第51話 『ファル』
拓羅が目を覚ましたのは病院に運ばれてから三時間は経った頃だった。体を起こそうとしたが、痛くて起き上がれなかった。右手は包帯がグルグルに巻かれ、足も同様だった。
「痛ってぇ・・・・・・」
右手は痛くて握る事すら出来ない。辺りを見回すと、隣のベッドには称狼が居た。静かに寝ている。拓羅はようやくラングの言葉を思い出した。
(称狼を殺す――――)
じっと弟を見つめた。しかしなんだか安心出来ず、称狼が息をしているか確かめに行こうとしていた。だが足も少し動かすだけで物凄く痛い。
「あー、ダメだ。動けねぇや。クソッ・・・」
そう言ってベッドに寝直した時、病室の白いドアが右にスライドした。
「あ、タク起きたんだ」
「おう」
よく見ると楓の手や顔には絆創膏が貼ってあった。
「・・・・・・」
「ねぇねぇちょっと聞ーて!これさぁ、いいって言ってんのにペタペタ貼り付けてきやがったの!!どうよ!これどうよ!?」
「・・・あん?」
「あん?じゃなくて。これ見てどうも思わないの!?」
「・・・・・・思わない・・・」
「・・・あ、はい。もういいです」
諦めたようにそう言って、楓はベッドの近くの椅子に座った。そして顔の絆創膏をベリベリはがし始めた。
「何してんだお前」
「はがしてんの」
拓羅が「見りゃ分かる」と思ったところではがし終えてゴミ箱に捨てると、再度外に出て服を持ってきた。見ると拓羅の物だと分かった。
「はいコレ」
「服・・・・・・?着替えが見たいのか?」
楓は「アホか」と言って拓羅の顔に服を押し付けた。そしてベッドをカーテンで囲った。
そのカーテン越しに二人は話した。
「・・・楓」
「んー?」
「ラングな、称狼を殺す、って言ってた・・・」
カーテン越しでも拓羅には楓の動きが止まったのが分かった。
「・・・・・・なにそれ」
「分かんねぇけど・・・多分今日それの為に称狼を呼び出したんだと思う」
「あぁ、そいえばあのナイフ・・・」
「称狼殺す為だろうな・・・・・・なぁ、称狼息してるよな?」
「は?何言ってんの。してるに決まってるでしょ」
そう言いながらも楓の声は徐々にボリュームダウンしていった。そして急に立ち上がると、称狼の息を確認した。拓羅の言葉もあって一瞬心臓がドクンと音を立てたが、息はちゃんとしていた。称狼の口に当てていた手を下ろし、安堵のため息をつく。
「大丈夫だったか?」
「当たり前じゃん!」
そうは言ったものの、大きな音を立てた心臓と安心せいで目が少し潤んでいた。だが息をしている事を分かったため徐々にひいていった。
「アイツ・・・絶っっ対弄んでるよ」
「あ?アイツって・・・ラングか?」
着替え終わった拓羅がカーテンを開けながら言った。楓はやっと出した彼の顔を見ながら無言で頷く。そして膨れっ面で続けた。
「称狼殺したいんだったらなんで倉庫に呼び出してすぐ刺さなかったんだろって思わない?」
「思う」
拓羅は「俺もお前も殺すって言ってた」と言いたいのを堪え、頷いた。今そんな事を言ったら楓の逆鱗に触れるのは自分だけだ。拓羅の中はそんな気持ちだとも知らず、楓の顔はタコチュー顔になる一方だった。
その頃、ラングの方では称狼を殺すための計画が立てられていた。
暗い部屋でロウソクに火を付け、紙を広げる。楓大大大正解だ。
ロウソクの灯りに照らされてラングの隣には一匹のワーウルフが居た。
ラングは紙を指で差し、隣のワーウルフに声を掛けた。
「いいかファル。称狼は今入院中だ。逆に狙い易い。お前は楓と拓羅を捕まえろ」
「はい」
「もし暴れたら殺さない程度に・・・そうだなぁ、骨でも折っとけ」
「任せてください」
「ファル」と呼ばれた者は指をパキパキと鳴らし、ニヤリと笑った。曲げた腕には物凄い筋肉が付いていた。こんな腕なら骨を折るなんて容易いことだろう。
一人と一匹は立ち上がると、窓から外に出た。彼等の飛び出た外はもう暗く雨も止んでいて、大きな丸い月が異様に明るく感じた。
夜、病室には三人居た。称狼、楓、拓羅だ。本来なら楓は病室に居る必要はないのだが、拓羅からラングの事を聞き、下手ながらも芝居をして入院させてもらう事になったのだ。
「楓、ラング来ると思うか・・・?」
