伍幕 チャットソフトにて 中
さてと……。
『みんな、今朝はありがとう――シンイチ』
『おっ、家に帰ってんのか?――レオ』
『うん、まあね。退院もしたんだ。明日からは学校に行くよ――シンイチ』
『刺されてすぐなのにですか? 大丈夫なのですか?――リナ』
『まあ、何とかなるよ。激しい運動は避けるつもり――シンイチ』
『んにゃ、イッチーだー――リンリン』
『わりいわりい、弟たちがうるさくってよ。反応遅れた――双子葉類』
『アニキー! アニキー!――双子葉類』
『……双葉?――シンイチ』
『……悪い。キーボードぶんどられて勝手に打たれた――双子葉類』
『元気でいいですね――リナ』
『元気過ぎんのも困りものだけどな――双子葉類』
『とりあえず、明日からは学校に行くっていう報告をしたかったからインしたんだ。正直に言って、特に話題は無い――シンイチ』
『インデネーノ――リンリン』
『まあ、普段と似たような物じゃね? 特に話題もなく、だらだらやってく感じが俺ららしいだろ――レオ』
『そうかもしれませんね――リナ』
『まあ、そうだけどさ……(笑)――シンイチ』
「ふふ、皆相変わらずだなぁ……」
なんとなくつぶやく。まあ、僕が非日常に足を踏み入れたからと言って、皆までガラッと変わられては困る。
そうだ、念のため狐子……というより、愛紗の事も紹介しておこうかな。
『あ、そうだ。話題というか……もう一つ報告することがあったよ――シンイチ』
『なんだよ、話題無いとか言っておいて、きっちり用意してるんじゃねーか――レオ』
『報告という事は何か真面目な事なのでしょうか?――リナ』
『先輩になんでもいってごら~ん?――リンリン』
『あたしたちの仲じゃねーか、何でも言ってみろって――双子葉類』
みんなの返事を待ってから考えた内容をタイプする。
『実は、妹ができたんだ――シンイチ』
『……どう言う事だってばよ?――レオ』
『あー……お前んとこの親御さん、ラブラブだもんなぁ…――双子葉類』
『いやいや、そういう事じゃないから――シンイチ』
『じゃあ、どういうことかにゃ? 先輩には話が見えないよ~…――リンリン』
『実はですね……――シンイチ』
とりあえず、かいつまんで説明する。
『なるほど。あの時追いかけられていた女の子が義理の妹になったのですね――リナ』
『そういう事。会う事があったら、優しくしてあげてほしいな――シンイチ』
『ふやぁ~……イッチーも大変だねぇ~……――リンリン』
『そんなことないですよ。かわいい妹ができてうれしいくらいです――シンイチ』
『かわいい。なるほど……兄の友人という形でフラグ建設するのもありだな――レオ』
『このロリコンどうするよ? 処刑する? 私刑する?――双子葉類』
『手を出そうとしたら思いっきりぶんなぐる。兄として妹を守る――シンイチ』
『ナ、ナンダヨーチョットシタジョウダンジャネーカヨー(棒)――レオ』
「……やれやれ。礼尾はどうしようもないな……小夏さんほどじゃないけど」
『まあ、俺はロリコンだとしても二次限定だけどな。三次のロリはやったら生意気だったりするからよ……とりあえず、さっきのは冗談だ。ただし二次ロリは天使――レオ』
