その身、紅蓮の炎に包まれて
月の明かりを一片の雲が遮る。
揺れるかがり火の光が、眼光鋭い男たちの顔を照らし出していた。
青銅の剣を手に、戦士たちの前で長が開戦の檄を飛ばし、戦士たちは一斉に駆け出す。
月明かりの届かない闇夜の中、藪の生い茂る斜面を駆け下り、木々の間を駆け抜け、川の水を蹴散らして、山の中を暫く行軍すると、人の気配と共に焚き火の光が木々の間から漏れていた。
「しばらく待て、様子を見る。」
俺は、殺気立っている二人の部下を制し、藪の中に身を屈めてゆっくりと目標の集落に近づいていった。
笹の葉の隙間から覗き見た向こう側には、焚き火の光に照らされて笑顔で言葉を交わす少女と二人の子供の姿が見える。
「油断しているな…」
呟いた声は震えていた。
後ろ手に持った青銅の剣を力一杯握り締め、心臓は締め付けられたように苦しく鼓動を繰り返していた。
「行きましょう。」
後ろに控えた部下の一人が俺の心情を察したのか、控えめに言った。
一呼吸の間をおいて、俺と部下の二人が力一杯に頷く。
「イヤーーーーー!!!」
悪魔に締め付けられる心を黙殺して、人の良心から逃げ出すように、俺は焚き火のそばで戯れる三人の子供に向かい剣を振り上げた。
とっさに逃げ出す三人を追いかけ、焚き火の火を蹴り上げる。
「かがり火じゃ、暗くはあるまい!!」
蹴り飛ばされた火は、木と藁で作られた集落の家々を焼き焦がして、集落は狂気の炎に包まれた。
喉が潰れるほど泣きじゃくりながら逃げ惑う三人の子供を、背中から袈裟切りにし、首を切り裂き、喉を突き殺した。
黙殺していた良心は骸となった三人の魂と共に彼方に消え果て、狂気に身を任して俺は、あちらこちらで剣の交わる甲高い音と天を突き刺すような最期の絶叫が聞こえて来る炎に包まれた集落に駆け出した。
無防備の夜に急襲して来た戦人に集落の男たちもようやく応戦を始めて、いたる所で弓矢が飛び交い死闘が繰り広げられていた。
俺もその狂気と混沌の中に身を投じ、立ち向かって来る者、逃げ惑う者、他の者と剣を交えている者、力のない女子供を次々と切り殺していった。
俺が最初に三人の子供を切り殺して、半刻のうちには集落に抵抗するものはほとんどいなくなっていた。
おれは、まだ物陰に隠れているかもしれない生き残りを探していると、ふと、炎に包まれた神殿が目に入った。
神殿の前には返り血に汚れた味方が遠巻きに神殿を取り囲んでいた。
「最後の生き残りが立篭っております。」
俺は、弓矢を構えた戦人を手で制し、慎重に神殿に歩を進めた。
何が起こっても不思議でない張り詰めた空気の中、気を張り詰めてゆっくりと神殿の扉に手をかけて、その中へ入っていった。
何の音さえ耳に入らないほど緊迫した俺の目に、多くの子供とそれを庇う様に立ち塞がる一人の女性が映った。
燃え盛る炎を背に女性は、この世のものとは思えないほどの美貌で俺を睨みつけていた。
その身を焦がす炎が照らす吸い込まれるほどに白い肌、揺らめく光に映し出される漆黒の髪、その命が絶えることにさえ動じない瞳。
妖美と云う言葉が相応しい女性の姿に恐怖を感じた。
傾国の美女、いや、それ以上のヒトではないモノ。
この女性は殺さなければならない。
そう直感した。
その一瞬、わずかに目の前の女性に気を取られた刹那、目の前に黒い影が走る。
瞬時に身を引いたおれの足に鮮血が滴り落ちる。
「覚悟!!」
体勢を崩した俺に、集落の長が力一杯に剣を振り下ろす。
