6話 僕にはごろころタイムなんて無かった…
「まさか、あれが動き出すとはな……この町は、もう安全じゃない」
あの温厚で“天使みたい”だったアルヴィーさんが、今はまるで別人みたいに冷えた声で言う。
剣を構えて焼け跡に立っていたときの顔に、戻っていた。
「ま、待ってください。さっきから、さりげなく物騒すぎません!?
僕、ようやくお風呂入って、ベッドでごろごろして、明日こそは朝食バイキングって思ってたのに!」
「……朝食は諦めろ」
「即答ッ!?」
アルヴィーさんは真顔のままだ。
「君の身に現れた“影”……あれは神を裁く者、“ゴットリヒター”の使い…影の捕縛者と呼ばれている」
「……どっちも強そうな名前ですね」
「実際に強い。神の代弁者――“アポステル”を裁くために現れる、処刑者だ。
……十年前、君が閉じ込められていた町が焼かれたのも、神を裁く者が暴動を仕組んだせいだ」
(うわ、トラウマ系だった……)
空気が急に重くなる。
「でも、それって……つまり、僕は“神の代弁者”として狙われたってことですか?」
「その可能性が高い。くそっ、どうやって居場所を嗅ぎつけた……!?」
(……僕は、神の代弁者になれたのか?なんで、狙われる……?)
疑問が霧のように一斉に浮かび上がってくる。
「ウーア君。……一つ、確認しておきたい」
「……なんですか?」
「君は――神にも、“神を裁く者”にも、抗う覚悟があるか?」
静かに、しかし逃れられない問いだった。
「……覚悟なんて、とっくに済ませましたよ」
僕はふっと笑う。
「僕、もう一度、殺されてますしね」
「……」
アルヴィーさんの目が、ほんの一瞬だけ揺れた。
「……ただ、まだちょっと感情が追いついてませんけどね。
……昔は、心のどこかで思ってたんです。“自分は選ばれし者”だって」
「……君は、確かに“選ばれた”のかもしれない。だが、それが祝福とは……」
(祝福とは限らない。ほんとそれ……)
心の中で乾いた笑いを浮かべる。
“選ばれた”ことが呪いでしかなかったなんて、誰が信じられる?
黙っていると、アルヴィーさんが唐突に言った。
「今夜は眠るな。私が見張る」
「……そんなにヤバい状況なんですか」
「その代わり、明日すぐに出発し、“アカシアの森”へ行く」
「え、森!? 急に?」
「そこに、“記録の巫女”がいる。
過去の神の代弁者と神を裁く者――すべての行いが記録されていると言われている。
今後の行動に必要な情報も、きっと手に入るだろう」
彼の目が、静かに、真っ直ぐに僕を射抜く。
「……行きますよ。もちろん。今さら後には引けませんから」
「その答えが聞けて、安心した」
「でもできれば……巫女さんが美人で、優しい人で、あと朝ごはんを出してくれる人でありますように」
「……祈っておく」
アルヴィーさんが、ほんの少しだけ笑った。
その笑顔に、ちょっとだけ救われた気がした。
翌朝。
「…………眠い」
「言ったはずだ。眠らずに朝を迎えろと」
「いや無理ですから!人間は睡眠というシステムなしには動けないんですよ!?」
「神の代弁者……しかも小さい姿に戻っている君を、人間と言っていいものかどうか…」
「確かに何故か死んで生き返りましたけど!まだ人間でお願いします!」
そんなやり取りをしながら、僕とアルヴィーさんは町を出て、北を目指していた――“アカシアの森”へ。
途中から道が険しくなる。馬車も使えなければ荷物も少ない。完全な徒歩移動。
しかも森が近づくにつれ、空気がずしりと重くなる。
「……今から行くの、本当に“ただの森”なんですか?」
「かつて、“神の言葉”が封じられたと言われる場所だ。
それを求めて多くの神官が足を踏み入れたが――誰ひとり帰ってこなかった。
今では、“忘却の森”とも呼ばれている」
「怖ッ!? ねえ今ならまだ引き返せますよ!?」
「ダメだ。……あの影に狙われた今、できることはこれしかない」
「……ですよねー」
