漆幕 かくて戦いは始まる 下
「…ふむ。ここでぬしが出てくるか」
「雪慈ちゃん…」
僕たちとユキちゃんの間には、心を表すかのように無数の糸が張り巡らされている。近づこうとすれば近づこうとするほど、ボロボロにされてしまうような…でも、それは僕たちがじゃない。
「いや、ユキちゃん。もう、いいんだよ。隠してることがあるのなら、全部話して。本田に何かされているのなら、僕たちが助ける。だから…全部話して、楽になろう?」
僕にはできないかもしれない。けど、狐子にならできる。ここに来るまでに数えきれないほどの糸を断ち切ってきたように、本田の支配という糸を断ち切ることができる。だから、僕たちの方に手を伸ばして! 僕たちは手をずっと前から伸ばし続けているのだから!
「その呼び方はあなたには許していません。それと・・・あなたの妄想を押し付けないでいただけますか」
でも、ユキちゃんは僕たちの方に手を伸ばしてくれない。
「仕方あるまい…押し通るぞ」
苦々しい顔で木刀を構える狐子。それに呼応するかのように、ユキちゃんも周囲を覆っている影を操る。まるで、蛇が鎌首をもたげるように。
「光栄です。あなたと戦えるとは」
ユキちゃんはそう言う間にも、何度も影で攻撃を仕掛けてくる。それに対して、狐子は空いている左手で払いのけるという事で対処する。右手には木刀を握り、無数の糸を切り続けている。
「雪慈。無駄なあがきはよせ。この程度では…わしは倒せぬぞ」
「……」
たしかに、狐子の言う事は正しい。さっきから素手で対処しているのだ。武器を使って対処すれば、影を消し去ることすら可能なのかもしれない。
でも、ユキちゃんは意味ありげな笑みを浮かべるだけ。何度も何度も、影を飛ばしてくる。なんだ…? 何かある…?
落着け…周囲を観察しろ…ユキちゃんは勝算があるから、あのような表情をしているはず。なら、その勝算をもたらす何かがここにあるはずなのだ…。
そうしてあたりを見回して気が付く。狐子が次に切ろうとしている糸が、奇妙に太く見えることに。
罠。ふいにその一文字が頭に浮かぶ。
「その糸を切っちゃだめだ!」
だけど、その言葉は間に合わない。
「いきなり何を…っ!?」
糸を断ち切って、こちらを見ようとする狐子。
その体に、巨大な机が飛んできた。
あまりにも突然かつ、ユキちゃんの影に対処している状況であるがゆえに、狐子はそれに対応できず、吹き飛ばされる。その体はガラスの割れた窓の外へと放り出される。
「狐子!」
叫ぶと同時に、先ほどユキちゃんを持ち上げていったような影が狐子を覆い、屋上の方へと狐子は運ばれた。
「ただの糸ばかりと油断させての罠…これで、一対一。勝算ができました」
その声に、ユキちゃんの方へと向き直る。
「ユキちゃん…!」
「…だから、あなたにその呼び方を許した覚えはありません」
鎌首をもたげた蛇が僕に襲い掛かる。それはあまりにも早く、何もできずに吹き飛ばされ、メガネも外れてしまう。
「しまっ…!」
グシャパキ。いやな音がして、影にメガネが押しつぶされる。
「…残念ですが、終わりです。もうあなたには見えないでしょうが、ここには数多くの低級霊を集めておきました。なぶり殺しにされてください」
まずい…一対多数なら、まだ何とかなるかもしれない。でも、見えない敵を相手にどう戦えばいい!?
パニックになりかける思考。でも、一つの事を思い出す。
メガネをかけた時の感覚。それは、目の霊力強化を行った時の感覚に似ていたという事を。
「………」
自分の中を流れる力を感じ、それが目に流れ込むのをイメージする。落着け…そうしないと、霊力を操れない。
「……! 来たっ!」
あたりが明るく見える。そして、周囲を囲みつつある一階にいた化け物たちの姿も見える。やはり、霊力強化は霊感強化にもつながっていた! これで、なんとでもなる!
でも、弓では対処できないことは明らかだ。これだけの数。そして、距離。なら…。
マダチの形を変える。冷静に、想像しろ。マダチが、霊弓から日本刀へと形を変えるところを…!
