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第29話 辺境の地にて

 かつては「魔界」と呼ばれていた領域は、人魔大戦を経て、今では「魔族領」と呼ばれている。人魔大戦勃発の理由の一つが〝領土問題〟であり、停戦の条件として、魔族と人間双方に過不足ない範囲で境界線を定めたことで、領域として締結された為だ。


 その「魔族領」も、「人間領」と同じく、人魔大戦の後始末に追われている。経済問題に始まり、ズタズタになったインフラの再整備、教育問題、悪化した治安整備など多岐に渡る。魔王が音を上げ、「引退する」と号泣しながら宣言しても、書類の束と共に却下されるくらいには多忙な状態だ。


 そのため、地方の細々とした問題にまで回せる手は無く、戦争の火種にならない限りは後回しにされている。


 そんな「魔族領」の最果て、未だに開発の手が及ばない「未開領域」との境界にある辺境の町の再興を任されたのが、腕力と建築能力に長けた〝カクズ族〟だ。角と頭と書いて〝角頭族〟と呼ばれるこの種族は、その名の通り、頭に角が生えている。赤子の頃は生えていないが、年を経るごとに角が伸び始め、成人する頃には立派な角となる。その角に比例して腕力も強くなり、木材や石材の採取や加工もほとんど素手で行われ、角頭族が建築した砦や要塞は難攻不落として名を馳せた。そのほとんどがルビエラによって陥落されたのだが。


 ルビエラによって失った自信を取り戻すためのリハビリも兼ねて、荒廃した辺境の町の再興を依頼した、というのが現状である。


 その辺境の町にも、それ相応の者らが住み着いていた。その者らを束ねる〝やんごとなき一族〟は角頭族を手厚く招き入れ、町の再興に協力した。食料を提供し、資材も惜しげもなく提供した。


 そうして、順調に進んだ町の再興具合を確認する為と、普段は城の中に籠る生活をしている皐月の息抜きを兼ねて、シルビィと皐月が視察に訪れることになった。




 辺境の町の外縁、森と人魔大戦で大破した兵器類の山が織り成すゴミ溜めの中の屋敷にて、〝やんごとなき一族〟を束ねる族長が重々しく口を開く。




『町の者らの話では、かの魔王の一族が視察に訪れるようだ。我らの働きを確認するために』




 テーブルにつく〝やんごとなき一族〟は勿論のこと、取り囲む使用人までも歓喜の声を上げる。これまでの苦労が報われる時が来たのだと、誰もが信じて疑わない。




『当然のことですわ。あの廃墟も同然だった町の再興は、私たちの協力無しにはありえませんものね。むしろ、遅過ぎるくらいですわ』




 鼻も高々に、族長の妻が言う。




『これほどまでに協力し、支援したんですもの。それ相応の見返りがあるはずですわ。貴方様のその冠はあくまで〝派遣されてきた者〟が授けたものです。いよいよ、魔王から冠が授けられてもおかしくないですわよね?』




 妻の言う冠とは、族長が頭に付けている鬘の事だ。角頭族を出迎えた際に、角頭族が笑顔と共に戴冠してくれたのだ。


 それを以て、彼らはこの地域に済む同族を束ねる〝やんごとなき一族〟となり、角頭族の協力者としての地位を得たのだ。




『うむ。勿論、そうだろう。我らは数多の私財を投じたのだ。相応の見返りが無ければ話にならない。だが、魔王の一族に加わるには相応の儀式が必要であろう。私とお前が夫婦になる時がそうであったように』


『えぇ、それは避けられぬでしょう。分かってますね、我が娘よ』




 そう言われて、妻の隣に座っていた娘が楚々と立ち上がり、頷いてみせた。




『承知していますわ、お父様、お母様。私が魔王様の元へと嫁ぐことで、我ら一族は勿論、我らの領地の更なる発展に貢献できると信じています』




 その言葉に、族長もその妻も少し寂しそうな表情を浮かべる。〝やんごとなき一番星〟とまで評される美しい娘との別れを想像するだけでも、心が引き裂かれそうだ。


 しかし、一族を束ね、同族を従え、領地を守らねばならない立場である以上、私欲を優先することは許されない。私欲を優先すれば、必ず反感を買い、ここまで復興させた町が荒廃する恐れもある。そうなっては、復興の協力者にも申し訳ないことだ。




