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冷徹な天才魔法使いは、妻に会うため制服を焦がしていました

作者: 白千菓 たえ
掲載日:2026/08/28

 

 群青色の制服を目にするたびに、ひとりの顔がすぐに思い浮かぶ。

 いつからこうなったか、よく思い出せなかった。

 


「お預かりした制服は、取れたボタンを付け直して、加護も施しておきました」

 

 仕立て屋の職人であるリネットは、カウンター越しに宮廷魔法使いへ頭を下げた。

 特別な魔力を施した制服に袖を通した客は、満足そうに頷いた。

 

「助かりますリネットさん。またお願いします」

 

 リネットは、夫の同僚であるマルクに愛想笑いを浮かべた。

 気さくな笑顔を返したマルクは、カウンターに身を乗り出す。


 

「ところで、宮廷が用意したあのでっかいお屋敷に住んでるんですか?」

「いえ、そちらは断ったそうです」

 

「えっマジか。ニールとの生活は大変でしょ?」

「?……普通に暮らしてますけど」

 

 話の意図がわからず、リネットは首を傾げた。



「あの淡泊な天才魔法使いが、結婚するなんて思わなかったよ」

 

 そう言い残したマルクは、踵を返した。

 リネットは閉まっていく緑色の扉を見つめながら、言われた言葉を頭の中で反芻した。


 

 いつの間にか暗くなった窓の外に気づき、壁にかかった時計を横目に、外の看板を照らす灯りを消した。

 奥の作業台で、群青色の制服とにらめっこする職人達に頭を下げ、帰り支度を始めた。


 裏口にある鏡の前へ立ち、鼻の上や頬に散らばったそばかすを、指先でいつものようになぞる。

 小さなため息を吐いて、職場を後にした。

 

 

 

 街灯に照らされた石造りの道に、軽快な靴音が響く。

 落ちた自分の影を踏みしめて、数分後に緑色の屋根の家へ辿り着いた。


 玄関でリネットが靴を脱いでいると、廊下の奥から足音が近づいてくる。


 

「おかえり、僕の奥さん」

 

 立ったままニールに抱きしめられ、息を呑む。

 彼の胸元から懐かしい焦げた匂いがして、眉をひそめた。

 

「ニール……靴が脱げない」

「やっと会えたんだ。今日は大目に見て?」


 今朝会ったばかりだし、毎日大目に見てる。

 脱ぎ掛けの靴を踏みつぶしてリネットが息を吐くと、彼の重たいため息と重なる。

 

「……1日って、本当に長いね」

 

 ニールの腕の力が強くなり、苦しくなる。

 リネットは、抱きしめられながらなんとか靴を脱いでみせた。


 

「ね、こっち向いて」


 低くて甘い声が耳元で聞こえ、胸が跳ねる。

 恐る恐る見上げると、玄関にリップノイズが響いた。


「おかえり」

 ゆるやかに離れていく群青色の瞳が、愛おしげに細められた。

 

 この人が……淡泊?

 リネットはマルクの言葉を何度考えても、全く意味が分からなかった。


 

 呆けていると、ニールの形のいい鼻が、自分のものと擦れた。

 リネットは触れてしまいそうな彼の口元を、慌てて両手で塞いだ。

 

「今日こそは……先にご飯っ」

「しょうがないな」





 手入れの行き届いた台所で、リネットはエプロンの紐を締めた。

 ——が、すぐに紐はゆるみ、だらしなく腰の横へ垂れてしまった。


 紐を解いた張本人の彼に抱きしめられ、背中がまた温かくなった。

 

「……ニール」

 リネットから呆れた声がでると、堪えた笑い声が返ってきた。

 甘えるように頭を擦られ、彼の濡羽色の髪がこめかみをくすぐった。


「ご飯、食べないの?これじゃ作れないよ」

 

 ニールは聞こえないふりをして、肩越しにいたずらそうな顔で彼女を覗き込んだ。

 群青色の瞳が、自分の口元をじっと見ている。

 リネットが抗議しようとした言葉は、引き結んだ口へ隠れてしまった。

 

 肩を引き寄せられ瞼を伏せると、すぐそばでくつくつと喉をならす声が聞こえた。

 

 やわらかい彼の唇が、掠めるように触れた。

 離れかけてすぐに輪郭を辿るように啄まれ、ニールの服の裾を掴んだ。

 骨ばった指が、壊れ物をさわるようにリネットの頬を撫でた。

 

