第49話 『死闘の末に』
携帯電話を見た称狼は一瞬固まった。
「なに、誰?」
「・・・・・・ボスからです」
楓の顔を上目使いで見て言った。
「出ろよ称狼」
その横で拓羅が言った。称狼は深く頷くと、通話ボタンを押した。一応録音ボタンも押しておいた。楓と拓羅の二人は称狼にピッタリとくっ付いて会話を聞いていた。
【称狼か】
「・・・なんですか」
ラングは電話越しに称狼以外の二人には分からない言葉を言った。それはまだ称狼がラングに仕えている時に教えてもらった仲間同士の言葉だった。
その言葉を使い、ラングは称狼に「楓の居た倉庫に来い」と言ったのだ。
「・・・え・・・・・・?」
眉をしかめて聞き返す称狼を無視してラングは続けた。「誰にも言うな」と。
(俺にも暴力ふるうつもりか。上等じゃんよ)
称狼はまん前を睨み、静かに、しかし力強い声で「わかりました」と言った。携帯をパタンと閉じると、ポケットに入れた。
「ねぇ、最後なんて言ってたの?」
「っつか何語だよ、あれ」
「んー?「俺は楓の父親よーん」だって」
思いっきり嘘を言った。
「じゃあ「わかりました」ってなによ」
「分かってるから言うまでもないだろ、って事です」
会話を知っている側からしたら滅茶苦茶な話だったが、楓と拓羅はすんなり納得してしまった。
「あ、そうだ、俺ファング達を動物病院に連れていきますよ」
称狼は隣の楓の家を親指で差した。
「え?あ、そっか!あたしも・・・」
「凋婪さんは休んでてください。長い間部屋にこもった割には全然手当てしてないし。何してたんですか、全く」
「えへへへへー!」
「じゃ、アニキも休んでてくれよ。それと凋婪さんの見張り役な!」
「任しとけ!」
称狼が出ていった後、楓は拓羅の方を向いて言った。
「何よ見張り役って・・・・・・」
「まぁ細かい事は気にしなーい。ささ、今のうちに俺らはラブラブし・・・グフッ」
拓羅は、頬に思いっきり楓の鉄拳を喰らった。
その頃称狼は街を走り抜けていた。ラングに楓の仕返しをする一心で走っていた。例の倉庫の前に行くと、扉は閉まっていた。
「また面倒な・・・・・・」
そう言うとシッカリと閉まっていた扉がゆっくりと開いた。
「・・・・・・?」
「やぁ称狼」
暗闇から現れたのはラングだ。ラングの笑みを見た瞬間、称狼の足は震え出した。
(くそっ・・・止まれよ・・・・・・!)
いくらそう思っても震えは止まらない。ラングは称狼の後ろの扉を閉めた。外の明かりが入らなくなった倉庫は薄暗く、ラングの不気味さを更に引き立てた。
「・・・凋ら・・・楓さんになんて事するんですか」
「あれはアイツが望んだんだよ。殴れば?と言われたから殴った。それだけの話だ」
「それが親のする事ですか」
「あぁもう知ってるのか。・・・称狼、お前はもう邪魔だ」
称狼の震えはいっそう激しい物となった。目になんとも言えない迫力がある。石のように固まり、動けなくなってしまった。
「何故お前を呼び出したか分かるか」
ラングは称狼の回答も待たず、ナイフを取り出した。その先には少しだけ血が付いていた。
楓の頬を切ったあのナイフだ。
「俺はあなたを殴る為にここに来た」
称狼は頼りない声を振り絞ってそう言った。
「ほぉ、なら殴ってみろ」
余裕の表情で両手を広げて見せたラングを睨み、称狼は震える足で走った。ラングの目の前まで行くと拳を飛ばした。
だがラングはそれをいとも簡単に避けてしまった。元々震えていた足は、その場に崩れ落ちた。しかしここでやられるわけにはいかない、と立ち上がり、再度ラングの方へ走った。
ラングは称狼で遊んでいるようにも見えた。倒れ込んだところをナイフで一刺しにしないのがそれの表れだ。
「さぁ称狼、お前も苦しませてあげようね」
笑ってそう言うと、今度はラングから称狼に近づいた。怯えて、それでもまだ威嚇を止めない称狼を殴り飛ばす。壁に当たってずり落ちた。
ラングは仰向けに倒れる称狼の手の上に足を乗せ、思い切り力を入れた。
倉庫内に称狼の声が響いた。声は、密室の壁や床に当たって木霊する。
「誰が誰を殴り飛ばすって?もう一度言ってみろよ」
「・・・俺が・・・アンタを・・・殴り飛ばすんだよ・・・!!」
