第〇一話 少年と魔法使い
その日、西園崇次は昂ぶっていた。義務教育を脱し、ようやく念願であったあこがれの学校に入学することができるからだ。
彼の目には、なんということのない景色でさえ、輝いて見えていた。季節は春、桜がうつくしく咲きほこり、雲の一片もない空は祝福しているかのよう。
あたらしい制服に気恥ずかしさと喜びを覚えながら、少年は門をくぐろうとしていた。瞬間、突き飛ばされ、倒れそうになる。
「っと、誰だ?」
片足で倒れないようにバランスを取り、ようやく落ち着き、突き飛ばした奴の顔を見ようと、崇次は振り向く。
「ごめん。走ってたら止まりきれなくって!」
そこには同年代の少女が居た。あまりにも整った顔立ちは、少年の心を許すのに十分過ぎる。成長を考えてか真新しい制服が少し大きめで、着られているような印象を受けた。
「気をつけろよ」
「うん。悪かった。じゃあね、君!」
そう言うと少女は走って去って行く。崇次が眺めていると、彼女はまた誰かにぶつかり謝っていた。
「分かってないじゃないか」
呆れたようにため息を吐き、自分も入学式会場へ向かって歩き出す。
四月の風が花びらとともに、生徒たちの髪を撫でた。
大きな問題もなく、入学式は平常に終わった。校長の話が長いのはどこも同じで、あくびを噛み殺す新入生も珍しくない。
だが、崇次は自分が本当にこの学校に入れたのだという感動で、目に涙さえ浮かべた。幼い頃からの憧れなのだから無理もないだろう。
国立魔法学校日本分校。
世界に数多ある魔法学校の一つで、魔法を専門として教えている。
二〇〇〇年の二月十九日、世界は魔法に飲み込まれた。
かねてから、地球は増えすぎた人口に押しつぶされそうになっていたが、宇宙へ進出するほどの技術力もなく、人々は頭を抱えていた。各国は状況の打開に奔走し、そして発見されたのが、新技術〔魔法〕である。
だがそうそう、うまい話はなく、魔法という技術になんの問題もないわけがない。むしろ問題だらけで、手を焼いているのが世界の現状だ。
それでも人口増加による土地不足や食糧不足などという逼迫した状況に押し切られ、魔法を使わないという選択肢は残されていなかった。せめて人々は上手く使っていこうと、世界中に学校を作り始めた。
入学式も終わり、式場となった体育館から、新入生たちが出てきた。真新しい制服に身を包み、心身共に晴れやかなのも居れば、長話にうんざりとしたようなのも居た。
「昨日、ニュース見たけど、旧・日光東照宮ダンジョン攻略開始だって」
「うっそぉ。二年前に挑戦して無理だったじゃん。あそこ、モンスターだらけでしょ?」
「そうみたい。でも今回は大丈夫じゃないの? 国家魔術士を一杯連れてくんだって」
「へー。じゃあ本気なんだ」
「みたいよー」
女子新入生二人が歩きながら、話をしている。
世界は彼女たちが言ったように、魔法の影響でたくさんの変化を迎えていた。その内の一つが、パワースポットや神社、仏閣などのダンジョン化である。もともと霊験あらたかとされている場所ほど度合いが酷く、今ではそういった場所は封鎖されていて、近づけない。
迷宮に変じたダンジョンを捜索する上で一番恐ろしいのは、そこに出現するモンスターである。これには銃や剣といった非魔法的なものがほぼ無効化されているため、対抗するためには魔法を使うしかない。これも魔法の学校が作られた理由の一つである。
女子新入生たち二人は、自分たちの母親を見つけ、四人で帰って行った。
どこからともなく聞こえる鶯の声が美しく空に響く。崇次が耳を傾けていると、中学からの友達――天馬有紗が背後から声をかけてきた。栗毛色のボブカットが春に似合う、かわいらしい少女だ。
