第63話 『ダブル方向音痴』
しばらく走り続け、突き当りの壁に体当たりする。ズリズリと下に下がり、今まで走ってきていた道を見た。どうやらファルは追ってきていないようだ。
安心すると同時に傷の痛みが襲ってきた。
「っだー…………いってぇ……」
やっと止血が出来る。もう体に被さっているだけと言っても過言でない服を脱ぐと、足に巻きつけた。
問題は背中だ。もう巻きつける物も無い。
そんな中、タイミングを見計らったかのようにして、ある人物が前から歩いてきた。
トコトコ歩いて何かを探しているようだ。その顔には見覚えがあった。小さい頃からずっと一緒に居るんだから当然の事だ。
その「ある人物」は拓羅に目を止めると凄いスピードで走ってきた。一瞬にして拓羅の目の前に顔を出す。
気付いた時にはもう彼の前にしゃがみ込んでいた。
「いたっ!!!」
「ある人物」は叫んだ。
「……楓かよー…………ビビッた……」
言うまでもなく、どこからどう見ても楓だった。拓羅もビビっているようだが、楓も相当ビビっていた。勿論拓羅の存在にでは無く、拓羅の傷の存在にだ。
「そーだ楓!丁度良かった!もう背中に巻くモンが無かったんだ!」
手を合わせて拝む拓羅を、楓は冷めた目で見つめた。
「…………で?」
「で?じゃなくて、ここまで言えば分かるだろ!?」
「分かるのはアンタがバカみたいに拝んでる事だけだよ」
「………………あーそーかよ!じゃあもうチョコチップクッキー買ってやんねー。土下座されたって買ってやんねー!頼み込まれても買ってやん…」
「この楓さんにお任せあれ!!なんでも言って!!」
楓は焦って笑顔を作った。その楓を見て、拓羅は「よろしい」と言ってから真剣な顔になった。そして発したのはこの言葉だ。
「お前さ」
「うん?」
「服脱げ」
その四文字を聞き、楓は目をパチクリさせた。真顔の男を見つめる。そして頭を押さえた。
「とうとう頭がイカレたか……!」
特大のため息付きでそう言った。
「あ、違うぞ!?変な意味では決してないからな!!断じて違うからな!!俺を変態呼ばわりしたら後が怖ぇんだから覚悟…」
「わぁかってるよっ」
このままではいつまで続くか分からないため、楓は立ち上がって言った。
「チョコチップクッキー一年分」
それを聞いた拓羅は言うまでも無くギョッとした。
「い、一ヵ月分…」
「えーやったぁ!タクったら二年分も買ってくれんの!?嬉しーなー!二年分も買ったら財布の中どうなるか分かんないのにねー!!」
笑顔で言う楓に恐怖すら感じる拓羅だった。
ここで反論したら次は羽交い絞めにでもあうかもしれない。身の危険を察知した拓羅はその場に平伏した。
「一年分買わせていただきます」
「はい、よろしい。あ、じゃあちょっと待ってて」
楓は走ってどこかへ消えた。
「大丈夫かな、アイツ……」
しばらくして戻ってきた。ちゃんと服を着ている。拓羅は首を傾げた。よく見ると、それは上着だった。恐らく、ソラの所まで戻って取りに行っていたのだろう。
「あ!なんだよお前、ズリィ!!女だからって…」
「女だからこそですー」
楓は拓羅の目の前まで来ると、厭味ったらしく言った。頬を膨らまそうとした拓羅だったが、楓に後ろ向け、と言われたため、素直に壁とお向き合いになった。
「でもさぁ、上着あるんならそれ取りに行くだけでよくねぇか?」
「何言ってんの。薄い方が縛り易いでしょーが」
「あぁ……なるほど。…………ちょっと待てよ?じゃあ俺がチョコチップクッキー一年分買うっつったのは意味無ぇ…」
「男に二言は無し……よっ!!」
楓は服の袖と袖を思い切り強く縛った。
「いいいいいいででででででででででっ!!!!」
そして楓が立ち上がる際に、拓羅の背中を叩いて立ったから痛さ倍増だ。
「ぎゃほぅっ!!!いってぇなテメェ!!何すん…」
「はい」
彼女がぶっきらぼうに差し出したのは、称狼の上着だった。称狼も拓羅の上に上着を掛けておいたのだ。
