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陸幕 少しばかり長い”日常” 下

 茶道室。僕を含めた考世学部の面々が並んで里奈さんの前に正座している。

「どうぞ」

 里奈さんから差し出される茶碗。それを凛香先輩が持ち上げ、軽く回し、口をつける。

 少し時間をかけ、お茶を飲んでいる様子。しばしすると、口を離し、口をつけていた部分を指で軽くぬぐった。

 茶碗を置き、深々と礼をする凛香先輩。

「結構なお手前で」

「…ところで、型にはまってお茶を飲むのはどこまでやるのですか?」

「あー! 里奈ちんそういうこと言わないでよぉ…雰囲気が台無しだよぉ…?」

「そうは言いますが…礼尾さんはもう限界のようですし…」

 里奈さんのその言葉に礼尾の方を見る。すると、礼尾は何かに耐えるように震えている。

「べ、別に…しびれてなんかねーし…?」

「じゃあ、足つついてもいいな?」

「やめろ! 今の俺の足に触れるな! その…第二の人格が出るぞ!」

「なんだよその厨二設定…」

 どうやら、相当足がしびれてきているらしい。僕は弓道でもたまにやるから慣れているけど…。

「まあ、皆さん足を崩してください。礼を学ぶのも大切な事ですが、苦痛になってはいけませんから」

 そういう里奈さんは和服姿。やはり茶道と言えば和服だね。でも、和服だとその、何というか…体型がよく分かるというか…あとうなじが…いや、けしていやらしい意味じゃなくて。

「気遣い、感謝するぜ…よ、っと…」

「しびれてないんじゃなかったか? ほれ、ほれほれ」

「やめろっての! 俺の左腕がうずき出すぞ!」

「だからなんだよその厨二設定…」

 そう言いながら双葉も足を崩していく。んー、僕はまだ行けるけど…まあ、崩してって言われてるんだし崩そう。

「慎一さんたちの分のお茶も点てますので、少々お待ちください。碗に予備があってよかったです」

 そういうと里奈さんは近くの棚から四つの茶碗を取り出した。

「茶道的にそういうのって大丈夫だっけ~?」

「お客様が多い場合、二つか三つほど同時に使う事があります…まあ、とりあえず、私達の間では決まり事はなしという方向で行きましょう。茶道部の先輩方に見つかったら怒られてしまいますが」

「まあ、いいんじゃねーの? 先輩だって堅苦しいの得意じゃないでしょう?」

「ふたばん…まあ、そうなんだけどね。今日はなんとなく本格的な飲み方がしてみたくなって」

「ま、たまにならいいですけど…しょっちゅうだとあれっすね。足がもたねぇ」

「ごめんごめん。私もしょっちゅうやりたいわけじゃないから、許してね。れおぽん」

 談笑する三人。それを横から僕と狐子が眺める。里奈さんも苦笑しながらではあるもののお茶をたてている。

「はい、どうぞ。皆さんの分もできましたよ」

 にっこりと笑いながら僕、狐子、双葉、礼尾にお椀を差し出してくる里奈さん。

「さ、どうぞ?」

「…うん、ありがとう。ところで、さ…」

 その中身を見て、ふと気が付く。

「愛紗のだけ、妙に色が濃い気がするんだけど…」

 そう、狐子に差し出された物の中身の色が妙に濃いのだ。抹茶を茶杓何杯分入れたかは礼尾たちの方に気を取られていたから分からないけど…こんなの、飲んだら絶対に苦い。

「そうですか? 気のせいではないでしょうか?」

「いや、でもこれ確実に」

「気のせいではないでしょうか」

 妙な凄みを聞かせた声。それ以上の反論は許されない気がした。

「ズズ…これくらいこいほうが、おいしいですね」

「愛紗、平然と飲んでんなぁ…あんなの、嫉妬の味しかしねぇだろうに…」

「何か言いましたか? 双葉ちゃん」

「あ、いえ。何でもないです。すいませんでした」

 敬語になる双葉。でも、それくらい里奈さんの雰囲気は恐ろしいものだった。

「まあ、俺らも飲もうぜ…しかし、よく飲めるな…」

 まあ、狐子はいたって平然としているから濃いとはいえ加減はされているのだろう…なんでそんなことをするのかはわからないけど。もしかして、狐子が言っていたように、里奈さんは本当に僕のことが好きで、べたべたしている狐子の事が気に入らないとか…? まさかね。そこまでするほど好いていてくれているのなら、僕だって気が付くし。