「見たよー。泣いてたねー、西園くん。もしかして意外とロマンチスト?」
にっこりと口元に笑みを浮かべ、春風のような雰囲気の少女がからかう。
「いいじゃないか、別に。天馬だって映画見て泣いたりするだろ」
もう乾いている目元を袖でこすりながら、口を尖らせて言う。
その様子を見て、有紗はなおさら笑みを深くした。
「そーいえばそうだ。あはははっ。じゃ、今度からよろしくねー」
そう言い残し、笑いながら手を振り、有紗は走り去っていった。軽やかな身のこなしに、栗毛が舞う。
「見たぜー、崇次ちゃん。有紗嬢と仲良しかよ。オイ」
崇次が春風で踊る栗毛色に見とれていると、肩にぽんと手がおかれた。日に焼けて浅黒く、どちらかといえば白い崇次よりも、よほど男らしい腕だ。
「お前。この学校入れたのか?」
後ろからやってきたのは、須々木健と言う。整髪料を大いに無駄遣いしている髪型が特徴的で、入学式なのに制服を着くずしている。どう見てもろくな男ではない印象なのに、それなりの学力と魔法適合率を持なければ入れないこの学校にいるということは、ただの見かけ通りでないということが分かる。
「当然。制服見りゃあわかるだろ、立派な魔法学校生様だ。いや、そんなことはいい。まず、天馬と仲良くしていたことについて詳しく聞かせてもらおうか」
「悪いがノーコメント」
にやにやと笑いながらいう崇次に、健は逆に笑いかえした。
「言うほどのことじゃないってのはたしかだな。ホントは見てたし。お前って幸運の女神のバック取ろうとするタイプ?」
有紗に続いて二人目にもからかわれたと知った崇次は頭にきて、健の足を踏みつけようとした。それを身軽にもかわし、お返しとばかりに足を踏もうとする。
ただでやられるほど崇次もお人好しでなく、二人はできの悪いタップダンスのようにお互いの足を狙い続ける。
「このっ、くのっ」
「そうは、問屋が、下ろさない!」
決着のつかない闘いが白熱し始めたところで、二人の前に少女が現れた。背中の半分にまで届く緑の黒髪が目を引くが、それに似合うだけの美貌をもった少女は、年齢に不相応な、大人びた麗しさがある。
「用事が無いのなら、退いてくれる? 迷惑なんだけれど」
二人があたりを見回してみると、タップダンスを繰り広げながら、ずいぶん移動していたらしく、校門のど真ん中で火花を散らしていた。たしかに人の多い場所ですることではない。
「あ、悪い。ほら健、退くぞ」
「おう。悪いね、美しいお嬢さん。連絡先教えてくれたら、菓子折り持って謝りに行くよ」
健の軽口を鼻で笑い、黒髪の少女は校門から出て行った。
「お前って斧落としても女神様が出てこないタイプだな」
「うっせ!」
またも小競り合いを続けながら、二人は入学式に来ていた親のことを忘れて帰宅し、家で怒られた。
授業が始まるなり、学校中に衝撃が走った。世界に二人しかいなかった〔魔法使い〕が新入生に存在したからだ。
もちろん教師陣は事前テストでこの結果を知っていたが、生徒たちは初耳である。
大多数の人間は〔魔法適合率〕が五パーセント前後であり、この数値は魔法を使う者、魔術士における絶対的な基準、才能と言っていい。たとえば魔法の威力、魔法の燃料変換などにも影響を及ぼす。この魔法適合率が百パーセントの者だけが、魔法使いと呼ばれることを許される。これは生来のものであり、多少の要因で変化することはない。魔法使いとはまさしく、奇跡の存在と言える。
崇次は驚愕と共に感謝した。彼にとって魔法使いとは目標であり、同時に大敵でもある。それが同じ空間に存在するのだから、これほどの好都合はない。