『……一発やれば治るかな?――シンイチ』
『やっていいと思う――双子葉類』
『いいんじゃ、ないで、しょうか……っ!――リンリン』
はぁ……まあ、たぶん冗談だって言うのはみんな分かってると思う。そのうえでこうやってネタにしてる。願わくは、礼尾の言っていることが本当に冗談でありますように。
コンコン。そんなことを思っていると部屋にノックの音が響いた。
「はーい、どうぞー」
「しつれいしますです」
扉を開けて入ってきたのは狐子だった。その手にはタオルとお湯の入った小さめの桶が抱えられている。
「体をふきに来ました! お洋服をぬいでくださいです!」
微笑んでそういう狐子。まだ愛紗を演じているようだ。
「大声でなければ声が下にまで聞こえるようなことは無いと思うよ」
「む、そうか」
ドアを閉めると同時に愛紗を演じるのをやめる狐子。
「まあ、体を拭きに来たのは事実。服を脱ぐのじゃ」
「冗談とかじゃなかったんだ……ありがたいけどさ」
チャットにいったん落ちる旨を書いてパソコンの前から離れる。
「まあ、主の裸を見たくてな」
「えっ!? ど、どういうこと!?」
「……? ああ、妙な意味ではない。どのような体格をしておるか知りたいという事じゃ。薄着ならば服の上からでもある程度は分かるが、やはり今の季節は冬。厚着では少しわかりにくいのじゃ」
「あ、ああ……そういう意味ね……」
びっくりした……いきなり裸が見たいとか、ちょっと誤解しちゃうよ……。
「まあ、そういうわけじゃから服を脱いでくれ」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
うーん……異性に見られながら服を脱ぐのは何か気恥ずかしいものがあるな……。
「どうした? 顔が若干赤いようじゃが」
「そ、そう? 気のせいじゃないかな?」
喋りながら上半身に着ている服を脱いでいく。やっぱり恥ずかしいけれど、狐子は気にしていないようだし……ええい! 脱いでやる!
「ふむ、なかなか良い体じゃな」
「そうかな?」
「うむ。じゃが、鍛えているというよりは無駄な肉が付いておらぬだけじゃな」
「実際、鍛えてないからね。でも、これから強くなるためには鍛えないとなぁ……」
うう……まじまじ見られてる……変な意味はないとはいえ、やっぱり異性に見られるのは……! いや、変な意味は無いんだから動揺するな自分! 医者に見られるような物じゃないか。小町さんにも見せたんだ。そうだ、そう考えればどうということはな……あるよっ!
「霊弓にそれほど筋力は必要ないと思うが……まあ、逃げる時のために基礎体力ぐらいはつけておいた方が良いかもしれんな」
うう、なんでだ? 内面ははるか年上、外見は子供……恥ずかしがる要素は無いはずなのに、どうしてこんなに顔が熱いんだ?
「どれ、包帯も取るか。拭くのに邪魔じゃからな……ぬしよ、聞いておるか?」
「えっ!? ご、ごめん。ちょっと聞いてなかった……」
「まったく……何に気を取られておったのじゃ? 包帯を取るぞ?」
頭の中をぐるぐる渦巻く謎の恥ずかしさに気を取られていました。
「え? 大丈夫かな……」
「心配するな。とっくに治っている」
ん? どうして狐子が知っているんだ?
