影の清掃、暗殺者たちの葬列
王立学園の演習林は、昼間だというのに生い茂る木々のせいで薄暗い影に覆われていた。武闘祭の折り返しを告げるサバイバル部門の開始と共に、生徒たちは獲物を求めて散らばった。しかし、この森に漂っているのは、学生たちの競い合う熱気ではない。もっとどす黒く、粘りつくような死の気配だった。
レオナ・フォン・ロゼリアは、一人の少女として森の奥深くを歩いていた。彼女の足取りは優雅で、まるでティータイムを楽しむかのような余裕さえ感じさせる。だが、その瞳は常に周囲の魔力変動を捉えていた。
(……三時方向、木々の配置が不自然ね。五時方向、土の匂いに魔導具の冷却液が混じっている。……随分と賑やかな歓迎ね。学園の演習林に、ここまで質の悪い『害虫』を放つなんて、獄長もなりふり構わなくなったものだわ)
レオナは、わざとらしく開けた平地へと足を踏み入れた。獲物として申し分ない立ち位置。次の瞬間、空気が震えた。頭上から鋼鉄のワイヤーが降り注ぎ、レオナの四肢を縛り上げようとする。同時に、左右の茂みから音もなく飛来する投げナイフ、背後から突き出される毒塗りの短剣が、寸分違わぬタイミングで彼女の急所を狙った。
それらは、学園の生徒が使うレベルの攻撃ではない。殺しのプロの所業だ。鋼の糸がレオナの喉元を掠め、投げナイフが彼女の心臓を射抜く直前、彼女の姿がふっと陽炎のように揺らぎ、残像へと変わった。
「――遅い」
冷徹な声が、暗殺者たちの背後で響いた。
レオナは既に、投げナイフを放った刺客の懐に滑り込んでいた。彼女がわずかに掌を刺客の胸に押し当てる。それだけだった。彼女の魔力が刺客の心臓を守るべき筋肉と血管へと侵入し、内部から強制的に硬直させる。刺客は声を上げることもできず、そのまま泥の土へと崩れ落ちた。
他の暗殺者たちが驚愕に目を見開く暇もなかった。レオナの周囲には、いつの間にか幾重もの「黒い茨」のような魔力の帯が形成されていた。彼女が指を弾くたび、黒い魔力が鞭のようにしなり、木々を切り裂き、暗殺者たちの得物を粉砕していく。
「あ、あぁ……なんて魔力だ。こいつ、本当に貴族なのか? 噂の『呪いの子』なんてレベルじゃない……!」
生き残った刺客が恐怖に顔を歪ませ、後退る。しかしレオナは、無表情のまま死神のような足取りで彼らに近づいていく。彼女の足元には、まるで呪いのように黒い影が這い回り、地面の草木を一瞬で腐らせて枯らしていた。
「あなたたちは、雇い主に忠実なだけ。でもね、忠誠を誓う相手を間違えると、死すらも救済にならないわ。……教えて。今回の命令の『黒幕』は誰? 獄長? それとも、さらに上の……『市民代表』かしら?」
刺客は震えながら首を横に振ろうとする。だが、レオナの問いかけは尋問ではなかった。彼女は既に応答拒否の余地すら与えていない。彼女の魔力回路が刺客の脳内に侵入し、記憶の断片を強制的に引きずり出す。
(――ああ、なるほど。パッチのトリガーを引くのは神殿長。議長はそれに賛同し、獄長は実働部隊を統括している。……腐りきった三頭政治ね。毒の根っこを絶つには、この学園そのものを一度灰にするしかなさそうね)
レオナは短く息を吐くと、その場にいた暗殺者たちを即座に「昏倒」させるだけにとどめた。殺す価値さえない。彼女が求めているのは、彼らの命ではなく、この世界のシステムを統べる「権限」そのものだからだ。
その様子を、林の外からエリオットが目撃していた。
彼は騎士として、レオナのあまりに冷酷で、そして強大な力に息を呑んでいた。これまでの「可憐な令嬢」としての彼女は、どこへ行ったのか。ただの魔力操作ではない。彼女は戦いという名の演算を行っている。だが、エリオットは剣を抜くことができない。彼女の背中が、あまりにも孤独で、そして何かに追われているように見えたからだ。
「レオナ……君は、一体何を背負っているんだ。どうして、そんなに悲しい目をして戦うんだ」
エリオットの独り言は、風に消えた。
森を抜けたレオナの目には、遠くに見える学園の尖塔が、まるで牢獄の鉄格子のようにも見えていた。
一方、生徒会室では、オスカーが深い溜息を吐いていた。目の前にあるモニターには、サバイバル部門の結界内に侵入したはずの「暗殺者」たちの生命反応が、次々と消滅していく様が映し出されている。レオナ・フォン・ロゼリア。彼女の存在は、既にこの学園の制御可能領域を逸脱していた。
「レオナ……君は、どこまでこの世界を破壊するつもりだ。システムが君を排除しようと動き出している。僕が止めるべきなのか、それとも……」
オスカーは、静かに生徒会室の机に置かれた『王家への直通電話』に手をかけた。彼の中で、レオナを「守るべき大切な友人」として見るべきか、それとも「阻止すべき災厄」として排除すべきか、激しい葛藤が渦巻いている。彼が守ろうとしている秩序と、レオナが破壊しようとしている腐敗。その二つは、決定的に相容れないものだった。
レオナは、森の出口でエリオットの気配を感じ取る。彼女はわざとらしく微笑み、いつもの「令嬢」の仮面を被り直した。その瞳に宿っていた冷徹な光は、瞬時にかき消される。
「あら、エリオット。貴方もサバイバル部門に参加していたの? 寂しい森の中、誰かとお話ししたかったわ。……なんだか、とても嫌な予感がするの」
レオナが向ける微笑みの裏側に潜む、途方もない絶望と冷徹さを、エリオットはまだ知らない。
武闘祭は折り返し地点を過ぎた。この先の展開は、もはや彼女の制御の手を離れ、加速していく。
システムによる「ゲームパッチ」の実行まで、あとわずか。
レオナは、運命が自分を飲み込もうとしていることを肌で感じながらも、その渦の中にわざと飛び込む準備を整えていた。彼女にとっての復讐とは、ただ敵を倒すことではない。この「データ化された世界」の理そのものを、彼女自身の魂で書き換えることなのだから。
空はどこまでも青い。だが、その青さはまるで、崩壊を待つ回路のディスプレイのようだった。レオナはエリオットの隣を歩きながら、静かに、しかし確実に、破滅へと続く階段を上っていた。武闘祭という名の巨大な実験場で、最後の歯車が噛み合おうとしていた。
彼女は、この国が流す涙の味さえも、すでに予測していた。すべては、あの頂点を塗り替え、この世界の偽りの真実を暴き出すために。その先に待つのが、かつての故郷なのか、それとも永劫の闇なのかは、まだ誰も知らない。




