第26話 『事情』4
その日の夜、拓羅が楓の家のドアを開けた。そっと中を覗きこむ。
「・・・楓・・・?居るかぁ?」
足音がした。少し緊張して待つと、中から出てきたのはファングだった。拓羅が立っている目の前にちょこんと座った。
「楓ならまだ寝てるぞ」
「・・・寝てる?風邪か?」
「いや、そうじゃないんだが・・・」
「?何だよ」
ファングは少し下を向いていたが、思い切った顔で拓羅の目を見た。
「お前、アイツに何言ったんだ?」
「・・・・・・・・・え・・・・・・?何か・・・言ってたのか・・・?」
「拓羅の名前が出ただけだ。何を言われたのかは聞いてない」
拓羅はそれを聞くと今までの緊張を解いたようにため息をついた。
「・・・気にしなくていいよ、お前は」
彼なりに考えて言った言葉だったが、ファングはムッとした表情を見せた。
「なんでだ。オレが人間じゃないからか?」
「え?・・・いや違ぇよ。そんなんじゃなくて・・・」
「じゃあなんでだ?オレはお前らの仲間だ。仲間の事を知る権利、あるだろう?」
拓羅は顔をしかめた。そしてまたため息をつく。
「・・・・・・わかった。話す。だけどアイツの事を全て俺がベラベラ喋るわけにはいかない。軽々と話せる内容でもない。俺が話せるのはほんの少しだけだ」
「ああ。それでもいい」
ファングが頷く。そして拓羅は自分の家に呼んだ。ファングは椅子に座らせる事が出来ないため、一人と一匹は床に座った。
ぺたんと腰を下ろすと、一呼吸おいてから話し始めた。
「・・・最初の話は俺のオフクロから聞いた話だからな」
「おう」
「・・・・・・。アイツはな、虐待児、なんだ。・・・意味、わかるか?」
「わかんない!」
拓羅は出鼻を折られたというような表情で小さくため息をつき、説明し始めた。
「えっとな、なんつーか・・・あの・・・暴力、ふるわれちまう子・・・つーか・・・」
「あ、なんとなくわかった」
「そっか。アイツの親、子供が出来るって事、よくわかってなかったっていうか、予想してなかったみたいで、気付いた時には腹ん中で大分育っててさ。中絶とかは母体に負担がすっげぇ掛かるって言われたらしいんだ。だからそのまま仕方なく産んだ、って感じ。それが楓だ。だからめちゃくちゃ望まれて産まれてきたわけじゃないんだ。そん時アイツのオフクロさんはまだ十六・・・俺らよりも二つも下で、事実、子供なんてどうやって育てればいいのかわかんねぇ状態だったんだ。楓の親父は子供ができたってわかった途端逃げ出しちまったから一人で育てるしかない。最初のうちは頑張ってたらしいんだけどさ、やっぱ色々大変みたいで・・・」
「そうなのか?」
「多分な。それに「仕方なく」で産んじまった子供だからさ」
「・・・フウン・・・」
「だから俺らが一歳になった時かな。もう我慢の限界で・・・暴力、ふるっちまったらしい」
「・・・それがギャクタイってやつか?」
「あぁ、そうだな。・・・だからそれからは・・・もう、少しでも泣いたら即暴力だった。・・・楓もな、小三くらいまではこれでもかって程ビービーギャーギャー泣いてたんだぜ」
「えぇっ・・・」
「今じゃ信じらんねえだろ?・・・まあ十八で小三と同じくらい泣いてたらそれはそれで信じらんねえけど・・・。・・・ちょっと多く話しすぎちまったかもしんねぇけどさ、俺が話せんのはここまでだ。もっと詳しく聞きたかったら楓本人に聞いてくれ。・・・教えてくれるかどうか・・・わかんねえけど」
「・・・ああ」
「で。結局俺が楓に何言ったかってゆうと・・・」
「あ、そうか」
しかし、ファングは今、聞きたいような聞きたくないような気持ちだった。
(・・・オレが聞いて・・・楓に何をしてやれる・・・?)
心の片隅にあっただけのその思いが、段々大きくなっていた。
「や、やっぱいいや!」
聞いても何も出来ない自分を想像すると、あまりにも惨めだった。そんな事なら聞かない方がいい。
「いいのか?」
「ああ。ゴメンな、教えろとか言っといて・・・。でもやっぱさ、オレが首つっこむ事じゃねえだろうし」
「・・・そっか・・・。わかった」
ファングは複雑な表情で拓羅の家を出ていった。楓の家に入る前に、ドアの前で一度深呼吸をする。気持ちを落ち着かせるためだった。そして中に入った。
入った時、楓はもう起きていた。少し変な気持ちになったが、ファングは楓のそばに歩いていった。
「あ、ファング。どこ行っ・・・」
ファングは、床に座っている楓にもたれかかり、ぴったりとくっついた。
「・・・・・・どしたの・・・・・・?」
「・・・どうもしてないけど・・・・・・」
チラリと楓を見た。それに気付き、楓もファングを見た。そして微笑む。それは朝とは全くの別人に見えた。
その楓を見て、ファングの胸が少し痛んだ。
(無理して笑わなくたっていいのに・・・)
「・・・楓、言いてえ事あったら・・・言えよ?何だって聞いてやる・・・」
(だって・・・オレにはそのくらいの事しか出来ねぇ・・・)
「え・・・?」
ファングの言葉を聞いた途端、楓の表情が急に固くなった。さっきまでの優しい顔はどこかへ消えていた。
「いや。だから・・・」
「・・・もしかして・・・タクに何か聞いた・・・?」
「あ・・・う、うん。少し・・・」
「・・・ゴメンだけどさ、出てって」
「・・・・・・へ?」
「あたし一番嫌いなの、そういうタイプ!人の事情知った途端優しくなるなんて信じらんないし・・・!っていうかただの同情でしょ!?そんなの別に要らないしさぁ・・・!」
ファングに背を向けた楓の声は、微かに震えていた。ファングはハッとした。
「楓・・・ゴメン・・・」
彼女は血が出るほどに唇を噛んだ。そうでもしないと今にも涙が溢れだしそうだった。
「・・・とにかく・・・出てって・・・」
ファングはもう一度頭を下げて謝ると、静かに出ていった。立ったままだった楓は、近くの椅子に乱暴に座る。そして顔だけで笑った。
「あんなの・・・・・・ただの八つ当たりじゃんかっ・・・」
ファングは何も悪くない。そんなことは分かっていた。だが言わずにはいられなかったのだ。そんな自分が物凄く嫌に感じた。
「・・・サイテーだよ・・・・・・」
彼女はため息まじりにそう呟くと、机の上に置いた自分の腕に顔を埋めた。