「いつまでも怪我を放っておくわけにはいかぬからな。病院の者やご両親の目が無い隙を見計らって追加で治癒術を使っておいた。完治か、それに近い状態まで持って行けているはずじゃ。傷口を実際に見たわけではないゆえ、予想にすぎぬがな」
「そうなんだ……じゃあ、とりあえず取ってみようかな」
早く狐子に治してもらったり、助けられたりした恩を返せるようになりたいな。とりあえずは、狐子にとっての守るべき物からの卒業か。人間が霊体相手にどれくらいできるかなんてわからないけれどとにかく、横に並んだり、後ろを任されたり……信頼できる相手になれるように頑張ろう。
「よし……背中側、痕は残っているが、完治と言っても差し支えない。これなら、包帯を付けている意味はないやもしれぬ」
「そっか、前の方も……うん、そんなとこだね。思い切って包帯取っちゃおうかな」
これくらいの傷なら今後の戦闘に差し支えることは無いだろう。狐子の気遣いに感謝だね。
「さて、それではいよいよ体を拭くわけじゃが……まずはマダチを取り除かねばのぅ」
「あっ、そうだった。えーと……はずれろとイメージすれば取れるって言ってたけど……」
とりあえず自分の体を覆っているマダチというイメージから始めよう。これを……とりあえず、右手の中で球になるようにイメージして……。
ずるっ、ずるっと体の表面のマダチが右手の中に納まっていく。
「これで全部かな。どこに置いておこう……」
「まあ、寝台にでもおいておくがよい……さてと、ようやく拭けるな」
「うん、愛紗を演じているときにも言ったけど、背中だけお願い」
「前も下も拭いてやるつもりだったのじゃがなぁ」
「前までだったらセーフだけど、下まで拭くのはまずいから……」
「ふっ、ぬしは反応が分かりやすくて、からかっていて飽きぬのぅ」
ああ、やっぱり遊び心は狐子にもあるようだね。今もちょっとだけど笑ったみたいだし。
でも、僕が求めているのはそれ以上の笑顔。愛紗を演じているときに見せるような純粋で純朴な笑顔。あんなに素敵な笑顔を浮かべることができるのだ。素でも出せるようになってほしい。
「さて、始めるぞ」
「うん。お願い」
お湯で濡らしたタオルを絞り、僕の背中をそっと拭きだす狐子。ああ、温かい……。
「そういえば、狐子。狐子は甘いものは好き?」
「どうしたのじゃ、急に」
「いや、ミルクセーキが飲みたいって言ったのは愛紗を演じていたからなのか、狐子が好きだからなのか、って……ちょっと気になってたんだよね」
「そうか……ぬしはどちらだと思う?」
「え? うーん……歴戦の神様が甘いもの好きだったら、礼尾の言う所で言うギャップ萌えって感じでかわいいんじゃないかな、って思うよ」
「……そうか」
背中を拭かれながら会話をする。
「それで? 結局どっちなのさ。甘いものは好き? 嫌い?」
「う……ど、どちらでもよいではないか」
む、この反応、間違いない。
「とか言って……本当は好きなんでしょ?」
「ぬぅ……まあ、嫌いと言えば嘘になるな」
「ふふ……素直じゃないなぁ、狐子は」
「素直になどなれるか。あんな、甘いものが好きだったらそれはそれでかわいいと思うなどと言われた後で……」
あれ? 狐子って案外……照れ屋なのか?
「照れ屋なところも狐子はかわいいなぁ」
「かわ……っ! 年頃のおのこがあまりそういう事をいうなっ!」
「おぶっ!?」
狐子に背中を叩かれる。かなりの力だった……これ、跡になったりしないよね?
「あ、すまぬ……じゃ、じゃがおぬしも悪いのじゃぞ? 一応は異性であるわしにむかって、かわいい、かわいいと……いくら齢千を数えるわしでも、心にはまだ乙女の部分があるのじゃからな」
「そうなんだ……そう言う所もかわ……なんでもない」
狐なだけに、狐子にはいろんないたずらをされるかもしれないと思っていたけれど、これなら案外やり返すのは楽かもしれない。
「まったく……小夏と比べればはるかにましじゃが、ぬしもまた厄介な奴じゃな」
「ふふ、でも、こういうの嫌いじゃないんじゃない? どちらかというと無表情の事が多い狐子だけど、こう言う事してる時は感情がちゃんと表に出てるっていうか……僕は、こういう時の狐子の方が好きかな」
「だから、好きとかそういう言葉を安易に使うな……まあ、素のわしでもある程度の感情表現をしてほしいというのなら、心がける。これでよいか?」
その言葉の後、タオルが体から離される。背中、終わったのかな?
「うん、そうしてくれるとうれしいな。背中拭いてくれてありがとう。片付けは全身を拭いてから僕がやるから、狐子はお風呂入ってきたらどうかな?」
「? 何を言っておる。まだ体を拭き終えておらぬぞ」
あ、あれ? おかしいな、背中だけって話では?
