第56話 『ファングvsファル』
コンクリートの上に着地したファングはヨロヨロと立ち上がる。一応着地出来たものの、やはりコンクリートは硬く、左前足を痛めていた。
(くそッ……)
少し足をずりながら移動した。
「やっぱ高ぇなぁ……」
上空に止まっているソラを見上げた。普通だったら間違いなく死んでいる高さだ。改めて辺りを見回した。本当にどこへ消えたのか、人間は一人も居ない。
ビルや家の中も見てみたが、誰も居なかった。
ファングの風邪はまだ治っていないらしく、時々止まってはクシャミをした。
「……うー。ヤベェな……」
体をブルブルと振る。その度に左足に響いた。折れているかもしれない。ファングは気休め程度に足を舐めた。
地面に横になり自分の足音さえも聞こえなくなると改めてこの街の静かさが分かる。
しかし、その静かな街の地面に足音が響いた。
「…………!」
ファングは素早く起き上がり、その足音の方を向いた。暗く影になっているところで、その足音は止んだ。
「……やっぱテメェか」
静かに口を開き、ゆっくりとその影に向かって歩き出した。
「よぉファング。……お前だけか?」
顔を出したのはファルだ。ファングは足を踏ん張り、攻撃態勢を取りながら笑った。
「丁度いいじゃねぇか。一対一だ」
「いや、悪いがお前に用は無い。ショウロウ、ってのはどこだ?」
「易々と教えっかよバーカ!!」
そう叫び、ファングは炎を噴き出した。だがもうそこにはファルの姿は無く、黒い焦げ目が付いているだけだった。
「どこ行きやがった……!?」
「お前鈍くなったんじゃねぇ?」
声はファングの後ろから聞こえてきた。慌てて後ろを向くが、もう遅く、ファングは殴り飛ばされた。一度宙に浮いた体は、大きな音を立てて地面に落ちた。
ファルは走ってファングに近づくと、頭目掛けて拳を振り下ろした。
寸前で飛び起き、ファングはジャンプ混じりにそれを避けた。硬い灰色のコンクリートに、丁度ファルの拳の大きさの穴が開いた。
高く飛びあがってファルの上を行き、今度はファングが背後を取った。炎の塊を吐き出す。だが動きの速いファルはなかなか仕留められない。
辺りには煙が充満していて、相手の姿は愚か、どこに居るかさえも把握出来ない状態だ。
(チクショウ……これが身から出た煙ってヤツか……!?)
間違ったことわざに対して歯軋りしながら、ファングは足を踏ん張った。姿が見えないため先制攻撃は逆に危険だ。
ファングが神経を張り巡らせる中、ファルはニヤリと笑った。ファルにはちゃんとファングの影が見えていた。
そうなるとやはりファルの方が勝っているようだ。しかし攻撃をしようとしない。攻撃の代わりに、微かに音を立てた。
案の定ファングの影はその音と同時にビクンと動く。それを見て、ファルはまた静かに笑った。
しばらくの間そうやってファングをからかい、遊んでいた。
そしてそろそろ煙が晴れると言う頃、やっとファルが動いた。足音一つ立てずに背後に回り、ファングの頭をガッシリと捕まえた。
「……!!!」
今になって後ろを向こうとするファングを嘲笑うと、頭を持ったまま体を地面に何度も叩き付けた。五回ほどやった後、ファルはジャンプした。
そしてそのまま腕を振り下ろす。ファルの体と共に、ファングも落とされた。コンクリートの地面が豪快に割れ、周りに破片が飛び散った。
その開いた穴と煙の量が衝撃を物語っている。
風によって煙が晴れ、ファルの姿が見える。今も尚ファングの頭は、大きなファルの手に押さえつけられたままだった。
ファングのうめき声は、次第にうなり声へと変わっていった。地面とファルの手の間に挟まれた、開く事が制限されている口から低いうなり声が聞こえてくる。
「なんだ?ショックのあまり言葉を失ったか?」
「……放せ………………」
「ショウロウはどこに居る?言ったら放してやる」
「…………ふ、ざけんな……!」
ファルはニヤリと笑うと、ファングの頭を放し、今度は後ろ足を掴んだ。そのまま腕を上げてグルグルと回し、正面に飛ばした。
スピードを出して飛ぶファングの体は、ビルの壁に当たってやっと止まった。ビルの一階と二階の窓は全て割れ、壁にもファングの体の三倍ほどの穴が開いてしまった。
壁のガレキと一緒にファングも下にずり落ちる。懸命に立とうとするが、足が震えて力が入らない。
そんなファングの正面にファルが立った。
「答えろ。ショウロウはどこだ」
「………………死んでも……教えねぇよ……!」
言葉を発する度に口から血が出る。白い歯は既に赤く染まり、灰色のファングの体にもその赤はこびり付いていた。
「頑固者だな。だが居場所を教えん奴に用は無いんだ。今すぐ死ね」
そう言うと、ファルは白い毛むくじゃらの手から黒い爪を出した。鋭く尖った先は怪しく光っている。