「おいしいですか? 愛紗さん」

「はい、とっても。濃茶のほうが好きなんです」

「そうですか…気に入っていただけならよかったです」

 でも、このにらみ合いを見ているとその妄想もあながち間違いじゃないのかもしれないと思えてくる。とりあえず、今の里奈さんは怖い。

 そんなことを思いながらお茶をすする。とりあえず、僕に出されたお茶は普通においしかった。苦み、渋み、そういった物も含めての抹茶だよね。狐子に出された物は別として。

「皆さんの好みに合わせてたてたつもりでしたが…いかがでしたか?」

「うん、おいしかったよ~。さすがりなちん」

「その気づかいを愛紗にもだな…」

「茶道の資格は初級しかとっていないので、そこまで気が及びませんでした」

「いや、基本的な事柄である入門も初級に含まれるんだから普通は」

「そこまで気が及びませんでした」

「特殊な事例を学ぶための小習だって含まれるんだから、普通分かるんじゃ」

「そこまで気が及びませんでした」

「お、おう…」

 …どうも、狐子にしたことは無視する方針らしい。なに、この冷戦。

「さてと。それでは、着替えてきますね。皆さんをお待たせしてはいけませんから」

 そう言って退室する里奈さん。たしかに、和服って着替えに時間かかるもんね。

「…さて」

 そう思っていると、礼尾が突如立ち上がった。

「礼尾? どうかした?」

 なんとなくそう聞く。いや、ろくでもない理由だってことはなんとなく想像がつくんだけど。

「俺は…のぞきに行く」

「座れ」

 双葉が足払いをかけて礼尾を座らせる…もとい、転ばせる。

「くっ…だが、俺は一度や二度の失敗で挫けるような男じゃ」

「寝てろ」

「ぐふぅ!?」

 起き上がろうとする礼尾のみぞおちに一撃を入れる双葉。あれは痛い。

「し、シン…! お前なら、分かるだろ…? 同じ、男だもんな…ミスキャンパスになりそうな女の着替え姿、見たくないわけが…!」

「イッチーなら、二人きりで頼めば裸見れそうなものだけど…」

「先輩の言う通りだぜ。合法的に見れるもんをわざわざリスクをしょってまで見るかよ」

「お前ら女にはわからんのだ! その危険性を背負う事による、背徳感が、緊張感が! なあ、シン! お前にはわかるよな!?」

「そんなこと分からないし分かりたくもないし先輩と双葉の前提が間違っていることにツッコミを入れたい」

 なんでこんなツッコミどころ満載なんだ、この面々は…。

「え~? イッチーだったら行けると思うんだけどな~」

「お医者さんごっこでもしている年齢ならともかく、大学生ですよ? いくら幼馴染とは言え、異性に肌をさらすようなこと、里奈さんはしません。双葉だってしないでしょう?」

