23話 攫われたお姫様を助けてヒーローに…と憧れていた時期もありました
「ええと……とりあえず、アルヴィーは……無事?」
「う……ああ……頭は痛いが……かすり傷だ……」
「いや、血まみれだよ!?」
イーリスがずぶ濡れのまま、即座にツッコミを入れる。
「アルヴィーさん! まだ動かないで……! 治癒、もう少しだけ集中させますから……!」
僕は彼の手にそっと自分の手を重ね、奇跡の光を流し込む。 傷口がゆっくりと癒え、浅かった呼吸が徐々に落ち着きを取り戻していくのがわかった。
(……よかった。これで、最悪の事態は回避できた)
「で、お兄さん」
レアが壁にもたれながら、じと目で男を見下ろす。
「結局、誰なわけ? 見た目は完全に不審者なんだけど?」
「えー……そこまで言われるとちょっと傷つくなあ」
「喋り方が軽いの。壊したぶん、ちゃんと弁償して」
「うん……それは、ほんとに悪いと思ってる。だから土下座してる。見て、今、膝めっちゃ痛い。しかも床冷たい。許して?」
「ふざけんな」
レアが近くの桶を掴んで、ためらいもなく男の頭に叩きつけた。 水の残った桶が鈍い音を立て、包帯越しに水が滴る。
「おおう……意外とあったけぇ……っていうか、桶はダメだって。風呂アイテムは神聖な──」
「ところで、あなたの名前はなんですか?」
「それは……言えない」
「なんでですか?」
「言ったら消える呪いがかかってる」
「うーん……」
僕はわざとらしく唸る。
「じゃあ、ラナンっていうのは誰ですか?」
「はっ? なんでその名前を──!?」
「さっき、自分で言ってましたよ」
男は目を泳がせながら、ぐるぐる歩き回り、ぶつぶつと呟く。
「やばい……殺される……」
「それで、あなたの名前は……?」
「言えません」
「やっぱり怪しい!!」
レアが再び桶を振り上げた。
「わっ、ごめんごめん! でも、あの子だけは……いや、“ウーア”だけは、本当に守りたくて」
その言葉には、冗談めかした口調とは裏腹に、どこか切実な響きがあった。
「……なあ、ウーア。お前、本当に“全部”思い出してないんだな」
「……全部?」
「お前が“あれ”を選んだ夜。あの“心臓”の灯り。ザインの声──」
「っ……!」
僕の胸がきゅうっと締めつけられ、心臓が苦しく脈打った。
ザインの、声──
「覚えてます。でも、それと記憶は……何か関係が?」
「……おい」
そのとき、アルヴィーが体を起こし、鋭い目で男を睨んだ。
「アスト。過去を弄ぶな。今のお前の言葉は、やっと動き始めた彼の心をまた曇らせるだけだ」
「……ああ。ごめん」
男は視線を伏せ、静かに頭を下げた。
「でも、俺はもう行く。敵の気配が近い。奴らが、ウーアの“居場所”を嗅ぎつけ始めてる」
「敵って……まさか、通り魔の……?」
「それもあるが、もう一つ。……“神の裁判者”だ。奴らが動いた」
「……!!」
「また会いにくるよ。なぜかって?ウーア──お前の物語は、まだ終わってないから」
男はふっと笑って窓枠に飛び乗り、夜風と共に闇に溶けて消えた。
「……なんだったんだ、あの人……」
僕は蒸気に濡れた髪をかき上げる。遠くから、水の滴る音がかすかに響く。
「はぁ……。あいつは堕星結社のアストだ」
アルヴィーが低く呟いた。その声には警戒と苛立ちが混じっている。
「アルヴィーさんの、仲間……なんですか?」
僕が尋ねると、彼は首を横に振った。
「いや、ただの知り合いだ。いいか、あいつには近づくな」
「どうして?」
アルヴィーの目が暗く沈む。
「ルーメンは、ただの結社じゃない。胡散臭い連中の集まりでな……信用できる奴はほとんどいない。アストは特に危険だ」