「…やりなさい」
ユキちゃんの合図と同時に、周囲の化け物が僕に襲い掛かる。
それに動揺することなく、マダチの形を変え終える。そして、一階で狐子がしていた回転しながらの一閃を思い返し、真似をする。
「手ごたえあり」
今のは、うまくまねれたと思う。
僕に襲い掛かってきていた低級霊はすべて地面に落ち、消えていった。
「…そんな、バカな」
驚嘆。そんな表情でこちらを見るユキちゃん。
「僕だって、まねるくらいならできるからね。もちろん、技術的なものが不足しているから無理矢理体を動かしたわけだけど…まあ、その驚嘆は称賛と受け取っておくよ」
「…まねれる時点で、どうかしています。ですが…私を倒せると決まったわけではありませんね」
鎌首をもたげた蛇が再び襲い掛かる。だけど、今度はさっきみたいな速さを感じない。それは、霊力強化のおかげだろう。
日本刀の刃でその影を受け止める。受け止めたところから影は二つに裂けていく。すさまじい力がかかっているのを感じるとともに、体が徐々に後ろに下がっていく。とっさに足元にマダチのとげを出してその力を受け止めるも、真っ向から受け止めるのは、きつい。けど、建物の中では、ましてやこの狭い廊下では走ったり、跳んだりしてかわすことはできない。だから、正面から受け止めるしかない。耐え切れ、これがユキちゃんの抱えているものだと思って…!
「…少しは、やるようですね」
しばし耐えていると、影が止まった。あきらめた…のか?
「では、これなら?」
背後から迫るものを感じ、前方の影の上に飛び乗り、走る。
後ろをちらっと見ると、切り裂いた影がこちらへと押し寄せてきていた。まずい…のみ込まれたら、冗談抜きで死ぬ!
「うおぉぉぉぉ!」
不安定な足場で走り続ける。糸は押し寄せた影がすべて断ち切っていたらしい。障害物は、無い。
そして、所詮はビルの廊下。その足場が永遠に続くわけもなく…足場の始点、ユキちゃんの目の前にたどり着く。
「くっ…!」
ユキちゃんの手元から影がいくつか飛んでくる。けれど、そのことごとくを切り捨てる。
「この…っ! バカ娘ぇぇぇ!!」
そして、日本刀ではなく、空いている方の手でユキちゃんの胴を殴りつける。
「か…はっ…!」
その衝撃で、むせるユキちゃん。
「…殺し、なさい…」
後ろに倒れ込みそうになるユキちゃんをつかんで、頬を軽く平手打ちする。
「っ!?」
「ふざけるなぁっ!」
もう一度平手打ちする。
「どうしてっ…! どうして手を伸ばしてくれないのさ! 僕はユキちゃんを殺したくないから、必死に手を伸ばしているのに! 手を伸ばしてくれさえすれば、いつだってつかむ気でいるのに! そんなに…っ! 本田より僕のことが憎いのっ!?」
こんなの、僕のエゴだって分かっている。ユキちゃんが僕を殺したいほど憎んでいる、なんて信じたくないだけだ。でも…っ! 殺したくないのは本当だ!
「…ええ、憎いですよ? あなたがいなければ、あの事件は起きなかった。あなたがケンカばかりして、本田に憎まれさえしなければ本田はあなたを狙って車を突っ込ませることもなかった。当然、紫織があなたをかばって車にはねられることも。実行犯は本田でも、原因を作ったのはあなたです。憎くないわけが無いでしょう」
うつろな瞳で僕を見て、そう語るユキちゃん。
「…なら、僕を殺しなよ。今、しようとしたみたいに!」
「……え?」
「え? じゃないよ。ほら、僕は隙だらけだよ? 後ろから影を飛ばすなり、なんなりしなよ」
ユキちゃんから手を離し、日本刀を床に突き刺す。そして両手を広げ、いかに隙があるかをアピールする。
「…殺さないなら、僕に敵意が無いってことだよね? だったら、僕だってユキちゃんを殺さない。敵じゃないなら、殺す必要なんてないから」
そこまでしても、ユキちゃんは僕に攻撃をしなかった。先ほどまでの猛攻が嘘のように。だったら、結論は導き出せる。
「ユキちゃんだったらこう考えているんじゃないかな? “お兄さんがケンカを始めたそもそもの原因は、いじめられている私をかばってのことだった。だから、紫織が死んだのがケンカが原因なら、それを始めさせた私にも責任の一端がある”…それと、“親友の紫織がいない世界なんて、生きるに値しない”ってところかな?」
