第1話 『西の森』
電話音が鳴り響いている。
三回程鳴り、女が受話器を手に取った。
「はい?」
受話器の向こうから聞こえるのは、男の声だ。
「楓か!?俺だ!今西の森に居るんだが、デカイ変な奴が追いかけてくるんだ!頼む、助けてくれ!」
「・・・・・・?ちょっと待って!アンタ、誰?」
少しの間、沈黙の時間が流れた。
そしてようやく男が口を開く。
「・・・わり。俺おれ、拓羅!」
「あー・・・。なぁんだ、タクか」
「げっ・・・・・・!」
「?・・・なに、どしたの?」
よく耳を澄ましてみる。木々の折れる音がしていた。どうやら、敵がすぐそこまで迫ってきているようだ。
それにしても、この男は叫びっぱなしだ。少々うるさい。
楓の方も受話器の向こうから聞こえる雑音に、そろそろ嫌気がさしてきたようだ。
「はぁっ・・・。とにかく、すぐ行くからもう少し待ってなさい」
「えっ・・・でもっ・・・」
拓羅が続きを言う隙も与えず、楓は受話器を置いた。
「・・・まったく。昔と全ッ然変わってないわね」
「相変わらずだな、お前達は」
楓のすぐ隣から声がした。勿論人の姿はどこにも見当たらない。
居るのは半分耳の垂れた犬だけだった。どうやらその犬が言葉を発したようだ。
拓羅と同類にされたのが嫌だったのか、楓のこめかみには「ムカツキマーク」が付いていた。
「変わってないのはタクだけ!」
そのまま犬の毛を思いっきり掴んだ。
「いででででっ!?・・・まぁそうカッカするな。事実だし・・・」
「もー!」
「じゃあお前はどんな所が変わったんだ?」
「え・・・?」
そう聞かれると、楓は頭を抱え込んで考え始めた。
「あたしは―――――」
「何?」
「・・・美しさに磨きがかかったってとこかな!」
イタズラ顔でそう言った。それを聞いた犬は、少々呆れ顔だった。
「・・・・・・あ、そ」
言い終わると、犬は今までとは打って変わった顔で楓を見た。
「ってか、いいのか?」
「は?何が?」
「・・・お前な、何が?じゃなくて拓羅だよ!このまま死んだって知らねぇぞ」
「あ。忘れてた・・・・!」
「はぁ・・・だろうな。ほら、即行くぞ」
そう言われると、楓はジャンプして犬の背中に飛び乗った。
犬の名前は「ソラ」と言った。ソラは、背中に人間四人程は乗せられそうなくらい巨大な犬だ。そして名前の通り、空を飛ぶことが出来る。楓を乗せたまま雲の上まであがっていった。そこからがソラの本領発揮の場である。
フワリと少し上がったと思ったら、一気にスピードアップした。雲と雲の間をビュンビュンと抜け、物凄い速さで飛んでいく。
「西の森・・・だったよな?」
「うん」
(・・・確かあそこにはオレの友達が居るハズなんだが・・・)
じきに森が見えてきた。「西の森」だ。確認して、降りていく。その降りた場所が良かったのか悪かったのか、そこは敵の目の前だった。
楓もソラも青ざめた表情で、自分達の前で牙を剥き出しにしている敵を見た。
だが、ソラはそこで気が付く。目の前に居る敵は、さっき思い出していたソラの友達だったのだ。
(・・・オレの・・・友達だ!友達なのに・・・殺れないよ・・・っ!)
驚きと悲しさに包まれた顔のソラだったが、向こうはもう敵だ。容赦せずに攻撃してきた。
「・・・ソラッ!」
楓が叫び、空は我にかえる。間一髪で避けられた。だが、やはりソラの中には「相手は友達」という気持ちが残る。
「楓・・・ゴメン・・・やっぱコイツはオレの友達だから・・・無理だよっ・・・」
「友達?」
ソラは無言で頷く。
「・・・そっ・・・か。友達、なんだよね。でも・・・残酷かもしれないけど、あの子は、もうソラの知ってる子じゃないんだよ・・・?」
その一言で、ソラの目つきが変わった。
(そうだ・・・オレは戦う為にここに来た・・・!)
もはや敵となった相手を睨み、勢いよく敵に飛び掛った。
さっきも言ったように、ソラは巨大な犬だ。この相手より遥かに大きい。体の大きさを活かし、くるりと体をひねって後ろに回り込むと、首にかぶりついた。
グロテスクな音を出しながら、ソラの牙はどんどんと相手の首にめり込んでいく。敵は、血の塊を悲鳴と共に吐き出すと、その場で倒れ込んで息絶えた。友達だった相手を見て、ソラは物悲しそうな声を出した。
そこに、今までどこに隠れていたのか、拓羅が現れた。
「ぃよっ!ソラ、さんきゅ!」
ちなみに、拓羅は「場の空気」という物を読むのが苦手だった。
「・・・バカ・・・・・・」
そばで楓が呟く。
「え?バカ・・?楓?あの・・・バカって何が?」
「あーもーいーよもー!ソラ帰ろ!?こんなバカ男助けに来るんじゃなかった!」
「あっおいコラ!バッバカ男とはなんだっ!?っていうか置いてくなよ!」
「楓、腹いせにあれやらしてくれ」
楓とソラの間で「あれ」と出た時、やる事は一つだった。ソラは拓羅の後ろに行くと、服を甘噛みした。そのまま上にあがる。
拓羅は、「高所恐怖症」である。
「あっ・・え!?ちょっ・・・またかよッもうヤダよッ!」
必死に叫んで助けを求める拓羅だが、もう楓とソラの頭には悪魔のツノが生えていた。こうなってしまったらもう手遅れだ。どれだけ頼んでも、目的地に着くまでは下ろしてくれる事はまず無いだろう。
こうして、拓羅はソラと楓のオモチャになりながら帰っていくのだった。