「そりゃ来るでしょ」
「来たら・・・頼むぞ。俺も称狼も動けそうにない・・・」
(とか言って実際に来たら止めても聞かないくせに)
楓はベッドに寝転がりながら、半ば呆れ顔だった。
「一難去ってまた一難ってまさしくコレの事言うんだろーな」
「珍しいねぇ、タクがそんな事言うなんて」
「おい!俺をいくつだと思ってんだ」
「精神年齢5歳!」
こういう時ばかり、楓は元気な声で言った。それを聞いて少し睨んだ拓羅だったが、すぐに普段の顔に戻った。そしてニカッと笑うと、「楓ー」と呼んだ。
「んあ?」
「こっち来て」
「・・・なんで」
「いいから!」
「自分が来りゃいーじゃん」と言おうとしたが、その言葉が喉まで出掛かった時に彼が動けない事を思い出し、しぶしぶ拓羅のベッドへ向かった。
今は夜の1時だ。病棟は静まり返っている。裸足にスリッパの楓は「寒いし」と怒りながら椅子の上であぐらを掻いた。
「で、なんでしょう」
座って肺の中に溜まっていた空気を吐き出すと、そう言った。拓羅はもう一度ニッと笑うと、動けないと思っていた体で動いた。
「・・・なにアンタ動けんの!?」
「俺回復力だけはいいんです〜」
(っつっても早すぎだろ・・・)
楓は心の中でツッコミを入れると、すぐ近くにある拓羅の顔を見た。
「・・・・・・動じねぇの?」
「何に?」
「だからこう・・・今迫ってんの、俺」
「何に?」
「だからお前・・・」
「あ、来た!」
急に窓を見て言う楓のまん前で、拓羅はズルッと滑り、顔をベッドの柵にぶつけた。
(誰かコイツの鈍さをどうにかしてくれ・・・)
心の中で一生の願いを呟き、顔を上げた。
「なんだよ・・・。何が来たって?」
「ホラ」
楓は拓羅の顔をチラリと見て窓を指差した。楓の指の先には、ラングの姿があった。
「・・・・・・来やがったな・・・」
拓羅が歯軋りをした時、ラングは窓をすり抜けて病室の床に足を置いた。
「・・・・・・!?今お前・・・すり抜け・・・」
「何を驚いてる?俺らならこのくらいどうって事ないんだ」
ラングはそう言いながらベッドに横たわる称狼を見た。ニヤリと笑ってベッドへ近づく。
「あっテメ・・・!!」
止めようとしたが、やはりまだ素早く動ける体ではない。その時、銀色のロッカーの隣に置いてある物に目がいった。急いでそれを手に取る。
ラングが称狼のすぐ近くまで行くと、後ろから棒が振り下ろされた。
スコーンと言うマヌケな音を立てて、棒は彼の頭に命中した。
「鈍っ!!」
「キサマ・・・!」
後頭部を押さえながら後ろを向くと、楓がモップを持って立っていた。彼女は一人で勝手に頷くと、「よし。気が済んだ」と言った。
「あ!?」
「あ?じゃなくて、仕返し。ホイ、さんきゅ」
そう言って座りこむ拓羅にモップを返した。
「仕返しだと・・・!?馬鹿を言うな!それはお前が望んで・・・」
「はぁ?何言ってんの?」
「・・・・・・・・・」
「称狼とタクの分に決まってんでしょーが。あ、でも望むんならあたしの分もやったろっか?」
「お前は・・・そんな事を言うしか能が無いのか!?」
「うん、まぁ能無しから産まれりゃ子供も能無しだわな」
笑いながらそう言い、ラングの前にしゃがむ。
「アンタ今何言ったって自分に不利なだけだよ?」
楓にそう言われ、ラングは拳を作って腕を振った。しかしその腕を拓羅がモップで叩き落とした。
「ボコ行きまーす」
拓羅はモップでラングの頭を叩き始めた。仕舞いには足まで出し、言葉通りボコボコにした。
「さすがにおかしいね」
ケケケと笑ってボコボコにしていた拓羅の後ろで、楓が言った。確かに「ボス」と慕われていた者がこんなに簡単にやられるのはおかしい。
「・・・やられた」
「え?」
楓はそれだけ言うと病室を飛び出した。拓羅も急いで出ようとする。その時、称狼のベッドが空になっている事に気付いた。
「・・・うっわマジだ!!やられた!!一発食わされた!!!」
あのラングは偽者だったのだ。偽者に気を取られている間に、本物のラングが称狼を連れて病院の外に逃げたようだ。
拓羅も頭を抱えながら病室を出た。
でも楓の姿はもうない。廊下に出て左右を見渡しても全く見えなかった。
