第55話 『白雪姫?』
「あんな奴等がオレに勝てるハズが無いだろ…………ボスも冗談が過ぎるぜ……」
森の中の、太い木の影に隠れて笑っているのはファルだ。
楓と拓羅がソラに乗って退きかえした後、ファルはラングを建物内に置いて密かに後をつけて来ていたのだ。
建物の壁に寄りかかるラングの口から出たのは、「強いぞ。油断するな」と言う言葉だった。今、その言葉を思い出して、ファルは笑っていたのだ。
(オレの事にすら気付かないマヌケ共め…………)
ファルは怪しくと笑うと、「冥土の土産にでもするか」と言った。そして次の瞬間には、もうその場にファルの姿は無かった。
もう大分太陽が昇ってきている。楓がソラの傍で丸まって寝ている横に、称狼も丸まっていた。太陽の光が顔に当たり、眩しそうな目をゆっくりと開けるのは称狼だった。
「ん…………あれ?今何時だ…………?」
目をゴシゴシとこすると、楓の肩に手を乗せようとした。
肩を少し揺すると同時に楓は急に目を開け、称狼にアッパーを喰らわせた。
「んのヤ、ロ……ウ…………??あ、れ?称狼。おはよ」
「…………おはよ、じゃねぇよ……いってぇ…………!」
顎を押さえながら目に涙を溜めている。どうやら敵と間違えたようだ。楓がヘコヘコ謝っている。
「凋婪さん、今何時ですか」
頭を下げたままの楓にそう言うと、彼女は「は?」と言って顔を上げた。
「太陽がスッゴイ昇っちゃってますよ。もうそろそろ出発しないと…………」
称狼がそこまで言うと、二人同時に森の奥を見た。
「なんか…………嫌な予感がしません……?」
「する…………けど……マズイよ、今来られても」
「だけど大体そう言う時を狙って来ますよね」
「……よし、逃げよう!即逃げよう!ソラ、起きろ」
楓はソラの頭を軽く叩いた。称狼は、まだ眠そうな目をゆっくりと開けるソラに一度視線を向け、また楓に戻す。
「逃げるんですか!?」
「はいはい、驚いてる暇があったらアイツ等運びんしゃい」
彼女は目を見開いている称狼に向かってそう言い、拓羅達の方を指差した。称狼も仕方なく頷き、拓羅達の方へ走った。
「なんだよ楓。どうした?」
ソラが伸びをしながら聞く。
「いいからとにかく飛ぶ準備しといて」
楓はソラの頭を軽く撫でると、早口で言った。
「……いいから、って…………まぁいっか……」
状況がイマイチ把握出来ないまま、ソラはウォーミングアップを始めた。
と言ってもひたすら伸びをするだけだ。
―――数分後、全員ソラの上に乗り、ソラの足は地上から離れた。
飛び立った後、ファルが森から出てきた。空を見上げ、最初は悔しそうな顔をしていたが、次にはニヤリと笑っていた。
「さぁて……どこまで逃げられるか…………」
そしてまた上空のソラを追って地上を走った。
「凋婪さん、アニキの熱下がってかないですよ……」
雲の上を飛んでいるソラの上で、称狼が弱々しい声を出した。
「…………」
「凋婪さ…」
「ただの風邪でしょ。放っときゃ治る」
楓の意外な言葉に、称狼は目を丸くした。
「なん……なんだよそれ!?アニキの事なんてどうでもいいんですか……!?」
「男のくせにメソメソすんなっつってんの。自分の手が冷たいから熱く感じるだけなんじゃないの?その男は簡単にはくたばらないっつの…」
その時、称狼が急に楓の頭を叩いた。
「いっ……ちょっと何すん…」
「ふざっけんなよ!!!最低だな凋婪さん!見損なったよ!」
「……あのさぁ、アンタ今自分の命狙われてるって分かってんの?人の事より自分の事心配してなさいよ」
「分かってるよ!だからなんだよ!!」
睨みながら叫ぶ称狼を見て、楓はため息を漏らした。
そしてしばらくしてから、「ゴメン!」と言うと、称狼の頭を殴った。
ゴン、と言う鈍い音がして、称狼の怒りは最高潮となった。
「なっ…………何すんだこの野郎!!!」
「だからゴメンっつったじゃん」
至って平然と返す楓の胸元を掴むと、称狼は更に睨んだ。
「アニキが死んだっていいのか?どうでもいいのかよっ!?」
「……誰がいつそんな事言った?」