「前が残っているではないか。それと、下もな!」
「い、いや、狐子!? そこは自分でやるから!」
からかったの、怒ってる!? だからって、こんな手段で返してくることは無いじゃないか!
「しぃ~っかりと拭いてやろう。垢を少しも残さぬようにな……!」
このままだと垢どころか皮膚まで取られそうなんだけど!?
「からかってすいませんでした。今は反省しています」
何のためらいもなく頭を下げる。
「分かればよいのじゃ」
ほっ……よかった……小夏さんだったら何でも喜ぶだろうけど、僕はそんな境地には達していない。痛いのも熱いのもご遠慮願いたいものだ。
「じゃが、実際まだ終わっておらぬぞ。下半身を他人に触れられるのがいやだというのなら拭きはせぬが、下半身の筋力等も見ておきたいからな。その服、脱いでくれぬか」
ズボンを脱いだら僕の着衣はパンツのみになる。うーん……でも、現在の筋力とかを見てもらうには脱がないと、だよな。うう、恥ずかしいけれど……!
「そ、それじゃあ……お願いします……」
清水の舞台から飛び降りる思いでズボンを脱ぐ。
「……ふむ。まあ、こちらも悪くはない。無駄な肉は無く、それなりに引き締まっておる。これなら走るのに困ることはあるまい。まあ、体力もあれば、ならじゃがな」
体力……か。基礎体力付けるためのトレーニングでも始めようか。ジョギング……かな?
「えっと……それじゃあ、拭くからタオルを……」
「うむ。ほれ」
狐子からタオルを受け取り、全身を拭く。うーん……傷はもうないんだから、お風呂入りたいけどなぁ……まあ、入浴ほどではないけれど気持ちいいから良しとしよう。
「いろいろ見てくれてありがとう。問題ないって言われて、少し自信がついた」
「それなら何より。ところで、雄の一番大事な部分は見ずとも良いのか?」
「見せないからね!?」
なぜかこちらを凝視してくる狐子にそう言って服を着る。いくら室内とはいえ、冬は寒いね……。
「くくっ……まったく、わかりやすいのぅ」
うう、狐子をからかいやすいと思ったけど、僕もそれと同じくらいからかいやすいらしい。まあ、いいか。お互いからかいあって、心を許してもらえるようになったら、狐子として、愛紗を演じているときのような満面の笑顔を見せてもらえるようになるかもしれないし…。
でも、どれだけ仲良くなっても狐子はいつか、どこかへ行ってしまう。そう考えると、仲良くなるのが良いのか悪いのかわからなくなってしまう。
絆が強ければ強いほど、別れの時はつらく寂しい。ひょっとして、狐子が素の時は大体の場面無表情で、感情を外にあまり出さないのもそのせい?
「どうした、ぬしよ。暗い顔をして……もしや、人に見せたくないほど貧相なのか?」
「いや、その……何でもないよ」
さっきの考えはたぶん当たっている。でも、別れが来るのだから仲良くならないというのは間違いだ。
死別するのだから両親と仲良くしないのか? クラス替えや卒業があるからクラスメイトと仲良くしないのか? それはおかしいと思う。だから、狐子とも思いっきり仲良くなりたい。別れが、半身を裂かれるような苦痛になるとしてもだ。そこには、再会の喜びもより強くなるという物があるのだから。
「あのさ、狐子」
「なんじゃ?」
「僕たち、仲良くなれるといいね」
「突然なんじゃ……まあ、戦場で芽生える友情はある。戦友という言葉があるようにな。とりあえず、適度な付き合いをしようではないか。改めて、よろしく」
そう言って手をこちらに伸ばす狐子。