「どこ行ったんだ?アイツ・・・」
走ろうとした時、タイミング悪く足の痛み止めが切れてきたようだ。その場にしゃがみ込み、足を押さえた。
「・・・・・・くそっ・・・!!」
だが押さえれば押さえるほど傷口から血が出てくる。じきにズボンが赤く滲んできた。
「血ぃ止まったんじゃねぇのかよ・・・!!?」
仕方なく足をずったまま病室へ戻り、シーツを破いて傷口にあてた。
しかし血の出は悪くなっても、当然痛みは治まらない。
それでも足を引きずってやっと病院外に出てきた。上着を着ていても寒い。空は澄んでいて星が見えていたが、自然のプラネタリウムに感動してる場合じゃない。
「どこ行ったんだー?アイツら・・・」
しばらく歩いていると、「いでっ!」と声をあげ、豪快に後ろへ転んだ。道が凍っているため、転び易くなっているのだ。
「・・・・・・・・・・・・もうヤダぞ・・・」
そう言って、すぐ近くにある建物の間の隙間に入りって休み始めた。寒さで歯が音を立てる。
「くっそー!楓どこ行ったーー!!?」
叫ぶと同時に、横から人が突っ込んできた。驚いた拓羅は身を引きながらその人間を見た。向こうも拓羅を見るやいなや、「当たった!」と笑顔で言った。
「楓・・・。何してんだお前?」
「ホイ、称狼」
「やあ、アニキ」
楓の手には、シッカリと称狼の服が握られていた。半分意識が飛んだままだった称狼を、猫掴みで連れてきたようだ。
勿論今は目もパッチリ開け、拓羅を見ている。
「・・・なに、もうやり合ってきたのか!?」
「んなワケないじゃん。一瞬の隙を付いて取り返してきたんだよ。ホラ、あたしってば凄いしぃ?」
楓は髪を指で巻きながら言った。場に少し沈黙が流れ、その間もずっと髪を巻き巻きしていた。もうすぐで彼女から冷や汗が出そうと言う時、拓羅が口を開いた。
「そうだな。さっきの滑り方も凄かったしな」
「・・・・・・・・・。スライディングと呼びたまえ」
「ただ単に滑っただけだろ」
「うるさいっ!!・・・・・・ってふざけてる場合でもないねぇ」
「あ?何言ってん・・・」
「ちょっと黙れ」
楓は拓羅の口を押さえ、奥に詰めるよう指示した。拓羅は称狼を引きずりながら奥の暗い方へ行き、身を潜めた。ラングとファルがすぐ近くまで来ているようだ。
ワーウルフが居るとは言え、建物自体が大きいため、路地裏は奥行きがある。
特別大きな音を立てない限りは見つかる可能性は低い。
しかし本人達は心臓が張り裂けそうなくらいドキドキしている。
「ヤバいんじゃねぇの?これ・・・」
拓羅が小声で言うと、楓は珍しく引きつった笑顔を見せた。何かいい案を期待して言った拓羅だったが、ダメのようだ。
路地裏から表に繋がってる所もなさそうだ。壁も高い。
「くっそ。どーすんだよ・・・!」
頭を掻きながら言った。壁のどこを触っても外れそうなブロックは無い。
「・・・イケるかもなぁ・・・」
そんな中、楓がボソリと言った。
「あ?」
「ちょい退いて」
拓羅を退かせると、壁との睨めっこを始めた。時々相手の壁をコンコンと叩いていた。
「何してんだよ、お前?」
「・・・やるしかないよなぁ・・・・・・」
「ね、お前何言ってんの?」
「よし、やるかぁ」
そして楓の中で計画が実行されそうになっていた。壁に背中を向け、称狼の前にしゃがむ。
「称狼」
「・・・はい?」
称狼は、今まで下を向いていた顔を上げた。
「ユキ呼べる?」
「あ、そっか。ユキが居たんだ」
後ろで拓羅が音も無く手を叩くと、楓が呆れた顔で振り向いた。
「なに、忘れてたの?」
「そりゃもうスッカリ」
いつも通りの二人の間で、称狼はポケットから小さな何かを取り出した。
「呼べる事は呼べますけど・・・」
「んじゃヨロシク」
「称狼、それなんだ?」
「無線」
そうとだけ言うと、称狼はそれに向かって口を開いた。やり方は電話のようだった。ただ違うのは耳に当てないタイプの電話だと言う事だけだ。
称狼の使者となった者には、仲間内だけの無線を内蔵される。勿論親機は称狼が持ち、それを使って呼びたい時にはすぐに呼べるようになっているのだ。
「どこに呼びます?壁の向こう?」
「うん」
壁を見たまま言った。その隣には拓羅が居る。