自分の服を掴む称狼の腕を、今度は楓が掴んだ。
彼女の顔にも怒りの色が見え始めていた。
「……放っとくんだろ。放っといてどうにかなったら…」
「じゃあどうしろって?……今この状況で、あたしに何しろって言いたいの!?」
低い声でそう怒鳴ると、称狼はしばらく目を泳がせ、掴んでいた服を放した。楓も称狼の腕を放す。そして伸びをしながら前を向いた。
しばらくそのままで沈黙が流れたが、楓は自分の肩越しに称狼を見ると口を開いた。
「すぐ元気になるよ」
優しい声でそう言った。称狼がパッと顔を上げ、楓の目を見る。
それと同時に彼女は慌てて前を向いた。
「……ソラ、今どこ?」
「だーかーら、お前学習能力ねぇなぁ。この雲の上からじゃ分かんねぇっつってんだろ」
「でも方角分かってて飛んだんじゃないの?いくらのソラでも考え無しに飛ぶほど馬鹿じゃないよねぇ?」
「…………言うじゃねぇかテメェ……今この場で落としたっていいんだぞ……」
「あははー!意地でも落ちてやんねー」
楓が舌を出すと、ソラはムッとした表情の後、後ろ足で体をガリガリと掻いた。しかも丁度楓の居る所を狙ってだった。
「ちょぉっと!あっ……危ないなぁ!!何すんのっ!!」
「おー、悪いな。体が痒くなっちまってよ。あっはっはー!」
今度は空が舌を出す番だった。
その瞬間、楓のこめかみに「ムカツキマーク」が出そうになった。だが段々と自分のしてる事がバカらしく思えてきたのか、挨拶しようとした「ムカツキマーク」は敢え無くサヨナラする事となった。
「凋婪さん」
後ろから称狼が楓を呼んだ。どうやら拓羅が呼び出しをしているようだ。
「何?」
ノソノソと拓羅の方に行き、横から声を掛けた。
「楓ー……俺はもう死にそうだぁ…………」
「…………だから?」
「相変わらず冷てぇなぁ……愛しのダーリンが寝込んでるってのに……」
「バイバイ」
そう言うと、楓はまたソラの頭の方へ行こうとした。だが拓羅が焦って呼び止めたため、うざったい物を見る目をして仕方なく振り向いた。
「お前知ってるか?王子様はお姫様のキスで目ぇ覚ますんだぜ?」
「逆でしょ」
「…………い、いいんだよ!!細かい事気にしてんじゃねぇよ!!」
拓羅が叫んだ。急に叫んだ為、ゴホゴホとしばらく咳込んだ。
そんな拓羅を見て、楓はいつものように呆れ顔でため息をつく。
「なぁ、ここまで言えば何すりゃいいか分かんだろ……?」
「…………あ……うん!分かった!!」
ついさっきまでの呆れ顔が嘘のように、楓は目をキラキラ輝かせて嬉しそうに言った。
拓羅は、ニッコリと笑うとそのまま目を瞑った。今か今かと待っている。
しばらくしてから、拓羅の唇に何かが当たった。
ゆっくりと目を開けてみる―――。
だが開けた途端、トロンとしていた拓羅は、一気にギョッとした顔になった。
目の前に居たのは紛れもなくユキだった。
「…………ななななんで…………」
「だって白雪姫でしょ?めちゃくちゃ丁度いいじゃん!タクってば風邪の時でもギャグ考えてんだねぇ?」
冗談では無いらしい。真顔でそう言っていた。
拓羅は「違ぇ!!」と怒鳴ろうとしたが、乾いた空気が喉に入ってきた為、咳でその言葉はかき消された。
「なんやたっくん、あたしとキスしたかったんかぁ?そんならいつでもしたるさかい、どんな時でも呼び出してくれて構わへんよぉ」
「い、いや……遠慮しとく…………」
慌てて両手を顔の前で振る。ユキは「つまらへんなぁ」と言ってドシドシと戻っていった。
楓と拓羅の横では、称狼が笑いを堪えるのに一生懸命になっていた。腹を押さえて肩が大きく震えている。拓羅はそんな称狼を睨み、楓はキョトンとした顔で見ていた。
「凋婪さんマジで言ってんですか?」
目に溜まった涙をヒーヒー言いながら拭き、楓の肩を叩きながら言った。
「称狼…………お前もうあっち行け……」
二人の隣で、拓羅は上着を顔まで被った。
「まぁ頑張れよ、アニキ。手強いと思うけど」
そんな拓羅をからかうような目をして称狼は言った。
「うるせぇ!お前に言われなくても分かってんだよ!!」
「何?何が??何言ってんの?」
