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8話 何故生まれたのか分からなければ、喰えばいいじゃない

「…私の、心臓をあげます」


 その言葉は、静かに降る雪のようだった。けれど、それが告げる意味はあまりにも重い。


「……いりません」


 僕は微かに笑った。けれど、震えは隠せなかった。

 ソフィエルは目を伏せて、ほほ笑む。


「……あなたは、優しすぎる」


「今は、優しさより先に残酷さがほしかったですけどね」


「でも、あなたは拒絶することが出来ないのです」


 ソフィエルは静かに、自らの胸元に手を当てる。そして、迷いのない動作で――自身の心臓をくり抜いた。


「……は?」


 鮮血が飛び散る。その奥にあったのは、どくん、どくんと脈打つ黒い心臓だった。


 それはただの臓器ではない。熱と命の気配、何よりも――“神の記録”が滲んでいる。


「あなたは、私の心臓を食べるように出来てます。神の代弁者(アポステル)ですから」


 僕は立ちすくんだ。


「……ねぇ、アルヴィーさん」


 背後の存在に問いかける。


「これ、食べたら……引きます?」


「正直、めちゃくちゃ怖い」


 即答だった。気取った冗談じゃない。本気の声だった。


「ですよね。僕も……すごく、怖いです。食べたくないです」


 でも、それでも。過去の記録を思い出す。


(……僕の手で、終わらせなきゃいけないんだ)


「…ごめんなさい、“神様”。いただきます」


 震える手で、僕は心臓を掴んだ。  

 熱い。生々しい。命のぬくもりが、手のひらから皮膚を通して染み込んでくる。


 吐き気がこみ上げる。でも逃げなかった。


 心臓に歯を立てた瞬間、紅い紋章が胸元で灼けるように輝き出す。


「……ッ!?」


 身体が勝手に動いた。喉が、胃が、何かに操られるように心臓を飲み込んでいく。


 ゴクリ、と生ぬるい塊が喉を通る。重く、粘りつく感覚。


 ――次の瞬間。


「ッ……オェッ!!」


 僕は地面に膝をつき、胃の中身をぶちまけた。


 黒く粘ついた吐瀉物と一緒に、未消化の血肉が混じっていた。胃液で喉が焼け、肺が痙攣する。


「……はっ、はぁ……っ、なんで……」


 身体が拒絶してる。心が否定してる。  

 それでも、喉奥にはまだ“味”が残っていた。鉄錆のような、甘く腐った――神の味。


「ウーア君!」


 アルヴィーの声が、やけに遠い。


(……吐いてしまったのに、まだ……)


 胸の紋章が脈動する。


(いや、違う……僕の中に、“残ってる”)


 それはもう僕の中に“存在している”。

 根を張るように、僕の神経を這いずり回っている。


(嫌だ、やめろ……!)


 また喉が痙攣する。  

 でも今度は、逆に何かが“這い上がってくる”感覚だった。


「っ……!? うっ……!」


 僕の口が勝手に開く。 吐き戻される――そう思ったその時、


 脳裏に、真っ白な“記録”が流れ込んだ。


 視界が歪む。空が割れる。過去の断片が、チリのように浮かび上がる。


 「っ……!」


 「ウーア君!?」


 声がした。その声も、白に塗り潰されていく。


 視界が、音が、感覚が、すべてが――真っ白に染まった。



 






 神殿のすぐ近く、くすんだ石畳の路地で、ひとりの少女がしゃがみこんで泣いていた。

 頬を伝う涙は止まる気配もなく、小さな肩が震えている。その姿はどこか壊れかけた人形のようで、目を逸らせなかった。


 (……ソフィエルさん? いや、これは……ソフィエルさんの、過去の記録……?)


 鼻を刺すような鉄錆の匂いが漂ってきて、僕ははっとした。視線をずらすと、少女の周囲には神父たちの倒れた姿が散らばっている。

 彼女の小さな掌には、不釣り合いなナイフが握られていた。見覚えのある、神の印が刻まれたもの。


 「ごめんね、神父さん。でも、食べなきゃだめなの。私は、私は……ほんとうの世界が知りたいの」


 その声はあまりに幼く、でも、確かな決意をはらんでいた。

 震えながら、それでも進もうとするその姿に、僕は目を奪われていた。恐ろしいはずなのに、どうしてか――神聖にすら見えた。


 次の瞬間、少女の輪郭が滲む。


 「ソフィエルさん………」


 大人のソフィエルがそこに立っていた。


 「ウーア様。ごめんなさい。無理やりでしたよね?」


 少しだけ微笑むその顔は、どこか寂しそうだった。


 「ここは……」


 「ここは、私の記録の一部……ですかね。こんなの、私も初めてで。あなたの中に、私の断片が混ざった……その結果でしょうか」


 耳に届く彼女の声だけが響く、音のない空間だった。真っ白で、風すらなくて、時が止まったようだった。


 「……僕は……」


 言葉にならない感情が、胸の奥に滞っていた。


 「……ウーア様。一つだけ、お願いがあるんです」


 ソフィエルは深く息を吸い込み、視線をそらすように目を伏せた。


 「私は……この世界の私たちは、何者なのか、知りたい。…だけど、そのためには、心臓を……」


 「任せてください」


 口が勝手に動いていた。ソフィエルが目を見開くのがわかる。その驚きを、正面から受け止めながら、僕はふっと笑った。


 「僕も、知りたいんです。自分が、何者なのか……。まぁ、心臓は極力食べたくないので、他の方法を探しますけどね」


 冗談めかしてそう言ったが、ソフィエルの顔には諦めが浮かんでいた。


 「……他の方法なんて、ありませんよ。私が試した記憶……見たでしょう?」


 その声に、痛みが混じっていた。


 「なら、こんなのはどうですか?」


 その瞬間、視界が滲み、世界が反転するような感覚に包まれる。


 ――気づくと、僕たちは花畑の中に立っていた。


 足元には、白や青、黄色に紫……名前も知らない花が、風に揺れて咲いていた。


 「ここは……」


 ソフィエルは辺りを見渡す。だけど、僕には分かった。

 これは僕の記憶。僕の中の「こう在りたい」という願い。


 「ソフィエルさん。僕たちを作った存在……いちばん偉い“神様”に、問い詰めに行きましょう。どうして僕たちは生まれたのか、なんでこんな風に造られたのか。ちゃんと、答えてもらうんです」


