3話 僕は、神を信じています
「ねぇ、ウーア。たとえば――こんな昔話を知ってるかい?」
(もう…せっかくの昼寝タイムだったのに)
教会から帰ってクタクタの僕に、案の定、ザインは窓の外を眺めながら語り始めた。
今日も恒例の“ドキドキ☆神父様に見つかったら即アウト!?”授業らしい。
「ある村に、神の声を聞く少女がいた。
貧しく、目立たない存在だったけれど……なぜか、未来を言い当てる力があった。最初は不気味がられたが、王都に召し上げられ、次第に“神の声だ”と崇められた。
病が治る日、戦の勃発、誰が死ぬか――彼女が成長するにつれて“神の声”は当たる。逆に怖がられたほどだ。
でも、彼女は信じていた。自分は選ばれた者で、世界は救われるのだと――」
(……神の代弁者の話?)
たしか、最初に奇跡を使ったのは、少女だった気がする。
ぼんやりと聞き流していると――
「――そんな彼女を殺したのは、彼女の息子だったんだ」
「……んっ!?唐突にミステリーなオチやめてください!? 目、覚めましたよ!」
「はは、ごめんごめん。でもね――
息子は、誰よりも母の言葉を信じていた。純粋に、まっすぐに。
だからこそ、見えてしまったんだ。母を利用した、“神の声”の裏にある矛盾と欺瞞。
救いの名のもとに行われる殺戮。正義の仮面をかぶった、残酷な現実が。
皮肉な話さ。本気で信じていたからこそ、一番に気づいてしまった。そして、信じたその手で……母を斬った」
その声には、遠い記憶をなぞるような哀しみが滲んでいた。
「……それ、作り話ですよね?」
気づけば、自然と口を開いて質問していた。
小鳥のさえずりみたいな、慎ましい声で。
「かもしれない。けど、“誰かが本気で信じた物語”ってのは、もう現実とそう変わらないんだよ」
ぞわり、と背筋を冷たいものが撫でた。
(怖……今日の先生、やけに哲学モードだ)
「ウーア。君は、“神”が正しいと本気で信じてる?」
「……はい。信じています。神は人間を救う為に神の代弁者に声を届け、奇跡の力を授ける、素晴らしい存在です。
神を殺したっていう先生には分からないと思いますけど」
「……そうか」
ザインはやわらかく微笑んだ。
……だけど、その笑みは優しいくせに、どこか哀しそうで。
「じゃあ、もし“神の声”が突然聞こえなくなったら?
君は神の代弁者になるんだろう? 沈黙した神の名を語る、その覚悟は、ある?」
「……それは、まだわかりません」
「……だろうね。けど、君はもう気づいてるはずだ。
――“自分は本当に、神を知っているのか?”って」
(……たしかに、神を見たことも、神の声を聞いたこともない。
聖本の中でしか知らない存在だ)
(でも――僕は、自分の意志で信じてる)
だからこそ、まっすぐ目を見て言った。
「……じゃあ、次の授業では、“神なき世界に生きる人々の物語”でも教えてください」
その瞬間、ザインの瞳がかすかに見開かれた……気がした。
数週間後。教会での講義が終わったあと――
「久しぶりだね、ウーアくん」
嫌な予感と共に、アーディ司教が現れた。
優しい声。けれど、その目だけ別人格だ。
読心術でも使ってるんじゃないかってくらい、鋭く刺さってくる。
「最近、君の家庭教師に“剣術”を習っていると聞いたが?」
(……はい来た、地雷質問。誰だよチクったの。許さないけど出てきてください)
「…そんなこと、あるはずがありませんよ」
にっこりと、完璧な“優等生の笑顔”。
笑顔100点、罪悪感ゼロ――我ながら素晴らしい表情管理。
「剣を取る者は剣で滅びる。君は“対話と協調”の道を歩むと、私は信じていたのだが」
「もちろんです。その教えは、僕の信条ですから」
(おお、今の返しも完璧)
感情のブレなし、ノーミス。
「では――“神を否定するような思想”に触れたことは?」
「ありえません!」
即答。トーンも完璧。
「そんな“異端”に耳を貸すくらいなら、僕は聖典を百回読み直しますよ!ページがボロボロになるまで!」
(しまった、ちょっと盛ったかも…)
アーディ司教は、にこっと笑った。
でも、その笑みの裏にある感情が、僕には分かってしまった。
(これは、バレてる、絶対。嘘つきポイントフルスコアで、詰んだ予感…)
「……異なる声に耳を貸せば、その光は簡単に陰る。ウーア、君は“特別”だ。王都の希望が、君にかかっている。
だからこそ、曇りなき信仰を」
アーディ司教はそう言い残し、足音ひとつ立てずに去っていった。
(た、助かった……のか?)
