第68話 『エンドレスバトル』1
エレベーターで上がっている間も、拓羅の足には痛みが押し寄せていた。
ジンジンと痛む。傷は蚯蚓腫れのように膨れ上がって、破れたズボンの生地に当たるだけでも相当な痛みを催した。
「くっそ…………!」
壁に背中を預けて、拓羅は大きなため息をついた。
ボタンの上に取り付けてある、デジタルの階表示を見た。もうすぐ着くようだ。
正直、動く事が億劫になっていた。しかし弟の為と思い、彼は懸命に堪えていた。
最上階に着き、拓羅は扉を急かすように手で広げ、外に出た。ズボンの後ろポケットに突っ込んでおいた銃を取り出し、トリガーに指を合わせる。
汗ばんだ手で握り締め、ラングの部屋の自動ドアに手を掛けようとした。
だが手を掛ける前に、ドアは開いてしまった。
「…………」
真っ白なドアが左右に消え、中からラングが顔を出した。
「やぁ。やっぱり来たね」
「…………称狼は?」
ラングは笑いながら、静かに退いた。後ろには相変わらず檻がある。その中に、先程までと同様、称狼が入っていた。
「……アニキ……」
称狼は呟くように言った。その顔の数箇所に傷ができていた。
拓羅が称狼に近づこうとすると、ラングが二人の間に立ち塞がった。
「見す見す渡すわけにはいかないよ」
「ふざけんな。称狼どうするつもりだ」
「君は相当なお馬鹿さんだね。殺すに決まってるだろ」
「馬鹿はテメェだクソ野郎!!!」
そう怒鳴り、拓羅は握っていた銃を構えた。だが、右肩から背中に掛けて付いている傷が妙に重く感じ、震えてしまう。
(震えてんじゃねぇよチクショウ……!)
歯軋りして左手を添えた。やっと引き金を引いた時、ラングはもう目の前まで迫っていた。
「……!」
銃声と共に、拓羅の体は吹っ飛ばされた。後ろの壁にぶつかる。傷が体と壁に挟まれ、更に痛みを訴えた。しかし、辛うじて銃は放さずにいられた。
銃口は素早くラングの姿を捉え、二回ほど弾を吐き出した。そのうちの一つが、彼の足を攻撃し、倒れさせた。
拓羅は立ち上がり、ラングの近くに駈け寄る。そして起き上がろうとするラングの頭に銃を突き付けた。
部屋に沈黙が流れる。
その中に、カチリ、と手ごたえの無い音だけが響いた。
「弾切れだな」
ラングは微かに笑った。
「くそ!!!」
銃を放り投げ、拓羅はラングの胸元を掴んだ。そして顔を思い切り殴る。また倒れ込むラングに、更に攻撃を加えた。
「檻の鍵渡せ」
拓羅は手を出した。しかしラングは彼を見るだけで、鍵を取り出そうとはしなかった。
その態度に、拓羅はラングの腹を蹴った。
「渡せっつってんだよ!!!」
今までにない形相で怒鳴り、壁を殴った。
だがやはりラングは渡さず、挑発するようにニヤリと笑った。
「テメ……!」
拓羅が殴りかかる前にラングは立ち上がり、檻に向かって走り出した。
鍵も何も無く、普通に開けて称狼を出してしまった。
「…………かぎ…………無かったのか…………?」
両手をだらんと下ろし、ぼーぜんとする拓羅の目の前で、ラングは称狼の首にナイフを突きつけた。
「さて。どうするかな。元々コイツは殺す予定だし……今この場で殺してやっても…」
「ふざけんな!やめろ!!」
「やめてください、だろ?」
拓羅は歯軋りをして、押し黙った。
「意地でも言わないつもりか。例えコイツが殺されようとしてもか?」
「…………頼む。やめてくれ」
「そうだなぁ。……じゃあこう言うのはどうだ?楓を殺ってこれば称狼はお前に返す。楓を殺らないってんなら……今この場で刺す」
一瞬目が泳いだが、拓羅はラングを睨みつけた。
「んな事出来るわけねぇだろ!」
「そうか。なら仕方ないな。これ以上甘やかすつもりはない」
「ちょっと待…」
拓羅の言葉を無視して、ラングは瞬間的に称狼の背中を壁に付けさせ、胸にナイフを突き刺した。
「……!!」
柄を両手で握り締め、ラングは更に力を込めて奥へ奥へと沈ませていく。
じきに称狼の口から赤い血が漏れ出した。体全体がガクガクになり、足にも力が入っていないようだ。壁を滑るようにして尻もちをついた。
