第〇二話 少年と友人
それからというもの、崇次は実習の授業があるたび、鞠奈へ挑んでいった。だからといって研究者志望のための本分である勉強もおろそかにせず、真面目に取り込んでいて、そのおかげか、崇次の評判は教師からは良い。それが成績につながっているかというと、話はまた別になるが。
「今日は負けないからな」
実習の授業で、崇次はまたも鞠奈と試合をすることにした。
「またやるの? いいけど、あきらめた方がいいよ」
「いいや、やってやる」
鞠奈の声にも耳を貸さず勢い込んだ崇次だったが、開幕は先日と同じように、バトンでの近接攻撃を防いだ瞬間、敗北の危機にさらされた。鞠奈は先日と同じように、どうせこうなると分かっていたという表情で、風の魔法を放つ。
「プログラム、ラン、〔突風〕!」
崇次はそれを自分の身体に放った風で、目の前で吹き荒れる〔微風〕から逃げた。
二人の距離は始まった当初と同じ程度に広がり、崇次にとっては対処しやすい間合いになる。
「へぇ。一応、がんばってるんだ」
軽い感嘆を覚えながら、鞠奈は手元のツールをもてあそんだ。
「当たり前だ。同じ負け方なんてしたくはない」
「それ、けっこう簡単にできそうだね。えーっと、こうか」
宙に跳んだ瞬間、鞠奈は〔微風〕を使い、自分を推す加速力を得た。
崇次は、従来使えた風の魔法では出力が足らなかったからこそ、新作の魔法を作った。だが、使い方さえ分かってしまえば、彼女にその心配はない。
崇次が差を縮めようとした結果、彼女との差はさらに開いていた。
「真似するなよ!」
「いやだ。新しい使い方を教えてくれて、ありがと」
突進してくる鞠奈に向かい、崇次は〔突風〕を放ってその速度を抑えようとした。しかし哀しいかな、術者の性能が段違いなのだから、出力の差も歴然である。
崇次はまたも接近され〔微風〕で転がされる結果となった。
「今日はなかなか面白かったよ。でもやっぱり、無茶だと思うな」
「けほっげほっ。うるさい。まだこれからだ」
「あー、はいはい。君は元気だね」
鞠奈がどこかへ行ったあと、崇次はようやく立ち上がった。身体を叩いて砂ぼこりを出し、むせるように咳き込んだ。そこに肩をポンとたたいて、健が声をかける。
「お前、バカじゃないの。敵うわけないじゃねえか」
「敵うとかじゃない。俺の意地だ」
「意地だ。じゃないだろう。どう考えても無理だ無理」
「やれるよ。前回より進歩したろ。これを繰り返せばなんとかなる」
「お前とじゃ歩幅が違うんだよ。あいつの一歩はお前の十歩以上ある」
口を尖らせて否定する崇次に、健は地面に足跡をつけながら言った。
「そのぐらいはわかる。だからあいつより速く進む方法を探してるんだろう」
「バカは死ななきゃ治らないってのは本当だな。もういい、膝は治してもらっとけよ」
そう言い残し、呆れた健は自分が組んでいる相手の方へ歩いて行った。崇次が自分の膝を見ると、すり傷で赤くにじんでいる。ぽたりと血が垂れて、ようやく自分が怪我をしていることに気付く。
「見ると、痛いもんだな」
歩くことには不便を感じないまでも、痛みというのは歓迎すべきことではない。
崇次は教員へ近寄って声をかけ、ひざの治療に了承をもらって校舎へ入り、一足早く授業を終えた。
それから、崇次の身体には生傷が絶えないのが日常になっていった。
傷が増えるのと同じように、崇次は授業に対する真剣さを増していった。座学は実際に魔法を使うための準備であり、また使う魔法を作成するための手段でもある。
そのため、崇次はどの授業も無駄にはできないと感じるようになっていた。
傷まみれの学校生活が始まって一週間、二週間が過ぎ、三週間目にさしかかろうかという頃である。めきめきと実力を上げていく崇次は、頭脳系の授業では優秀と言っても良いぐらいになっている。しかし、実習の授業では、元々のベースと資質が低いためか、成長してようやく十人並みの魔術士になった程度に過ぎない。
ある日の朝、崇次は放課後、教室に残るよう言われた。それにうなずいて来てみると、中には健、有紗と、そしてかつて校舎前で出会った黒髪の少女が居た。彼女は魔法使い・匝瑳鞠奈を抜いて、クラスでトップレベルの成績を誇る。
名を信楽黒理と言い、整った容姿も相まって、男女両方から人気がある。
「さて。有紗嬢と黒理嬢を招きまして、会議を始めたいと思います」
教壇に立って気取りながら、健は生徒用の椅子に座る三人を見渡した。
「さっさと本題に入りましょう」
黒理がばっさりと切り進行をうながした。健はうなずいて話し始める。