「な、にを…そ、の呼び方は、許して…」
「違うなら、違うって言ってよ。この仮定が本当なら、“どうせ死ぬなら親友の兄の手にかけられたい”とか、そう言う悲嘆に満ちた説が通っちゃうんだからさ」
ユキちゃんの言葉を封じるように声を重ねていく。
「懐かしいね…ユキちゃんが紫織と友達になったきっかけは、いじめられているユキちゃんを放っておけずに紫織が助けに入ったことだった。最初こそ、同情だと思って紫織を拒絶したけど、ずっと向けられ続けた思いにああ、この子は本気だって思ってくれたんだっけ? それがきっかけで紫織がいじめられるようにもなったね。僕とユキちゃんの出会いは、それがきっかけだ。妹が、その友人がいじめられているのが許せなくて、二人をいじめている奴らに対して殴り掛かった。あの頃の僕は弱かったし、相手の人数も多くて、あっさりやられちゃったっけ」
これだけ長い言葉を言っているのに、ユキちゃんは僕を攻撃しようとはしない。本当に、隙だらけなのに。
「僕も、何度も殴られた。でも、そのうちケンカ慣れしてきて、殴られる回数より殴る回数の方が増えて、しまいには一発も殴られずにいじめをやめさせることができるようになった。ケンカが強いっていうので悪い意味で名前も売れたけど、今の友達との出会いはそれがきっかけ。売ってきたケンカを買って、一方的に殴り倒して。紫織の件をきっかけにケンカをやめた僕を心配するようになったんだから、案外いいやつらだよ」
「なにを、言って…」
「まあ、そんなのはユキちゃんには関係ないことだ。でも、一つだけ言うのなら…僕は、ユキちゃんに感謝すらしているんだよ」
「…え?」
「紫織が死んでしまったのは確かに僕のケンカが原因だ。ケンカを始めた原因は紫織がいじめられたことだし、その原因をさらにたどるとユキちゃんがいじめられていたことになるかもしれない。でも、いじめられていたことに罪なんてないんだ。いじめていた連中が悪いんだから」
ああ、ユキちゃんは本当に、バカな女の子だ。
こんなに長い間攻撃をしなかったら、僕を殺そうと思ってないってまるわかりじゃないか。
「でもね。僕に友達らしい友達ができたのは、ケンカのおかげでもあるんだよ。そういう意味では、ある意味感謝しているんだ…って、言いたいことはこんなことじゃないんだけど…」
「…お兄さんの、言っている意味が分かりません」
「だろうね、僕も正直よく分からなくなってきた。でも、これだけは言えるよ…強く生きて。紫織の死を、そこまで悲しんでくれることは兄として良い妹を持ったな、って思う。でも…その後を追ってほしいとまでは思わないんだ」
「……」
「だって、他の誰でもなく、紫織が望まないだろうから。親友が死ぬなんて、それも、自分の後を追ってだなんて…絶対に望まない」
ユキちゃんは何も答えない。僕は、それを肯定ととる。
「それが分かるなら、なんで死のうとしちゃうかなぁ…! 本当に、バカだとしか言いようがないよ…!」
「………私に、信頼できる人は二人しかいませんでした」
突然、話し出すユキちゃん。それは封じてはいけない気がして、僕は黙る。
「一人はいじめから助けてくれた女の子。もう一人は、いじめをやめさせてくれたお兄さん。いじめられていることを知っているのに、無理やり学校に行かせた両親は、信頼できませんでした」
「…うん」
「ある日、女の子が亡くなってしまいました。それは、お兄さんのケンカ相手の兄がお兄さんを殺そうとした時に、女の子がかばったからでした。そして、ある日私は気づいてしまったのです。女の子の後を追う事が、一番楽だと。何も考えずに済むと。そんなある日、ケンカ相手の兄がこの世のものとは思えない力をもって私の前に現れ、言ったのです。“一緒に復讐をしよう”と」
「…それが、こうして僕と戦う事になった理由?」
