第56話 やっぱり全てはいなくなる
指揮官ナキウが幼体の部屋に到着し、目にしたのは悪夢のような光景だった。踏み潰された幼体、蹴られて変形して死んでいる幼体、壁に付着して破裂している幼体。死屍累々の部屋の中は、幼体の体液が部屋の中を濡らしている。
「フ、フ、フゴォォォォォォォォォォ!」
幼少体や幼体が安心して成長でき、親となった成体が子供を安心して育成できる環境が欲しくて戦争を始めたのに、肝心要の幼体たちが殺された。
戦争の大義が揺れ動いている最中、指揮官ナキウは幼体の声を聞き取った。
「……パァ? パァ……パァ……!」
やや上の方向から、成長の遅い幼体の声。
見上げてみると、壁に幼体が縫い付けられている。
「フギ! フギィィィィ! フゴフゴ!」
いつもなら煩わしいだけの鳴き声が、今は喜ばしいことこの上ない。
何とか助けようと背伸びをして、精一杯に手を伸ばすが、幼体まで手が届かない。可能な限り跳んでみるが、それでも届かない。
「パァ? パー……ッ!」
必死な形相で自分を助けようとする父の姿を見て、パーパー鳴く幼体は嬉しそうに笑う。
指揮官ナキウの顔には、息子から流出した血液が降りかかる。
その時だ。
一つの石ころが、パーパー鳴く幼体の体に衝突する。ブチュッと音がする。
「バァァァァッ!」
激痛に悲鳴を上げると、口から血が噴き出る。
「ビキ!? ビコォォォ!」
自分の子供が疎まれていたことは知っている。だからと言って、こんな状態の子供に石など投げつけなくてもいいではないか。
怒りを露わにし振り向くが、部下の成体たちはオロオロと動揺している。普段は疎んでいても、石を投げつけるほどじゃない。
「フゴォ!」
指揮官ナキウは一人一人を睨みつけながら犯人を探すが、誰も認めない。
群れている部下の間を縫い進んでいると、端の方から石が投げられる。その石は、壁に縫い付けられている幼体の目に当たり、目は潰れ、何か管のようなモノが垂れ下がる。
「ビャァァァァァァァッ!」
部屋の中に響き渡る幼体の悲鳴。
とうとう、指揮官ナキウの怒りは限界を超え、手当たり次第に部下を殴り飛ばす。
「ビキ! ビコ! フゴ! ボコ!」
犯人ではないのに理不尽に殴られれば、部下の成体だって我慢できない。
指揮官に殴りかかる一派と、それを宥めようとする一派に分かれ、乱闘が始まった。
あっさりと分裂したナキウの群れを見て、光一は呆れたように溜息を吐く。ここまで順調に事が進むと退屈でもある。
身を潜めているのが馬鹿らしくなった光一がその姿を現しても、ナキウは誰も気付かない。
あえて生き残らせた幼体は、仲間割れを始めた成体を見て、恐怖と絶望に見舞われている。
「プコプコ……プコ……ピキィ……!」
止めに行きたいが、光一の風の魔力が体を拘束しており、身動ぎ一つできない。
「パァ? パ……パー……!」
パーパー鳴く幼体は、生き残っていた幼体に向かって声をかけるが、この状況下においても幼体はその声を無視している。
その様子を見て、呆れた様子の光一は適当な幼体の死体を、壁に縫い付けた幼体の真下に積み上げる。こうやって足場を作れば手が届くのに、こんな簡単なこともできない頭の悪さに辟易する。
「さて、こんなもんか」
ポケットからマッチを取り出しつつ、その内の一本に火を点ける。そのまま、火の点いたマッチを死体の山に投げ入れた。
油脂の多いナキウの血液にあっさりと火は燃え移り、轟々と火が燃え上がる。その火は、壁に縫い付けられている幼体の足の裏をチリチリと熱する。その幼体から流れ出る血が火に注がれて、見る見る間に火は勢いを増す。
「バァァァァッ! バッ! バァァァァァァァァァァァァァッ!」