 

「晩御飯、もうできてるよ」


 ニールが唇だけわずかに離すと、吐息が触れる。

 リネットは真っ赤な顔をしてエプロンを脱ぎ、いたずらな顔をした彼を睨んだ。


「はやく、言って……!」


 


 丸い食卓に並ぶ、香ばしい匂いが漂う料理を前にして、リネットはごくりと喉を鳴らした。

 オムライスを口へ運ぶと、彼女の胡桃色の瞳がたちまち宝石のようにきらめく。


「すごく美味しい!」

 

 隣に座っていたニールは表情を緩め、食卓の下でリネットの華奢な手を包んだ。


「職場遠いのに……用意してくれてありがとう」

「そんなの関係ない。できる方がすればいいだけ」

 

 そうは言うものの、リネットは結婚してから料理する機会が確実に減った。

 やりたい仕事を辞めずに結婚生活を送れているのは、夫のニールのおかげだった。


 

「今日、マルクさんがいらっしゃったよ」

「……なんだマルクか」


 ニールの声が一転して、興味無さげに低くなった。


「結婚して、驚いてたみたいだったよ」

「いつまでその話を引っ張るつもりだか。もう一年になるぞ」


 

 焦げた制服を店に持って来るお客様と結婚して、一年。

 リネットは彼を盗み見て、不思議な気持ちになった。

 

 目が合うと、つながれた指がかすかに動いた。

 視線を逸らした彼は、オムライスをスプーンで掬うと、すぐに皿の上へ落とした。

 

 利き手とは逆の手でスプーンを持った彼と、つないだ手を交互に見てから、眉をひそめた。


 以前リネットに怒られたニールは、食事中には彼女の体に触らない。唯一触れることを許された手だけを、いつも握っていた。

 離せば、食べやすいのに。声にする代わりに、彼の爪をいじった。




 食べ終えて空になった食器を取り上げられ、「ゆっくりしてなよ」とニールが台所に向かってしまった。

 水の流れる音と食器の重なる音が、混じり合っていく。

 

 手持ち無沙汰でソファに座ると、背もたれにかけられた群青色の制服が目に入った。

 袖口には、予想通り焦げ跡があった。


 

 リネットは、部屋の隅にある棚の前に立った。

 整然と並ぶ虹色の糸たちから一本の糸を引くと、木製の糸こまが左右に揺れて躍り出す。

 

 必要な道具を持ったリネットはソファに戻って、制服を膝の上に広げた。

 鋏を手にし、焦げて硬くなった生地の端を慎重に切り落としていく。

 

 リネットが集中している間に、家事を終えたニールが隣へ座り、ソファがぎしりと軋んだ。

 

 

「最近は、ニールの制服焦げてなかったのに」

「そりゃそうだ。前は、わざと焦がしてたんだから」


「……へ?」

 

 ジョキン。

 リネットは鋏から目を離し、隣に座った彼を見た。

 ニールは彼女の膝元に広げられた自分の制服を見て、不服そうに口をとがらせた。

 

「せっかく今度、リネットの仕立て屋へ持っていく予定だったのに」

 

 わざわざ会いに来ていたのだと察し、持っていた鋏を落としそうになった。

 広げた布に視線を落とし、慌てて頭を振った。

 

 

 リネットは大きく息を吸って、制服に青色の糸を通した。

 

 彼女の胡桃色の瞳が瞬きせずに、縫い目を追いかける。

 魔力をこめた針先が光を宿し、布の上をなめらかに滑っていく様子を、ニールは眩しそうに見つめた。

 

 最後の縫い目の上で糸を留めると、針先から光が失われていった。

 

 チョキン、と鋏の音が鳴ったのを合図に、彼の手がリネットの腰を引き寄せた。

 裁縫箱に道具をしまう間も、頬にやわらかい唇を押し当てられる。

 

 しかしリネットは、無邪気に近づいた彼を軽く押した。


 

「わざと服を焦がすなんて……サイテー」


 ニールはぴたりと動きを止めて、リネットを恐る恐る覗き込んだ。


「…………怒った?」

 

 軽く睨むと、彼はみるみるうちに表情を曇らせていく。

 子供のように落ち込む彼を見ていると、本当に天才魔法使いと呼ばれているのか疑わしくなる。

 