「でもユキ呼んでどーすんだよ。見つかる確立が高くなるだけじゃねぇ?」
「白くまの力で壁ブッ壊し大作戦」
壁を向いたままそう言うと、拓羅は「・・・マジで・・・?」と言った。
しばらくして称狼はユキを呼び終え、あとは待つだけだった。
楓と拓羅は相変わらず壁を向いたままだ。
「白くまの力だけでブッ壊せんのかよ?」
「この壁めちゃくちゃ厚いわけでもなさそうだし」
「もし成功しなかったら・・・?」
「・・・・・・。笑って許してちょ」
「・・・バカか!!笑えるわけねぇだろ!!!」
つい怒鳴ってしまった。すぐ近くに居るラングとファルがその声に反応しないわけがない。楓は額に手を置き、いつものようにため息をついた。その後に拓羅の頭を小突き、怒鳴った。
「成功うんぬん以前の問題じゃん!!このバカ拓羅ッ!!」
そう言っている間にも、ラングとファルはドンドン近づいてきた。とうとう追い詰められてしまった。
「やぁ、見つけたぞ」
「・・・あら・・・あ・・・ぷ、プリンアラドーモ!」
「・・・・・・アラモードだろバカアニキ!!」
称狼も拓羅の頭を小突いた。しかしそんな事やってられるのも今のうちだった。目の前に立ちはだかるファルによって、三人全員連れていかれてしまった。
そしてユキが壁をぶち壊したのはそれから五分後の事だった。
「あれ?おらへんやん・・・。なんやったんやろ?」
呼んだ人物が居ないとなると捜すのが普通なのだろうが、ユキはなんの疑問も持たずに戻っていってしまった。
一方、こちらは海だ。海と言っても砂浜ではなく、港だ。
「・・・あのさぁ、これって・・・あの・・・あれ?後ろからドッカーンと・・・」
「だろーな。この状況じゃそう考える他ないだろ」
楓と拓羅の二人は今両手足縛られたまま、その港に立たされていた。下は海。かなり深く、しかも荒れている。
「だってコレ・・・・・・死ぬべ?」
「当たり前だろ、殺す為にやるんだ」
海を覗いていた楓の後ろで声がした。ラングだ。
「殺すんなら一思いにやっちゃってよー。銃で頭ぶっ放すとかさぁ」
「お前今何気にスゲェ事言ってんぞ?」
「あ、じゃあ心臓一突き!」
「それもなんだかなぁ・・・・・・」
そんな事を言っていると、後ろで「ふざけるな」と怒鳴る声が聞こえた。
ラングは二人の服を引っ掴むと、顔をすぐそこまで近づけた。
「もっと恐怖を見せろ」
「はぁ?」
「つまらないんだよ、お前らの反応は」
「・・・・・・・・・」
ラングがそう言うと、二人は顔を見合って小声で話し始めた。
それは明らかにラングをバカにした会話だった。
「セリフ、古いよな」
「古い古い。「恐怖見せろ」とかいつの時代?」
「恐竜見せろならギャグで済ませれるけどな」
「そんならジュラシックパークでも連れてこっか」
「ふざけるなお前ら!!!!」
話しているとラングがまた怒鳴った。さすがに痺れを切らし、二人を陸のギリギリまで追い遣った。
「いいか?今俺が手を放したらお前らはすぐに海に投げ捨てられるんだ」
「んなもん言われなくても分かってるっつーの」
拓羅がわざといやみったらしく言うと、ラングは手の力を少し抜いた。
「大層な口を聞くなぁ。死んでもいいのか」
「あ、ちょっと待て。マジ放すのか?あのさ、俺ら、ピッチピチなワケよ。まだ18なワケよ。輝かしい未来があるワケよ」
今頃焦り始めた拓羅の横で、楓もしきりに首を縦に振っている。
ラングの顔が少し満足そうになった気がする。
「だからなんだ?」
「まだ死ねないな〜・・・なーんて・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「えへっ!」
笑顔を作る拓羅の隣で楓も笑顔を作った。しかし二人の笑顔もむなしく、ラングは「落ちろ」と言って蹴り、突き落とした。
「ちょっと待て!!待・・・待っ!!!」
拓羅の声が静かな港に響いた。だがそれも大きな水しぶきの音にかき消された。
二人は冬の海に落とされてしまった。
落ちた事を確認するとラングは後ろを向き、称狼を見た。
「これで邪魔者は居なくなったな。・・・ファル、連れてこい」
「はい」
ファルは称狼を連れて、ラングの後に続いた。