称狼は再度笑い出し、またも楓の肩を叩くと、ソラの顔の方に向かった。称狼がソラの首辺りに来た時、急に降下した。
「うおぉぉっ!?」
この降り方は拓羅にとっては地獄以外の何物でもない。反射的に上半身を起こした。
雲の下に行くやいなや、ソラが声を張り上げた。
「おい!!なんか追ってきてんぞ!?」
その声に、楓は目の前にある拓羅の顔を「邪魔!」と言ってまたソラの体にくっ付けた。そのまま拓羅を放って尻尾の方まで駆ける。
もうすでに森は抜けたらしく、下にはビルなどが並んで見える。都会だ。どうやら大阪の方まで来たらしい。
「おかしいぞ、ここ……」
いつの間にか、楓の隣には拓羅が居た。称狼と楓の上着を重ねて着ている。
「何が?」
「人が少なすぎる」
確かに、都会の昼間にしては人があまりにも少ない。
その静かな街の中で、何かが動いた。物体を目で捉えるのだけで精一杯と言うくらいの速い動きだ。
「楓、なんだよあれ?」
「知ってたら苦労しないっつーの」
「確かめてきますか?」
寝そべっている二人の隣に、称狼が来た。しかし楓は一度頭を抱え、称狼の目の前に顔をやった。
「だから!アンタは今命を狙われてるんだっての!!そーゆー軽率な行動が命取りになるんだこのボケッ!!」
「凋婪さん凄い顔になってますよ?」
「………………なんでアンタはそぉ……」
「誰も俺が行くとは言ってないじゃないですか」
称狼は笑顔でそう言った。今ココに、健全な体なのは称狼、楓、ユキ、ソラだけだ。だがソラは病人らを乗せていないといけない為、カウント外。
そうなると残ったのは称狼、楓、ユキだけとなる。そしてその中で称狼が行かないと言うことは、楓とユキと言う事になる。
「でもユキは大切な跡継ぎなので行かせられませんからね」
「…………て事は…………?」
「凋婪さん、トボケごっこは無しですよ」
目の前で目をパチクリさせる楓に向かい、称狼はまた微笑む。楓の顔が一気に青ざめても尚、微笑むままだった。
するとそこに拓羅が入ってきた。二人の間に入り、楓を守るようにして両手を広げると首をブンブン横に振った。
「ちょっと待てよ称狼!楓だけで行かせるなんて俺が許さねぇぞ!」
「おー!タクもっと言ってやれ!」
拓羅の後ろで楓が応援している。そして調子に乗った拓羅は、称狼の服を掴んだ。
しかし称狼の余裕に満ちた目に少し怯む。
「じゃあ何?アニキが行く?別にそれでもいいよ」
「よーし楓!行ってこい!!」
パッと服を放し、楓の方を向く。瞬間、楓のゲンコツが頭に落ちてきた。
「いってぇなテメェ!何すんだ!」
「うるさい!お前なんか一生グースカ寝てろっ!」
「な……なんだと!?コラァ!!この高慢チキチキ女っ!」
「おーうやるってのか、こんの腰抜けメソメソ男っ!!」
二人が取っ組み合いを始めようとした時、とうとうソラが痺れを切らしたようだ。
牙を剥き出しにして、「早くしろよお前らッ!!」と怒鳴ってきた。
その瞬間、称狼と拓羅の二人は一気に楓を押し始めた。下はビルや何やらの大都会。勿論、コンクリートだ。ここから落ちたら怪我だけでは済まないだろう。
「ちょっ……な、何すん……ホントに落ち……」
「いい!落ちろ!落ちてアイツを捕まえて来い!!」
「そうだよ凋婪さん!俺達の為と思って……」
「何が悲しくて自分を落とそうとした奴等の為に動かないといけないんだよっ!!」
次は楓が怒鳴る番だ。二人の腕を捕まえて逆に落とそうとした。
顔をそらす事が出来ない中で、一気に拓羅の声が変わり、本当に死に物狂いで叫んだ。
「ちょちょちょちょっ!!焦るな!楓!!やめろ!!シャレにならんぞ!!」
「るっさいわ!!高所恐怖症の拓羅さんやい、どうですかこの景色は!!」
ギャーギャーと騒いでいると、突然、横を何かが通り過ぎた。三人共キョトンとした顔で見ていたが、すぐに「ソレ」がなんだったのか分かった。
「…………ファング……!?」
灰色のコンクリートに向かって落ちていくファングの体が辛うじて見えた。着地に成功したのか失敗したのか、ドサッと言う音が微かに聞こえてきた。




