第57話 『バカ二人』
街中にあるビルを全て壊し、少しだけ息を切らしてファルが戻ってきた。足元にはファングが横たわっている。
「おい、人間が来てたぞテメェのお仲間さんか」
ファルが低い声でそう言うと、ファングの体がピクリと動いた。
「当たりか……。まぁ今はビルの下敷きになってるか死に物狂いで逃げてるか、だけどな!」
白く光る牙を剥きだしにして不気味に笑う。やっとファングの顔が上がった。
額から垂れる血のせいで片目は瞑っているものの、その目の迫力にはさすがのファルも怯んだ。
「……なんだよその目は。またボコボコにされてぇか!?」
叫び、ファングを壁に押し付けた。ファングの首を持つ手に力を入れると咳き込む。乾いた空気と一緒に赤い血も出てきた。
額から流れ出る血はファルの手にまで垂れてきた。生暖かい液体が手の甲をゆっくりと伝う。
「…………放せ…………」
ファングがかすれた声を出した。首にはファルの爪が少し食い込み、少量だが血が流れてきている。
「ショウロウの居場所を言え……!」
「死んでも……言わねぇっつってんだろ…………」
「お仲間さん」の中に入っている事に気付いておらず、ファルは尚もファングを問いただした。
「言わねぇとテメェの仲間共ぶっ殺すぞ!!」
「んな事してみろ。オレが…」
そこまで言うと、ファルの手に更に力が入った。最後の方は声にならず、かすれた息が出るだけだった。
「あぁ?「オレが」なんだ?言ってみろよ」
「………………」
「この愚図野郎が!ここでくたばってろ!!」
ようやく壁からファングの体を離した。そして首を持ったまま腕を上に振り上げ、地面に激突させた。やはりそこには大きな穴が開く。
一ミリも動かなくなったファングを確認すると、ファルは四つん這いになって走り出した。
三人は今、無事な建物が立ち並んでいるビルの一角に潜んでいた。頭にゲンコツを作ったままの拓羅は未だ目を覚まさない。
「……強くやりすぎたかな……一応病人だし」
「でもギャーギャー騒がれるよりマシでしょ」
「まぁ……確かに」
称狼は意外にもすんなりと納得してしまった。
しばらくして、今になってやっと疑問が湧いてきた。
「なんでココ、人が誰も居ないんでしょうね?」
「こんなに建物沢山あんのにね」
後ろにある窓から少しだけ顔を覗かせ、楓が言った。その隣に称狼も顔を覗かせる。
「不自然過ぎですよ、この街。……もしかしてボスの……ラングの仕業だったり……」
「あたしらが逃げるって予想してたってワケ?」
座りなおしながら言う楓を見て、称狼は頷く。
「あの人なら……」
称狼がそこまで言うと、楓はピクリと動いて微かに光が入り込んでくる入口を見つめた。
暗い建物の中、入口の形をした光が異様に眩しく見える。
そんな光の形が、突如崩れた。何かの影が形の端を陣取ってしまっていた。
「……なんですか、あれ……?」
静止している楓の隣で称狼が極力小声で尋ねる。辺りには緊張感が漂っている。
その緊張感の中で、不運にも拓羅が目を覚ましてしまった。勢いよく上半身を起こす。そして同時に口も大きく開いた。
「どこ……モゴッ……」
その大きく開いた口を楓が手で押さえた。
「今度はあたしがぶん殴ってやろうかこのクソ男ッ」
拓羅の胸元を掴み、歯を食い縛りながら小声で言った。二人を見て、称狼は小さくため息をつく。しかし拓羅はイマイチ状況を把握出来ていないようだ。
称狼から経緯を聞き、またも大声をあげそうになる。その度に後ろに居た楓が彼の口を押さえ、頭にチョップを喰らわせた。
やっと全てを話し終え、改めて入口の方を見た。だがそこにはもう影は無くなっていた。
「……あれ?」
三人は入口を見てボーゼンと立ちすくんでいる。
暗闇の中にただ沈黙だけが流れる。それを最初に破ったのは称狼だった。
「アニキ後ろっ!!」
称狼に言われ、振り返った。頭上に大きな腕がある。もう次の行動は分かっていた。
拓羅はバック転で腕を避けると、もうすでに後退していた二人の横に移動した。
「コイツが……あの影の……?」
「だろうな……どうすんですか凋婪さん」
「なんであたしなのっ!?」
そう言いながらも頭の中では色んな考えが渦巻いていた。前を見れば影の正体、ファルが立っている。そして後ろは壁だ。出入口はすぐ横なものの、出た後でどうしたって逃げようが無い。
向こうはかなり好戦的なようで、考える時間ももう無いようだ。精神的にも追い詰められた拓羅と称狼は楓にしがみ付いた。
「どうすんだよ楓っ!」
「凋婪さん!!」
「っだーもーうるさいな!くっ付くな!!」
三人でぎゃあぎゃあ言っている。さすがに痺れを切らし、ファルが口を開いた。
牙が何十本もキレイに整列してる口から出てきたのは、腹に響くような、低い大きな声だった。
「黙れテメェ等!!!」
「うおおお!?楓、アイツスゲェぞ!怖ぇぞ!!」
拓羅は更に力を入れて楓にしがみ付く。
「だからっ……もー!なんだこのメソメソ兄弟はっ!!」
楓も負けじと力を入れて拓羅を引っぺがそうとした。それはファルから見たらただのバカでしかない。人間二人がバカやっている、としか思わなかったようだ。