「……そして、私は思いました。お兄さんならきっと、ケンカ相手の兄を返り討ちにし、女の子の仇を討ってくれるだろうと。それを悟ったうえでお兄さんの手にかかって死ねたら、それはこの上ない幸福だろうと。そうして私は、お兄さんの敵になることを選びました」
「…バカだね。間違った選択肢を選んでるよ」
「そうですね…自分のことばかり考えて、お兄さんがどれだけ後悔するか、女の子がどれだけ悲しむか。そんなこと、かけらほども思ったことがありませんでした」
どこかすっきりした様子のユキちゃん。
「どうして、突然語りだしてくれたの?」
ふと疑問に思い、そう口に出す。
「…本田の身に、何かが起きました。本田が狐子さんを相手にするという事でしたので、たぶん狐子さんに倒されたのでしょう」
「本当に!?」
「はい。そうなって、あそこまで死んでほしくない、と言われては…本音をお話しした方が良いだろう、と思ったのです」
そうだったのか…やっぱり、力を分け与えられているから、なんとなく感じることができるのかな。
「そっか…でも、この目で確認するまでは安心できない気がする。すぐに向かおう」
床に突き刺していた日本刀を引き抜き、体の表面を覆う形に戻す。
「…私は、ここにいます。ご心配なく、自害などしませんので」
「うん。それじゃあ、またあとでね」
「はい。またあとで」
階段を駆け上り、屋上へとつながる扉を開く。
「ぬしか。ユキちゃんは…どうなった?」
「なんとかなったよ」
「そうか…こちらは、気絶させたところじゃ。そこそこの力があった故な…手こずった」
「なら、とどめはまだ…ってことだね」
まだ生きている。なら、殺してしまおうか。憎悪から、そんな思いが生まれる。
「手を汚すのはわしだけで十分じゃ。仇討ちをしたい気持ちは分かるが、殺させはせぬ」
僕をにらみながらいう狐子。
「…分かった。狐子がそう言うのなら」
かなり不承不承ではあるけれど、人間を殺したという事は大きなこととして僕の心に残りうる、と狐子は思ってくれたのだろう。だったら、その心配を無為にしたくはない。
「さて…起きる前にとどめといくか。やはり、悪人じみていて好みではないが、な…」
そう言いながら狐子は倒れている本田のそばへと歩み寄っていく。
「では…斬捨て御免」
狐子は大きく木刀を振り上げ、振り下ろす。
ガッ!
しかし、その木刀はコンクリートの床に振り下ろされるだけだった。
「へ…へへ…あぶねぇなぁ…」
「こやつ…意識が!」
床を転がって、狐子の木刀をかわした本田。くそっ…僕が確認に来なければ何とかなっていたのに!
「まだだぜ…今のはちょ~っとばかり油断しただけだ…まだまだこれからだってんだよぉ!」
そう叫ぶと、本田の体の下から影があふれ出て、本田の体を持ち上げつつ、こちらに巨大な触手のようにのび、迫ってくる。
「下がれ!」
狐子が手を広げ、僕をかばう姿勢になる。
「負けられねぇんだよ…死にたくねぇ…それはテメェだって分かんだろ! 金色の戦姫さまよぉぉぉぉぉ!!」
そびえたつ影の塔。その頂点で本田は吠える。
「人を…僕の妹を殺しておいて…それはいささか勝手とは思わない?」
「うるせえうるせえうるせえ! テメェには言ってねぇんだよ! 式神風情がっ! 神に憑いて憑かれてようやく戦えるような憑神風情には分かんねぇだろうなぁ! 俺は与えられたこの力で自由に生きんだよ!」
身勝手な事を吠え続ける本田。その姿は影を支配しているというより、影に飲み込まれつつあるように見えた。
「…暴走か。人間に過剰な力を与えた結果じゃな。許容範囲を超えた力は、やがて身を滅ぼす」
「…つまり、このまま放っておいてもあいつは死ぬってこと?」
「それに巻き込まれてこのあたりがどうなるかわからぬがな。やれやれ…影の輩、加減を知らぬと見える」
冗談っぽく言う狐子。だけど、その視線にたわむれはない。
「じゃ、とりあえず…巻き込む前にやるしかない、ってことだね?」
体にまとうマダチを霊弓に変えながらそう言う。日本刀に変えようかとも思ったけれど、こんなの相手にするには僕では力不足だ。
「わしは本体…本田を何とかして狙う。ぬしは触手を片端から射抜け。くれぐれも、卑猥な本のような展開を望まんでくれよ?」