左胸にはまだナイフが刺さっている。
手に付いた血を服で拭い、ラングは拓羅の方を向いてニッコリと笑った。
「散々逃げ回った割には呆気なかったな」
しかし、今の拓羅には、その言葉に食い付けるほどの気力が無かった。
もうピクリとも動かなくなった自分の弟を見つめ、静かに息をするだけだ。
「これでとりあえずは終わったってわけだ。……じゃあな。俺はもう多分お前等の前には姿を見せな…」
ラングの動きが止まった。
彼の背後を狙って、拓羅がナイフを突き刺していたのだ。
称狼の胸から落ちたナイフは床に転がり、ラングが後ろを向いた瞬間に拓羅はそのナイフを取って刺していた。
「…………」
ラングは叫び声すらあげず、前を見ているだけだった。
「死ねクソ野郎!!!」
拓羅の声を合図としたかのように、ラングの口から血が飛び出た。
そのまま前方に倒れ込む。
拓羅は、ラングの背中に刺さったナイフを引き抜き、覚束無い足取りで称狼の傍へと向かった。
称狼の足元に崩れ落ち、冷たくなった手を触る。
涙で顔がよく見えなかった。顔から視線をそらし、未だ握ったままのナイフを睨んだ。
本来銀色の部分も血で真っ赤に染まっている。そのナイフを見て、拓羅は歯を食い縛った。
食い縛れば食い縛るほど涙が溢れだす。
悲しみの涙と言う事もあったが、悔しさからくる涙でもあった。
震える手を振り上げ、握っていたナイフを思い切り投げ捨てる。歯の間から嗚咽が漏れた。
血塗れの手で髪を触ると、その部分が赤くなった。嗚咽は激しくなる一方だ。半狂乱になった拓羅は、真っ白な部屋の中で叫んだ。
「おう、拓羅。…………ってお前、なんだそれ!?」
戻ってきた拓羅を見て、ソラが声をあげた。
頬には乾かぬ涙の跡がしっかりと残り、足の傷も丸見えになっていた。
「…………ごめん…………」
第一声はそれだった。
「は?何がや?どないしたん?」
ソラの上からユキが声を掛ける。
しかし拓羅から称狼が死んだ、と告げられると、その声は全く聞こえなくなった。
完全に風邪が治った良真、みーな、ジークの三匹も、黙って拓羅の顔を見つめた。
「なんで…………?」
ユキが言った。
「なんでなん……?」
もう一度言う。だが、拓羅は何も言えなかった。今何か言葉を発すれば、また涙が溢れだしそうだったからだ。
ただ唇を噛んで、ユキの声を聞くだけだった。
「なんでたっくんがおったのに守れへんかったん!!?」
今までに見せた事の無い形相で怒鳴る。ユキの鋭い牙が、初めて顔を出した。
「ユキ落ち着いて!」
みーなが宥められ、我に返ったようだ。ハッとして。牙を仕舞い込む。
「……アカン。ごめん。つい興奮して…………」
「謝る必要は無い。ユキの言ってる事が正しい」
黙っていた拓羅が口を開いた。
「俺はラングから称狼を守れなかった。…………怒るのも無理ない。ユキが…………正しいんだ……」
今にも消えてしまいそうな、か細い声で言った。
「…………とにかくさ、ファングも待ってるんだろ?とりあえず戻ろうぜ」
ソラの意見に全員賛成し、拓羅も乗って空へ飛び立った。
「なんか……足りない気がしないか?」
もうすぐでファングの居る病院に着く、と言うところで、良真が声をあげた。
「足りない?何がだ?」
ソラが話に加わり、ユキもみーなも拓羅も考え始めた。
「ファングが足りないのは……当たり前やしな。あとは…………あ!!!」
ユキの声が響くと同時に、ソラの足が地面に付いた。
全員、
「ちくしょー!クソ拓羅ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
一人だけしか居なくなった建物内に、その声は響き渡った。勿論返答は無い。
そのせいで寂しい思いになった。
まだ外は暗いままのため、白い建物も不気味に見えた。そしてその建物の中に居るのが彼女なら尚更だ。
腕は上げっぱなし、足はしゃがみっぱなしで、両手足完全に痺れていた。
「クソ拓羅ぁ!!!呪い殺す!!!」
この迫力なら幽霊も逃げ出すこと間違い無しだった。