おにーちゃん、わたしとゆきじさんのどっちをえらぶんですか?」
よし、狐子の言葉も比較的軽い。ただのジャブかもしれないけど、それならストレートを出される前にダウンしてもらうだけだ。
「二人のどちらも選ばないよ。愛紗は大事な妹。ユキちゃんは紫織の親友。選ぶ選ばない、って関係じゃないでしょ?」
できる限りさわやか系の笑みで口にする。“しいて言うなら、二人とも選ぶよ”と付け足そうと思ったけど、そんなこと言ったら“あらあら~、ハーレムルートに行く気なのかしら~?”とか言われそうだと思ったからやめておいた。
「あらあら~、ハーレムができても仕方ない程度には、良い笑顔ね~」
ハーレム云々はどちらにせよ言われるさだめらしい。この際諦めよう。
「つまり、里奈ちゃんを選ぶわけだね。あんないい子を消去法で選ぶなんて、我が子は随分贅沢だなぁ」
「いや、どうしてそうなるのかな!?」
思わぬ方向へと話がそれた。なぜ里奈さんを巻き込む!? それは、まあ、好意を持ってくれているのかもしれないけれど!
「おにーちゃんは、やっぱりあんな、ばーん、どーんって女の子のほうが好きなんですね…」
「お兄さん、外見での好みを語るなど、あまりにも幼いですよ」
あ、そう。ユキちゃんもそっち側に立つんだ…そっかぁ…でも、うかつに言い返しても火にガソリン。要するにめちゃくちゃ激しく燃えるっていうか爆発するっていうか。
「でも、里奈さんだったら内面で選んでもいいね。愛紗には妙に厳しかったけど、普段は優しいし、おしとやかだし」
「大和撫子性格に西洋人ボディと。強敵ですね」
「そうなのです。なかなかてごわいのです」
うーん…里奈さんの方へと話がそれだした。どうしたものか。そうだ、必殺の一言を。
「そうだ、ご飯を食べないと。学校に遅刻しちゃうよ」
これを言いさえすれば、とりあえず食事に入るから、集中して話されることはないだろう。同時にタイムリミットも作れる。その時間までしのぎ切れば、話は終わる!
「そうだね。幸衛、ユキちゃんの分の朝食も用意できないかな?」
「一人分を少なめにすれば、何とかなるかしら~。でも、ちょっと物足りなくなるだろうから~、一品ちゃちゃっと作るわね~」
…それにしても、昨日あんなことがあったばかりとは思えないな。こんなふうに日常に戻れたのは、狐子のおかげ。非日常に入ったのも狐子がきっかけだけど、入らない機会である、枷を用意してくれたのだから、そこは僕の責任ってことで。
「…しんちゃん、安心しているでしょう? 言っておくけれど、帰ってきたら家族会議でジャッジメントですのよ~?」
「はいはい。いいから、まずご飯!」
母さんにそう返して、ユキちゃんの分の椅子を用意する。もっとも、取りに行くのは面倒だから僕が椅子からどいて、こたつの方に行くだけだけど。
「とりあえず、ユキちゃんはここに座って」
「お兄さん、私がそちらに行きます。わざわざそこまでしていただかなくても…」
「いや、お客さんを一人で食べさせるわけにはいかないからね。僕がこっちで食べるよ」
「とりあえず、正座しておきましょうね~?」
「そうだね。とりあえず、正座だよね」
「はいはい…」
まあ、いいよ。正座は弓道で慣れてるから…っと。
「それじゃあ、わたしも…」
しまった。そう油断したところに訪れるのが狐子だ。
椅子を立ってこちらに歩んできた狐子は、僕の膝の上に座った。
「抱き石の刑です」
そういうと、一切の迷いなく全体重を僕の膝にかける狐子。抱き上げる分には軽い…けど、この状態で長時間いられるとまずい…! そう考えると重く感じるっていうか、甘い香りがして理性が危険で危ないというか…! いや、襲わないよ!? 襲わないけどさ!!
「あら~。かわいい女の子に膝に座ってもらうなんて、かえってご褒美じゃないかしら~?」
料理や食器をはこんでくる母さん。こちらには当然のように二人分のセットを持ってくる。あああいい香りあああ足痛くなるああああああ……溶ける。もう何を考えているのかわからない。
「あ、愛紗! この座り方だとご飯食べにくいから!」
「ダメです。抱き石の刑なのでどきません!」
狐子にどく気はないらしい。なら、力技で…!