「それでも、助けに来てくれたんですよね?」
僕の声に、わずかな迷いが混じる。
「……助けてくれたのは確かだ。でも、彼には彼の目的がある。お前を利用することだって、十分あり得る」
「僕の…過去と関係が…?」
アルヴィーはしばらく黙り込んだあと、静かに言った。
「まずは自分を守れ。誰を信じるかは、お前次第だ」
──夜明け前。
薄闇の残る隠れ家で、僕はひとり目を覚ました。
胸がざわついていた。夢を見た気がする。 ザインの声と、柔らかな手の感触。
起き上がると、部屋の外は静まり返っていた。
イーリスたちは眠っているのか、物音ひとつしない。
そのとき、ふと気づく。
すぐそばの窓が、わずかに開いていた。 開けた覚えはない。夜風が冷たく、カーテンを静かに揺らしていた。
「ウーア」
背後から、囁くような声がした。
振り返るよりも早く、視界が揺れる。
「っ──え?」
頭がぼんやりして、足元がふわりと浮くような感覚。 意識が、ゆっくりと引きずられていく。
誰かの腕の中にいた。冷たい匂い。黒いコート、黒い包帯、目元を隠した男──
「……どうして……?」
「ごめんな、ウーア」
アストが、静かに言った。
「でも、お前をここに置いておくわけにはいかない。もうすぐ、奴らが来る。“神の裁判者”がな」
「なにを……言って……」
意識が遠のいていく。
「大丈夫。目が覚めたとき、全部話す。“本当のこと”を」
視界が沈んでいく中で、最後に見えたのは、アストの横顔だった。
そして──僕は、攫われた。
---
「……やっぱり、おかしい。ウーアの気配が、完全に途切れてる」
イーリスが眉をひそめ、窓の隙間から外を見やった。朝の光が差し始めたというのに、胸を締めつけるような不安は拭えなかった。
「……まさか、攫われた……?デニス様がいない時に限ってなんでこんな…」
レアが低い声で呟いた。怒りと焦りが滲むその瞳は、じりじりと部屋を見渡している。
「おかしいってレベルじゃないよね?ドアも壊されてないし、足音もなかった。まるで──」
イーリスが真剣な表情で言葉を探す。
「まるで、“闇に飲まれた”ような消え方…」
沈黙が落ちた。誰もが、その不穏な比喩に言い返せなかった。
その時、壁にもたれていたアルヴィーが、静かに口を開いた。
「……アストだな」
全員が彼を振り返る。
「昨日……大人しく帰ったが、あいつは初めから“目的”があってここに来ていた。ウーアに近づくために、だ」
「でも、あの人──」
イーリスが口を挟む。
「“守りたい”って、言ってたよ?ウーアのことを……大切に思ってるような、そんな……」
「だから厄介なんだ」
アルヴィーの声には、僅かな苛立ちがにじんでいた。
「本気で守ろうとしてるからこそ、ウーアを攫うことも、記憶を取り戻させることも、手段を選ばない。だが、これはウーアの意志とは違う。違うんだ……!」
拳がぎゅっと握られる。己の無力さに、唇を噛む音すら聞こえそうだった。
「で、どうすんの?このまま待ってりゃ戻ってくるわけ?」
レアが不機嫌そうに問いかけた。
「……追うしかない」
アルヴィーが立ち上がる。その足元にはまだ治りきっていない包帯があるはずなのに、その顔に迷いはなかった。
「アストの居場所はわからない。だが、“神の裁判者”が動いたなら、いずれ彼らも姿を現す。ウーアは……その中心にいる」
「つまり、あいつを追うには、敵の匂いを追えってこと?はぁ…、タチの悪い神様の導き」
「導きなら……信じよう」
アルヴィーが呟く。その背には、小さく揺れる“光”があった。 その光は、静かに、仲間たちの決意を照らしていた。
「行こう。ウーアは、私たちが取り戻す」