「そりゃ、あたしはしねーけど…あいつ、常識人だけどどっかでずれてっからなぁ。お前に頼まれたら、あるいは…」

「里奈さんにちょっとずれてるところがあるのは否定しないけど、そこまではずれてないから…」

 思わず大きなため息をつく。やれやれ…ま、退屈はしないな。

 そんなことを思いながらお茶を啜り、お茶菓子を食べる。よくぞ日本人に生まれけり。そんな気分だ。横でうめいてるバカがいるから雰囲気ぶち壊しだけど。

「皆さん、お待たせしました。さ、片付けをして帰りましょう」

 今朝と同じ格好になって戻ってきた里奈さん。

「ところで…礼尾さんはどうかされたのですか? 何か、悔しそうですが…」

 双葉に殴られたみぞおちをさすりながら何かブツブツと言っている礼尾。たぶんそんな価値はないだろうけど耳を澄ましてみる。

「チクショウ…間に合わなかった…チクショウ…!」

 ほら、価値なんてなかった。

「気にすることはないよ。片付け、さっさとやっちゃおう」

 みんなが飲み終えた茶碗と茶菓子皿をまとめながら里奈さんと話す。

「そうですね。あまりのんびりしていては家族に心配をかけてしまいますし」

 里奈さんも片付けを始める。

「今更だけど、ちょっと遅れたくらいで心配するって、けっこう心配性だよね、里奈さんの両親って」

「りなちん、美人さんだから~。ご両親もその辺で心配してるんじゃないかにゃ~? 不審者なんて、掃いて捨てるほどこの世の中にいるからね~」

「ですね。あー、あたしもちょっとくらい心配されてぇなー」

 双葉がそんなことを言う横で、みぞおちを押さえながら起きあがる礼尾。

「誰が襲うか、お前みたいな合気道バカ…」

 そしてボソッと口にした。思いっきり地雷を踏みに行くなんて…無茶するなぁ…。

「あぁ? 一発じゃ物足りねぇってか?」

 怒気を放ちながら礼尾の方を見る双葉。

「よせ、話せば分かる」

 みぞおちのあたりの防御を固めて言う礼尾。そんなことするくらいなら、最初から言わなきゃいいだろうに…。

「ったく…ま、里奈の両親が心配性だってことは同意だな。里奈レベルの腕なら、たいていの相手返り討ちにできるわけだし、そのあたり考えてもよさげなんだけどなー」

「まあ、時折うっとうしく感じることもありますが、心配されているというのはうれしいものですよ。それだけ大切に思われている証拠なのですから」

 笑顔でそういうと、里奈さんは僕がまとめていた茶器を受け取り、洗い場に持って行った。

「大切に思われている証拠、ねぇ。一番その証拠を見せてほしい奴になかなか見せてもらえないわけだが、そのあたりどう思われますか、解説の凛香さん」

「不憫だねぇ~、実に不憫だと思うよぉ~。あれだけ好意を向けていて気づかれないこともまた不憫ですよぉ、実況の双葉さん」

 にやにやと笑いながら、こちらを見てそんな話をする先輩と双葉。

「何か言いたいのかな…?」

「いんやぁ~? なんでもぉ~?」

「これだけ言われて理解できない方がアレでアレかなぁ~?」

 うーん…狐子の言う事は適当に受け流していたけど、この二人にまで言われると…ちょっと、その気になるかも?

「おにーちゃんは、わたしのおむこさんになってくれるのですから、とうぜんです!」

「おっほぉ~、だいた~ん。これだけ素直に表せれば、りなちんも…」

「私は、慎一さんの奥さんになります! みたいな?」

 里奈さんの声をまねて言う双葉。

 ガラッ。その直後、茶道室の扉が勢いよく開かれる。

「…双葉ちゃん。ちょっと、屋上に行きませんか? 二人きりでお話ししたいことがあるんです…」

 そこには、ものすごく黒いオーラを出している里奈さんがいた。擬音をつけるなら、“ゴゴゴゴゴ…”とか、“ドドドドド…”と言ったところだろうか。

「いやだ。それ、あたし側の死亡フラグじゃねぇか…!」

「え? ですが…伝説の木が無い以上、その下で電動チェーンソーを持って待つことはできませんし…」

「チェーンソー!? そ、そこまでするか!?」

「…あの、りなちん? さっきのはあくまでふたばんのジョークだよ? いっつじょーく」

「あ、そうなんですか。ならよかったです」

 それと同時に黒いオーラが消える。

「里奈さんは白い時と黒い時があるよね。うまく言えないけど」

「そうでしょうか? 自分ではよく分かりませんね」

 僕の言葉に首をかしげる里奈さん。

「にめんせーのある人って、こわいですよね。そのてん、わたしはあんしんです! おにーちゃんだいすきのいちめんだけです!」

 そう言って僕に抱き付いてくる狐子。うーん、必要以上にくっつかれると、なぁ…。

「……べたべたするのはどうかと思いますよ?」

 ほら、里奈さんが黒いオーラを放っちゃうから…。

「手をにぎるゆーきもない人に言われたくないです!」

「…言いますね、小娘が」

 怖っ!? 里奈さん、そのセリフ回しはいけない! 明らかに悪役のそれだから!

「あっ…! コホン…愛紗さんとも、仲良くやっていきたいものですね。義姉と義妹という関係で」

 …? 姉妹じゃなくて姉と妹と言ったのには何か意味があるのかな?