でも、心のどこかではもう分かっていた。
逃げたって、どこかでまた“神を裁く者”が現れる。
僕の中の“何か”が、それを引き寄せている。
やがて、森の入り口が見えてきた。
枝を広げたアカシアの木々がざわめき、濃い影を地面に落としている。その影は、まるで意思を持ってうねっているようにも見えた。
「……ここだ、“忘却の森”」
「ネーミングからしてアウトなんですよね……。“癒しの森”とかにしときません?」
「入ったら癒やされずに死ぬけどな」
「秒で物騒な真実返ってきた!?」
「安心しろ。神の代弁者は入れる……らしい」
「“らしい”って、ちょっと不確定要素あるんですか!? あれ? アルヴィーさんは……?」
その瞬間、森の空気が変わった。
時間が止まったような静寂――風さえも沈黙し、世界の音が奪われた。背筋に冷たいものが這い登る。
「アルヴィーさん……ちょっと、背中に張りついてていいですか」
「怖いなら引き返してもいい」
「じゃあおんぶでお願いします」
「図々しさが一段階上がったな……」
そんなやりとりをしているうちに、僕らは完全に森の中へと踏み入っていた。
道はない。あったとしても、木々の根と苔に埋もれ、数歩進むだけで方向感覚が狂う。
「アルヴィーさん、迷ってないです?」
「迷ってない。“感覚”を信じて進んでいるだけだ」
「“感覚”って便利な言葉ですよね、ほぼ迷ってるときしか使わない!」
「黙ってろ」
ツッコミは冷静だったが、その声にもわずかな緊張が滲んでいた。
そして、森の奥――苔むした石段の先に、それは現れた。
「……遺跡?」
崩れかけた石造りのアーチ。苔の間から覗く鳥や獣の白骨。
それは異質で、不自然で、不気味で――
「うわ、すっごく“怖いこと始まります”って感じの場所じゃないですか……!」
「そうだな。気を抜くな」
「いやもう抜ける余裕ないです。肛門キュッてなってます」
「聞いてない」
そうして僕らは、石段を上がった。
(……あれ?)
服の下――心臓の上に刻まれた赤い花の紋章が、うっすらと脈打つ。胸が、熱を持っていた。
何かに触れかけた、その瞬間――
「――ようこそ、迷える子らよ」
風に乗って届いたのは、どこか透明な“気配”のような声。
気づけば、アーチの向こうに立っていたのは――ひとりの女だった。
白い衣に身を包み、両目を包帯で覆ったその姿は、まるで女神のように静かで神聖で――どこか、狂気を孕んでいた。
「私がこの森の巫女、“ソフィエル”。
あなたたちが来るのを……ずっと、待っていました」
その唇に浮かんだ笑みは優しげで、でもどこか見透かすような……。
ごくりと、唾を飲み込む。
「……なんか、やばい人出てきた気がする」
ソフィエルは静かに頭を垂れた。
「……あなたが、“鍵”なのですね」
「……鍵、ですか。すみません、僕はあいにく鍵を使うより先にドアを蹴り破るタイプでして」
彼女はわずかに目を細めた――包帯の奥で、笑った気配がする。
「冗談で緊張を隠す。……そういう癖、ありますか?」
その言葉に、胸のざわめきがいっそう強くなる。
(この巫女も……神の代弁者、なのか?)
「こちらへ」
ソフィエルが振り返ると、背後から扉が音もなく開いた。
冷たい空気と、埃の混じった匂いが中から流れ出す。
「この神殿は、過去の出来事、神の言葉までもを記録するために作られました。
ここに入る者は、自らの“この世界の核心”に触れることになる。……それでも、あなたは入りますか?」
アルヴィーさんが僕を見た。
「決めるのは君だ。引き返すなら、今だ」
僕は、ほんの少しだけ笑った。
「じゃあ、今だけアポステルっぽいこと言っていいですか?」
「……聞こう」
「――行かない理由が、ひとつも見つからないんですよ」
その声は、少しだけ震えていた。
でも確かに、僕の中で“呼ばれている”感覚があった。
何かが、ここにある。
そして僕らは――神殿の中へと足を踏み入れた。