第61話 『ようこそ、ファルくん!』
「称狼はどうでしたか」
「暢気なものさ。三人で笑ってた。裏切っておきながらアレだもんなぁ。自分ばっかり楽しみやがって」
「そうですか……」
「おいファル」
「はい」
「今度こそ失敗するな。俺はもう二度と手は貸さない。これが最後のチャンスだからな」
「…………はい……」
とりあえず近くの動物病院に駆け込んでファングを置いてきた一行は、やはり雲の上だった。
「楓〜〜もう嫌だぁぁ!」
「じゃあ落ちな」
「それも嫌だぁぁぁ!!」
ボッコボコになった顔の拓羅が楓に泣き付いている。
「おい楓。なんかまた変な感じすんだけど」
ソラに声を掛けられ、楓は拓羅の頭を小突いて自分から離れさせた。前の方に顔を出し、今度は楓が声を掛ける。
「何?」
「変な感じすんの!あの、白い奴が追っかけて来た時みたいな……」
首を傾げるソラの後ろで、楓は振り返った。しかしソラの体は大きすぎて、一番前からでは一番後ろまで見えない。
面倒くさそうに立ち上がると、一番後ろ目指して移動し始めた。
そして尻尾まで来て頬を膨らませた。
「なんも居ないじゃん……」
だが、後ろを向いて戻ろうとした時視線を感じた。また尻尾の方を向く。
すると、ついさっきまで何も居なかった所にファルが立っていた。
「ぃよっ」
片手を肩の辺りまで上げる。
突如現れた敵を目の前に一瞬驚いた表情をしたが、楓もとりあえず同じように片手を上げて「ぃよっ」と挨拶をした。
真っ白な雲の上を飛ぶ茶色の犬の上で、片手を上げながら一人と一匹は睨み合った。
そこに拓羅も駆け寄ってくる。彼もファルを見て一瞬驚いたが、一人と一匹を見てから少しだけ首を傾げ、同じように片手を上げた。
しかし、いつまでもそんなマヌケな事をしている暇はファルにも無かった。ラングからタイムリミットを決められている。一時間後までに称狼をラングの所に届けないとファルの命も無い。
「いいか。オレにはくっちゃべってる暇は無いんだ。さっさとショウロウを渡せ」
牙を剥き出しにして言う。
だが脅したところで簡単に渡すはずが無い。拓羅は片手を下ろすと、彼もまた負けじと歯を剥き出しにした。
「バッカヤロー!俺等がそんな脅しに負けるとでも思ってん―――!?」
一瞬、拓羅の体がよろめいた。ソラが大きく動いたわけでも、風が吹いたわけでも無い。
拓羅を見て、ファルの顔から怪しい笑みがこぼれた。一歩踏み出して拓羅の額を軽く指で突く。いとも簡単に、彼の体はソラの上に転がった。そしてそのまま無意識の世界へと引きずり込まれた。
「ショウロウはあっちか?」
今度は楓を見る。そしてソラの頭の方を指差した。
「犬なら自分の鼻で探せば?」
「……ここは生意気なガキの溜まり場か」
ファルは楓に顔をうんと近づけて厭味ったらしく言った。
だがそれが凶と出た。楓は待ってましたと言わんばかりに笑うと、ファルの鼻にデコピン鼻バージョンを喰らわせた。
いくら体に筋肉まとわり付けてるファルでも、鼻は鍛える事が出来ない。痛みとしては他の犬と同じくらいだろう。
予想通り、ファルは鼻を押さえて転がった。その間に楓はソラの頭の方へ走り「急降下」と一言だけ言った。
ソラは初めは分からない顔をしていたが、数秒後には力強く頷き、急降下体制を取り始めた。
ソラの上に転がっている今のファルなら、足に力は入っていないはずだ。急に自分の下が下がれば飛んでいくに違いない。
楓はまた尻尾の方へ走って戻る。ソラは体制が取れたようだ。合図も何も無しで急降下した。
「うっわあのバカ!!合図くらい……」
一度頭の方を見た楓だったが、また走り出し、拓羅の体が浮く寸前で上に覆いかぶさった。と言うより、ジャンプして伸し掛かったと言った方が近いかも知れない。
しばらくして、拓羅は目を覚ました。まだ頭がガンガンする。そして自分の上には何故か腹這いになっている楓。
首が百八十度回るんじゃないかと言うくらい首を傾げた。状況が全く掴めていないようだ。
目を瞑って思い出してみる。
「え〜と、確か俺はファルの野郎に倒されて、そっから分かんねぇんだよな……。あ、でも……なんか上に乗っかってきたのは分かったなぁ。……っつーか……ちょっと待てよ。なんで雲の上じゃないんだ?」
ゆっくりと辺りを見回す。拓羅以外は、みんな寝転んでいるばかりだ。
仕方なく起き上がり、ソラの上から飛び降りた。着地した時、何故か足元がフラ付いて倒れ込んだ。まだ体が覚め切っていないようだ。
ウォーミングアップ程度に、手を握ったり広げたり、屈伸をしたりした。
「よっしゃ」
屈伸の曲げている状態から飛び上がった時、はたと気付いた。
「そいえば……称狼!!」
またソラの上に逆戻りだ。茶色い背中を見渡してみる。隅から隅まで走ったりもした。
だが、称狼の姿はどこにも見当たらない。
「マジかよ…………ヤベェ!!」
自分達が気絶していてしまっては、ファルは称狼を奪い去り放題だ。
そこまでは分かっているのだが、どこへ行ったのか全く分からない。
また下に行って周りを見た。今までに無いくらいの殺風景だ。ただずっと道が続いているだけで、寂しいと言うより怖い。
「こ……ここを一人で歩けと……?」
頭を掻きながら動こうとしない。やはり一人は怖いようだ。しかし、誰も動く気配は無い。楓も無理に起こそうとすると危険と言う事が証明済みだ。
知っていながら起こす馬鹿は居ない。さすがの拓羅でもそんな無謀な事はしないだろう。
「…………こうなったら……一人で行くしかないよなぁ……」
彼は寂しい道を一人、歩き出した。
歩き出してから数十分後、拓羅の前に真っ白な建物が立ちはだかった。これで上に煙突でも出てたら工場に間違えられるだろう。そのくらいの大きさだ。
しかし、こんな所に建っているのはおかしい。拓羅は「何か臭うぞ〜」と言ってニヤリと笑った。
そして彼の取った行動は――――言うまでも無い。