「議題は、このバカの暴走をどうやったら止められるか。オレは止めたい派ね」
黒理が手を上げた。
「お、どうぞ」
「私も同意見。このままじゃ間違いなく死ぬから、今のうちに諦めなさい」
「いや、死ぬつもりはないんだけど」
崇次を無視して、健は手を上げた有紗に話すよう進める。
「はーい、あたしも同じ。西園くんはちょっと、無謀すぎるよ」
有紗までが言うと、崇次もさすがに言葉をなくした。三人はこんこんと説教を交えて、崇次に魔法使いというものがどれだけの存在かと言うことをわかるように説明する。
時計の長針が半回転もしたころになり、ようやく崇次は魔法使いというのが、どれだけすさまじいものかを飲み込んだ。
「なるほど。端から見ればそう見えるわけか。クロアリ対インドゾウみたいなものだな」
「そういうこと。ようやくわかったか。お前がしてたのは、ほぼ自殺に近いんだよ」
崇次はうなずいてから、あごに手を当てて思案する。三人はようやく安堵し、胸なで下ろした。
「俺がどれだけバカかってことはわかった」
「よしよし、素直でよろしい」
有紗が冗談めかして、頭を撫でてやる。場の雰囲気もこれで一件落着かという風になったかと思われた。それを、
「でも、俺は匝瑳との試合を止めないけどな」
空気を切り裂いて言った。
さすがに呆れた顔が並ぶ。しばらく間が空いて、
「おいおい。脳みそとけてるのか。それとも極度のマゾヒストかよ」
「西園くんがもっと強くなりたいってのはいい。でもそれは無理だよ」
「そもそも脳みそが無いんじゃないの、貴方」
さすがにここまでのバカだとは思わなかったのか、三人はさんざんに言った。
そう言われるのも当然だという風に、崇次はうなずいた。それでも言葉を続ける。
「たしかに危険は多いだろうな。下手したら大怪我だ」
「わかってるじゃない。だったらどうして続けようと思うの?」
不可解だという風に、黒理が聞く。
「魔法使いが相手だからだ」
「ええと。それはつまり、どういうこと?」
有紗が聞くと、何かを言おうとして崇次は思いとどまる。
「待ってくれ。気持ちは出てるけど、言葉に出来てない。整理する」
崇次はかばんからノート型のターミナルを取り出し、思考を打ち込んで片付けていく。五分ほどで結論が出たのか、閉じてかばんに戻し、話し出す。
「俺は技術が好きだ。治せない病気を治せるようにしたり、不可能が可能になる、人類の進歩の証だ。でも魔法使いみたいな才能の塊は、技術を使うまでもないぐらい強かったり、便利だったりする。たぶん、そこに反発してるんだ。だからきっと、突っかかるんだと思う。匝瑳には八つ当たりみたいで申し訳ないと思うけど」
崇次の考えを聞き、健は有紗と黒理を集め、顔を寄せ合って三人だけで話し合いだした。
そのあいだ崇次は所在無さげに、教室のあちらこちらを眺めたりしていた。
五分ほどで話し合いは終わり、健が代表して崇次の前までくると、いったん落ち着いて咳払いをした。そして意を決したように、諦めたように告げる。
「非常に遺憾だが、われわれは、お前が匝瑳鞠奈と戦っても死なないように、知恵を貸すということになった」
「それはありがたい。けど、意外だな。反対してたろ」
崇次は今の気持ちを素直に言った。対して健はかなり不承不承という表情で、
「バカは死ななきゃ治らないっていうけど、死んだらさすがに生き返らないだろう」
「そりゃそうだ」
崇次がうなずく。
「オレたちとしては、さすがにクラスメイトに死者を出したくはない」
「だから、とりあえず西園くんが、大怪我しないようにしようということになりました」
健の言葉を継ぎ、有紗がそういう結論に至ったことを話した。
「なるほど。それはありがたい。特に信楽と天馬のアドバイスは貴重だ」
「オレ様を忘れてるんじゃねえよ。ったく。ま、詳しいことは夜にメールでな」
これでようやく、健、有紗、黒理は、安堵までは行かないものの、クラスメイトの一人を見殺しにしているような気分から解放されるだろうと、胸なで下ろす。
「じゃ、今日は帰ろうぜ。腹減っちまったよ」
「さんせー。あたしもぺこぺこ」
「それじゃ、帰りましょう。遅くなっちゃったじゃない」
「えーと、俺のためにありがとう。今後、ご迷惑おかけします」
教室から覗ける窓の向こうは、すでに空が赤々と燃えている。太陽の代わりに月が輝きだして、青暗い幕を引き連れてきた。
四人は昇降口で靴に履き替え、それぞれの家路に就く。彼らが玄関をくぐる頃には、夜の帳が降りていた。