第50話 『knife』
楓はマンションの前に来た時に気が付いた。さすがにこの怪我は家で大人しくしてれば治る物ではない。少し戻って病院へと急いだ。
その頃、拓羅はまだ倉庫でラングと向き合い、ナイフを握ったままだった。
痛みは半端ない。右手が焼けるようだった。ついには口までも震えてきた。
「痛いんだろう?そろそろ放したらどうだ」
「テメェが放さないんなら俺だって放さねぇ・・・」
「お前は何をそんなに怒ってるんだ」
奥歯を噛みしめて耐えている拓羅に向かって、ラングは笑ってそう聞いた。
「・・・分からねぇかな・・・。テメェの全てに怒ってんだよ・・・」
「ほぉ?」
「楓に暴力ふるった事も称狼ボコボコにしやがった事も!全部怒ってんだ!!」
「・・・・・・・・・」
「テメェが楓の親父だって事にも腹立ってんだよ俺は!!」
怒鳴った時、拓羅の手からナイフが抜けた。ラングが故意に抜いたのだ。ナイフは拓羅の手の中を滑り、赤い液体と共に外に出た。
「・・・・・・ッ!!」
震える手を押さえ、拓羅は下を向いた。
「お前らは本当に飛んで火に入る夏の虫だな」
「・・・・・・今は冬だクソッ・・・!」
「じゃあ冬なのにそんなに汗が出るお前は凄いなぁ」
ラングの言う通り、冬だと言うのに拓羅は大量の汗を掻いていた。
それは決して雨のせいではない。
「お前ら兄弟揃って本当にアホだな」
「自分の女と子供残して逃げる奴よかマシだろぉが!」
「ほぉ、なるほど」
「俺はテメェのそういうすました顔が大ッ嫌いなんだよ!!」
「お前に嫌われようが関係ないね」
ラングはやはりすました顔でそう言った。そして手に持っていたナイフを拓羅に向けた。
「俺は称狼がどこに逃げようが殺す。そして邪魔をする奴だって殺す」
そう言って睨むラングの目は、さっきの目とはまるで違った。
「命なんて儚い物だ。左胸を刺せばすぐに終わる。人を殺すなんて容易い事なんだ。今ここでお前を殺してやってもいいぞ」
「テメェ・・・マジで最低だな」
「最低は俺から見たら最高なんだよ。お前を殺したら次は楓だ。アイツも称狼を殺す際には邪魔な存在だからな」
「んな事させねぇ為にここに居んだよ。二人に手ぇ出したら祟ってやるかんな!」
拓羅はラングに飛びかかった。ナイフで腕を少し切られたが、彼の手はラングの首を捕まえ、締めた。
ゴリゴリした感触が親指から全身へ伝わる。拓羅の手から出る血で、ラングの首も赤く染まっていた。さすがにラングも焦り始め、拓羅の腕を掴んだ。
「放せ・・・!!」
「楓にも称狼にも手ぇ出すな!!!」
「分かった・・・分かったから放せ・・・・・・」
「・・・テメェの言葉なんて信用出来るか!殺さない限り安心出来ねぇんだよ!!」
ラングは舌打ちすると手に持っていたナイフを拓羅の腕に突き刺した。ナイフは更に赤くなる。拓羅の眉間にシワが寄ったのが分かった。顔全体が歪んだ。首を締める力が弱くなった時を狙って、ラングは起き上がる。
今度は逆になった。ラングが拓羅の上に馬乗りになってナイフを突き刺した。
拓羅はそれを顔だけ動かして避ける。ナイフは何度も床に当たり、刃先が少しだけ丸くなった。顔は避けられてしまうから意味が無い。ラングは肩にナイフを刺した。
さすがに肩は避けられなかった。
赤い血と共に拓羅の悲鳴も飛び出た。ラングは悲鳴の上で不気味に、そして満足そうに笑う。
肩を刺されて右腕は使い物にならなくなってしまった。
「そろそろ諦めろ」
「嫌だね!誰が諦めるかっ・・・・・・」
「なら嫌でも諦めさせてやる」
ラングは馬乗りになるのをやめ、立ち上がった。怪訝そうな顔をしている拓羅の足に、ナイフを落とした。ナイフは彼の腿に突き刺さる。それを乱暴に引き抜き、反対の足にも突き刺した。
拓羅はうめき声をあげながら、足を抱えてうずくまった。
「どうだ、動けないだろう?諦める気になったか」
「・・・・・・ナメんじゃねぇ・・・!!」
「しぶといな。ゴキブリも退くぞ」
「うるせぇんだよ!!」
「両腕切り落とさないと諦めないか?」
「どうされたって諦めねぇよ、バーカ」
拓羅は懸命に口角を上げた。ラングを挑発しているようだ。
「お前を相手にしててもつまらんな。先に称狼を殺しに行くよ。じゃあな」
そう言うと、ラングは鉄の扉を簡単に開け、雨の中に出ていった。拓羅が声をあげたときにはもうその姿は無かった。
「・・・くそ・・・。ヤベェ!」
足を押さえながら立ち上がり、歩き出した。地面を踏み締める度に激痛が全身を襲い、血が流れ出る。
それでもなんとか街を抜けてマンションの前に来た。透明な雨の中に、赤いものも混じる。びしょ濡れになってやっと中に入った。だが、そこからはエレベーターのボタンを押すだけでも辛かった。もうその箱の中で朽ち果てそうなくらい拓羅の体力は底を突いていた。目が虚ろになるのが自分でも分かるくらいだ。
目の前がボヤける。
エレベーターが三階に着いた。ゾンビのような動きで出る。自分の家のまん前まで来た時、倒れ込んだ。
ドアと正面衝突し、青いドアに赤い血が付く。
幸いその音で中の楓が気付いたようだ。
「・・・・・・?」
「なんだろう」と言う顔でドアを開けたと思ったら、次の瞬間には「は!?」と言う顔になった。目の前に幼馴染が、しかも全身血だらけで倒れているのだから当然だ。
楓は称狼を連れてさっき行った病院にまた行く事になった。
今度こそ全て彼女の力だけで。




