第28話 『事情:川原にGO!2』
―――― 一時間後 ――――
走り回って疲れきったファングが息を切らしてヨタヨタと戻ってきた。楓の横まで来ると、その場に伏せをした。
「ど?気持ちよかった?」
「最高だッ!」
白い歯を見せて笑う。楓もニカッと笑った。
「そっか!」
彼女は後ろに倒れ込むようにして寝転んだ。
「楓は走んないのかよ?」
「んー・・・。あたし走るの嫌いだし」
「えぇッ・・・!」
「なによ・・・?」
「だって・・・なんか速そうに見えるぞ・・・?」
「速くない速くない」
楓は顔の前で手を左右に振った。
「・・・フゥン・・・。じゃあ競争しよ!」
「・・・・・・や。だからね?走るの嫌いだっつってんのに・・・。しかも二本足と四本足だよ?勝てるワケないっつの!」
走る気なんて全く無いようだ。しかし、ファングは納得がいかない。どうしても彼女の本気を見てみたかった。そこで楓の性格を使ったある作戦に出た。
「ほォー・・・やってみる前から負けを認めるんだ?」
ファングの予想通り、楓は見事、目を細めて食いついてきた。
「・・・何?今なんつった?」
「だからやってみる前から負けを認めんだな?負けず嫌いの楓さんよぉ」
「・・・・・・」
一人と一匹は川原の道を全速力で走った。
道が切れるところまで走り終わると、楓は転がるようにして芝生の上に倒れこんだ。ファングも横に転がった。どちらも同じように息があがっている。
「お前っ・・・めちゃくちゃ速ぇじゃねぇかっ!」
ファングは、隣で空を見上げている楓に向かって叫んだ。
「オレ・・・これでも足には自信あったのに・・・!」
「でもファングが勝ったじゃん・・・」
「あんなのほんの少しの差じゃねえかよッ!うああーっ!すっげぇ屈辱的!すっげぇムカツク!」
悔しがって手で顔を覆うファングを見て、楓は白い息を吐き出しながら笑った。
「・・・・・・でも・・・お前が笑っててよかった・・・」
「えぁ?」
「・・・なっ・・・・・・なんでもねえ!」
ファングは少し赤くなった顔を、再度手で覆った。
――――それからどのくらい経っただろう。
遠くで子供達の遊ぶ声がする。空は赤く染まっていた。そんな空をボーッと見つめながら楓が言った。
「・・・ごめんねファング。この間の・・・単なる八つ当たり・・・」
楓の声を聞き、ファングは振り向くと優しく笑った。
「気にしてねえよ。それに・・・当たっちまいたい時だってあんだろ。・・・言ったじゃん?「言いてえ事あったら何でも言え」って。「何でも聞いてやる」・・・って。だから・・・もし、この間みたいに言ってお前が楽になれるんならどんだけでも言え。オレが全部聞いてやる」
「ん・・・・・・・・・っていうかファング犬のクセにしっかりしすぎっ」
「!なんだとッ!オレはケルベロスだ!・・・そりゃ少しは犬の血も入ってるけど・・・んでもケルベロスだッ!」
「・・・犬なんじゃん・・・」
楓は口を少し尖らせ、小声で言った。しかしファングはそれを聞き逃さなかった。
「犬じゃない!ケルベロスだッ!」
そう言って楓をバンバン叩いた。
「わかったわかった!爪痛いっての!」
ファングの手を払い除ける。そして、一度深呼吸してから続けた。
「・・・・・・もうさ、何聞かれたって平気だから・・・なんでも聞いてくれていいよ」
「え?・・・あの・・・中国・・・・・・での?」
楓は無言で頷く。ファングは驚いた表情を見せたが、川の方を向いて口を開いた。
「・・・じゃあさ・・・・・・暴力・・・ってどんな・・・?」
「やっぱりきたか」と言う顔をしてから、手を少し上げて親指から順に折って数えた。
「・・・殴られるのは当たり前だった。あとは・・・蹴られたり・・・カッターで切られたりとか、包丁持ち出してた時もあったなぁ・・・。・・・もう、半分死んでたよ。多分」
ファングの動きが止まる。平気な顔、平気な声を作って言っている楓の姿を見るのはいたたまれなかった。だが聞きたいことは他にも沢山ある。少し悩んだが、再度口を開く。
「・・・・・・肉親に・・・そういう事されて憎まないのか・・・?」
「や・・・憎む・・・って言ったってしょうがなくない?まあそりゃ一時期、絶っ対殺してやるとか思ったけどさ。・・・でも・・・やっぱ産んでくれた人だし?だからこうして今ファングとも話せてるわけだし・・・」
「許してんのか・・・?」
「許す事は多分一生無いと思う。だけど今は昔ほどは憎んでない・・・かなぁ?」
「・・・そっか。・・・・・・その・・・虐待・・・でさ、自殺しようとか・・・そう言うのは思ったりしたのか・・・?」
「そんなのしょっちゅうだよ。いっつも考えてた。「自殺」って選択肢はどんな時でも頭の中のどっかにあったの。実際包丁自分の首に突き付けてみたり・・・カッターで手首切ってみたりもした」
ファングは心底驚いた顔をした。目を、眼球が飛び出るほどに見開いた。
「し、死なないのか!?」
「水の中に腕入れてなければ大丈夫なんだよ。その頃はまだ知らなかったから、その事。意識はブッ飛んだけどさ。いつの間にか、血止まってた」
「・・・それ以上は・・・何もしなかったんだな・・・?」
「うん。自分で自分の命絶てる程肝座ってなかったんだ。それに・・・タクが止めてくれたの。あたしが首に包丁突きつけてたら、「何やってんだバカ野郎」って」
「・・・拓羅が・・・?」
「そ。親すら止めなかった事、止めてくれたの。・・・待ってたのかもね。止めてくれんの」
「やっぱいい奴なんだな。アイツ」
「うん。こっちにも・・・嫌な顔ひとつしないで一緒に来てくれた。・・・なのに・・・酷い事言っちゃったなぁ・・・タクにも・・・」
楓は目を瞑り、静かに深呼吸した。そしてまたゆっくりと目を開ける。
「・・・親父は?」
「え?」
「親父。お前の。産まれた時からいなかったのか?」
「うん・・・。母親にも聞こうにも聞けないし。だから・・・家族三人で笑ってるタクの家が羨ましかった。喧嘩もしてたけどすぐ仲直りして。笑顔が絶えなくて。日曜には決まって家族で出掛けてたんだよ。たまに一緒に連れてってもらってたけどね。あたし、泣いたら怒られる、っていうのが当たり前だと思ってたから、「泣いてもいいんだよ」って言われた時ビックリした。だから、泣きたくなったらすぐタクん家行ってたの。・・・今思うとタクに泣き顔すっごい見られてたなぁ・・・」
楓は微妙に笑っている顔を手で覆った。そんな彼女を見て、ファングは呟いた。
「・・・コイツも女なんだよな、やっぱ」
「なんか言った?」
極力小声で言ったつもりだったが、楓は聞き逃さなかったようだ。ファングをギロッと睨んだ。
「いえ・・・何も」
そしてファングは次を最後の質問にした。
「今・・・・・・・・・こっち来てさ、・・・幸せ、か?」
「勿論」
首を動かし、横のファングを見て笑った。
もう空は暗くなっている。辺りはすっかり静まりかえっていた。暗闇の中で、楓はジャンプするように立ち上がった。
「寒くなってきたしっ・・・帰ろっか!」
ファングも立ち上がる。そして頷いた。