「うん、よろしく」
僕はその手を取り、痛くない程度にしっかりと握る。
「さて、それではわしは風呂に入るとするかの」
「うん、行ってらっしゃい。あ、これも片付けないと」
タオルと桶を持つ。
「ならば、共に下に行くという事になるな。チャット? とやらも済んだのなら、ご両親と歓談すると良い。衛二殿も帰ってきていたからの……いつこの日常が壊れるかもわからぬ。故に……今のうちに日常を楽しんでおくとよい」
そうだな……本田たちがいつ襲ってくるかわからないんだ。今のうちに日々を楽しむというのも大切なのかもしれない。
「もしも、奴らがここに来たら……僕はどうすればいいんだろう」
「……そうじゃな。ご両親を守ってやると良い。そのためには、武器が必要じゃろう? マダチを忘れず持ち歩くことじゃ」
ベッドの上を指さして言う狐子。あ、そういえばマダチをまとい忘れていた……。
「さて、体にまとうには……やっぱりイメージかな?」
手に持った球状のマダチが僕の全身を覆っていくところをイメージする。すると、グネグネとマダチが動き出し、少しずつ僕の体を覆っていった。
「これでよし、と」
「うむ。では行くか」
狐子と二人で自室を後にし、階段を下る。
「おふろに入るついでなので、おけとかはわたしが片づけておきますです!」
父さんたちに聞こえることを警戒してか、愛紗を演じて言う狐子。うーん……まあ、まかせてしまおうか。
「それじゃあ、よろしく」
「はいです!」
狐子に桶を手渡し、リビングへと向かう。
「おかえり、父さん」
「おお、慎一。ただいま」
リビングには、父さんと母さんが一緒にテレビを見ているという、いつも通りの風景があった。なんとなくだけど、この当たり前の風景がどれだけ大切なものなのかを感じる。そして、その陰には狐子や小夏さんといった神様の活躍があることも感じる。
「愛紗に体を拭いてもらっていたそうだね。幸衛から聞いたよ」
「うふふ~、美少女におのが裸体を見せた感想はどうかしら~?」
「そんな変な意味にとられかねない言い方はやめてよ……」
苦笑しながら僕もソファーに座る。テレビではお笑い芸人が持ちネタを披露している。ただ、この人は一発芸が主だから近いうちに消えるだろうなぁ……。
「まあ、背中は自分だと拭きづらいからね。助かったよ」
「それはよかった。で、感想は?」
「父さんまで母さんのネタに乗らないでよ……まあ、気持ちよかったよ」
「それは艶やかな意味で~?」
「普通の意味で。変なこと、やましいこと、いやらしいことは一切やってないから」
本当に、母さんは何が言いたいのだろう。こんな人じゃなかったはずなんだけどな……。
でも、これが僕の日常だと思うと、案外悪くないと思える。こんな日々を、大切にしていこう。非日常に足を踏み入れた今では、心からそう思えた。
「あんまり変な事ばかり言うと、僕だって怒るからね?」
「あらあら、怖いわ~。怒らせないようにしなくっちゃ~」
「……慎一が怒りかけているのは幸衛の冗談のせいだと思うけれどね」
「そうね~。でも、こういう冗談でガス抜きしないと、そのうち破裂してしまうわ~。特に、今はね……しんちゃんにとって、妹という存在は紫織の事を思い出させるんじゃないかしら~? それは、あの時の事を思い出させるんじゃないかしら~?」
あの時。母さんが言っているのは、紫織がはねられた時の事だろう。たしかに、目の前ではねとばされたのだ。今だって、詳細に思い出そうとすれば激しい動悸に襲われるだろう。
でも。