ガキィン
俺はとっさに振り下ろされる剣を手にもった青銅の剣で受け止めるも、青銅の剣は聞いた事もない様な音を立てて真っ二つに折られた。
黒鉄の剣。
初めて見るその剣は噂に違わぬ強さで、青銅の剣を折って尚刃こぼれ一つしてなかった。
殺される。
間髪をいれず続く長の斬撃をかわしつつ、それでも俺は確実に追い詰められていた。
背に壁がついた。
もう逃げ切れない。
剣を振りかぶった長の向こう側の神棚に、長と同じ黒鉄の剣が目に映った。
長が振り下ろすのが早いか、俺は手に握り締めていた折れた青銅の剣の柄を長に投げつけると、かずかに怯んだ長の足元を転げ抜ける。
炎に包まれ崩れ落ちる柱をくぐり、恐怖に怯える子供たちを蹴飛ばし、神棚への階段を駆け上がり、奉納されていた黒鉄の剣に手を掛ける。
長が階段を駆け追ってくる、
俺は身を翻す、
長の剣は目の前にある俺の足元めがけて薙ぎ振るわれ、
俺は即座に階段を飛び降りそれをかわした。
そして、俺は地に足がつくや否やその身を捩り、後ろの長の背中を横一文字に切り裂いた。
剣を振り上げ後ろに振り返った長は、力を失いそのまま階段を転げ落ちた。
長が果てたのを見届け、俺は目前にいたあの女性と目を合わした。
女性は血の滴り落ちる剣にも、変わり果てた長の姿にも、崩れ落ち行く神殿にも、心を乱さずに冷たい目で俺を見据えていた。
「…」
整った唇が動いた。
その声は、動揺の色もなく艶やかに詩を詠んでいる様でもあった。
俺は、その女性と、もう一度視線を合わせると、背を向け神殿から出て行った。
「この神殿は燃えるに任せろ!中から逃げてきた者は射殺せ!!」
俺の号令に戦人は一斉に弓を構える。
神殿は業火と轟音と共に崩れ落ちていくが、中からは誰一人出ては来なかった。
まだ燃え止まぬ炎が夜空を紅蓮に染め上げていた。
俺は、戦勝の宴の輪に入らず、一人紅の空を眺めていた。
あの女性の最後の言葉は何であったか。
罪の無い者の血で染まった俺への罵りの言葉であったか。
愛する者を奪った俺への恨みの言葉であったか。
確かに俺の耳へと届いたその言葉を俺は思い出すことができない。
しかし、その言葉は罵りや恨みの言葉ではなかったと思う。
哀れみの言葉。
人の持つ良心を押し殺し鬼に成り下がった俺への哀れみ。
罪無き人を殺め、生き残っていく俺への哀れみ。
或いは全く違うものかも知れない。
俺は、村を抜け、空を紅蓮に燃やし続ける集落に足を向けていた。
月の無い夜、鼻の先さえ闇に包まれているはずの夜道は、紅蓮に染まる空の光を浴びて血のように紅く染まっていた。
一人、村から離れ無心に立ち尽くしていた俺に、山の中から一人の女性が近づいてきた。
体中をススで汚し、服の端々を血で染めたその姿に、俺は恐怖を覚え剣に手をやった。
「敵討ちのつもりか!近づくな!」
それでも、女性は死を恐れない様子で俺に近づき、最後の力で俺に告げた。
「あの子達をお願いします…。」
力尽き果て、その場に崩れ落ちた女性に年端もいかない子供二人が駆け寄っていく。
懇願するように俺の瞳を覗き込む女性は、俺が剣を収めたのを見て安らかに目を閉じた。
二人の子供は己の親の血に染まった俺を、神殿にいた女性そっくりの強い意思の瞳で睨みつけていた。
俺は、この子らの親の血で染まった手で、二人の子供の手を引いて村へと連れて行った。
あの女性の言葉の答えはその先にあるように思えた。