「食べにくいからだーめ。ほら、おりて!」
狐子をだっこするようにして足からおろす。おろしながらこたつの中へと僕の足を入れたから、これで足の上に座ることはできない!
「むぅ~…」
不満げな演技をする狐子。かわいくてもだめなものはだめ。
さて、これでようやく落ち着いて朝食が食べられるな。
「いただきます」
とはいえ、狐子や父さん、母さんがいつ新たなネタを思いつくかわからない。時間もないことだし、急いで食べよう。というか、それ以前に時間がない。
「そういえば、今日、愛紗はどうするつもりかな? 今日も僕と八大に行く?」
「もちろん行きま」
「あ、それなんだけど~、ユキちゃんにお世話してもらうのはどうかしら~?」
「ふむ、家出してきた雪路ちゃんを家に送るには僕たちの中の誰かがついていった方がいいだろうからね。でも、今からじゃあ仕事や学校に間に合わなくなってしまう…帰ってくるまで一緒に遊んでいてもらう、というのはありかもしれないね」
「私は構いませんが」
「わ、わたしはおにーちゃんと」
「いいね? 愛紗」
「あんまりわがままを言ってお兄ちゃんを困らせちゃだめよ~?」
「…わかりましたです」
んー、困ってはないんだけど…あ、でも狐子が学校に来ればまたあの雰囲気に巻き込まれる。中心となっているのは僕のようだけど、あんなのに巻き込まれたくはない。幼馴染と妹(設定上)の間に生まれる敵対感情に挟まれるなんて…妹の方は演技だけど、幼馴染の方は本気っぽいから、余計につらい。
本気。その言葉が頭に浮かぶと、その本気の感情が“異性として”好きだという事も思い出し、顔が熱くなりかける。嫌われてはいないだろうと思っていた。でも、だからって、そんな…でも、あんなにムキになる里奈さんはそうそう見ない。じゃあ、どうしてムキになるかっていうと…うう…だめだ、これ以上は顔が熱くなる…。
でも、今、ようやく理解した。里奈さんは、僕のことを一人の異性として好いてくれている。
じゃあ、どうしたらいいのだろう。その思いにこたえたい。断る理由などどこにもないのだから、僕としてもすばらしい彼女ができてうれしい限りだ、と言える。でも、今の幼馴染という関係が壊れてしまうのに恐怖じみた物も感じる。
怖い。今の関係以上に進んで、互いに互いを飽いてしまうかもしれないことが怖い。
こんなの、贅沢にもほどがある悩みだって言われるだろう。でも、怖いのだから仕方ない。
…保留していい問題なのだろうか。今まで鈍感に気付かずにいたように。それでもなお、里奈さんは僕を好きでいてくれるのだろうか。
いけないいけない。これを考えるのはもっと時間があるときに、しっかりと考えよう。少なくとも、今考えても駅で里奈さんと顔を合わせるのが気まずくなるだけだ。でも、それって要するに保留にするってことだよなぁ。
「ごちそうさまでした。さて、それじゃあまずは…」
とりあえず残りの朝食をかきこみ、紫織の仏壇の前に移動する。
「紫織…行ってきます」
「お兄さんは…毎朝こうしているのですか?」
そんな僕の様子を見てユキちゃんは疑問気に尋ねた。
「うん。僕は悲しんでいないように見えるかもしれないけど、ちゃんと紫織のことを覚えてるよ、ってね。そう伝えられる気がするんだ」
「そう、ですか…」
そういうと、ユキちゃんもこちらに歩いてきて、僕の隣に座る。
「…紫織。私も、あなたのことを一生忘れません。それと、一言だけわびさせてください。あなたの死を、私が生きたくない理由にしてごめんなさい」
目を閉じ、手を合わせてそう口にするユキちゃん。
「これ以上、あなたにわびなければならないことが増えないように、私は生きます。最後の瞬間まで生ききります。そして、天寿をまっとうし、私がそちらに逝ったら…また昔のように遊びましょう」
その表情はどこか笑みを浮かべているようにも見えた。晴れやかな表情、と言った方がいいだろうか。
「……さて、お兄さん。急がないと学校に遅れてしまうのでは?」
「あ! そうだった…行ってきます!」
慌てて立ち上がり、玄関へと向かう。
「いってらっしゃい」
「いってらっしゃ~い」
「いってらっしゃい、です!」
「いってらっしゃい、お兄さん」
その僕の背に、四つの声がかけられた。
捌幕 了