「大丈夫だよ。愛紗と紫織は別人。紫織の事を忘れることは一生できないし、しないだろうけれど、愛紗を見て紫織の事を思い出したりしない。そんなことしたら、愛紗がかわいそうだからね」
これは、愛紗としての狐子しか知らなかったとしても最後には思ったであろうことだ。
「そう……強くなったわね、しんちゃん。そういえば、最近は家の中で突然薬を飲むなんてこともなくなっていたわね……」
「慎一も、いつまでもあそこで立ち止まっているほど弱くないという事だよ」
「まあ、ね。それに、紫織がいつまでも悲しんでいる僕の事を見ていたらこう言いそうだし。兄さん、いつまでも悲しんでいないでください。そんなことされても迷惑です、って」
紫織はいつだって、兄の僕よりしっかりしていた。きっとこう言ったことだろう。
そういえば、狐子が肉の器から放たれた霊体は~とか言っていたっけ。だとすると、実際に紫織に見られているかもしれないな。もうとっくに輪廻転生しているかもしれないけれど。
まあ、紫織に次に会う事があるとしたら、胸を張って出会えるように、狐子を守っていこう。それぐらいなら、きっと僕にだってできるはず。
「はは、紫織なら、そう言ってもおかしくないかもしれないね。それで、そんな暇があったら愛紗ちゃんを守ってあげてください、とか言って……」
「あー……ありそう。すごくありそう。うん、絶対言う」
そんな感じで父さんたちと談笑し、しばらく時を過ごす。
その時間は本当に平和で、ちょっと前に見た風景が嘘のように感じるほど日常の物だった。
「おふろ、先に入らせてもらいましたです。えーじさん、ゆきえさん、ありがとうございますです」
でも、その嘘のような風景も現実のものなのだ。扉を開けたところに立っている、狐耳と尻尾を生やした神様がその証明だ。
「ふわぁ……眠たくなってきました……」
そう言う狐子と目が合う。そして、その目が楽しげに、おかしげに。そしていたずら心満載にゆがむところを確かに見た……と、思う。
「きょうはおにーちゃんと一緒にねたいです……」
そう言いながら僕に抱き付いてくる狐子。やっぱりか。そういう事なのか。
「えっと……それは、一緒の部屋で、ってことだよね?」
精いっぱい逃げようとする。愛紗としての狐子しか知られていないから、子供らしい発言だと父さんたちはほほえましげに眺めている様子。違うんだ、本当はずっと年上の女性で……僕がちょっと異性として認識していることも理解したうえでこういう発言をする人なんだ。いや、神様だけど。
「ちがいます……一緒のおふとんでがいいです……」
「で、でも僕のベッド、シングルだから二人で寝るには狭いと思うよ?」
「だいじょーぶです……こーやって、思いっきりくっついてれば、せまくないです……」
そう言ってより一層強く抱き付いてくる狐子。
「で、でも……!」
「いいじゃないか、慎一。なにも年頃の男女じゃあるまいし、そんな恥ずかしがらなくても」
う。
「そうよ~。かわいい妹の言う事だもの、聞いてあげたらどうかしら~?」
うう……! 逃げ道が……! 退路がふさがれていく……!
「それじゃあ、決まりです……きょうはおにーちゃんのおふとんで……んぅ……」
そういうと、僕の足元で寝転がる狐子。眠気に負けて眠った……という事にしたいらしい。
「はは……ほら、慎一。かわいい妹を布団まで連れていってやるといい」
「いくらかわいいからって、襲っちゃだめよ~?」
だめだ……前門の虎、後門の狼……いやだと言える逃げ道が存在しない……!