その魔法使いは入学式の日、崇次にぶつかっていった少女だった。彼女の名前を匝瑳鞠奈と言う。そして注目される実力は、実際に魔法を使う、実習の授業で明らかとなった。
実習の授業は、まず魔法の使い方を最初から説明するところから始まった。そして実際、使用するに至り、鞠奈はその力の一端を見せつける。
まず、教師は空のプールへ移動し、〔湧水〕という魔法をみんなに使わせた。
魔法は使う者の性能によってまったく姿を変えるが、彼女が使った魔法は、まず規模が違った。〔湧水〕の魔法を使った結果出たクラス平均が、一度でビニールプールを満たす程度だった。対して、彼女のそれは二十五メートルプールを一杯にできる。
鞠奈は、尊敬と同時に畏怖の目で見られるようになった。彼女の力は大きすぎて、ある種、災害のようなものである。事故で巻き込まれたら、無事でいられるという保証はない。
それでも好奇心旺盛な生徒は、鞠奈と仲良くなろうと話しかけたが、彼女はあまり誰かと親しくしようとせず、距離を置いていた。魔法使いという、自分の特殊性をわかっていたのかもしれない。
実習の授業は最後にペアを組み、その二人で授業の最後に軽い試合をおこなう。もちろん、大きな怪我をしないように注意を払うが、それさえも鞠奈とでは怪我どころか生命の危険すら伴うだろう。
「匝瑳。組まないか」
それを承知で、崇次は望んだ。
「いいけど、大丈夫? あんまり戦える風には見えないけど」
「研究者志望だからな。だからこそ魔法使いを知っておきたいんだよ」
魔法は使うものだが、当然、使うためには、まず魔法を作らなければいけない。それが崇次の目指す研究者の仕事の一つだ。
「わかった。最小限まで、手加減はしてあげるから」
「そいつはありがとう。心から嬉しいね」
言葉とは違い、あまりにも下に見られた崇次は、頭に血がのぼっていた。
崇次は鞠奈と向き合い、校庭の一角で視線を結んだ。たがいに礼をして、人が魔法を使うために使用する現代版魔女の杖、ツールを手に構える。
先手は鞠奈が取った。カモシカのごとき脚力で距離を詰め、バトン型をしたツールに〔風圧〕の魔法を使って風を纏わせ、警棒のように使い殴りかかった。間合いが開いていたおかげで、崇次は魔法を使う間があり、その一撃を〔小盾〕の魔法で凌ぐ。
崇次は、自分でも鞠奈の初撃に対応出来たのが不思議なぐらい、驚いていた。まぐれと言ってもいい。だがそれは所詮、まぐれに過ぎない。
「はい、終わり。データ、ロード〔微風〕!」
バトン型ツールがキーワードと音声を認識するや、魔法の名には似ても似つかぬ突風が吹き荒れた。崇次の身体が面白いように飛ばされ、地面を数回転がる。
戦闘者と研究者の違いでもなく、魔法使いと魔術士の性能さでもない。単純に、西園崇次は弱かった。
「えほっ、げほっ」
土ぼこりと衝撃に耐えかねて咳き込み、崇次がようやく顔を上げた頃には、すでにその首筋に鞠奈のツールが突きつけられていた。
「決着でいいよね」
有無を言わせぬプレッシャーが、崇次に突き刺さる。
「ああ。『今回』は俺の負けだ。魔法使いって奴はまったくすごいよ」
鞠奈は言葉を聞いて、眉をひそめた。
「今回は? もしかして、またやるつもり。やめといた方がいいよ。君、弱いんだから」
鞠奈は信じられないものを見るように崇次を見た。それは彼の身を案じて出た言葉だった。
しかし、若い崇次には見下されたようにしか思えず、それが余計に、意地を張らせることとなる。
「いいや、やってやる。次はこんな簡単に負けない」
「そう。あんまり気張らないでね」
鞠奈はたいして相手にもせず、崇次をあしらった。