『案ずるでない、我が娘よ。魔王とて立場ある身。決して、お前に不自由などさせまいよ』


『ふふ、お父様ったら。まるでご自分に言い聞かせているみたいですわ』


『そ、そうか? いやいや、お前との別れが辛くない者などおるまいよ。なあ?』




 族長が周囲の使用人に話を振れば、誰もが我先にと首肯しながら、その寂しいという心中を明かす。いつしか、族長の娘の弟や妹の泣き声が交じった大騒ぎとなった。




『も、もう、私も寂しいのに……。ほらほら、泣かないで。辛くなっちゃう』




 そう言っても、泣き始めた弟や妹は簡単には泣き止みそうにはない。


 騒ぎが沈静化する頃には、既に日が沈み始めていた。




 沈みゆく夕日を映す湖の水面を眺めながら、族長の娘は溜息を吐いた。あんなにも皆で寂しがられたら、折角、固めた決意が揺らいでしまう。


 赤々とした水面に移る自分の顔は、固めた決意が揺らいだように見える。


 いけない。族長の娘として、この身を捧げると決意したのだ。魔王の一族が来るらしいという噂を聞きつけた時から、こうなることは予想していた。本心を押し殺していた。




『でも、できることならこの身は、あの方に』




 そう呟いた時、ふと水面に一人の男性が映し出された。


 それを見た族長の娘は、立ち上がり、振り向いた。


 そこには、族長の娘が秘めた想いを向ける相手がいた。




『……貴方、何故、ここに……?』


『ここなら、君に逢えると思って』




 その言葉に、顔が緩みそうになる。嬉しく思う心がざわつく。


 しかし、それらの思いを押し殺し、凛とした表情を崩すまいと努める。




『何故、私に?』


『話は聞いたよ。噂になってた。僕と逃げよう』




 急な提案に、族長の娘は戸惑う。逃げてどうしようと言うのだろう。




『何です、急に。そんな不躾なこと』


『本当にいいのかい、君は! 皆のため、領地の為と、その為に身を捧げるなんて』


『それが、立場ある者の務めです。産まれた時から定められていたのです』


『僕は!』




 不意に、手を握られる。柔らかく包むように優しく。まるで、綿を潰さないように優しく。




『僕は君が好きだ。君を想うだけで体が反応するくらいに。君を、愛している』




 その言葉に、心はときめく。顔が熱くなり、水面を見なくても、顔が赤くなっていることが分かる。


 嬉しい言葉、欲しかった言葉。もしも、族長の娘でなければ、この場でその想いに応えていただろう。


 しかし、現実はそれを許さない。既に、相手が決まっているこの身を、他の者に許すわけにはいかない。


 惜しい、と思いながら、優しく包んでいる手を振り解く。瞬間、彼は悟ったように俯いた。




『ごめんなさい。分かって、賢い貴方。私の我儘は許されないの。貴方なら、きっと素敵な相手が見つかるわ。その相手と幸せになって』


『何で……何で、そんなこと……』


『私は、貴方が幸せになるために行くのです。貴方が幸せになったら、私も幸せよ。どうか、素敵な家庭を築いて下さいまし』


『僕は……僕は! 君と!』


『さようなら、優しい貴方。その優しさを他の方へ……ね?』


『……。…………さ、さようなら、僕が愛した君』




 族長の娘の気持ちは変えられないと悟った青年は、くるりと背を向け、流れる涙を拭いながら、この場を去った。


 去りゆくその背を見送りながら、族長の娘の心は萎んでいくように感じられた。夜闇が覆い始める水面を見つめ、そっと呟く。




『さようなら、私の初恋。さようなら、私の愛しい貴方。きっと、きっ……と、しあ……わせに……』




 溢れ出る涙は、何度拭っても止まる事無く、延々と流れ続ける。これまで、心の中に溜め込んでいた想いが、涙となっているみたいに。もしも、そうだとすれば、そう簡単には止まらないだろう。


 月が頂点に差し掛かる頃、族長の娘はいつもの凛とした表情に戻り、屋敷へと帰っていく。その瞳から幾らかの輝きが失せていることに気付く者はいなかった。




 そして、遂に魔王の一族が訪れる日が来た。


 町は朝から騒然としており、至る所に飾り付けがなされている。


 族長を始め、一族も慌ただしく動き回り、出迎えの準備を進める。きっと、町の視察の後に、娘を迎えにくるはずだ。そう思って、娘を飾り付ける装飾品の選定に余念が無い。




『少し、森を歩いてきます。息抜きをさせて下さいまし』


『えぇ、構いませんよ。でも、すぐに戻りなさい。すぐに使者が訪れてもいいようにね』




 母の許可を貰い、族長の娘は、付き人を伴って森へと向かう。


 幼い頃から散策していた森とも、今日でお別れだと思うと一抹の寂しさがある。両親に叱られた時も、嬉しいことがあった時も、森は優しく受け止めてくれた。そして、その恵みを分けてくれた。