 そんな顔をしても、無駄だもん。

 職人が大切にしている服を焦がすなんて、本当に怒ったんだから。


 

 彼女の腰がさらに引き寄せられ、焦げたにおいに包まれる。

 硬い胸板越しに心もいっしょにあたたかくなっても、職人としてここは怒らなくてはいけない、と眉間に力をこめた。

 

 

「……嫌いにならないで」

 

 耳元で聞こえた弱々しい声に、息を呑む。

 

 肩にもたれてきたニールの濡羽色の髪が、頬をくすぐる。額にこめた力はゆるみ、リネットは眉を下げた。

 リネットは彼の髪に手を伸ばして、指の間へ通す。

 ランタンの光をうけて色を変える濡羽色から、目が離せない。


 

「嫌いには、ならない……」

 

 リネットは触り心地のいい髪を指先でいじり、職人のプライドを一旦飲み込んだ。

 ニールは勢いよく顔を上げて、ぱっと表情が明るくなった。

 

「……でもわざとは、やめて」

「もうしない」

 

 彼は淡泊というよりは、犬みたいだ。

 動物を想像したリネットは、にやけた口元をあわてて隠した。

 


「……そこまでして、どうして私に会いに来ていたの?」

「会いたかった以外にある?」

 

「そうじゃなくて、なんで私なの?」

 

 ニールの腕の中から、彼を見上げた。

 濡羽色の髪からのぞく瞳がわずかに揺れ、懐かしむように遠くへ向いた。

 

「君は僕のこと全く知らなかったし、変なお客さんだと思ってたでしょ」


 リネットが迷いなく大きく頷くと、「ぶはっ」とニールは堪えられないように吹き出した。

 職場の彼については、宮廷魔法使いであること以外よく知らない。

 天才魔法使いと呼ばれていることも、最近知ったばかりだった。

 

「だからだよ」

 

 ニールは腕の中におさまるリネットの頬や目尻、鼻先へと順番に口づけていく。

 天才魔法使いのレッテルは、彼を窮屈にさせていたのかもしれない。


 彼女はくすぐったさに身をよじり、顔を背けた。


 

 部屋を見渡したあとに、瞼を伏せた。

 部屋に彼の荷物は少なく、いたるところに自分の商売道具が仕舞われている。

 

 広くも狭くもないふたりだけの家は、彼女の職場から近い。

 通勤面では便利だが、たまに外から家の前を歩く人の話し声が聞こえる日もあるくらいに壁は薄い。


 

「大きなお屋敷……断って本当によかったの?」

 

 天才宮廷魔法使いのために用意したお屋敷は、さぞ大きいに違いない。

 この家と比べれば、彼の職場も近くなり通勤が楽になる筈なのに。

 

 ニールは迷う素振りもなく「もちろんだよ」とはっきり告げ、リネットの栗色の髪を耳にかけた。

 

 

「屋敷中リネットを探すのは嫌だし、すぐに触れないだろ」

 

 骨ばった手が、彼女の耳をなぞった。

 こそばゆい感覚にリネットが肩をすくめ、背けていた顔を正面に戻した。

 

 

「リネット以外は、どうでもいいよ」


 耳の裏に触れていた指が、顎へ滑ったあとに、また戻っていく。

 ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、彼女を撫でる手つきはひどくやさしい。

 

 

「君は、仕事にひたむきで……仕事中は少しもこっちを見ないんだ」

 

 普段針を持つ指を、ニールが掬い上げる。

 持ち上げられた指先越しに、熱をはらんだ視線を向けられる。

 

 耳元を撫でていた手が後頭部へ滑り、彼女の頭を引き寄せた。

 

 

「でも今は……僕の奥さんだ」

 

 高い鼻が擦れ、下唇へ口づけられた。一度唇が離れたが、すぐに触れ合う。

 ニールの腕の力が強くなり、心まで苦しくなる。

 

 重なるたびに、わずかな隙間から互いの吐息が混じっていく。


 顎の角度を変えて息を探すあいだに、骨ばった指がリネットの腿を撫でた。

 油断していたリネットの声が揺れると、彼は満足そうに微笑む。


「……は、あ……っ」

 身体の線をなぞっていく感覚に翻弄され、甘い声を隠そうとするたびに苦しくなる。

 リネットが顔を背けると、彼は名残惜しげに顔を離した。

 

