第52話 『ユキ参上』
深く、荒れている海から最初に顔を上げたのは拓羅だ。その少し後に楓の顔も上がった。
「さっっっびーーー!!!」
「服重ぉっ!」
よく生きていられたものだ。
楓は腕の縄を懸命に引いてちぎろうとしていた。しかし何十にも巻かれているため、なかなかちぎれない。
力を入れれば入れるほど自分の体は沈んでいく。
「・・・あ、でも二人同時に入れてくれたのは幸運だったね。はい、タク」
そう言うと、楓は後ろを向き、自分の腕を拓羅の前にやった。「食いちぎれ」と言う事だった。
「俺は犬かっ!」
ブツクサ言いながらも作業に入った。
ちぎる間も風は容赦なく吹いてきて、濡れた二人の体温を見る見る奪っていく。
数分後、やっと紐がちぎれた。楓も拓羅の紐をほどき、最後に足の紐をほどいた。
しかし問題はここからだ。上れそうなものは何も無い。
「こっからどーしよーねぇ・・・」
「とりあえず・・・・・・」
壁に手を付く楓の隣で、拓羅はせっせとトレーナーを脱ぎ始めた。そして楓の方を見るなり、「ホラ、お前も」と言った。
「え。・・・だって出た時寒くない?」
「お前風呂に入ってるババアか。今沈むのとどっちがいいんだよ。なるべく重い物を無くした方が・・・」
「あーもー!分かったよ!分かりましたっ!!」
こうして、海には二人分のトレーナーが流れた。
「俺泳ぎって得意じゃないんだよなぁ・・・」
コンクリートの壁を見上げる楓の隣で、拓羅が苦い顔で言った。
「安心しなさい。いざとなったら・・・」
「助けてくれんのか?」
「置いてくから」
満面の笑みでそう言った。そんな楓の顔に水を掛けると、「だろーな」と言って拓羅はスイスイ泳いでいった。
「泳げるんじゃん!」
頭だけ見える拓羅に向かって言い、楓も続いた。
そして泳ぎ続ける事数十分。二人はなんとか陸に上がれた。そこはあの倉庫が近くにある砂浜だった。
全身が風に晒され、半端ない寒さが二人を襲った。
陸に上がったはいいが、称狼がどこに連れていかれたかなんて分からない。
「服ビッショビショじゃねーか・・・・・・家に帰ってる暇も無いしなぁ・・・」
楓の後ろでは拓羅がブツクサ言っている。そして結局最後には「どーする?」と聞いてきた。そのすぐ後、ため息が聞こえた事は言うまでもない。
そしてその頃、ユキは頭を押さえながら放浪していた。
「称狼様ヒドイやんかー。呼び出したくせにおらへんなんて・・・。しかも頭痛いし」
壁に頭突きした為、頭の中はまだクラクラしていた。やはり白くまの力を持ってしても壁を突き破るのは辛いようだ。
ノロノロと街を歩いていると、東から光が差してきた。
「・・・あ。朝日や」
光を浴びて、少し目を細めながらそう言った。白い毛が輝いて見えた。
「朝日・・・・・・朝日新聞ってどんなんやったっけ・・・」
ブツブツ言いながら再度歩き出した。しばらく歩いたところで、耳がピクリと動き、「ん?」と言って横の建物を見つめた。
ゆっくりと白いドアを押してみた。白いドアに赤い血がべっとりと付いてるのを見て、ユキは固まってしまった。
(なんやこれ・・・・・・!!?)
中を見たユキは更に固まった。
(や、や、ヤバイ!!かえちゃん達どこ行ったんや!?)
キョロキョロするが、無論、近くに彼女達の姿は無い。
(こうなったら・・・しゃあないな・・・・・・)
ユキは魔法の準備をした。口の中に冷気が溜まっていく。
準備万端で中に入った。
「何しとんのアンタ等!!」
そう叫ぶと中に居た者はユキを見た。暗闇で顔はよく見えないが、その人物の下に居る者は分かっていた。
(称狼様・・・・・・!!)
ユキは称狼に目をやる。傷口がパックリと開き、意識が朦朧としているようだ。
「ユキか」
称狼の上に居る人物がそう言った。暗闇の中でも、笑っているのが分かる。スッと立ち上がると、ユキの方に向かった。
もう少しで顔が見える、と言うところで、ユキは口内に溜まっていた冷気を吐き出した。
(やったか?)
そっと近づいてみる。氷の中には何も居なかった。
(嘘やん!ちゃんと仕留めたハズ・・・・・・)
「役立たずだな」
声は後ろから聞こえた。ユキは、驚いた表情で後ろを向くと同時に腹を蹴られた。
「ファル。コイツの相手をしてやれ」
「了解」
(ファル・・・!?って事はコイツ、ラングや!)
「立て。オレの玩具になってもらうからな」
そのまま無理矢理立たされると、殴り飛ばされた。壁に激突し、骨の折れる音が響いた。見ると右前足が変に曲がっていた。
「チ・・・」
折れた足を庇いながら立ち上がり、氷を吐き出した。しかし悉く避けられる。まだ向こうには少しも攻撃が当たっていない。
(くそっ! なんで当たらんのや!!)