そう言う狐子は余裕があるように見える。
「階段の時みたいに術を使えば? 全部まとめて一刀両断じゃない?」
「使えぬことはないがな…」
そう言うと、狐子は詠唱を始めた。
「我が刃は、触れずとも斬れ、空すらも斬る。無限の距離を――」
「させるかよぉぉぉ!」
それと同時に、何本もの触手が狐子に襲い掛かる。
「っと。まあ、こういうわけじゃ」
飛んだり、切り落としたりしてそれらをかわしきる狐子。
「だからと言って詠唱なしでは…」
居合いの構えを取り、木刀を振り抜く狐子。その切っ先からは霊力が飛んでいく…けれど、階段で見た時より弱々しく感じる。
「チクショウが! クソクソクソ! 死なねぇぞ! 俺は生き残ってやる!」
口汚く叫びながら、腕をふる本田。それに呼応するかのように触手が動き、切っ先から放たれた霊力をかき消す。
「…このざまではのぅ」
「理解したよ」
詠唱しようにも阻害される。かといって、詠唱しないでできる攻撃では打ち消されてしまう。だから直接攻撃しかない、というわけだ。
「じゃあ、後ろから支援するから…隙を見て行って」
「うむ。支援、頼むぞ」
矢を放つ準備をすると同時に、狐子は塔の方へと駆けだす。
「くんじゃねぇよ! さっさと潰れろ! ぐちゃぐちゃに醜く原形をとどめないまでになぁ!」
叩き潰すかのように振り下ろされる触手。それを狐子は木刀一本で受け止める。しかし今までの影とはけた違いの太さの触手には少し食い込むだけで、切り落とすことはない。
「思っていたより頑丈じゃ…なっ!」
苦しそうな顔で木刀を無理やりふるう狐子。一本は切り落とすも、残りは傷を残すにとどまった。何とか支援しようとするけど――
「があぁぁぁっ! 動けぇぇぇぇぇ!」
縦横無尽に暴れる触手。それは僕の方にも迫る。
とっさに矢を放つ。しかし、狐子の木刀でも斬れないようなものが僕の貧弱な霊矢で撃ち落とすことができるはずもなく、その勢いをわずかに弱める程度の威力しかもたなかった。
とっさにその場から飛びのき、触手をかわす。霊力強化を使えば確実だったろうけど、狐子に見られたらどこで学んだのか聞かれそうだからやめておいた。
その場に叩き付けるような一撃だったため、かわすことは容易だった。でも、次から次に叩き付けは襲い掛かる。
「よっ、ほっ…かわすのは楽だけ、ど…っ!」
こんなに動き回りながら弓を扱う練習はしていない。これじゃあ、当てるどころか放つことすらできやしない!
「かくなる上は…仕方ないよね!」
霊弓を再び日本刀に変える。とは言え、真っ向から受け止めたらそのままのしイカだろうから、ギリギリでかわして切り付けるくらいしかできないか…。
「無理はせんでくれよ!」
無数の触手の攻撃をしのぎながら言う狐子。
「狐子の方がよっぽど無理して見えるよ…っと!」
ようやく一本を切り落とす。陸に上げられた魚のようにその触手は暴れ、やがて動きを止めると消え去っていった。
「あと何本だ…!?」
えーと、一、二、三、四、五、六…七本か? 今までより攻撃の手数が減ると思えば、いけないこともない?
「決め技とかないかな? ちょっと面倒くさくなってきた」
「あったらとっくに使っておるわ!」
そう言って果敢に本田本体に飛びかかる狐子。しかし、それは触手によって妨げられる。
「やれやれ…じゃが…一本はもらう!」
本田までの道筋をふさぐ触手を切り落とす狐子。これで、残り六本?
「ところで狐子…僕に教えてもらえないかな? 高く跳びあがる方法」
「ぬしは知らずともよい!」
一喝されてしまった。本当は知っているわけだけど…うーん、小夏さんに教えてもらったことにでもしてやろうか。そうすれば少しは手伝えるし…。
「ぬしの手を汚させたくはないが…弓で本体を狙えぬか? 触手はわしがひきつける」
「分かった。やってみる」
本田本体はさっきから動いていない。狙うのは簡単だ…この触手さえなければの話だけど。僕の方にも来るからよけないといけない。だから弓の狙いをつけられないし、つけられても本田を守るように触手があるから放っても意味がない!
