第30話 光一の災難
光一は、後悔の真っ只中にいる。後悔も何も、圧倒的に格上の相手からほぼ強制的に引き寄せられたのだから、仕方ないことではあるのだが。
訪れた当初、テーブルの上には綺麗な装飾、見事に飾り付けられたお菓子の類、美味しそうなジュースがあった。実際、ジュースは美味しいし、お菓子も手が止まらなくなるくらいに美味しい一品だった。光一があまりにも美味しそうにお菓子を食べるから、控えていた使用人の方々が次々とお菓子を運んできてくれた。そのどれもが美味しいお菓子だった。
しかし、そんな至福の時間も、割とすぐに終わった。
手っ取り早く言えば、シルネイアとルビエラは酒豪であり、喇叭飲みで酒瓶を空にし、些細なことでゲラゲラと大笑いしている。最初は、綺麗な人で、清楚なイメージだったシルネイアは、今は影も形もない。
「いやー、にしても、あのシルネイアが魔王とくっつくとはねー! だって、私がワンパンで沈めたヘタレよ!? どこが良かったのよー?」
「もー、いくら本当のことでも言ったらダメなことがあるでしょー? ヘタレなのは本当だけどね! アレでもいいとこあるのよ!」
「えー? もしかして、夜が凄いとか?」
「ちょっとー、子供の前で何言ってんの! あと、ソッチもヘタレだから基本的には私が主導権握ってるのよ!」
「ほほぉ? 主導権とアレも握ってると?」
「ちょっと、飲み過ぎよ! 度数の低いの持って来て! あと、ソレを握ると喜ぶわ」
「キャーもうエッチー!」
「アンタが言わせたんでしょー!」
ゲラゲラ。やんややんや。
何処ぞの居酒屋で行われていそうな会話。きっと、世の中の旦那の秘密もこうやって共有されているのかもしれない。怖い怖い。
光一はすっかり呆れ果て、お菓子が乗った皿を持って、城の中を散歩することにした。勿論、勝手に出歩くわけにはいかず、何かメイド長みたいな人が案内してくれることになった。
「流石に、教育に宜しくないですしね」
「ありがとうございます」
「奥様の名誉の為に申しますと、お酒さえ入らなければ、理想的な奥様なのです」
「承知してます。お酒が入ると誰もがあのようになりますから」
ハッシュヴァルトは泣き上戸だし、フハ・フ・フフハは魔力の制御ができなくなって無能になる。マルキヤ劇団の団長は大笑いしながらお小遣いくれるし、笑顔で所有しているナキウを虐殺する。一応、ショーでは使い途のない少年体や青年体を標的にしているから、最低限の理性は残っているのかもしれない。
兎にも角にも、酒は恐ろしい飲み物だ。
そんなことを考えながらも、城の中を案内してもらっていると、一人の男と遭遇した。
その男は、光一を見るなり、睨み付けてくる。殺気も充満した、鋭い視線だ。体中に傷跡があり、歴戦の戦士といった風体だ。角刈りの髪形と太い眉毛のせいで中年のように見える。
しかし、光一にはとんと覚えが無い。そもそも、ここへ来たのもついさっきだ。
「貴様、何故、ここにいる?」
「いや、招待されたから」
「招待だと? 誰にだ?」
「シルネイアさんだよ」
「なっ、シルネイア様……!」
「んー? あれ、お前の声、どっかで……」
「き、気にするな」
「あ、あの時の」
ハッシュヴァルトから頼まれたナキウの巣の調査の最中に襲ってきた、魔軍の隊長格。その声にそっくりだ。
「あの時はよくも奇襲なんて仕掛けやがったな卑怯者」
「この国を思えばこそだ」
「シルネイアさんにボコボコにされたくせに。知ってるぞ。あの時、小便漏らしただろ」
相手は、顔を真っ赤にして反論してくる。
「漏らしてねぇ!」
「嘘つけ。液体の音がしてたぞ。格上に脅されてビビったんだろ?」
「出血しただけだ!」
「血尿か?」
「違う!」
光一の減らず口に、相手はイライラが増幅していく。
「黙っていれば見過ごしたものを……!」
怒り心頭といった表情で、腰にぶら下げている剣に手が伸びる。
それを見たメイド長が、即座に光一と隊長格の間に立ち、
「お止め下さい! 何するおつもりですか!」
と、制止するが、隊長格は聞き入れるつもりは無いらしい。
「どいてろメイド長。アンタまで怪我するぞ」
「隊長! この方はシルネイア様のお客様ですよ! 勝手なことをされては」
