2話 神様!…じゃなくて神殺しでした
新しい家庭教師が来た。今までも何人かいたけど、みんな「教えることなんて何もない」って泣くか、「弟子にしてください」って言い出すんだよね。
お父様――超厳格な教会の偉い人――曰く、「多くを知る立派な先生」とのことだったけど……。
(……いや、確かに“知ってた”よ。いろんなことを)
でも、その“知識”の方向性が根本からズレていた。僕の部屋で2人きりの授業…というのが怖いレベルで。
「早速、自己紹介をしよう。私の名前はザイン。まずは……そうだな。“神は、死んだ”という話からしようか」
「……は???」
耳を疑った。というか、鼓膜が一斉ストライキを起こした。
「君の信じる神は、もういない。私が殺したんだ」
「待て待て待て待て待て!?!?! 何をサラッととんでも発言してるんですか!?」
(は??え??)
(将来の神の代弁者に向かって初手それ!?
初対面の挨拶が『神、殺しときました』ってどういうテンションなの!?)
しかもザイン、めちゃくちゃ穏やか。
まるで「今日はいい天気だね」くらいのノリ。
さらに机の上に置いてあった聖書に手を伸ばし――
蝋燭の火を!つけた!表紙に!!
「はああああああああ!?やめてください!!それ、聖なる書物です!!信仰のシンボル!!火属性攻撃する対象じゃないんですけど!!?」
慌てて火を振り払う。
「あっつ…!!」
何とか火は消えたが、焦げた羊皮紙のニオイが僕の信仰心にクリティカルヒットした。
「…なぜ君は、そんな紙切れに執着するんだ?」
きょとんとした顔で、ザインが言う。
「いやいやいや!紙切れじゃないです!!救いの書です!!あなたみたいなのは、《異端》って言うんですよ!?」
(――怖い。普通に怖い)
けれどザインは、僕にお構いなく残念そうに呟いた。
「またか……やっぱり、ここでもダメか」
がっくりと肩を落として、ちょっとだけ……ほんの少しだけ、哀しそうな顔をした。
(ゔ…。神様みたいな顔でそんな表情されたら、こっちの良心がチクチク痛むって。……いや、騙されるな僕!情けをかけたら負けだ僕!!)
「お父様に言いつけます!即・追放案件です!火あぶり待ったなしです!!」
「う~ん、それは困るなぁ~」
ザインは頭をかきつつ、ふざけた声色でにへらと笑った。
(えっ?ここはもっと困ったり、泣いたりするところじゃないの?…この人、感情フィルターどうなってるんだ???)
そして翌朝――
「おはよう、神童くん」
「なんでまだいるんですかァァァァァァァ!?」
優雅に紅茶を飲んでるその姿を見て、僕の感情は限界突破した。
「君のお養父さんが、しばらく居ていいって言ったよ。優しいね~」
「お養父様、何考えてるんですか……!?これ信仰心を試されてます!?神様への愛がMAXじゃないと突破できない試練!?」
こうして、僕の地獄週間(仮)が幕を開けたのだった。
「……ウーアはさ、海って見たことある? 砂漠は?」
ザインの授業が始まったがーー
(はぁ…また来たよ。今日だけで8回目、ザインのフリーダム質問攻撃。授業って何だったっけ)
僕はため息をつきながら、その問いに答える。
「見たことはありませんが……預言者モーセが海を割って民を救ったという話なら知ってます。砂漠は誘惑の地とされ……」
「うんうん。それで、太陽が地球を回ってると思う? それとも地球が太陽を回ってる?」
「太陽が地球を回ってますが?」
簡単すぎる質問に即答は当然。こちとら神童ですし。
なのに、彼は――ぷっと吹き出した。
(はぁ!?!?)