何度も何度も氷を出すため、建物内の至る所に銀色に光る氷がへばり付いていた。
(ヤバイ。このままじゃあたしの方が先にくたばってまうやんか)
荒い息をしながら、チラリと横を見た。称狼とラングが居る。ラングはナイフを持った手を振りかざし、称狼に突き刺そうとしていた。
「・・・・・・!!!」
ユキは「称狼様っ」と叫ぶと、ラングのナイフの下に滑りこんだ。その拍子に右足を付き、倒れ込む。そのままナイフは下に振り下ろされた。
床に血が飛び散る。口からも出た。白い毛が、腹から出る血で赤く染まっていく。
ヒューヒューと息をしながら、自分の下に居る称狼を見た。目を見開いてユキを見ている。
「多分・・・・・・もうすぐたっくん達来るさかい・・・・・・それまでの辛抱や・・・・・・」
「・・・・・・」
喋る度に口から真っ赤な血が出る。それは称狼の服にもべっとりと付いた。
「称狼様は死んだらアカンで・・・・・・」
「お前だって・・・!」
「なぁ、茶番劇繰り広げてる暇があったら立て」
血の付いたナイフを持ちながら、ラングはつまらなさそうに言った。その言葉は、称狼の目を変えさせた。
ユキを自分の上から下ろし、ゆっくりと立ち上がる。そしてラングを睨みつけながら、口を開いた。
「コイツが死んだらどうしてくれるんだ」
「俺の知ったこっちゃないな。死ぬなら勝手に死ねばいい」
その時、ラングの頬に硬い物が当たった。一秒後、彼の体は横に吹っ飛んだ。称狼が傷だらけの拳で殴ったのだ。
ラングは壁にぶつかって下にずり落ちた。すると、立ち上がる暇も与えず称狼は腹を蹴った。もう一度蹴ろうとした時、後ろから首を掴まれた。
「ぐっ・・・!?」
「ボスから離れろ」
ファルだ。首を掴む手に力を入れてそう言った。懸命に手を引き剥がそうとするが、力の差があまりにも激しい。ビクともしなかった。
「アンタこそ称狼様の首放しぃや!!!」
ファルの横で声がした。同時に、ファルのもう片方の手が凍った。
「!貴様死んでなかったのか!?」
「そう簡単に・・・死んでたまるかドアホ!」
しかし、そう言うユキの足はフラフラとしていた。息も荒いままだ。ユキの腹の部分には、氷が付いていた。自分で付けたのだろう。一応は止血出来ている。
「どないしたんや。アンタの相手はあたしやろ?早よ称狼様放さんか!!」
もう一度氷を出した。ファルは反射的に称狼の首を放すと、横に避けた。放された称狼は、やっと立ち上がったラングをまた蹴った。そして傍に有ったナイフを拾い上げる。
ラングに向かって勢いよく振り下ろした。ナイフは彼の足に突き刺された。うめき声をあげ、足を押さえる。押さえる手にもナイフを刺した。手の甲に菱形の傷が出来、ラングの声は更に大きくなった。
ラングが動けないことを確認すると、次はファルの方へ急いだ。ユキを止める事に夢中になっているファルのわき腹に蹴りを入れ、そのすぐ後に腹にナイフを刺した。倒れ込みそうになるファルの顎を殴り、後ろへ倒した。
そしてユキを抱き上げると、急いで外へ出た。
「称狼様!怪我・・・・・・」
「いいから黙ってろ!」
ユキにそう怒鳴り、称狼は上着を脱いだ。その上着で両方のドアのノブを縛り、開けられないようにした。縛り終え、後ろを振り返ってユキを見た。
「走れるか?」
「で、でもあんまり走ると氷外れて・・・」
「そうだよな・・・」
また抱き上げると、そのまま街へと走った。
(とにかくバレない所に・・・)
頭の中にはそれしか無かった。しかし夜のため、建物などは全て閉まっている。
「称狼様、どないすんの?」
「とりあえず・・・」
呟いて路地裏に入ると、ユキを下ろした。腹の氷は大分溶けてきている。称狼は自分の服を脱ぎ、ユキの腹に巻いた。シャツ姿の称狼を見て、ユキは「ありがとうございます・・・」とボソボソと言った。
「とにかく今はアニキ達にも知らせないといけないな」
ポケットから携帯電話を取り出す。ディスプレイに拓羅の携帯番号を出して掛けた。
だが何度鳴っても、電話の向こうから拓羅の声がする事は無い。
「うーん。ぶっ壊れてんなぁ・・・・・・」
場所は、再度楓と拓羅の居る砂浜に戻る。バサバサになった髪を触りながら、拓羅は壊れた携帯電話を手にしていた。
「そりゃそーでしょ。水浸しだし」
「だよなぁ。・・・金もう無いのに」
「家の電話使っとけ」
「あぁ。そうする」
彼が称狼からの電話に出ないのは当たり前の事だった。