「うるさい! どけ!」
この直後。
「酔いが覚めちゃったわ〜?」
ほろ酔い気分を阻害され、不機嫌状態のシルネイアが現れた。ゆらりと体を揺らしながら、光一とメイド長の前にまで歩み出る。酔いが覚めたと言う割に、足元が覚束ない。
「光一くんがお散歩するのは構わないけど、勝手な手出しを許した覚えはないわね?」
「シ、シルネイア様! こ、これは」
「納得できる理由じゃなければ殺すからね」
「あ……その……わ、私の名誉に関わる侮辱を受けまして、それで、つい……」
「ふーん? 小便漏らしたのはホントよね?」
「あ、アレは!」
「ホントに漏らしてたのか」
呆れたような声の光一。奇襲の軽い仕返しくらいのつもりで言ったのに、まさか、本当のことだったなんて。
光一の言葉に、隊長格は顔を更に赤くして、
「黙れ! 貴様には関係ない!」
こう反論するが、これがシルネイアの不興を買ってしまう。
「私を無視するなんていい度胸ね?」
「も、申し……っ、わけっ……」
シルネイアは右手を突き出して、グッと握り込むような仕草をする。
隊長格は、胸元を押さえて苦しみだす。まるで、シルネイアに心臓を握られているかのように。
「前回の勝手な行動を私は赦したけれど、それは間違いだったかもね? 今も、ルビエラが怒ってここへ来ようとしているのを、メイドたちが宥めているのよ」
「ル、ルビエラっ……ここに……っ?」
シルネイアは、右手を完全に握り込んだ。
隊長格は、口から血を噴き出しながら、死に絶えた。
「隊長格如きが私の友人を呼び捨てにするな」
あっさりと隊長格の男を切り捨てたシルネイア。死体を見る目付きは、ゴミを見る目と同じだ。
それでも、光一とメイド長へと振り向くと、
「ゴメンね、メイド長。面倒をかけたわ。庇ってくれてありがとうね」
「とんでも御座いません、奥様。当然の事をしたまでです」
「光一くんも、怖い目に遭わせてゴメンね?」
「いえ、俺も大丈夫です。メイド長さんが庇ってくれましたし」
二人の反応が満足いくものだったのか、上機嫌な笑顔を浮かべる。
「でも、お詫びも無しじゃ、私の面子が丸潰れだわ。何かお詫びをしたいわね。何がいいかしら?」
シルネイアが尋ねると、光一は暫く考え込む。お菓子は手元にあるし、下手なこと言うと「人間領」に帰れなくなるかもしれないし。定期的な収入があるから、お金には困ってない。
そう考えていると、一つ思い付いた。ダメ元で訊いてみる。
「あの」
「ん?」
「このお城に招待してくれた時の魔術って、教えてもらうことできますか?」
「招待した時の……あ、『回廊』のこと? できるわよ? それでいいの?」
「はい! お願いします!」
「お願いする顔が可愛いから、脱法的に教えちゃう!」
シルネイアがそう言うと、唐突に、光一の体が後ろへ引っ張られる。
そこには、いつの間に来たのか、ルビエラが立っていた。
「ちょっと! 私の息子を誘惑しないでくれるかしら〜?」
「んふふ、そんなわけないでしょ〜? このまま、成長してくれたら私の娘のお婿にどうかなとは思ってるけど〜」
「ダーメーでーすー! この子には色々あるんですー!」
「ちぇっ、ケチ! どうせ、旦那さん絡みでしょー? いいじゃない、少しくらい!」
「約束だからダーメー!」
「ブーブー!」
二人は酔ってるかもしれない。
頼むタイミングを間違えたかなと、光一が思案していると、シルネイアが手招きをする。
「おいで〜、一度、あの応接間に戻りましょうか〜」
「お水をお持ちしますね」
メイド長が言うと、シルネイアは笑顔で注文をつける。
「焼酎で割ってね!」
「割りません! そもそも、今日は休肝日ではなかったのですか?」
「んー、明日から頑張るー。皐月ちゃんがいない時にしか呑めないしー」
そう言いながら、光一とルビエラの手を引いて応接間へと戻っていくシルネイア。
メイド長は深々と溜息を吐きつつ、調理場へと向かった。
応接間へと戻ると、シルネイアは早速、「回廊」を教える為に、光一と向き合った。
真正面から見るシルネイアは、やはり美人だ。魔王が妻にするだけのことはある。会話の端々から察するに、魔王はぞんざいに扱われているみたいだが。