焼かれる痛みと熱で、これまでとは比にならない悲鳴を幼体が上げる。その悲鳴までは無視できず、光一の足元にいる幼体は恐怖に慄き、震えている。
その悲鳴は乱闘に夢中になっている成体たちの注目を集めるには十分であり、血相を変えた指揮官ナキウが駆けつける。
「フッ! フゴォ! フゴフゴ!」
救出したいが、火の勢いが強くて、目を開けているのも辛い。
「助けなくていいのかい?」
不意に聞こえてきた人間の声。
それは勿論、光一の声。
指揮官ナキウはサッと頭に血が上り、
「ビキ! ビキビキ! ビコォォォ!」
光一に向かって詰め寄るが、それを見た光一は悠然と拘束している幼体を浮かせ、燃え盛る火に近付ける。
「ピッ! ピィ! ピィィィィィィィ!」
チリチリと焼け付くような熱さに、幼体は堪らずに泣き声を上げる。
「フゴ!? ビキィ!」
流石に足を止めざるを得ず、ひたすら光一を睨みつける。
「フゴフゴ……ビキ!」
指揮官ナキウは手を伸ばして、幼体を返すようにジェスチャーする。
その横で、一際大きな悲鳴が響く。
流れ出る血を伝って火が燃え移り、壁に縫い付けられている幼体が燃え始めていた。
「バャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
声が枯れそうになりながらも、悲鳴を上げるしかない幼体。
「フゴォォォォォォォォォォ!」
指揮官ナキウは涙を流し、歩み寄ろうとするが、熱に耐えられず、救出できない。
指揮官ナキウは、光一に向かって、
「ビキィ……ビコ……フゴォ」
頭を下げながら、燃えている幼体を指差す。助けてほしいという意味かもしれない。
「行かねーの?」
「フゴフゴ」
「早くしないと、アレ、焼け死ぬよ?」
「ビキビキ」
「俺は助けねーよ。アレをこんな目に遭わせてんの俺だし」
「ビコ!?」
「どうする? 戦う? 戦争してんだっけ?」
薄ら笑いを浮かべて挑発してくる光一に、指揮官ナキウは我慢できなかった。
木の棒を握り直し、光一に立ち向かおうとする。
「バッ!」
短い悲鳴とともに、静かになった。
とうとう、パーパー鳴く幼体は燃え尽きて、灰になって体は崩れ去った。
「ビコォォォォォォォォォォォォ!」
指揮官ナキウの泣き声が響き渡る。たった一人の息子が死んでしまい、その悲しみに胸が引き裂かれそうになる。こんなことなら、もっと構ってあげれば良かった。連れてこなければ良かった。
心中に渦巻く後悔に苛まれながらも、指揮官ナキウは光一を睨みつける。木の棒を握る手に力が籠もり、
「ビキッ!」
と、気合い十分に光一に迫り、渾身の力を込めて木の棒を突き出す。この山のナキウを統べる群れの長にも、その威力を認められた自慢の突きならば人間にも効くだろう。
しかし、光一は悠然と構えたまま、幼体を突きの軌道上に浮かせる。
繰り出した突きを止めることはできず、木の棒は幼体を強く突いた。
「ビョゴ! ビョエェェェェェェ!」
腹部に突きを食らい、幼体は血と共に胃の中のものを吐き出す。
「フギッ!? フゴォォォォォォォ!」
指揮官ナキウが思わぬ事態に狼狽えている。
幼体を心配し、駆け寄ろうとした時、異変を感じ取った。
体が膨らむ。息が苦しい、と言うよりは呼吸ができない。どんなに大きく口を開いても、微塵も空気が吸い込めない。目が乾き、飛び出そうになる。指先が痺れ、感覚が無くなる。
指揮官ナキウは周囲を見渡すと、他のナキウも似たような状態に陥っている。
光一に囚われている幼体は、今も変わらず、血を吐き続けている。
手加減もできずに思いっきり突いてしまった。死ななければいいけれど。
そんなことを思っていると、バシャッと水音がする。その方向を見ると、ナキウが次々と破裂していく。