 思い出に耽っていると、足音が追いかけてくることに気付いた。


 振り向くと、涙を流しながら、弟や妹が追いかけてきている。末端の弟妹まで来ており、数百の弟妹が追いかけてくるのは迫力がある。




『お姉様、嫌です! 行かないで下さい!』


『やだよ、お姉ちゃん! ずっと一緒にいてよ!』


『寂しいよ! これからも、ずっと一緒に遊ぼうよ!』




 皆が口々に、寂しいという思いを吐露する。


 幼い体躯の弟妹たちを抱き締めながら、その思いを受け止める。




『もう、困ったわね。私も、皆のこと好きよ。私の可愛い弟や妹ですもの』


『お姉様』


『お姉ちゃん』


『でも、ごめんなさいね。私は行くわ。それが皆のためだもの』




 そう言うと、弟妹たちは大粒の涙を流しながら、泣き喚く。幼さ故に純粋な思いの発露は、こそばゆくも嬉しいものだ。


 だからこそ、族長の娘は困ってしまった。




『もう、皆、あまり私を困らせないで。私だって寂しいのよ。でもね、皆が笑顔を浮かべてくれるなら、私も笑顔でいられるわ』


『笑顔?』


『そう、笑顔。皆の笑顔、私は大好きよ。見せてくれるかしら?』




 大好きな姉に言われ、弟妹たちは精一杯の笑顔を浮かべる。泣いていた直後で上手く浮かべることができないが、それでも、ぎこちない笑顔を浮かべる。




『本当に可愛い私の弟妹たち。これからも、素直に可愛く育ってね。私との約束よ?』




 再び、泣きそうになる弟妹たち。


 泣き止ませようとしたその時。


 族長の娘の背後から足音がする。


 この森は、『未開領域』との境目にあり、角頭族と〝やんごとなき一族〟が治める種族以外には誰もいないはず。角頭族は町で魔王の一族の出迎えに忙しくしており、〝やんごとなき一族〟も同様のはず。今頃は、妹の一人を伴って、町で出迎えに加わっているはずだ。


 不意の足音に付き人たちも警戒心を露わにして、族長の娘を隠すように立ちはだかる。


 やがて、足音の主が姿を現す。


 その者は、金色の冠を被った、男性にも女性にも見える美しい容姿をしている。




『もしかして、魔王陛下でいらっしゃいますか?』




 その姿に、付き人の一人が恐る恐るお伺いを立てる。その言葉を聞いた弟の一人が、足音の主へと突進していく。




『お前が魔王か! 僕らのお姉ちゃんを奪うな!』




 そう言いながら、パンチや蹴りを足音の主へ繰り出す。


 とんでもない暴挙。


 族長の娘は血相を変えて、弟へと駆け寄ろうとした瞬間。




「なんだ、コイツ」




 そう言って、剣を引き抜き、弟は一刀両断され、右半身と左半身に切り分けられた。




『いやぁぁぁぁぁぁぁ!』




 族長の娘の悲鳴が響く。付き人は危険を感じ取り、娘を屋敷へ帰すべく、手を引き、背を押して帰り始める。族長の娘を帰すのが最優先なのか、幼い弟妹たちのことには目もくれない。


 幼い弟妹は懸命に逃げようとするが、相手のほうが動きが早く、容赦無く、弟妹たちを斬り捨てていく。


 体が縦半分に斬り裂かれ、横半分に断ち切られ、首が斬り落とされる。


 弟妹たちが上げる悲痛な泣き声になんて耳も貸さずに行われ、あまりにも非情な行いに、族長の娘は心が壊れそうになる。




『お、お姉ちゃん! た、助け』


『いや、いやぁぁぁぁぁぁぁ』




 悲鳴を上げ、助けを求め、そして、斬り捨てられる。数百はいたはずの弟妹たちは、数十分とかからずに皆殺しにされた。


 この凄惨な行いをした者は止まる事無く、剣を振り上げ、付き人を斬殺する。仮にも、族長の娘の警護役として、相応の実力を持つはずの付き人たちが、虫けらの如く、あっさりと斬り捨てられた。




『お、お待ち下さい陛下。わ、私共に何か落ち度が御座いましたでしょうか? ど、どうか、命だけはお助け』


「何言ってるのか分かんねーよ」




 そう言って、族長の娘の首は斬り落とされた。

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