 ソフィエルは、花びらが舞うのを静かに見つめていた。そして、小さく呟くように言った。


 「……もし、神様が答えを拒んだら?」


 「そしたら、心臓を食べちゃいましょう」


 そう言って、僕は足元の花をひとつ摘んだ。

 指先でふれた花弁は、まるで呼吸するかのように淡く色を変えていた。


 「そうすれば……神様の記録、全部見れますよ。きっと」


 ソフィエルは驚いたように僕を見た。けれど、その目はやがてやわらかくほどけて、静かな笑みに変わった。


 「……ウーア様って、やっぱり変な方ですね」


 「褒め言葉と受け取っておきます」


 花畑を吹き抜ける風が、僕らの間を通り過ぎていく。

 ソフィエルはそっと歩を進め、僕の隣に並んだ。


 「……こんな世界も、悪くないですね」


 遠くで、小鳥のさえずりが聞こえた。


 それは夢のような、春の余韻の中にいるような、静かな、静かな時間だった。











 脳がぐらりと揺れる。


「ッ……おぇっ……!」


 目が覚めた瞬間、喉の奥からこみ上げるものがあった。

 反射的に体を起こして、嘔吐する。胃の中はほとんど空のはずなのに、吐き気だけが止まらなかった。


(……最悪の目覚め方……)


 視界がぼやけ、天井が歪んで見える。


「……うわ、夢にまで心臓出てきた……。胃もたれってレベルじゃないよ」


 首をひねった瞬間、激痛が走った。柱の角にぶつけたらしい。


「寝相の悪さで自爆って……誰得……」


 呻くようにぼやいたそのとき、座っていたアルヴィーが目を覚ます。


「ウーア君! ……よかった、目が覚めたんだな」


「おはようございます。現在、胃もたれと首の打撲で死亡寸前です」


「……本当に、無茶を……」


 その顔に滲んだ安堵に、少しだけ胸が痛んだ。


「……ねえ、アルヴィーさん」


「ん?」


「僕って……これから何人くらい、神様を喰べたら完璧な奇跡(リヒト)が使えますかね?」


「……は?」


「いやね、さっき少しだけ“見た”んです。ソフィエルさんの…」


「……記録か?」


「うん、断片的に。でも……どうせなら、お宝の在処も聞き出したかったです。僕の神喰い資金、ゼロですよ?」


「そんな冗談が言えるなら大丈夫だな……いや、冗談じゃなくて本当にお金がないのか……?」


「ほんとにゼロです。心臓一個…ランチと交換してくれる人いませんかね」


「やめろ。私が泣く」


 少し笑い合ったあと、アルヴィーの顔がふと引き締まる。


「……ウーア君」


「はい?」


「君が、あの心臓を“拒絶”して吐いたとき……正直、安心した。

 でも――少しだけ、怖かった。吐いたあとも君の目が……“誰か”みたいで」


「……それ、僕の顔が気持ち悪いって話ですか?」


「違う。そうじゃなくて……目の奥に、見覚えのない影があった」


「……僕、誰かに似てました?」


「いや……誰かっていうより…ウーア君、…本当に大丈夫か?」


「んー……」


 僕は少し間を置いてから、静かに言った。


「僕は、“あれ”が最初じゃなかった。たぶん、過去の僕は何度もやってる。“神を殺して、喰う”ってことを」


「……」


「そして、どこかで“それが当たり前”だって思ってる自分がいた。……それが一番、怖かった」


 でも――


「だからって、喰っていいわけじゃないですけどね。倫理観は保ちたいお年頃なんで」


「……君、本当に10歳か? いや、あの時は15だったな……」


「いいえ!今は10歳です!中身以外は年相応です!」


 アルヴィーが苦笑する。——が、少し驚いた顔をする。


「ウーア君…背が、伸びたか?」


「え…?」


 僕は立ち上がり自分の身体をキョロキョロと見渡す。


「うーん…?伸びました??」


「……いや、勘違いかもしれないな。悪い、気分が優れないときに」


「僕はいつでも絶好調ですよ!安心して下さい!」


 僕はどんと胸に手を当てる。

 胸の紋章が、じんわりと熱を帯びていた。


(……本当は、思い出すのが、怖い)


 でも。


(それでも、知りたい)


 なぜ、神の代弁者(アポステル)は心臓を喰らわなければいけないのか。

 なぜ、僕たちを、そんな風に造ったのか。


「……休息も必要だな。隣街のレゾナ街に、変な噂が流れてる。“神の残響”って歌が聞こえる場所があるらしい。宿探しも兼ねて、行ってみるか?」


「それ絶対ヤバいやつじゃないですか。都市伝説の香りしかしない」


「神を殺すって言ってるお前が言うな」


 皮肉を交えながら、僕らは神殿を出た。




 



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