 

 乱れた呼吸が、静かな部屋に混じる。

 息を整えていると、ニールは黙ったまま彼女をまっすぐ見つめていた。

 その視線が、リネットの鼻の上を辿るように動いた。


「また、そばかす数えてる……!」

「バレたか」

 

 リネットが自分の鼻を隠しても、彼は悪びれもせずにいたずら顔をした。

 

 

「こんなに可愛いのに」

 

 隠した手をそっと剥がされ、長い指でそばかすの上をなぞられた。

 

 可愛いわけがない。さっき鏡で確認したばかりだ。

 わかっているのに、やさしい眼差しを向けられれば、お人形さんになる魔法にかかってしまう。

 

 魔法が解けてしまえば、いつものなんてことない自分の姿に戻ってしまう。

 でも結婚する前よりは、——この斑点が、嫌いじゃなくなった。

 


「僕の好きなもの、隠しちゃだめだろ」

 

 そばかすをゆっくり撫でられ、また唇が重なり合った。

 その手がやさしすぎて、胸の奥までこそばゆい。

 触れ合う場所から熱が伝わり、全身の力が抜けていく。

 

 その隙を見逃さずに、ニールの舌先が彼女の内側を舐めた。

 リネットは肩を震わせ、顎を引いた。だが、後頭部に回った彼の手に阻まれ、完全に離れることは叶わなかった。

 

 恐る恐る見上げると、彼の目尻がやさしく下がった。

 急かさずに、口の端へ短いキスを落とされていく。

 

 リネットは彼の服をぎゅっと掴み、群青色の瞳を見据えた。


 

「わざと焦がしてたなんて知らずに、ずっと……」

 

 仕立て屋のカウンター越しに、自分を呼ぶニールの姿が頭をよぎった。

 

 

「……待ってたの、恥ずかしい……」

 

 仕事中も家でもあなたで頭がいっぱいなこと、知らないでしょ。

 群青色から目を離さずに彼の襟元をそっと引き、やわらかい下唇をついばむように食んだ。

 

 ニールの呼吸が、途切れた。

 

 

 彼は長い指でリネットの頬を包みこみ、濡れた内側へ舌先を滑らせた。

 リネットも待っていたように、彼の舌に自分の舌を絡めた。

 その動きは、先ほどよりも余裕がなくなっていく。

 濡れた唇も気にならないまま、互いの熱を求めた。

 

 

 交じり合った水音が、ふたりの家に響いた。


「……はぁ……っ……ニール……」

 

 息継ぎの合間に呼んだ名前は、深く差し入れた舌で絡めとられる。

 応えるように、彼の首に腕をまわしてやわらかい髪に触れた。


 夢中になっているうちに、背中にソファの座面が当たり、いつの間にか押し倒されていた。

 天井を背にした彼が、満足そうに目元を歪ませた。

 

 

 

 大きな手のひらが、服の裾へ滑り込み素肌を這っていく。

 下着の端に爪をかけられ、リネットの呼吸が止まった。

 

「…………するの?」

「明日は休みだからね」


 欲を滲ませた眼差しで見下ろされ、昨晩のニールの熱を思い出した腰が、疼いた。

 

「……休みは、関係ないじゃない」


 ため息とともに閉じたリネットの瞼に、彼は唇で触れた。

 胸元を覆う布の下へもぐろうとした手を、慌てて掴んだ。

 

「まだお風呂、入ってないのに」

「一緒に入ればいいよね?」


 ぎょっとしたリネットは頭を振り、やたらとくっついてくる彼を呆れたように見た。

 


「結婚する前は、こんなじゃなかったよね?」

「……僕もこんな自分、初めてだよ」


 ニールは掴まれた手首を返して、自由になった手のひらを肌に押し当てた。

 彼の指先が、感覚を楽しむようにやわらかな素肌を滑っていく。

 

 

 この先何年もかけて、またお互いに知らない自分を見つけていくのだろう。


 ソファに沈み込む中で、愛おしい群青色が見えて、リネットは瞼を閉じた。



 



最後まで閲覧ありがとうございました。


二人暮らしの生活感や、日常の中で育っていく恋を描いたお話も連載してます。

▶『境界線を越えたら、不器用な守護人にじわじわ溺愛されました』

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