「まず何本か切り落とそう! このままじゃ射線が確保できない!」
日本刀に更にマダチを流し込み、太刀に変える。そして、こちらを狙って繰り出された触手を避けつつ、思いっきり切りかかり一本切り落とす。
「分かった! いつでも放てるよう、構えておけ!」
「了解…信じてるよ」
この状況で弓に戻すという事は、近接戦闘を捨てて、触手全ての処理を狐子に託すという事。本数が減った今…狐子ならやってくれる。そう信じて太刀を弓に変える。
あとは、落ち着いて。構えはいつもどおりにすればいい。的がちょっと高い位置にあるだけだ。
「ふっ! はぁっ!」
こちらに迫る触手を優先して斬りつけている狐子。大丈夫。僕はただ…敵を狙って矢を放つだけでいい。
まず、霊矢を作る…そして、一足開き。胴造り。取懸け、弓構え。正面の構え。正面打ち起しののち、引分け。会は冷静に、本田を見据える。
あとは、タイミングをはかるだけ。
視界の端で、狐子が触手を相手に戦っている。一本、また一本と触手が斬られていく。そして、狐子は再び本田の方へと飛び上がり…射線を邪魔していた触手を斬りおとす。
今しかない。射線形成完了…大離れ!
高い位置にいる本田に向けて放った霊矢は、ほぼ直線の軌道で命中し、爆発する。
残った触手が一瞬びくつき、床にくたぁ…と倒れていく。
「よし…でも、油断はしない…第二射、射撃用意…」
気絶した状態から目覚めて暴走し、ここまで至ったんだ。油断だけはしてはならない。
爆発の余波も消え去り、本田の姿がはっきりと見て取れる。ぐったりとうなだれ、意識は無いように見える。
けれど、感じる。ユキちゃんが宣戦布告をしてきた時の闇の中で感じたものや、さっきの戦いの中で感じた何か。
それをこれでもかというほど大きく、強力にした何かを――!
「…ねぇ」
本田の呻くような声。倒れていた触手は再び起き上がる。いや、それだけじゃない。斬りおとした触手も、先端が再生して…影が、闇があふれて流れ出てきている!
「死なねぇぞ…! 俺は生き残るぅ…絶対にだ!」
動揺しつつも第二射を放つ。しかし、それは触手に防がれてしまう。
「狐子! 復活する上に強くなってくんじゃあ、ジリ貧だよ!」
「決め手がない…強大な術を使う力があれば…あるいはもう一人わしらのような存在がいれば…!」
もう一人。その言葉に僕が知っているもう一人の神様の顔を思い浮かべる。でも、あの人は結界維持のために神社を離れられない…!
(だーかーらー。呼び捨てにするなって言っているでしょう?)
あてにしすぎているからだろうか…彼女の声が聞こえた気がした。
(確かに私は神社を離れられない。でも…念話はできるのよ?)
いや、気のせいじゃない。たしかに、頭の中に声がする!
「小夏さん!?」
(そーよー。決め手が足りないって聞こえたから、その決め手をあげようと思ってねー? とりあえず、私が教えるとおりに唱えなさい。大丈夫、今の慎一君でも十分使えるから)
頭の中に文が流れ込んでくる。それと同時に、左足の付け根付近がズキンと痛む。
(私の手助けはこんなもの。じゃあ、あとは頑張って。シーユーアゲイン)
その言葉を聞き終えると同時に、自分の中で何かスイッチのようなものが入るのを感じた。
「…ナーよ。我が内にありて我で無き者を解放する」
左足の付け根あたりの痛みが一気に強くなる。でも、気にしていられない! 頭に浮かぶ単語を口にしていく。
「…ル・クル・ウル・ラル デグリスィーズ レギウナ」
そう唱えると同時に、眼前に光の玉が浮かぶ。
「アーザバルグ ルンツ レギウナ デグリス モンツェール」
唱えていくにつれ、その光は強まっていく。
「アーザバルグ ルンツ デグリスィーズ レギウナ」
やがて、その光から感じる力は雲に大穴を開けた小夏さんの矢よりも強く感じるようになっていた。
「…なぜ、ぬしがそれほどの力を使える…!?」
動揺した様子の狐子の声。自分でも疑問に感じる。いったいどこからこんな力が湧いてくるのだろう。
「さぁせねえってんだよぉぉぉ!」
本田の操る触手が迫る。しかし、それらは光に触れると同時に蒸発するように消えていく。それは、影が光によって裂かれていくようでもあった。
「デグリス レギウナ ナジュー リア グナ・メギ」
なぜか懐かしさを感じる言葉を唱え終えると同時に、光の力は最高に達する。そこから先はどうすればいいのか、知っている気がした。光に触れる。
「ラキュ・モルサ レギ・メランデ!」
その途端、放たれていた光は炎に姿を変える。狐子は呆然とした様子でその炎を浴びているけれど、見たところやけどだとか、そう言った物は見られない。服が焼けるどころか、熱がる様子すらない。
しかし、その炎は影の塔を確実に溶かすように消していく。次第にその塔のバランスは崩れ、倒れだす。
「……エランメル…!」
聞き覚えのないのに、どこか懐かしい言葉をつぶやく。同時に、左足の痛みが限界に達する。もはや、立っていられないほどに。
激痛に姿勢を崩すと、炎は消えていった。本田は…どうなった?
