日常という名の現実
「一度は落とした命なんだから、死ぬ気で戦いなさいよ!」
……どうやら僕は、戦わなければいけないらしい。
見覚えのない無機質な部屋。壁沿いに設置されたベッドの上で僕は寝ていたようだった。
僕はどうしてたんだっけ。頭がグワングワンするし、それになんだか体のあちこちが軋むように痛む。起きてから数分、目の前にいる知らない女の人に何やらいろんなことを言われていたような気がするけど、どうもまだ頭が起きない。
"一度は落とした命"?
なんだっけ、僕って誰だっけ。
名前は、えっと……晴風 壱叶。歳は16。
大丈夫、わかる。
今日も朝から学校に行って授業を終え、担任が入ってきて形だけの終礼が終わり、その後はいつも通り友達と……。
――僕が通う、鳳真高校の正門を出た。
5月も中旬に入れば高校生活にも慣れてくる頃。もうすぐ高校最初の中間試験だ。遠くでは微かに吹奏楽の練習する音が聴こえていた。
「今日も疲れたー。これからバイトかあ」
両手を上げて伸びをしながら、隣を歩く杠 美波はそう呟いた。
美波は、高校のクラスメイト。
気さくな性格でコミュ力が高く、そしてイケメン。ミルクティ色の髪はいつもふわっとセットされていて、天パでセットなんて諦めてしまっている僕からするとおしゃれですごいなと思う。感情表現が豊かな彼は、当然クラスの女子からも好かれているし、既に違うクラスにも友達がいるようだった。
「中間前なのにバイト三昧って、余裕だな」
僕を挟んで逆側にいる知念 凪は、そう言ってフッと優しく笑った。
凪は幼稚園から一緒の幼馴染。
凪の両親は仕事で忙しくしており、昔から凪は僕の家で一緒に過ごすことが多かった。
落ち着いた性格の彼はどんな時でも冷静で、クールな印象を持たれがち。しかしその実、優しくて面倒見が良いため、小さい頃から幾度となく女子から告白を受けるような男だった。今でもクラスの一部の女子から好意を向けられていることを僕は知ってる。美波とは逆の真っ黒な髪も、彼のクールさを際立てている気がする。
「まあねー!赤点じゃなければいいと思ってるからね、俺は。というか凪も壱叶もさ、頭良いんでしょー?」
「いやいや!僕は言うほどだよ。それより、凪はヤバい」
凪は本当に頭が良い。
僕の知ってる限りだと中学2年の時点で英検の準1級に受かっていた。
僕はというと、平均を辛うじて上回るくらいの学力に、人並みの運動能力。何の変哲もない、ごく普通という言葉が似合う平凡な人間だ。
人生は自分が主人公、なんて言うけど、主人公になるような能力、僕には1つもない。まあ、生きていく分には困ってないからそこまで気にしてないけど。
「なんで凪は鳳真に来たの?もっと上行けたんじゃないー?」
「うーん、勉強に追われたくなかったからかな。それに、壱叶が一緒だし」
「え!なにそれ、なんか照れるよ」
「うぇ~!男同士でイチャイチャするのやめてくれる?」
アハハ、と3人の笑い声が響く、そんな何も変わらない日常。入学してから気づけばこの3人で過ごしている。
学校から随分歩いたところで、僕は彼らと分かれて1人になる。そこからは音楽を聞きながらゆっくり歩いて帰る。それが僕の帰り道のルーティン。
「それじゃあ、2人ともまた明日!」
「じゃあねん!」
「またな」
軽く手を上げて別れを告げると、2人とは別の道を歩き出し、ポケットに入れていたワイヤレスイヤホンを耳に差し込んだ。
あ、好きなアーティストが新曲出してる。
「おっと」
スマホの画面から顔を上げると、すぐ目の前の信号がチカチカと点滅をし始めたので、僕は少し足早になって横断歩道に入った。
僕はずっと、当たり前だらけの環境が全てだと錯覚していたんだ。信号が点滅していて少し焦ったこと。焦ったことにより、何の確認もせず横断歩道に入ったこと。たまたまそこを通ったトラックが、うっかりで信号を見誤ったこと。
「えっ……」
多くの当たり前が少しずつズレれば、それはいとも簡単に崩れ落ちていく。
赤信号で止まるはずのトラックが、勢いを止めず僕に向かって走ってくる。人間、恐怖でいっぱいになると体が動かなくなってしまうらしい。全てがスローモーションに感じる。それなのに頭の中は忙しく回り続けていた。
いつもと違う。この距離間、こんな速さで自分に向かってくる車を僕は今まで見たことがない。
いや、でも、そんな、まさか。嘘だ。
鳥肌が立つ。
イヤホンから流れる新曲は僕にはもう届いていなかった。
この距離じゃもう避けられない。というか、体が止まってしまって動けない。これは現実?実感が湧かない。夢の中にいるような。何かの間違いなんじゃないか。でも車の動きは止まらない。
あ、僕、死ぬ――。