「んー。ねー! ルビエラ! この子は本当に息子くんなのー? 娘ちゃんみたいに可愛いんだけど!」
「失礼ね、本当に息子よ! 可愛いのは認めるけど!」
「俺の容姿はどうでもいいでしょ」
「『回廊』なんかより、お化粧教えちゃおうかな! そろそろ、そういうお年頃よね?」
「俺は男です!」
「まあまあ、そう言わずに〜。きっと、絶対、たぶん、恐らく似合うから!」
「色々と不安なので結構です!」
「そうよ! お化粧は私が教えるの!」
「お母さんはお菓子でも食べてて!」
「んふふふ、怒られてやんの〜!」
「きゃー、怒られちゃったー!」
「反抗期じゃないのー? 子離れ?」
「これが反抗期? きゃー、私の息子が反抗期だわ! 子離れしてる場合じゃないわ!」
「は、話が進まない……!」
光一の脳裏に蘇る転生前の記憶。酔っ払った上司の相手は大変だった。どんなに尊敬できる上司も、酒が入るとダメ人間に成り下がる。だからこそ、酒は好きじゃない。
こりゃ、もうダメだ。
そう思った光一が席を立とうとした時、シルネイアが言った。
「終わったよー?」
「へ?」
「『回廊』の術式の転写。もう、使えると思うけど?」
「転写? それって」
「あれー? フハの小僧はそんなことも教えてないの? 魔術って教えるのは簡単よ。魔力に術式を刻むなり、転写するなりすればいいだけなんだから」
言われて、光一は魔力を探ってみる。すると、確かに、これまでに無かった魔力の流れがある。溝に沿って水が流れているかのような、あるいは、「回避」や「察知」のようなスキルのような感覚。
「これが『回廊』、よし!」
光一は、ものは試しとばかりに、「回廊」を発動させてみる。
「あー、でも、教えるのは簡単だけど、使えるようになるのは難しいわよー? 特に、『回廊』はちゃんと出口を設定しないと、どこに飛ぶかも分からないし、入り口を設定しないといきなり何処かへ……あら?」
そこには、既に光一の姿は無い。
どんなに酔っていても、この城の中での出来事を把握できないシルネイアではない。そのシルネイアが行方を把握できないとなると、答えは一つで。
「きゃー! ちょっと、ルビエラ! 光一くんがいなくなっちゃった! ……あれ? ルビエラ? ちょっと、何寝てるのよ! アンタの息子の一大事よ! 酔ってる場合じゃないでしょう、おーきーなーさーいー!」
一度、酔って寝てしまったら簡単には起きないルビエラ。仕方なく、シルネイアは後の事をメイドに任せて、光一の捜索に乗り出した。
長い長い暗闇を抜けて、光一は森の中へと吐き出された。
教えてもらった「回廊」の術式に魔力を流し込んで発動させたところまでは良かったが、制御が予想以上に難しかった。てっきり、シルネイアがしていたように目の前に入り口が開くものとばかり思っていたら、足元に開いてしまい、ストンと落っこちてしまった。しかも、出口の座標を設定しないとランダムに飛ばされるようで、光一は現在地がどこなのか、さっぱり分からない。
「参ったな。お城はどこだ?」
何か手掛かりがないかと、「察知」を発動させてみると、比較的「人間領」に近い位置にあったお城から遠く離れた辺境にまで飛ばされたことを知る。
歩いて帰れば、数カ月はかかりそうだ。
それなら、もう一度開けばいいと思ったが、困ったことに「回廊」の魔力消費は大きいようで、もう一度「回廊」を使うほどの魔力が残っていない。ギリギリ「察知」が使えたが、そう長くは使えない。これからの事を考えると、あまり発動していられない。
魔力を回復させるためにも食料の確保に乗り出す光一は、森の中を突き進むことにした。風属性だから空気中から魔力を取り込むこともできるが、呼び水となる魔力が心許ない。
「まだまだ、修業不足だな。もっと少ないリソースで魔力を取り込めるようにならないと」
今後の課題に行き当たり、光一は深々と溜息を吐く。フハ・フ・フフハならば、今の光一と同じ魔力残量でも、何事もなく大気中から魔力を呼び寄せて取り込むことができるだろう。
シルネイアからは散々に言われたフハ・フ・フフハだが、やはり、その腕前は確かだ。少なくとも、今の光一では足元にも及ばない。