ラングはフッと笑うと、手を踏むのを止めて、代わりに称狼の顔を蹴りつけた。後ろが壁で逃げ場の無い称狼に向かって、何度も何度も蹴りを入れる。
ひとしきり攻撃が終わった時に称狼が咳をした。かすれた空気と一緒に赤い血も少し出た。
(ヤベ・・・。アバラ折れた・・・・・・)
称狼は腹を押さえながら痛みに耐えた。壁に助けてもらいながらなんとか立ち上がると、握りこぶしを作った。
「まだ苦しみたいか?」
「殴るまでは死ねねぇからな・・・!」
「馬鹿な奴だな」
「お前よかマシだっ!!」
称狼はそう怒鳴ると、ラングに向けて腕を思い切り振った。しかしやはり避けられる。
動くたびに腹が痛む。段々と息が荒くなっていくのが自分でも分かった。
「うおあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
称狼は渾身の力を込めて拳を飛ばした。
「あ、そいえば称狼、ストーブ切ってってくれたかなぁ?」
称狼が死闘を繰り広げているとも知らず、二人は暢気に話していた。
「あぁー。アイツそう言うの忘れっぽいからな。見てこればいいじゃん」
「そうだね。じゃあちょっと・・・」
そう言って楓は拓羅の家を出た。隣の家のドアが閉まる音がした数秒後、激しく開け閉めする音が聞こえた。その音は拓羅の家にも攻め込んできた。
「どゆこと!?」
拓羅の家のドアを開けるなり、楓がそう叫んだ。
「・・・は?」
「ファング達ちゃんと居るよ、全員!」
「なんで?称狼が連れてったんだろ?」
「なんで?なんでってこっちが聞きたいよ!なんで!?」
「俺だって聞きてぇよ!なんでだよ!?」
二人にしてみると物凄い緊張が走っているのだが、称狼に比べたら物凄い平和だ。バックに平和な音楽が流れそうなくらい平和だった。
「どこ行ったのか分かるか?」
「全然・・・。でもラングからの電話なんだよね・・・?」
「って言ってたな。やっぱアイツは大嘘野郎だ」
「うん」
そう言ってからしばらく考えた末、楓が声をあげた。
「あっ!倉庫!」
「あっそう?」
「は?何言ってんの。倉庫!海の所にね、倉庫があんの!そこで・・・・・・」
「・・・なんだよ。「そこで」?」
「・・・・・・まぁ色々とありまして。多分そこじゃないかなー・・・?あ、でもバカじゃなければ場所変えるかな、普通」
「お前の父親なら大丈夫だ、場所は変えねぇ!」
「・・・・・・てめぇ・・・」
ムカツキマークが出現するまであと3秒と言った感じの楓を宥め、拓羅が家を出ようとした時、楓が止めた。
「ちょっとコラ!タクまだ風邪・・・」
「んな事言ったらお前も怪我だろ」
楓の方を見向きもしないで答えた。靴を履くと、ドアを開ける。楓は出て行こうとする肩を掴んだ。自然と拓羅は楓の方を向く格好となる。
「だってまたぶり返したら病院連れてくの誰だと思ってんの!?」
「は!?そっちかよ!」
「そっちだよ!悪いですかっ!」
まるで幼い頃に戻ったかのように二人は睨み合った。殴り合いになるのも時間の問題だ。
「俺が大丈夫っつったら大丈夫なんだよ!お前こそ休んでたらどうなんだよ!?」
「あーもー!この分からず屋ッ!!」
「どっちがだバカヤロー!!」
このままでは埒が明かないと思ったのか、楓はため息をつくと拓羅の横を抜けて外に出ようとした。
「バカお前・・・」
焦った拓羅は考える前に楓の腕を掴んだ。振り払って行こうとするが、拓羅の腕はなかなか放してくれない。
「タク痛い!」
「ホラ見ろ痛いんじゃねぇか!!」
そのまま腕を引っ張ると、拓羅は怒鳴った。少し驚いた顔の楓を見て続ける。
「お前何でもかんでも一人で出来ると思うなよ。無駄に強がってんじゃねぇよアホ!!」
「なっ・・・何それ!アホって・・・」
「昔ッからいつもそうだよ!一人で何でも解決しようとしやがって!俺にも頼れよ!!じゃなきゃ・・・なんかさぁっ・・・なんか・・・・・・お、俺が傍に居る意味ねぇじゃん・・・」
拓羅はそう言った後、一人で顔を赤くした。だがそう言う系にはとことん、普通じゃないくらい鈍い楓には何を言いたいのかサッパリだった。
茹でダコ状態の拓羅を見て、「は?」と言った。
「・・・・・・鈍い・・・・・・お前鈍すぎ」
「は?なんで?何が!?」
「お前マジで分かんねぇの?」
「分かんない。・・・っていうか何が?」
