第65話 『白い建物in黒い悪魔』
外はもう日が沈んでいる。真っ白な建物は夜の暗闇に包まれて、不気味にそびえ立っていた。
そんな建物の一室で、楓はやっと目を覚ました。目を開けてあくびを一つ。
しかし手は伸ばせない。手も足も何故だか縄で縛られている。冷たい床にその状態で寝転んでいたのだ。
「…………なんじゃこりゃあ?」
縄に喧嘩を売ってみるものの、勿論買ってもらえるはずがない。
今度は鶏のように前後左右何度も見た。そして前を向く。
「ココ…………ドコ……?」
微妙に首を傾げる。ダンボールや袋などが置いてあり、異様に暗い。天井に電球が一つ付いているが、灯りは付いていない。倉庫のようだ。
いつまでも首を傾げているわけにもいかず、彼女は縄をほどく事に専念した。
しかし一本一本が太い縄はなかなかほどけてくれない。
いくら男勝りでもやはり力は女だ。その力でほどけるならこんなに太い縄を用いる意味が無い。
「っつーか……女相手にこんな縄用意すんなっ!!」
ブチブチ言いながらほどこうとする。
しかし、ほどくどころか緩みもしない。だが負けず嫌いの楓さんだ。こんなところで諦めるわけが無い。
縄と格闘すること五分ほど。
さすがに疲れてきたのか、横顔をベッタリ床にくっ付けていた。そんな時、暗い倉庫の重そうなドアが開き、少し光が漏れる。
何者かが入ってきた。光は足のあたりで終わっているため、顔までは見えない。
「やぁ。お目覚めか」
顔は見えないが、声ですぐに分かった。ラングだ。
「結構強力な睡眠薬だったんだけどなぁ。この時間で起きるとは予想外だ」
ラングと分かった瞬間、楓は地面に顔を伏せた。
少しムッとした顔をしたが、ラングはそのまま続ける。
「称狼を殺そうと思ってたんだけどさ、やっぱりお前の方が邪魔なんだよね。だからお前を先に殺すことにするよ」
だが、何を言っても楓はラングを向こうとしない。
ラングもそのままジッと待っている。意地の張り合いをしているみたいだ。だが、短気なラングはそろそろ苛立ちを隠せないようだ。
「……バカにしてんのかテメェ!!?」
怒鳴って肩を蹴る。それでもまだ向かない。
歯軋りした後、ラングはポケットからまたも折りたたみ式のナイフを取り出した。それを楓に突きつける。
「なぁ。聞いてんのか。殺すっつってんだよ」
しかし頑として向こうとしない。
「いい度胸じゃねぇか……」
急に、腹に衝撃が走った。ラングが蹴りつけたのだ。一瞬息が止まったが、それでも下を向いたままだ。少し咳込み、背中を丸めてうずくまる。
ラングは満足そうな笑みを浮かべ、しゃがみ込んだ。そしてわざとらしく言う。
「頑固だな、お前も。……そうだ。アイツはどうなってるかなぁ?あの拓羅クンは」
『拓羅』と言う言葉に、楓が少し動いた。
それを見逃さなかったラングは更に続けた。
「いけないなぁ、嗅ぎ回るなんて。あの部屋に入ったら終わりだもんなぁ。今頃死んでるかも…」
そこまで言うと、下を向いていた楓は急に顔を上げ、暴れだした。
怒るかと思いきや、ラングは満足気に笑ったままだ。少し地面から離れている楓の頭を、また地面に叩き付ける。そのまま押さえつけた。
頭を押さえつけられながら、楓はラングを睨んだ。息が荒くなっているのが分かる。
「なんだよその目は」
ラングは自分を睨む目を、逆に睨み返した。
そして今度は声を出して笑うと、スッと立ち上がった。
「まぁいい。どうせお前は逃げられないんだからな……」
楓は不思議そうにラングを見ている。彼は普通にドアを開け、普通に出ていった。なんの変哲も無い、ただの「部屋から出る男」だ。
また何かする、と思っていた楓は、彼の意外な行動に、頭の上に「?」マークを浮かべて首を傾げるだけだった。
夜。もう外は真っ暗だ。月も雲によって隠され、外灯も何も無い外の道はただ黒いだけだった。