「……お姫様を守るナイトの気分で一緒に眠るよ」
僕に狐子と共に眠る以外の選択肢が残されているだろうか? はぁ……小夏さんに次に会ったら何されるかわからないな……。
若干憂鬱になりながら狐子を抱きかかえる。その体は、地上三階まで飛び上るほどの力があるとはとても思えないほど軽かった。
なんだ……外見相応のところもあるんじゃないか。思わずそう感じてしまう。これで内面も子どもだったら、いろいろ意識しないですむんだけどな……。
そっと扉を開ける母さん。いろいろ気を使ってくれるのはありがたい。階段を上がり、自室に入りベッドの上に狐子を横たわらせる。
「……ふぅ」
いくら軽いとはいえ、人間一人分の体重を抱えていた(というより精神的疲労が主だろうけど)せいか、少しため息が漏れる。
「すぅ……すぅ……」
「……あれ? 狐子? もう僕の部屋まで来たから愛紗の演技は……」
寝息を漏らしている狐子を軽くゆすって声をかける。
「うぅ……くぅ……」
その手を払われ、狐子が本当に寝ているらしいことに気付く。
「……無防備な寝顔しちゃって……さっきあんな戦いを見せたのと同一人物とは思えないな」
そっと頬をつつく。
「むぅ……」
うっとおしげに僕の手を払う狐子。でも、眠るのも当然か。かなりの霊力? を使ったようだし、希薄化とやらから回復しても疲労は残っているのかもしれない。
「そんなに疲れているんだったら、僕をからかわなくたっていいのに…」
苦笑しながら呟く。さて、僕も歯を磨いて、パジャマに着替えて……眠る準備をしようかな。まずはここから出なくてもできる着替えを、っと……タンスからパジャマを取り出し、服を脱ぐ。
「……背中だけ見ても、美形は美形じゃな」
その直後聞こえた声に思わず振り向く。
「え、狐子!? 寝てたはずじゃ……!?」
「少しな……すまぬ、いらぬ世話をかけた」
起き上がりながらそう口にする狐子。
「別にいいよ。というか、僕にいたずらしようと思って一緒の布団で、なんて言い出したんでしょ? だったら、最初からこうなることは想定内じゃないか」
「そうなのじゃが……やはり、眠ってしまうと妙に意識してしまうな。それと、何もいたずら心のみで言い出したのではないぞ」
……? いたずら心だけでないのか……とりあえず、いたずら心もあることを認めていることだけは見逃さない。
「彼奴等如きの力ではぬしのご両親に手を出せぬ。その如きに全力を出しても勝てぬ今の自分が恨めしいがな……故に、心配なのは、ぬしじゃ。今のぬしはわしの式神となったことでこちら側の住人になっておる。つまり、ぬしのご両親と違い傷付けられ、殺される可能性がある。それに、本田とやらに対する私怨がある。わしが助けに入る前に暴走して死なれては、わしが全力を出せたとしても助けられん……それに、ユキちゃんとやらの為にもならぬ」
なるほど。要するに僕が暴走したりしないように監視し、奇襲を受けた時に一刻も早く僕を助けに入るため。そして、ユキちゃんを元に戻すため僕を生かしておきたいという事か。
「まあ、そういうわけじゃ。わしは万が一に備えて寝ずの番をしておくゆえ、主はしっかり身を休めると良い」
「え? 寝ずの番? だめだよ! 狐子だって疲れているはずなのに……」
「心配せずとも良い。わしらは肉体を伴わぬ。それ故に、肉体疲労が取れるまで睡眠をとる必要性はないのじゃ。それに、精神面で必要な睡眠は今しがたとらせてもらったからな。これ以上眠ってはわしの母上に怠惰と叱られてしまうわい」
眠ったって……せいぜい二~三分じゃないか。目を閉じて横になっただけで思わず眠ってしまうほど疲れていたのに、その程度で足りるわけが無い。どう考えたって無理をしている。
「分かった……でも、僕は結構夜遅くまで起きているからね。その時まで狐子が起きている必要はない。だから、僕が起きている間は寝てていいよ。僕が寝る時にはちゃんと起こすから」
できる限りどうという事はないという感じで口にする。
「……やれやれ。一般人に気を使われるとは、わしも弱り切った物じゃ」
「別に気を使ってなんかないよ。事実を述べただけで……」
「わしは土地神ではないが、ぬしの考えることぐらいならわかる。ぬしがとても優しいことも、な」
