第62話 『拓羅の大冒険』
建物内に入った拓羅は中にも驚いた。まるでガラスのようにピカピカの床、一面真っ白な壁。ドアまでもが白だ。
初めてここへ来て、来た道戻れるのはよほどの記憶力を持った者だけだろう。生憎、拓羅はそんな高性能な記憶力は持っていない。昨日の夕飯も思い出せ無いくらいだ。
「あ、そっか。昨日夕飯食ってねぇんだから当たり前か」
一生懸命思い出していた拓羅は、頭を軽く叩いて舌を出した。
床のせいで何度も滑りそうになりながら、奥へと進む。と、一つのドアとご対面した。ピッタリと閉まっている。
(こーゆーのって電撃バリバリーとか来たりすんだよな!俺は知ってるぞ!)
取っ手の部分に何度か軽くタッチするが、電撃なんてものは来ない。
しかしまだ油断は出来ない。十分に用心しながら取っ手に手を掛ける。握っても電撃は来ない。
「なぁ〜んだ。何も来な……」
油断大敵とはまさにこの男の為に作られた言葉だ。五秒後、彼の手に衝撃が走った。タイマー式の電撃機械だったようだ。
「おおおおおおおおおおおおぅぅぅぅぅ!!!?」
叫んだ後、すぐに手を放した。だがもうすでに時遅し。
拓羅の手は完璧に痺れていた。そして掌の中心が赤くなっている。少しでも物が触れば、その衝撃は腕にまで来る。
「チックショー……!!誰だ、こんなの造った奴!!!ラングの野郎〜!!」
何故そこでラングが恨まれなければならないのか分からないが、ラングのせいにしておくのが一番無難だろう。
よく見てみると、ドアの横にはパスワードを入れる機械が取り付けてあった。上に被せてあるカバーが壁と全く同じ色だったため、分からないのも当然だ。
だがパスワードが分からなければ元も子もない。ドアの前でひたすら悩む。そして一つの単語が頭に浮かんだ。
『ラング』。
幸い、パスワードを入れるところは小さなキーボードのようになっていたので操作に悩むことは無かった。
入力後、『実行』キーを叩く。隣の赤いランプが緑に変わった。
(……ナルシストめ…………)
拓羅は心の中でラングにパンチを喰らわせると、取っ手に手を掛ける。
今度こそ、どれだけ握っていても電撃が来ることは無い。勢いよくドアを開けた。その部屋は真っ黒だった。四角い空間が黒で塗り潰されている。
「なんだろこの部屋……?」
無用心にも中に入っていく。ドアがあるからいいものの、それが無かったら今どの方角を見ているのかすら分からないだろう。
黒の壁と睨めっこしていると、後ろから背中を蹴られた。
「……!!?」
壁に背を向けて後ろを見る。真っ黒な部屋の中心に、真っ白なファルが立っていた。
「やっぱそりゃ、こんな目立ってりゃ来るわなぁ」
ファルが喋りだす。横を向いて鼻で笑うと、拓羅を睨んだ。
「ショウロウを捜しに来たか。アイツならボスの部屋に居るぜ。……ま、辿り着けるかどうかは知んねぇけど」
「お前……味方、なのか?」
「馬鹿かテメェは。テメェが行かねぇと面白くなんねぇだろ。オレは面白ぇもんが見てぇんだ。ただそれだけだ」
また横を向く。そしてフンと鼻を鳴らした。
しかしそんな事に見向きもせず、拓羅はひたすらその場で足踏みをしていた。
「じゃあ早くラングのとこに連れてってくれよ!でないと称狼が…」
「オレに勝ったらな」
平然とそう言うファルを見て、拓羅は固まった。楓と二人して蹴りを喰らわせたのにビクともしない奴だ。拓羅一人で勝てるはずが無い。
だがファルはやる気満々だ。さすが好戦的ワーウルフ。
「……ちょっと待てよ、おい。お前は強い。スンゲェ強い」
拓羅が『強い』と言う単語を口にした時、ファルの耳がピクリと動いた。口角も微妙に上に上がっている気がする。
「つ、強い?強いか?」
口調の変化に気付いた拓羅はバレない程度にニヤリと笑うと、更に続けた。
「あぁ強い!ベラボーに強い!アンビリバボーなくらい強い!!最強伝説作っちゃえよ的に強い!!雑魚なんて蹴散らせベイベーってくらい強い!!!」
最後の方は意味不明だが、拓羅はとにかく色んな『強い』を並べてみた。
ファルの口角はドンドン上がる。拓羅のテンションもドンドン上がる。
「そ、そんなに……強いか!?」
「勿論さ!このしなやかにバランス良くついた筋肉!削りたての鉛筆みたいに尖ってる漆黒の爪!!噛みあわせが完璧で真っ白な牙!!「おばあさんどうしてそんなにお口が大きいの?」って聞かれて「お前を食べちゃうためよチェケラー」って自信満々に言えるくらいの大きなお口!!こんなに素ん晴らしいモノ持ち合わせて強くないはずが無いじゃないか!!」