獣道をなぞるように歩いていると、不意に硫黄臭が漂ってくる。今となっては嗅ぎ慣れた臭いだ。
獣道の先から漂ってくる臭いを追うように進んでいると、木々の間からナキウの姿が見えてきた。足を止めて様子を見ていると、五匹ほどの成体に囲まれるように、一匹の青年体のメスが足元を見ながらフゴフゴ言っているのが聞こえてきた。茂みで見えないが、足元には幼体でもいるのだろうか。
光一が更に近付くと、足元に落ちていた枝を踏み折るというベタな形で、ナキウに存在を気付かれてしまった。
即座に、成体のナキウたちが、メスの青年体を守るように立ちはだかる。
しかし、光一の姿を見て、五匹の内の一匹が、
「フゴフゴ、ブキー、フゴフゴ?」
何かを問い掛けるような言葉を発する。
だが、光一にその言葉が理解できるわけがない。
すると、突然、一匹の幼体が光一に駆け寄ってくる。
「ピキー、プコプコ! ピコー!」
そう鳴きながら、光一の足を殴ったり、蹴ったりしている。
もしかしたら、成体の問い掛けに答えなかったことに怒っているのだろうか。
尤も、光一がそんなことを気にするわけがなく、
「なんだ、コイツ」
そう言いながら、剣を引き抜いて、その幼体を縦半分に斬り裂いた。
「ビキィィィィィィィィィィィ!」
突然、泣き叫ぶメスの青年体。
よほど、この青年体は大事な存在なのか、成体は幼体を気にする様子も見せずに、青年体の手を引き、背を押して逃げ始める。
「ピキィィィィィィィィィィ」
「プコォォォォォォォォォォ」
「ピコォォォォォォォォォォ」
幼体たちも我先にと逃げ出すが、ナキウの速度で光一から逃げられるわけが無い。逃げる幼体を追いかけながら、縦に斬り裂き、横に斬り捨て、持ち上げてから首を斬り落とす。
「ピ、ピコピコ……プキー……」
持ち上げると、命乞いのようなことを言うけれど、助けるメリットも義理も無い以上、見逃すわけがない。
容赦無く斬り殺していると、仲間が殺される恐怖から足が竦んで、幼体たちの身動きが鈍くなっていく。とことんまで自然界で生きるのに不利な種族だ。逃げなければならない時にさえ、恐怖が勝り、身動きが取れなくなる。
数百はいた幼体だが、所詮はナキウ。数だけいても抵抗できないのでは、全滅させるのに時間はかからない。捕まえて遊ぶ余裕さえある。
「助かりたい?」
「ピ、ピコ? ピコ! プキ!」
「そうかそうか」
「ピコォ(ホッとしたような笑顔)」
「バーカ」
「ピギッ」
胴体から切り離された頭が地に落ちる。
年々、ナキウを殺すことに抵抗が無くなり、少し楽しいとさえ思えてきた光一。だが、仮にも『神様』から「ナキウを殺せ」とお告げが出ている以上、ナキウを殺すのは仕方ないと言い聞かせている。その上で楽しんだり、ナキウで金儲けするのも悪くはないだろう。
頭を失った胴体を投げ捨て、残りは懸命に走っている成体とメスの青年体の合計六匹だ。
幼体を殺すのに夢中になっている間に、少しばかり距離を空けられたが、それも小走りであっさりと追いついた。
青年体を守ろうとして、成体が光一に立ち向かってくるが、幼体よりも体が大きいだけでは何の脅威にもならない。数分どころか、数十秒の時間も稼げず、五匹の成体は血溜まりと化した。
「フ、フゴフゴ。フゴゴビキビキビコウビコウブギュウ? ブキキブキブキ、ビキィィ」
「何言ってるのか、分かんねーよ」
青年体の首も斬り落とし、この場にいたナキウの全てが死に絶えた。
しかし、この現場を目撃し、息を潜めていた幼体が一匹だけ生き残っていた。普段の光一なら「察知」スキルや風を用いた索敵で、その幼体の存在に気付いた。が、今の光一は魔力の残量が少なく、魔力の使用を控えていたので、その存在に気付かなかった。
光一が、踵を返し、来た方向へ去っていくのを確認し、その幼体は巣へと帰っていく。兄弟や仲間たちを殺した光一の存在を知らせるために。
光一は進んだ先で、少し開けた場所に出て、そこで休憩を取ることにした。あわよくば、ルビエラやシルネイアが迎えに来てくれることを願って。
「…………酔っ払っていたしな…………」
その胸中には、不安しかなかった。