ラングも誰も来ないため、暇だった楓はとうとうまた寝てしまった。と言っても、物音がすればすぐに目を開けられるくらいの浅い眠りだ。
そして物音はすぐそばでした。カサカサと荷物の方から嫌な音が聞こえてきた。案の定楓は目を開ける。
(まさか)
彼女は嫌な物を想像してしまった。しかしこの倉庫内で、しかも食べ物なども沢山入っている箱が積まれているこの倉庫に、アイツが出ないはずがない。
すぐにでも飛び起きたかったが、縄で手足の自由を奪われているため、起き上がるのも一苦労だ。ならば後ろを向いて正体を確かめよう、とも思ったが、向いた途端目の前にあのゾッとするような真っ黒な体があっても嫌だ。
大体、アイツ等が這ったかもしれない床に頭をくっ付けていると言う事自体、楓にはショッキングな事なのだ。
飽くまで平然を装うと頑張るが、その状態は一秒と持たなかった。
楓は後悔した。何故小さい頃からあの黒い姿を見ておかなかったのか、と。そうすれば今よりは免疫がついて、耐性度もアップしていたはずだ。靴で叩こうにも今は靴を脱ぐことすら出来ない状態だ。
もっとも、楓には黒い悪魔を自分の靴で叩けるだけの勇気は備わっていないが。
ここでもまた、彼女はラングを憎んだ。彼女をここに置いてけぼりにしていったのも、他ならぬラングなのだ。
(こんな時タクがドアを開けてくれればカッコイイのになぁ……)
目の前に本人が居たら間違いなくドアを開けていたセリフを、楓は心の中に寂しく響かせた。今どれだけそのセリフを繰り返しても彼には届くはずがない。
だが、ここで叫べばもしかしたら拓羅に届くかもしれない、と楓は考えた。しかし新たな問題が彼女の前に立ちはだかった。
叫ぶとしても、何と言って叫べばいいのか。「きゃあ」なんて柄ではないし、「いやあ」と言う柄でも勿論無い。この際助けが呼べれば叫び声なんてなんでもいいと思うのだが、楓は口が裂けても「きゃあ」なんて叫びたくはなかった。
(ブリッ子みたいじゃん!気持ち悪!)
自分がそう叫んでいる所を想像して、楓は一人で身震いした。
そしてもう一つ、更に身震いできるような物は近づいていた。彼女の背後に居る、黒い悪魔と考えられる物だ。
その事を考えると、楓の身震いはいっそう凄さを増した。まるで、半袖で北極に放り出されたかのようだ。
足音のカサカサは、更に彼女との距離を縮めてきていた。そしてソイツは大きく飛んだ。その瞬間、楓も器用に上半身だけ起こした。腹筋が悲鳴をあげているが、今はそんな物関係無い。
「見たかバーカ!!お前の攻撃なんて喰らってたまっかぃっ!!一生飛んでろ!んでタクに踏み潰されろ!バーカバーカバー………………あ?」
肩で息をしながら一生懸命厭味を言っている途中で、楓は相手をよく見た。
黒い悪魔でもなんでもなく、ただの葉っぱだった。
葉っぱが床にこすれる音が、丁度黒い悪魔の歩く音に似ていただけだった。
「あ?」の状態で口をあんぐり開けたまま、楓は葉っぱを見ていた。結局、彼女は葉っぱに話し掛けていたのだ。正体を知った後で自分の姿を思い返すと、顔がボンと赤くなった。
(あれ?だけど……)
風も何も無いこの部屋で、どうやってこの葉っぱが動けたのだろう、と楓は考えた。
どこかに風の抜け道があるはずだ。そうでなければ、見えない何かが動かしたとしか考えられない。
楓は性懲りも無く、またも嫌な物を想像してしまった。半透明の、場合によっては足がないあのフヨフヨ浮いている奴だ。
それこそ涙がちょちょ切れそうだった。だがそんな物とは夢でもご対面したくない楓は、懸命に風の抜け道を探した。壁にでも穴が開いているのか、と言う考えとは裏腹に、風はドアからきているようだった。
本来なら鍵が掛かってあるはずが、どうやらラングが掛け忘れたみたいだ。
(あー。そいえば音しなかったなぁ……)
楓はラングが出て行った時の事を思い出した。これなら外に出る事が出来る。
ラングが人間である事に、この時初めて感謝した楓だった。