一気に喋って肺の中の酸素を全て吐き出した拓羅は、ゼーハーゼーハー言いながら地面に膝を付いた。
一件落着と思っていた時、拓羅の頭上からどす黒い声が聞こえてきた。
「真っ白な牙……?大きなお口…………?貴様オレを馬鹿にしているのか!!!」
「…………え……え、え、なんで……??いやいや、馬鹿にしてるだなんてとんでもない。滅相もな…」
「筋肉と爪はいいとしよう!!!これらはオレが頑張って手に入れた物!言うなれば努力の成果なのだ!!!だがな、真っ白な牙と大きなお口なんて物はオレが元々持っていたものだ!!!貴様は本当の強さと言うものを分からずに口にしている!!オレはそれが許せん!!八つ裂きにしてやる!!!!」
口は災いの元。
まさにその言葉がピッタリだ。良かれと思って口にした言葉でも相手に上手く伝わらない事はよくある。日常茶飯事だ。が、今はそんな悠長な事言っていられない。
拓羅はとにかく逃げようとした。壁をよじ登ってみたり、床を這ってみたり、ファルに土下座してみたりもした。仕舞いには床に転がって駄々こねたりしてみた。
だがどれも無意味だった。真っ黒な壁は滑るし、床を這ったって這いずりゾンビになるだけだし、ファルに土下座したって今すぐ背中を刺すぞと言うかのような殺気が襲ってくるし、駄々こねたってファルの神経逆撫でするだけだった。
拓羅の無意味な、或いは逆に火に油を注いでしまった行為のおかげで、ファルの怒りはキリマンジャロの頂上まで一気に上がっていった。
その怒りは黒い部屋の隅々まで満遍なく広げられた。拓羅は無性に泣きたくなった。自分の馬鹿さ加減に。
少しつり目な彼の瞳に涙が溜まっている間にも、ファルのこめかみには「ムカツキマーク」が十個ほど並んでいた。楓を上回る新記録だ。
その血管の中の一本が切れたと同時に、ファルは拓羅目掛けて飛び出した。
「お前を食べちゃうためよチェケラー」と自信満々に言える口をガッポリ開けて、噛みあわせが完璧で真っ白な牙を剥き出しにし、削りたての鉛筆みたいに尖った漆黒の爪を立てて、拓羅に襲い掛かった。
一瞬の出来事だった。
ジャンプしたファルが降り立った場所にはもう拓羅の姿は無く、ただ大きな穴だけが開いていた。
ファルは立ち上がると、血の付いた爪を舐め、ゆっくりと首を動かして左を見た。
そこにはギリギリで横にジャンプした拓羅の姿があった。左膝には大きな爪の後があった。その生々しい傷からは真っ赤な血が溢れだしている。
拓羅は歯を食い縛って膝の上辺りを押さえた。両手に力を込めるが、血は止まらない。仕方なく自分の服を破ろうとした時、またファルが襲ってきた。
「くっそ……!!」
右足を踏ん張って立ち上がる。またジャンプして避け、黒い床に転がった。
立ち上がり、出口に向かって一歩踏み出した直後、彼の上にファルが伸し掛かってきた。軽く百キロは超えている巨体に伸し掛かられ、拓羅は敢え無く倒れ込んだ。
ファルは拓羅の背中を足場にして、そこに爪を立てた。尖った爪の前には、服なんて無いも同然だ。肉と一緒に引き裂いた。右肩から背中に掛けて、膝と同じ傷ができた。
痛みで息が詰まる。言葉なんて物も出てこない。聞こえるのは、ガッチリと食い縛った歯と歯の間から漏れて出てくるうめき声とファルの笑い声だけだ。
その笑い声をBGMに、拓羅は痛みとめまいに対抗していた。ソラの上で起きたあのめまいが、また彼を襲い始めたのだ。
しかし痛みのおかげでなんとか意識は保っていられる。
震える腕を懸命に立たせ、起き上がろうとする。だが肩の傷とファルの重みで、思うように力が入らない。
(このままじゃ死ぬ……。どーすりゃいんだ……!!?)
クラクラする頭を必死に働かせる。考えていると、急に背中の重みが消えた。
「……!?」
首を動かして敵を探す。敵はすぐ横に立っていた。
「立て。このままじゃつまらん!もっと死ぬ気でもがくとか出来ねぇのか」
注文の多い敵だ。演劇がしたいのか闘いたいのかよく分からない。拓羅は頭の上に「?」マークを百個ほど並べた。
しかし、いつまでも疑問に思っている暇は無い。逃げるとしたら今しか無いだろう。
拓羅はジンジンと痛む足を引きずり、一気に外へと飛び出した。一瞬の事で、自分の好みの演出を伝えるのに一生懸命だったファルは目を点にした。
真っ黒な部屋の中に真っ白なファル一匹を残して、拓羅はひたすら走った。称狼の居る部屋への道が全く分からないまま。