「まず、なれるかどうかぎもんです」

「なれる、なれないじゃなくて、なってみせましょう。ライバルなんて片っ端からなぎ倒し、ちぎっては投げ…」

「そうかんたんにやられませんからね」

 …この二人、ある意味仲がいいような…。

「さてと、片付けも終わったことですし、帰りましょうか」

 こんな会話をしつつも片付けを進めていた里奈さん。たしかに、二人の会話にのみ気を取られていたけど、きれいに片づけられているな。

「そだね~。なんか、私何もしてないけど…」

「あたしもそうですし、気にしないでいいと思いますよ。おら、礼尾もちゃっちゃとしろ」

「わーってるって。さて、せっかくだしゲーセンでも行くかー」

「お、いいな。結構続けてだけど、あたしも行くかなー、暇だし」

「ははっ、おごんねーぞ?」

「わーってるよ、バーカ」

 笑いあいながら二人は茶室を後にした。

「ん~…いつもなら送り狼に気を付けてほしいな~、とか思いながら早々と別れるわけだけど~…今日は二人きりってわけじゃないし、ある程度くっついていこうかな~」

「誰が送り狼ですか、誰が…」

「あ、いや。イッチーはむしろ狩られる羊っていうか…」

「え? じゃあ、狼って私の事ですか?」

「うん」

 何の迷いもなく頷く先輩。しかも、やたらといい笑顔で。

「もう、変なこと言わないでください。私が慎一さんのことを襲うとでも?」

「え? むしろ襲わないの? ついでに家に上がり込んで、イッチーの部屋でいつもと違う空気の香りを楽しんだりはしたでしょ?」

「な、なんのことでしょう?」

 里奈さん、そこで動揺するのはなんでかな?

「と、とにかく! 早く帰りましょう!」

 若干慌てた様子を見せつつ、里奈さんは茶室を後にした。里奈さん? せめて否定してからにしてほしいかな?

「そだね~。ほら、イッチーもはりーあーっぷ」

「あ、はい。帰り支度はとっくに済んでます」

 茶室を出ていく先輩の後を追いかけて茶室を出る。狐子も僕に続く。

「さて、それじゃ~送り狼の話の続きだけど~」

「やめてください。本気でたたきますよ?」

「やめてよ~。死んじゃうよ~」

 前を里奈さんと先輩が二人ならんで、その後ろを僕と狐子が並んで歩く形になる。ちなみに、狐子は僕の手をしっかりとつかんでいる。本当に、お兄ちゃん大好きな妹を熱演しているなぁ。

「ところで、後ろ…いいのかにゃ?」

「大和撫子なら、人前でみだりにそのような事をするべきではないと思うのです。相手の三歩後ろ、影すら踏まぬように気を使って。それが、有るべき形です」

 わざわざこちらに聞こえるように言う。狐子に対する嫌味…だろうか…?

「前を歩いておいて、なにをいっているんでしょう?」

「…なかなか言ってくれますね、本当に」

「愛紗、里奈さん。ケンカはだめだよ?」

 黒いオーラが出かけていた気がしたので、念のため先をうって封じておく。狐子も挑発するような発言は控えてほしいなぁ…。

「いやですね、ケンカなんてしませんよ?」

「はいです。だって…」

「「自分より格下の相手を一方的に弄ぶだけです」」

 こちらを見る二人の視線。里奈さん、顔は笑っているけれど、目が笑っていない…本気だ…! ま、まあ、狐子の方は楽しげにしているから、いなしてくれるだろう…たぶん。

「…女の子って、怖いよねぇ~、イッチー」

「そう…ですね…」

 いつの間にか狐子は手を離し、立っている位置は前に僕と先輩、後ろに里奈さんと狐子という形になったようだ。どうして推測かって? それは…後ろから漂ってくるただならぬ気配を感じて、振り返る勇気が無いからにきまっている。

 先輩と話をしながら帰り道を歩む。後ろでは小声で話をしているようだ。内容は…聞き取れないという事にしたい。だって、怖いから。分かるよね? 自分より下の相手を一方的に弄ぶだけ、なんて言った後の二人の会話を聞きたくない気持ち、分かってくれるよね?

 でも、そんな現実逃避も駅にたどり着いてしまえばできなくなる。何しろ、先輩はこのあたりに住んでいるのだから。電車にのったら遠回りなうえに、お金までつかってしまう。ほぼ毎日顔を合わせる相手と、そこまでして長く一緒にいたいとは思わないだろう。

 さあ、考えろ…どうすればこの二人を仲良くさせられる? 僕のことを好きかもしれない幼馴染と、僕のことを好きだと演じている神様…狐子の方に演技をやめてもらえば手っ取り早いんだけど、そうなると一緒に行動する理由が弱くなる、というだろう。というか、里奈さんのことをからかうのを楽しんでいる節すらある狐子相手では、ちょっと言った程度ではやめないだろう。

 狐子に働きかけるのがだめなら、里奈さんに働きかけてみようか…って、どうすればいいんだ? 双葉が止めようとしていたけど、そのことごとくを狐子がぶち壊していたし…効果があるとしたら…うーん…。

「それじゃ、先輩はこのあたりでおいとまするよ~。みんな、仲良くね~」

 場を和ませる人がいなくなり、僕たちの(正確には里奈さんの)周囲の雰囲気がとげとげしいものに変わる。

 こうして、僕の地獄が始まった。


陸幕 了

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