そして視線を称狼に向けた。称狼の顔は一度だけだが見た事があった。途中でユキが乱入してきたあの時だ。たったの一度でも、ファルが顔を覚えるには十分だ。
「テメェもココに居たんだな。捜したぞ」
隣に居る『バカやってる二人』も動きを止めた。
「ボスの所へ行くぞ」
「なんでだよ!俺はもうあんな奴の手下でもなんでもないんだ!」
「だからこそだ。ボスはテメェが邪魔になったんだ。手下でもなんでもなくなった奴なんだから目の前をウロチョロされると困るんだよなぁ。ま、なんならコイツ等も一緒に連れてってやってもいいけどな?っつーかその方が都合がいい」
ファルがそう言うと、称狼が立ち上がった。
「ふざけんなっ!!二人には手ぇ出すな!俺だけでいいだろ!?」
「なら最初からそう言っとけ!今になって善い奴ぶったってもう遅ぇんだよ、バーカ」
ファルは称狼の腕を乱暴に掴み、担ぎ上げた。そしてそのまま二人の方を向く。
「おら、テメェ等も来い」
顎で外を差し、言った。その時ファルの背中とご対面している称狼が声を張り上げた。
「なんでだ!!俺だけでいいだろーが!二人に手ぇ出すなっつってんだろ!!?」
「オレに命令していいのはボスだけだ。生意気言ってんじゃねぇよクソガキ。オレはテメェみたいな奴が大ッ嫌いなんだよ!おら、バカ二人!早く来い!」
問題児を三人連れてる親のように感じ取れる。丁度大きさ的にもそのくらいだ。
ファルの大きさは通常の人間の倍はある。例えるならば、歯向かったら包丁持って追い掛けてくる近所のオバサンだ。もっとも、ファルの場合牙だけでも十分だが。
地面を歩いている人間二人、ワーウルフ一匹と、その一匹に担ぎ上げられているもう一人の、計三人と一匹は建物の外に出た。歩きながらも拓羅と楓は逃げる事を考えていた。
逃げるなら今しかないだろう。しかし問題は逃げてどこに隠れるか、だ。さっきも簡単に建物内に居る事がバレてしまった。
多分、ファルの鼻を持ってすれば一秒と掛からず見つけられてしまうだろう。
二人はコソコソと話し始めた。
「逃げるなら今、だよな……」
「だろうね。どこに連れてかれるか分かんないし」
「でも逃げた後、だよな……」
「そうだね。どこに逃げたってきっと見つかるし」
「どこに行くか、だよな……」
このまま放っておけば地球温暖化が進んでこの地面がマグマと化すまで延々と喋り続けるだろう。いい加減、楓も止めに入った。
逃げるのはいいが、称狼が肩に担がれたままだ。称狼をどうやってファルの肩からサヨナラさせるかが問題となる。
攻撃を加えて隙を作り、その間に称狼を連れて逃げる。それが最善の方法だが、そんな簡単にいくはずも無い。そんな弱い奴ならばラングの右腕として働いているはずが無いのだ。
しかしやってみなければ分からないと言う事もある。もしやってみて上手くいけば、それに越した事は無い。
「タク、アイツの腹にでも攻撃してやってよ」
「なんで俺なんだよ!お前がいけよ」
「こんな危険な任務をか弱い女にやれと?あぁん?そんな事言う奴は男の風上にも置けないなぁ。あーあー情けない」
「誰が「か弱い」だ、誰が!そんな女居たらとっくにガードして守ってるっつの」
拓羅の意見ももっともだ。どこをどうみても楓は「か弱い」には程遠い。下手すれば世間一般の男よりも強い女だ。
と言うことで、何故かその「危険な任務」は楓がやる事となった。ブツクサ言っているものの、足は準備万端でやる気満々だ。
「楓、行け!」
耳元で拓羅が小声で言い、先ほどまで御託を並べていた楓は無言のまま敬礼した。そして静かにファルの横まで移動する。ファルも、一瞬頭に「?」マークを浮かべて楓を見たが、また前を向いた。
そこを狙って楓は腹に回し蹴りを喰らわせた。
だが痛そうな顔をしたのはファルではなく、楓だった。ファルの腹は、腹とは思えないほどに固く、まるで石のようだったのだ。
しかも丁度つま先で蹴るようにしたため、弁慶の泣き所にもろヒットだ。
意味不明な言葉を叫びながら、足を押さえてケンケンしていた。そこへ拓羅が近づいてきて、口を開いた。
「ダメじゃないか楓。ふざけてちゃ」
「ちゃんとやったよ!!全然ふざけてないよ!!これでもかってほどちゃんとやったもん!!!でもスンゴイスンゴイ固いんだよアイツ!!なんかさ、なんかさ、ホントに腹かよあれ!!?」
「まぁまぁ、そう怒鳴りなさんな」
目に涙をたっぷり溜めてファルを指差す楓の肩を、拓羅は軽く叩いた。
「他の方法を…」
楓が気を取り直してそう言った時には、拓羅はもう居なく、彼もまたファルに蹴りを入れていた。やはり楓と同じようにつま先で蹴ろうとしたため、勿論弁慶の泣き所にもろヒットだ。
先ほどの楓と同様、拓羅も足を押さえて戻ってきた。だが楓は近づく事も無く、遠巻きに彼を見ていた。彼女が何を思っているかは顔にハッキリと書いてあるためすぐに分かる。「バカ」。
二人がそんな事をしている間にも、ファルは何食わぬ顔で称狼を担いだまま歩き続けた。




