第三部
「フィーズ、早く食べちゃいなさい」
「分かってるよ」
うんざりした気分で彼は母親に答えて、パンにかじりついた。隣で急かす母は手に黒い衣装を持って、嫌な感じにプレッシャーをかけてくる。
「お祭りはあんた達が中心になってやらなきゃならないんだから。たかが準備でもちゃんとしていかないと」
「分かってるよ」
全く同じセリフを吐く。
今夜から、この村では年に一度の祭りの準備を始めるのだ。
『黒神様の祭り』。そう呼ばれるこの行事は、夏に入る直前にその年十三歳を迎える少年が重要な役割を担う。なぜ十三歳なのか、理由は知らない。
フィーズが知っているのは、この祭が昔この村を救って死んだ英雄を称えるという起源を持つということだけだ。なんでも体中に黒い斑点が現れて死んでしまうという疫病が村中に蔓延していたらしい。病の原因である悪霊を、彼は全て自分ひとりの身体に引き受けて封じ込めた。全身を真っ黒に染めて、彼は絶命した。
教会の裏山、その山頂に彼を称える文言を刻んだ石碑がある。
黒一色に塗られたその墓碑。『黒き神』が、村に加護をもたらしてくれるという。
子供にとっては、いや、大人にとってもそれはただの御伽噺だった。
フィーズが村の教会に到着すると、そこには既にほぼ毎日学校などでよく顔を突き合わせている連中がいた。クルトの姿もある。フィーズと目が合うと手を振って、
「お、来た来た。こっちだ」
「おー」
手を振り返し、その隣に腰を下ろす。
二人のほかには三人の少年が、めいめい椅子に腰を下ろして祭の取り仕切り役である村の代表や神父を待っていた。計五人。今年の人数は多いほうだ。この村はさほど大きくないため、毎年十三を迎える少年がちゃんといるわけでもない。いつもは一人か二人、悪ければ一人もいないこともあったらしい。そのときどうしたか、フィーズには分からないが。
少年達は皆、真っ黒な衣装に身を包んでいた。袖の長い、分厚い生地の祭衣装だ。初夏のこの時期に着るには少々暑い。
「毎年毎年、よくやるよな」
「ああ。でもなんか、大人になるって感じがするかも」
「そうか?」
頬をかきながら言うフィーズに、クルトは顔をしかめた。
「これだけいれば、黒神様の役は他の奴がやってくれそうだな。よかったよかった」
「あ、きたねーぞ。自分だけ逃げる気だ。ダメだぞ? じゃんけんな」
「んー」
重要な役割。それは黒神様へ感謝を捧げる神事を執り行う際に、黒神様の役を演じることである。山にある『黒の墓碑』から教会に下り、村民から供物と感謝の言葉を受け、そのかわりに人々の頭を軽く叩いて病の素を『吸い取って』回る。そして石碑へと帰っていくのだ。
そのあとは田舎の祭の例に漏れず、飲んだり食ったりの大騒ぎになるわけだ。
「めんどくさいのは確かだけどな」
「言えてる」
正直な話、子供たち当人にとってそんな役は面倒以外の何でもないのだ。役に選ばれなかった子供たちには黒神様のお付きという副次的な役割が与えられるが、せいぜい神事の手伝いぐらいでやることはほとんどない。
「あー、なくなっちゃってもいいよな、あんな行事」
「ほんとほんと。後の宴会だけやればいいんだよ」
それから二人はばっ、と周囲を見回して、口うるさい教師や神父がいないことを確認した。顔を見合わせてくく、と小さく笑う。
そのとき、教会の扉が開いて生ぬるい風が入り込んできた。フィーズは振り返る。
「あ……」
六人目の、黒衣の少年が静かに入ってきて、隅の席に座った。
(そういえば、あいつもか)
横目に彼の姿を見ながら、フィーズは思い出していた。
「ルクの奴も同い年だったっけか」
クルトが言う。ああ、と頷いて、顔をクルトのほうに戻した。すると彼は、なにか良いことでも思いついたように口の端を吊り上げる。
「なあ」
「ん?」
「あいつに押し付けてやろうぜ、黒神様の役」
「あいつに?」
「普段なんにもしゃべらないやつだから、そんなことになったらどんな反応するか面白そうじゃないか?」
いたずら小僧の笑み。フィーズも笑顔を返す。
「……おもしろいかも」
本気で、そう思った。