気を遣ったのか、ただ気付いたから持ってきたのか分からないが、とにかく拓羅は楓に感謝した。
「あぁぁぁ楓様っ!」
泣きながら楓に抱き付く。
「あーもー!!泣き付くな抱き付くなくっ付くなーー!!!」
そう言いながらも、楓の顔は嘘を付けていなかった。
それに気が付いた拓羅は、ニヘラ〜と笑った。
「なんだよー。お前そんな事言いながら嬉しいんじゃねーかよー」
「はぁ?……バッカじゃないの?」
いつも以上にバカにした目で拓羅を見ると、楓は彼を自分から引き剥がした。
「素直じゃねぇなぁまったく…」
拓羅の顔の中心に、楓の鉄拳がめり込んだ。
「い……て…………え………………」
「ふんっ!!ざまーみろぃっ!」
倒れる拓羅に向かって、楓は舌を突き出した。
そして床に仰向けになって鼻血を出している男を放って、ただ真っ白な道を歩いていった。二人とも完全なる方向音痴だと言う事をすっかり忘れて。
「しまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
その数分後、真っ白な建物内に楓の声が響き渡った。称狼の上着で遠慮なく鼻血を拭いていた拓羅も驚く。目の前でメガホン使ったような声で叫ばれたら誰だって驚くに決まっている。その上、ついさっきまで自分をバカにしていた人が目の前で頭抱え込んで顔面蒼白になっているのだ。
しかし、仕返しと言って「バーカ」と言えるほど、拓羅の肝は座っていなかった。
ただひたすら、一体何が「しまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」なのかを教えてもらえるのを待つしか無い。
素直に静かに待つこと十分。やっと立ち直ったのか、楓が立った。
「おう楓。大丈夫か」
軽く声を掛けてみる。掛けられた楓は、魂が抜けたような顔をしていた。間違いなく無表情だ。どう見たって笑ってるようには見えない。老眼でも見えっこないだろう。
いつもみたく怒ってる時より何百倍も怖い。拓羅は思わず後退った。今の楓の顔に長い前髪下ろせば貞子ソックリになりそうだ。真昼間に街出歩いても子供が泣き出しそうなくらいに怖い。
「か、楓……?泣く子も泣き出す怖さはやめろ……?」
日本語がおかしい気もするが、感じている怖さ自体おかしいのだ。大目に見てやらないと可哀相だ。
「大丈夫だ。な?たかが道に迷ったくらいで…」
「たかが…………?この広い建物内でどっちも方向音痴でどーーーやって帰れっつーわけ!!!?」
楓の特技、早口炸裂だ。
「っつーーか十八年もだよ!?十八年も一緒に居てなんで今、タクが方向音痴だって思い出せなかったの!!!?……これもきっとラングの策略だ!絶対そうだ!!だからこんな入り組んだ迷路みたいな道作りやがったんだあんのクソジジイイイイイイイ!!!覚えてろ!絶っっっ対仕返ししてやる!!!万里の長城連れてって一生歩かせ続けてやる!!!!」
この気迫で仕返しと言う割には可愛い仕返しだ。
今の楓なら気合いで牙でも爪でも耳でも生やせそうだ。あっという間に狼少女の出来上がりだ。
炎に身を包んでいる楓の後ろで、拓羅はビクビク震えていた。
ビクビクビクビクビクビクビクビク震えていると、次第に楓を包んでいた炎は消えていった。哀れな拓羅を見兼ねて、誰かが上から水を撒いてくれたのかも知れない。
誰だか知らない命の恩人に、とりあえず拓羅は手を合わせておいた。
体の周りから炎が完全に消えた楓が振り向く。もう魂はちゃんと入っていた。
「まぁ怒ったところでしょーがないな」
ケロッと口にした。それは、今度は拓羅の怒りを爆発させる物だった。
「もっと早く気付け!!!!」
拓羅は溢れだす怒りを言葉に託し、楓にぶつけた。しかし、楓の身を守っている『気分爽快オーラ』が、それを遮断してしまった。
「…………ま、いっか」
どうやら諦めてしまったようだ。また楓の後ろをトボトボ歩き出した。