「…………っ! ビ……ビキ……!」
もう、耐えきれなくなり、指揮官ナキウも体が破裂して、血溜まりと成り果てた。
「ピ……ピコピコ…………ピョェェェェェェェ」
目の前で死にゆく成体を見せつけられ、悲しみながらも嘔吐が止まらない。光一にとっては大した威力ではない突きでも、ナキウにとっては強力な一撃だった。それを幼体が受けたのだから、死んでいないのは奇跡だろう。
全ての成体が死に絶えたのを確認した光一は、部屋の中に空気が流れ込むのを感じながら、捕らえていた幼体を解放する。
「ピ、ピキィ!」
光一に向かって威嚇する幼体。それだけ、戦争に加担している自覚が強いのだろうが、光一は気にも留めない。
光一に勝てないことを理解している幼体は、光一が向かってこないことを確認しながら、本拠地へ帰るべく洞穴から出て行った。
光一はそのことを確認し、念の為に、生き残りがいないかをチェックする。
部屋の奥には、更に狭い小部屋が存在し、そこは幼少体やメスの成体が使っていたようだ。その幼少体やメスも破裂して死んでいる。
「思いつきでやってみた割に、なかなか良い結果だな」
満足気に頷き、光一は洞穴から外に出る。
幼体は本拠地へ向かって走っており、その先は「山の獣」の領域だ。できることなら近付きたくないが、ナキウ退治のためだ。
のんびりと待つつもりの無い光一は、「黒龍の鎧」を纏い、「察知」スキルを発動する。風の魔力でも索敵はできるが、「山の獣」の領域が近いためか、索敵が正確に行えない。恐らくは、「山の獣」の濃密な魔力によって阻害されているのだろう。
風の魔力と「察知」スキルをフルに活用し、幼体の進行方向に索敵範囲を絞って、本拠地を探る。
「見つけた。ナキウどもの群れ。これが本拠地か?」
光一は「黒龍の鎧」を収納し、見つけたナキウの群れに向かって歩き出す。相手が魔獣の類なら、こちらに向かっているはずの村の若者らを待つが、ナキウなら必要無いだろう。
歩き出した光一は数十秒と経たずに幼体に追いつき、再度、幼体を捕らえた。
「ピ! ピキィ! ピキー!」
痛む腹部を押さえ、それでも懸命に光一を威嚇する幼体。
光一は暇潰しも兼ねて、首元を掴んでいた幼体を空中に投げ飛ばし、足を掴んで逆さまに持ち直す。
「ピ! ピィ! ピィィィィィィィ!」
泣き叫ぶ幼体を振り回す光一。
この泣き声が成体たちに聞こえれば、ナキウが出迎えに来るかもしれない。
そう期待して、枝葉を薙ぐのも兼ねて、幼体を振り回す。前後不覚のまま、体の至る所を切り、枝が突き刺さる痛みもあって、激しく泣き喚く。
その泣き声が聞こえたらしいナキウの成体が五匹ほど姿を見せた。
「フギッ!」
「あーはいはい。威嚇ね、いつものね」
「ビキッ!」
「あーはいはい。悲鳴ね、斬ったからね」
流れ作業のようにテキパキと成体を片付ける光一。幼体は目が回り、何が起きているかも分からない。
成体が現れたことで進行方向が間違っていないことを確認し、更に突き進むと、木々が生えていない広場へと出た。合わせて、一際大きな洞窟が口を開けているのも確認できた。
ついでに、数百匹のナキウの成体が光一に注目している。
「フギッ! フゴフゴ、フゴッ!」
一匹のナキウが光一が振り回している幼体を指差す。
「返してほしいの?」
「フゴフゴ」
「取りに来い」
「フゴッ! ビキビキ!」
「あ?」
ナキウは親指以外の四本の指を使って手招きをする。まるで、持って来いと言っているかのように。
よくよく確認してみると、数百匹のナキウは光一を見下すようにニヤニヤと笑みを浮かべている。数で勝っているから、気が大きくなっているのだろう。
少し、カチンときた光一。
幼体を振り回すのを止め、思いっきり地面に叩きつけた。