拓羅はまだ顔を赤くしたまま楓を睨んだ。
「こ・の・鈍感野郎!!」
そう怒鳴り、楓の額に頭突きした。
「だっ・・・・・・」
額を押さえてその場に座りこむ楓のまん前で、拓羅も額を押さえて叫んだ。
「・・・痛ってぇぇぇ!!」
「こっちのが痛いわボケ!!」
二人はまた睨み合ったが、額に血の滲む拓羅を見て楓が吹き出した。それで喧嘩は終わったらしい。
「痛いならやんなきゃいーじゃん」
横を向いて笑いを堪えながら楓が言った。拓羅はまた顔を少し赤くした後、そんな楓の頭をぐしゃぐしゃ撫でると「ホラ行くぞ」と言って一人階段を降りていった。
「・・・・・・なに今の・・・・・・?」
通路に残された楓は髪を手で梳きながら拓羅の降りていった階段を見つめた。
出てみると外はどしゃ降りだったが、そんな事関係なく二人は走っていた。
「こんな雨ん中走ってさぁ、また風邪ひいても知らないよ?」
「大丈夫、大丈夫。それに俺がずっとダウンしてたら読む人いなくなっちゃうし!」
「はぁ?」
「ほら、俺ってばモテちゃうしぃー?あ、ダメだよ楓、焼きもち焼いちゃ」
「あっらごめんなさい、聞こえなかったわぁー!もう一度言ってくださるー?」
楓はわざとらしくそう言うと、耳を拓羅に近づけた。すると、拓羅も負けじと楓の頭を軽くはたいて「バーカ」と舌を出した。
そんな事をしているうちに倉庫が出現した。
「あ、ホラあれ」
走りながら倉庫を指差す。拓羅は「ふーーーん」と言うとスピードを速めた。
倉庫にはすぐに着いた。雨音と厚い扉で中の音は聞こえない。
「いいか、お前は称狼連れてすぐ逃げろ」
「タクは?」
「俺は・・・・・・まぁ色々と・・・」
楓が分かったような分からないような、曖昧な頷き方をして、二人は扉に手を掛けた。
中では称狼とラングの葛藤が続けられていた。先程の称狼のパンチは、ラングの頬に当たっていた。
放ったパンチは確実にラングを捕らえ、彼の横顔を床に叩きつけた。
しかし称狼が優勢になったのはそこだけだった。
「・・・・・・・・・」
床に横たわる称狼の身体はボロボロだった。ラングが称狼の髪を掴んで顔を上げさせる。
「苦しいか?悔しいか?」
「・・・・・・」
何も言わない称狼を殴ると、元々口の中から出そうになっていた赤い血が黒い床に飛び散った。ナイフを首に突きたてた時、鉄の扉が勢いよく開いた。
見ると楓と拓羅が立っていた。二人とも濡れている。
「やぁ、いい所に来たね。称狼、お前言ったのか?」
「俺は・・・言ってな・・・・・・」
そこまで言うとまたラングに殴られた。床に倒れ込む称狼はもはや虫の息だった。
「テメェ楓だけじゃ飽き足らず次は称狼か!あぁ!?」
「まぁまぁそんな怖い顔をするなよ。今からいい物を見せてやるから」
「いい物・・・だと?」
「しっかりと目に焼き付けておけよ、愛娘」
ラングは楓を見て、「愛娘」をいやらしく言った。それを聞いて楓は更に強くラングを睨む。だがそんな物に到底退く訳が無い。
ナイフを持ち直して称狼に近づいた。
「テメェッ!!!」
刃先がもう少しで称狼に付く、と言うところで拓羅がジャンプしてナイフを捕まえた。
「バカめ、自分の手が切れるだけだぞ」
「いいよ切れたって」
じきに拓羅の手から赤いものが垂れてきた。それは銀色に光るナイフにも付いた。拓羅の顔が少し歪む。腕も少し震えていた。
その間に楓は称狼の体を起こし、なるべくラングから遠いところに避難させた。
「凋婪さん・・・?」
「あのねぇ。アンタバッカじゃないの?」
「・・・分かってます・・・」
血だらけの顔で笑う。拓羅との計画通り、楓は称狼の腕を掴むと、肩に乗せた。称狼が自分にしたように。
「・・・大丈夫ですよ・・・・・・自分で歩けます・・・」
「あたしだって役に立てます。立たしてください」
そう言って楓は、はにかんだ笑顔を見せた。称狼はそれを見て安心したように笑うと、「ありがとうございます・・・」と声にならない声で言った。すぐに空気に押し潰されてすぐ近くの楓にすら届いたかどうかも分からない、そのくらい小さな声だった。
その後称狼の体からは力が抜け、もう殆ど楓の力だけで運んでいるようなものとなったが、時々よろめきながらも、なんとかマンションへと戻れた。