「オレを殺したって…………何のメリットも無いぜ……?」
「邪魔者が一匹消える。立派なメリットだ」
ファルは肩を軽く上げて笑った。だがいくら笑っていても、攻撃的な目が優しくなる事は無かった。笑いながら腕を後ろに引き、爪は真っ直ぐにファングを向いた。
黒い爪の先とファルの目が同時に光り、振り下ろされた―――。
「楓ぇぇぇ!!いい加減放せよお前ッ!!」
一方、こちらはソラの上に居る平和な三人だ。
「そうだよ凋婪さん!俺等が死んだらどーすんだよ!」
「称狼はともかくこの男が簡単に死ぬはずないね」
楓はそう言いながら拓羅を目で差した。見られた拓羅は、舌を出して「お前もだろ」と厭味ったらしく言った。
その瞬間、楓の手の力が緩む。強気だった拓羅は急に弱腰になり、叫びながら謝罪の言葉を連呼した。
「さてと、こんな事してる場合じゃなかった」
やっと拓羅と称狼を上に引き上げ、今度は楓が下を見た。後ろで二人がニヤリと笑った事にも気付かず、ファングを探している。
「かーえーでっ」
「凋婪さんっ」
二人で同時に呼ぶ。
そして振り向いた彼女の額を人差し指で軽く突くと、いとも簡単にバランスを崩した。ギリギリの所でソラの毛を掴み、なんとか持たせた。
「ひっ……ヒキョーだ二人してっ!!」
「ホレホレ、落ちるぞ?」
「なーに、単なる仕返しですよ、凋婪さん」
称狼はわざと楓の目の前にしゃがみ込み、笑いながら言った。
「いやでも仕返しどころじゃ済まないし。…………っつーかもう落ちそうだしっ!!!」
「大丈夫だ楓!死ぬときゃ一緒さ!」
「そりゃ助かった」
今度は楓が笑い、自分から手を放すと同時に二人の足を掴んだ。案の定二人は引きずられる。そしてとうとう三人で落ちていった。
マヌケな三人組を見て、ソラは笑いながらため息をついた。
「うおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!?」
「有りがちな叫び声はうるさいよ、タク」
「テメェが言うな!!元凶はお前だろ!!」
「まぁまぁアニキ、そう怒鳴るなって。ホラ、もうすぐ地面だし」
「……え?」
楓と拓羅は同時に下を見た。すぐそこに灰色の地面が迫ってきている。
「だっ……大丈夫だ!きっとファングも大丈夫だったんだから俺等だって…………」
拓羅が自己暗示を掛けている間に、三人はコンクリートにぶつかった。三人分の衝撃音が響き渡り、しばらくは地面が揺れている感覚にまで襲われた。
「…………いぃったぁー……全っ然大丈夫じゃないじゃん!」
「まぁあの高さだし…………っつかさ、改めて俺等スゲェな!すんげぇタフじゃねぇ?」
変なところで興奮する拓羅に、楓と称狼は二人して冷めた視線を送った。
「しっかし凄いトコから落ちましたね、俺等」
三人共命の保障が無いバンジージャンプを味わえたことだろう。ゆっくりと起き上がる。
動くと更に体の節々が痛んだ。
ぎこちなく動く腰を押さえ、拓羅が口を開く。
「腰痛ぇ……」
「ジジくさッ!」
「うるっせぇな!!痛ぇもんは痛ぇんだから仕方ねぇだろーがっ!!」
激しく動き、拓羅は「しまった!」と言う顔をした後でまた上半身を前にかがめた。
「はいはい。腰痛じーさんは安静にね」
わざと厭味ったらしく言う楓を、拓羅が睨んだ。
二人の隣では称狼が辺りを見回している。
「さて、行きましょうか」
スッと立ち上がり、一歩踏み出した。その瞬間、爆発音のような音が三人の耳に入ってきた。耳を劈くような音と、地響きもおまけに付いてきた。
「うわっ……!?」
立っていた称狼の体は地面の揺れに耐え切れず、その場に倒れ込んだ。
元々古かったのか、地響きが凄すぎたのか、ビルはどんどん崩れていく。
だが、ビルの崩壊の原因は前者でも後者でもなかった。人間が来た、と言う事を感知し、ファルがビルを押し倒していたのだ。
「くっそ!どうなってんだ!いくらなんでもおかしいだろ!」
三人はビルの下敷きにならないように全速力で走っている。称狼の隣で、拓羅が息を切らしながら叫んだ。
「叫ぶなアニキ。体力の無駄だぞ?」
「っつーかどこまで走りゃいいんだよ!?」
称狼に言われても、拓羅はまだ叫ぶ。「どこまで」と言われても、楓も称狼もそんな事考えていなかった。
避難するのに適当な場所も見当たらない。楓と称狼は、まだ叫んでいる拓羅の横で顔を見合わせた。そしてほぼ同時に、拓羅に向かって「黙れ!」と怒鳴る。
しかし一向に拓羅が黙る気配は無い。
「どうしますか凋婪さん」
「もうあんなヤツ無視」
「だけどうるさくて隠れる場所探すのに集中出来ません」
楓は一度冷めた目で拓羅を見ると、称狼に視線を向け、口を開いた。
「……殴れ」
「ラジャ!」
称狼が声をあげ、そのすぐ後にゴン、と言う音がした。