残された空気は、妙に冷たくて重たかった。
僕は、その場にへたり込むようにしゃがむ。
「……はぁぁ。なんで……こんなに汗、かいてるんだよ」
安堵と不安が混ざったまま、僕は動けずにいた。
あれから数ヶ月。
午前の講義が終わると、ザイン先生は「少し歩こう」と言って、町外れにある野原へ向かった。
春を迎えたその場所には、小さな白い花たちが静かに咲き並び、風が通るたびに花びらがふわりと舞い上がり、陽の光にきらめいていた。
――どこか非現実的な光景だった。
「……花遊びですか? 先生にしては、ずいぶん可愛らしい趣味ですね」
皮肉混じりの言葉に、先生は口元だけで笑った。
「似合わないことは、自覚してるよ」
年齢不詳の顔に、一瞬だけ柔らかさが差す。
「……明日は神の代弁者の“選定式”だったね」
「ええ。まぁ、他の候補者がいるとは思えませんけど」
十歳で教会の全講義を修了してる僕が落ちたら、それこそ制度の見直し案件だ。
「授かる奇跡、楽しみかい?」
「もちろんです。
雨を司る奇跡でも、花を育てる奇跡でも……
どんな力でも、“神の代弁者”として使います。
先生は、僕にどんな奇跡が与えられると思いますか?」
問いかけると、ザイン先生は少し視線を逸らした。
「ウーア。……君はさ、まだ、“神”を信じてる?」
「……信じています」
そう答えたけれど、それは昔みたいな“教えられた信仰”じゃなかった。
もっとずっと、ちいさくて――ひとりの人間としての、願いに近かった。
「なら、教えて。
“神が誕生したのは八百年前”と、聖典にはある。
でも、世界はそれより前から存在していた。
じゃあ、その前の世界を創ったのは――誰だと思う?」
「……それは……“もっと昔からいた神様”が、存在したんだと思います。
人がまだ名前も知らなかったころから、ずっとそこにいて……。でも、今ではその存在も、忘れられてしまっただけで……」
「では、その神はどこから来た?」
「……それは……僕にも、わかりません。
聖典には、“もっと高次の存在がいる”って書かれてるけど……
じゃあ、その存在はどこから来たのか……誰にも教えてもらえなかった」
小さく息を吐いて、そっと目を閉じる。
「……それでも、僕は信じたいんです。
ちゃんと“始まり”があって、誰かがこの世界を想って、創ってくれたって。
本当のことは……わからない。だからこそ、信じるしかないんです」
ザイン先生は静かに目を細めた。
その目は、僕の心の奥を覗き込むようだった。
「……やっぱり、先生は“神様”を信じていないんですね」
そう問いかけると、先生は花に視線を落とし、どこか泣き出しそうな目で語りはじめた。
「私は……ある“神”を、心の底から憎んだ。そして、殺した。けれど、すべての“神”を否定したい訳じゃない。
今でも、私の中には――大切に思っている神がいる。 ただ…」
言葉を切ると、先生は遠くを見た。目元には微かに翳りが差し、口元だけがかすかに震えていた。
「その神が今も本当に“いる”のかどうか……それは、私にもわからない。
証明も、否定も、できないから」
「先生……」
その声には、割り切れない想いが滲んでいた。愛しているのに、信じきれない。それでも心から消えてくれない。
――まるで、いなくなった誰かを、今も忘れられずにいるかのようだった。
「だからこそ、ウーア。
君には、“神を信じて待つだけ”の人間にはなってほしくない。
君の足で、君の道を歩いてほしい」
その言葉に、胸の奥がふるりと波打った。
「……言われなくても、歩きますよ」
僕はそっと一輪の白い花を摘み、唇のそばに寄せた。淡い香りが鼻腔をくすぐる。
ふと――遠い記憶が蘇った。
柔らかな腕に抱かれ、誰かの声を聞いた気がする。ぬくもりと香りと、守られていた感覚が、ぼんやりと胸に残っている。
「僕は、すがりたくないんです。
信じているからこそ、“信仰”に逃げたくない。
自分で選びたいんです。“正しい”と信じたことを」
その言葉に、ザイン先生はそっと目を伏せた。
そして、長い沈黙のあと――まるで呟くように、静かに言った。
「……きっと、君は強くなれるよ」
風が吹いた。
やわらかくて、優しい風。
咲き乱れる白い花々が、いっせいに揺れた。
まるで――彼の心が、ようやく少しだけ、ほどけたかのように。