「アガ…ガッグ…ねぇよ…これは…チートだろ…!」
高い位置にいたが故に、炎には少し焼かれる程度だったらしい。早く…とどめを刺さないと…!
「狐…子…!」
でも、声を出すことすらうまくできない。今の膨大な力の代償がこれか…!
「旦那…ぁ…!」
それとは対照的に、本田は叫び声をあげる。それは、助けを求める者以外の何物でもない。
「呼んだか」
そんなことを思うのも一瞬。皮膚が粟立つのを感じた。ああ…この声を聞くのは、四回目か。
影の男が、突然本田のそばに姿を現す。本田の方をじっと見ていたのに、その瞬間を見る事はなかった。まるで、姿を現す瞬間だけ時間が飛んだかのような…。
「旦那…あんたならできるだろ? こいつらを皆殺しにしちまってくれよ! そして、俺を助けてくれ!」
「…助けろ? つまり、お前自身はもう戦えない、という事だな?」
ドス。影の男から伸びた鎌のような影の先端が本田の腹に刺さる。
「…は?」
一瞬、何が起きたのか、理解できなかった。みるみる血で赤く染まっていく本田の服。
「だ、んな…!? な、で…!」
「なんで? 決まっているだろう。戦いに敗れた者は死ぬ。そんな当たり前のことも理解できないのか?」
影の男はそう言いながら、本田の腹に突き刺した鎌を徐々に心臓の方へと動かしていく。
「あ、がっ! だ、旦那…!」
「あきらめろ。俺に殺されるか、金色の戦姫に殺されるか、周囲を巻き込んで自滅するか。その違いだけだ」
「が、ぎ…! や、め…! し、にた、く…!」
腹から心臓まで、少しずつ切り裂かれていく激痛を感じているのだろう。本田はしばらく悲鳴を上げ続けると…やがて、動かなくなった。本田の体の下には、血だまりができている。それは、演技のしようがない大きさ。つまりは、素人目にも致死量の出血だとわかるものだった。
「…悪趣味じゃな。悪人ではあったが、そこまで苦しませる必要もあるまいに」
ようやく正気に戻った様子の狐子が、影の男にそう言う。
「そうか? こいつのようなゲスはこれくらいされて当然だと思うが」
「力を貸しておいてよく言うわ」
「我が主の命が無ければ、こいつ如きに力を分け与える物か。俺をあまり侮るなよ、金色の戦姫」
そう言うと影の男は姿を消した。姿を現したときと同様、まばたきすらしていないのに、消える瞬間が見えなかった。
『また会おう。その時こそは…存分に殺しあおう。それと…遠坂慎一。その名、覚えておくぞ』
声だけが響き、辺りには静寂が戻った。
「……」
僕も、狐子もしばらく何も言えなかった。
「…帰ろう」
体感では十分も二十分もたったようにすら感じる長い沈黙は、狐子の言葉で破られた。
「…ユキ…ちゃ…ん」
体を動かすことすらできない疲労が、全身を包んでいた。声も、相変わらずうまく出せない。
「うむ…」
狐子はそう言うと、僕を抱え上げた。そうして、僕たちは本田の死体が残されている屋上から、階段を使って去る。
「…本田は、死にましたか」
五階におりると、ユキちゃんがそう尋ねてきた。狐子が黙って頷く。
「…そう、ですか…」
それだけ会話をし、崩れた階段を飛び越える。僕は狐子に抱えられて、ユキちゃんは自力で。
その後は何事も無く階段をおりていき…僕たちは、廃ビルを後にした。
漆幕 了