「あはは、じゃあ“パスカルの賭け”って知ってる?」
「…いいえ」
「他の宗教って調べたことある?神が一人じゃない世界は?」
「ないです」
「スァヴ神群って知ってる? エクレシア継承律は?」
「……しっっっらんわボケぇぇぇ!!ていうか何その単語!?人間語!?神語!?どこの言語圏ですか!?」
感情が崩壊した。もう限界。神様にヘルプコール出したい。
「“神童”って聞いてたけど、それすら知らないんだ?」
「田舎町の神童なんてこんなもんです!!!王都に行って神の代弁者になるのが目標なんです!!!辺境の地理学とか信仰多様性とか知らなくていいんです!!あと早く出てってください!!できれば罰せられて、罪を償って、ついでに死んでください!!!」
……大人気なく言い放った。子どもだけど。
「ひどいなあ。君の中の“神”って、そんなこと言うの?」
その声音には、皮肉でも怒りでもなく――
少しだけ、寂しさが混じっていた。
「……黙ってください」
僕は目を逸らした。
なんだろう、この妙な罪悪感。
(あれか? この人の顔が美しすぎるせいか? いや、それは関係ない……はず)
「……じゃあさ、神童の君が納得できるような授業をしてあげるよ」
ふざけた笑み。でもその奥に――“本気”があった。
まともに話す価値なんてないはずなのに。
なのに――
彼と過ごすうちに、少しずつ、僕の世界が崩れていった。
この世界は、僕が思っていたよりずっと――広くて、深くて、
そして、“知らないこと”で、溢れていた。
「午後からは、そろそろ剣の稽古をしよう」
「……嫌ですけど?」
「そんなこと言わずに!ウーアのイヤイヤ期は長いからさ、どうしたもんかな~」
あれから三ヶ月。家庭教師としてやってきたザインは、一応、ちゃんと先生らしいことはしている。
今日の午前中の授業は論理学。言葉の意味や歴史、背景までサクサク教えてくれるので、地味にありがたい。地味に、ね。
ただ――
「何を言われても、剣術だけは別です」
僕は馬術も護身術もそれなりに得意だ。でも剣だけはどうしてもダメだった。
危ないし、怖いし、何回こけたか分からない。
「教会では禁止されてますよ。剣を取る者、剣で滅ぶってね。暴力は神の愛に反します」
今回も教会と聖句を武器に、逃げを試みたが――
「ふーん、じゃあ……これは?ウーアに似合うと思うんだけどなぁ」
そう言ってザインが取り出したのは、《古びた金の懐中時計》。
「……それ、なんですか?」
「時計さ。昔、東の国から献上されたものでね。電気を使わず、歯車だけで動いてる。これは普通じゃないんだ。古くて特別な品なんだよ」
「……?ハイテクなのかローテクなのか、よく分かりませんね。一応動いてますけど、なんでそんな古いものを?」
「これはね、持ち主の記憶や想いを“時に乗せて映す”って言われてる」
(……あ、出た。意味深ワード)
この人、こういうの持ち出すときは、決まってろくなことがない。
なのに、目が離せなかった。胸がざわつく。そわそわする。
「剣の稽古を始めたら、譲ってもいいかな――なんてね」
(ほらきた。釣り針デカすぎ)
「……それは、ずるいです」
声が裏返る。完全に釣られてるじゃん、僕。
「じゃあ、やる? 剣の稽古」
その顔。そのニヤリ顔。
(……ムカつく。ムカつくけど、ちょっとだけ欲しい自分がいるのが、もっとムカつく)
「……くっ……考えてあげますよ!」
そう言ってその場を離れた。でも、胸の奥では――すでに剣を握っていた。
(くそぉ……!)
ーーあれから毎日、地獄の剣術稽古が始まった。
毎日なんて聞いてないんですけど!?と内心ブチ切れながら、渾身の力でザインに剣を振り下ろす。…が、その剣は軽々と弾き飛ばされた。
「――っ、はぁ……はぁ……」
泥の上に、ばたりと倒れ込む。肺が酸素をくれと絶叫してる。剣はあさっての方向に転がってるし、掌も膝も泥まみれ。
(……あれ?僕、なんでこんなことしてるんだっけ?)
ほんの数週間前まで、絶対に剣術はしないって考えてた気がするのに。
「……また転んだな。手を見せてごらん」
無音で近づいてきたザインが、僕の手をそっと取った。
ひんやりしてるのに、やけにあったかい。
「擦り傷だ。洗って、消毒しよう。放っておくと膿むよ」
その冷静な声に、なんだか余計に情けなくなる。
「……僕、剣術だけはどうしても駄目なんです。剣が……怖くて。頭では分かってるはずなのに、体が言うことを……」
言うつもりじゃなかった。疲れて、つい口から零れてしまった。過去一番の、大失態だ。でもそのとき――
「よく耐えたな」
(……え?)
その一言が、胸にズドンと響いた。
ふと、ザインの腕にある無数の傷跡が目に入る。
「その傷……痛くなかったんですか?」
口にした瞬間、あ。やってしまったと思った。
ザインの過去は知っている。奴隷だった頃、酷い扱いを受けていたと――
「すみません。僕、軽率でした」
「いや、いいさ。これは、自分への戒めなんだ」
その言い方が優しすぎて、逆に胸が苦しくなる。
「ウーアは考えすぎなんだ。剣は、頭で振るものじゃない。転んで、痛んで、体が覚えていくものだ」
(……なんだそれ。痛いのが前提ですか。体に優しくない教育法…)
「でも、学問も、生きることも、同じだよ」
そう言って、僕の剣を拾い、隣にそっと置く。
「明日は、今日より少しだけ強くなる。それだけでいい」
優しく微笑むザインを見た途端、どうしようもなく胸の奥が熱くなった。
(……ほんとずるい)
ザインの言葉が、じわじわと胸に沁みてくる。
焦っていた心を、そっと撫でられたような気がした。
知識だけじゃない。この人は、僕の“奥”まで見てくれる。
僕が気づいていない僕すら、引っ張り出してくれる。
「ウーア。君は、君が思っているよりずっと不器用で、ずっと努力家で、ずっと……素晴らしい存在なんだよ」
……やめてくれ。泣きそうじゃないか。
いや、泣いてないけど! 多分!
たぶん僕は、ずっと――この人に、認められたかったんだ。