「ビャッ!」
と、短い悲鳴を上げて、幼体は死んだ。体が破裂し、内臓をぶち撒け、血飛沫を撒き散らしている。光一は風を操り、その血飛沫がかからないようにしている。
光一が幼体を殺したのを見たナキウたちは、一斉に殺気立つ。
それにも構わず、幼体の死体の足を掴んで、光一はその死体を成体へと投げつけた。
「フゴッ! フギフギ!」
死体を受け取ったナキウは、死体に向かって呼び掛けるが、死体が返事するわけがない。
ナキウたちは目から大粒の涙を流し、幼体の死を悼む。
悲しみと共に湧き上がるのは怒りだ。
全ての成体ナキウは光一への怒りを露わにし、今にも飛び掛からんとしている。
しかし、飛び掛かろうとした瞬間、体に異変が起きる。呼吸ができなくなり、どんなに大きく口を開けても、空気は少しも入ってこない。首元を掻いてみても、そこには縛る何かは無い。
「…………っ! …………!」
ニヤニヤと見下すようにほくそ笑む光一に向かって手を伸ばすナキウ。助けを求めているのか、この状態でも幼体の仇を討とうとしているのか。
もしも、後者であるならば、もう少しだけ苦しみを長引かせてもいいかな。
しかし、それに付き合うつもりは、光一には微塵も存在しない。
膝を突き、地面に倒れ込むナキウたちを蹴り飛ばしながらどかし、洞窟の中へと入って行く。
洞窟へと入って行く光一の背中を見ながら、ナキウたちは息絶えた。
洞窟の中は広く、廊下の両脇には大小の部屋がいくつも連なっている。その部屋は、ナキウの夫婦の部屋なのか、メスや幼体だけがいる。番となるオスは、表で窒息死した成体かもしれない。
「すまねぇな。殺しちまったよ、お前の旦那」
幼体を守ろうと威嚇するメスは殺し、幼体は「風の檻」に捕らえる。この「風の檻」は使い勝手が良く、気に入って使っているうちに、魔術として運用できるようになった。思えば、突然変異のナキウを捕まえる時に使ってから今まで、それなりの付き合いだ。
そう思いながら、メスは殺し、幼体は捕らえる。少年体や青年体は面倒だから殺す。卵袋を抱えるメスがいたら、孵化が間近の卵袋ならば「風の檻」で卵袋ごと捕らえ、そうでなければ卵袋ごと殺した。
「ビ、ビキィィィ…………」
母の情とでも言うのか、死ぬ寸前でも、卵に手を伸ばす個体がいた。母が死ねば卵袋も死ぬし、その中の胎児も死ぬ。手を伸ばしても無意味なのだ。
だから、思い残すことがないようにと気を利かせて、光一はその卵を踏み潰した。
濃い絶望を浮かべて、メスは死んだ。
幼少体も「風の檻」に捕らえる。邪魔するナキウは殺す。捕らえた幼体や幼少体は、村の子供らへの土産だ。遊び相手には丁度いい。
洞窟の中のナキウがほぼ死に絶えた時、最奥の部屋の中に、体が黄緑色に変色し、皺だらけのナキウがいた。
非常に珍しい「老体」のナキウだ。自然界ではすぐに殺されるナキウが、この老体にまで歳を取ることは無い。もちろん、マルキヤ劇団のように管理されているナキウでも、大抵はショーで死ぬから、やはり、老体には至らない。
それでも、光一にとってはどうでもよく、その老体のナキウが何かを言おうとするのと同時に、首を斬り落として殺した。
光一は「黒龍の鎧」を纏い、「察知」スキルと風の魔力による索敵で生き残りがいないかを確認する。
一匹もいない。殺す時には首を斬り落としているから、殺し漏れも無いようで安心だ。
ざっと三百匹の幼体と、五百匹の幼少体、二十個の卵袋を手土産に、光一は村へと歩き始めた。
帰りの道中で村の若者らと出会ったため、山の中に生き残りがいないかの確認を頼んだ。三日もあれば確認はできるだろう。
多少のきな臭い出来事はあったが、割とあっさりとナキウ退治は終わり、意気揚々と光一は下山した。