そう言って微笑む狐子。その微笑みは見とれてしまいそうなほどかわいらしいものだった。
「どうも、お互い嘘は得意じゃないのかもしれないね」
なんとなく気恥ずかしいから、そう言ってごまかす。
「そうじゃな。とは言え、わしも狐の端くれ。ぬしよりはうまいと思うがのぅ?」
「う。それはたしかに、狐子の言っていることが嘘だと思ったのは状況証拠で、確実に嘘だと思うようなしぐさとかは無かったけど……でも、ちょっと横になっただけで寝ちゃうくらい疲れているのに睡眠は十分だー、なんて下手な嘘にもほどがあると思うなー」
「何を……ぬしの方こそ、喋っている間目が躍りっぱなしじゃったぞ? どこぞの舞踏会よりも踊っていたのではないか?」
「え!? 嘘!?」
「嘘じゃ。じゃが、確認してしまうという事は何か表に出てしまっているかもしれないという自覚はあるようじゃなぁ? んん?」
「う……! そ、そういうのずるいと思うな……!」
「単純なひっかけじゃ。かかるほうが悪い」
そんなふうに、互いの嘘のつき方がどれだけ下手だったかを言い合う。それはお互い笑いながらしばらく続いた。
「ふふ……こういうのも悪くないのぅ。幼き頃を思い出す」
「あはは。やっぱり、小夏さんとじゃれあってたの?」
「そうじゃな……わしが妖狐になって、少し経ってから、あやつが来たんじゃったな。うむ、それからはよく遊んでいた気がする。まあ、今のようになってからは少しばかり避けるようになったが……うーむ……さすがに千年も前の事になるとうろ覚えじゃな」
顎に手を当てながら語る狐子。でも、その表情は決していやそうなものではなく、むしろ好感を持っている相手を語る時のように感じた。
「狐子は小夏さんの事、嫌ってはいないんだね」
「む……まあ、そうじゃな。あれはあれで好いてくれていることを表現しているわけじゃから、十割嫌っているわけではない。九割九分九厘嫌っているやもしれぬがな」
「その九割九分九厘って表現、小夏さんも使ってたね。ひょっとして、狐子発祥?」
「言われてみれば……そうじゃな。わしをまねておるのか? あやつ」
そう言って首をかしげる狐子。まあ、そうだろうね。好きな人の真似をして、少しでも近づきたいという思いは理解できる。でも、あの人の場合、狐子との同一化に価値を見出すとは思えないのだけど……たぶん、狐子という存在を愛でることがあの人の生きがいだし。
「そういえば、寝なくて大丈夫? 僕が話を長引かせちゃった気がするけど」
「心配するな。本当に寝ないとまずいと思ったら話を途中で切ってでも寝ている」
「そっか。でもまあ、かなり疲れてるだろうし……ゆっくり寝てよ。僕は歯を磨いてくるからさ」
「うむ。では言葉に甘えさせてもらおう。それと、いくらわしを休ませたいからと言って徹夜するような馬鹿な真似はするでないぞ?」
「大丈夫だよ。僕だって無理はしたくないもん。狐子がそれなりに休めたと思ったら起こすよ」
「すまぬな……」
「いいのいいの。休むのもまた勇気って言うでしょ?」
それだけ言って部屋を立ち去る。さて、歯磨きセットは洗面所にまとめてあるから、お風呂場の方へ行かなくては。
階段を下り、洗面所に入る。自分の歯ブラシを小さな籠の中から取り出し、水で濡らしてから歯磨き粉をつける。籠の中に小さなピンクの歯ブラシが増えているのを見て、なんとなくほほえましい気分になる。ああ、愛紗としてなじんでるなぁ……。
歯を磨き、口をすすぐ。さて、自分の部屋に戻って、狐子が十分な休養を取れるまで何をしようかな……パソコンでチャットでもするか? そう考えながら階段を上っていく。
さて、扉を開け――
『まったく……あやつはあやつなりにわしを女とみてくれているのはいいが……さすがにここまでは考えておらぬか』
――ない。なんだろう、狐子に何かまずいことをしてしまっただろうか?
『この部屋は……雄の匂いが強すぎる……こんなところに長居をしたら……』
……なんか、この扉をあけてはいけない気がしてきた。というか、近くに居てはいけない気すらする。だ、だって、なんていうか、狐子の声が……とろけてるっていうか……。




