表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/23

20話 無駄な事なんてない、全てが未来の礎なんですよ

「こっちよ!……この階段を、下りていくの」


 案内する女の名は、レア。

 年のころは二十前後。彼女は地下の闇に慣れた足取りで先を行く。


「で、なんで貴方が“黒髪のデニス”に会えるんだ?」


 アルヴィーが眉をひそめて訊いた。


「昔、命を助けられたの。その代わりに……“記憶”をひとつ差し出した」


「記憶?」


「うん。“自分を憎んでいた理由”を忘れさせてもらったの。不思議でしょ。今はただ、助けられたことしか覚えてない」


 僕は、しんみりとした眼差しで彼女を見つめた。


「誰かの痛みを……“忘れさせる”力……」


「それが優しいとは限らないけどね」


 レアはふっと笑って、ふり返る。


「──ねえ、あんたが“もう一人のウーア”なんでしょ?」


「はい。でも、僕じゃありません。“通り魔ウーア”と呼ばれてる人は──」


「知ってる。“鏡合わせの子供”。デニス様が、そう呼んでいたわ」


「……!」


 イーリスが、小さく息を呑む。


「──この奥。“思い出の墓”がある。デニス様は、今そこで待ってる」


 レアが指差す先は──石造りの、ひっそりとした小祠。その周囲には、名もなき墓標がいくつも並んでいた。

 だが、それぞれに名前ではなく──まるで詩のような言葉が刻まれている。


「ここに眠るは、“おかえり”を待っていた声」

「忘れられた“左手のぬくもり”」

「“誰かを殺した罪悪感”」


「……これ、全部……」


「“記憶”の墓標よ」


 レアが、静かに答えた。


「ここに来た人は、自分の記憶の一部を“置いて”いく。なにかを得るために、その代わりとして」


「ずいぶん変わった商売だな……」


 アルヴィーが、ぼそっと呟いた。




 そのとき──。


 ゴンッ!


 祠の裏手で、突然地面が跳ねるような音が響いた。


「──ふん! わらわを呼びし者よ、出てくるがよいのじゃっ!」


 廃材の山をドカッと蹴飛ばし、現れたのは──小さな女の子だった。

 ふわふわの黒髪に、真っ青な瞳。黒のフリルてんこ盛りのドレス。妙にゴージャスなステッキを手に、どや顔で立っている。


「お、お子さま……?」


 イーリスが思わず声を漏らした。


「誰が子どもじゃ!! わらわこそ、“黒髪のデニス”じゃ! 心の記憶を視る者じゃ!

 さあ敬え、ひれ伏せ、ぺたんと座るのじゃ~!」


「ぺ、ぺたんて……」


 だがなぜか、僕は言われた通りにぺたりと座った。

 つられてイーリスもぺたん。

 残ったアルヴィーだけが腕組みで鋭く睨みつけている。


「……久しいな、元アポステル様」


「ひ、ひぃぃ!? な、ななななぜ貴様がここにおる!?

 わらわはもうアポステルじゃないのじゃ! 無駄じゃぞ、連れ戻されはせぬぞっ!」


「連れ戻すつもりはない。力を借りに来た」


「……なにぃ! 貴様が! わらわに!?」


 デニスはくるくる回ってジャンプする。


「おぬしら、“通り魔ウーア”の情報が欲しいのじゃな?

 ふっふっふ。あの者の記憶、わらわ、一度だけ覗いたことがあるのじゃ!」


「ほ、ほんとうに……!? 」


 思わず前のめりになる僕。


「そうじゃ! あやつはわらわと共に、神に仕えておった!」


「えっ、それって……通り魔ウーアもアポステルだったってこと──?」


「いや、あやつは違う。

 アポステルに憧れた、ただの影法師じゃ」


 デニスはくるりと顔を寄せてきて、ひそひそ声でささやく。


「……でもの。あやつの心には深くて暗い傷があったのじゃ。

 ひとりの名を、何度も何度も──まるで呪いのように繰り返しておった……」


「……」


 僕は押し黙る。


 だが次の瞬間!


「──まあそれはさておき! 情報が欲しければ対価を払うのじゃっ!」


「対価って……まさか、記憶……?」


「そのとおり! しかもなっ……」


 デニス、ステッキをびしぃ!と構えて叫ぶ。


「わらわが欲しいのは、“恥ずかしい記憶”じゃ~~っ!!」


「なんで!?」


「恥ずかしさを晒してこそ、真実は近づくのじゃ! わらわ、今いいこと言ったのじゃ!」


 デニスは満足そうにうんうんと頷く。


「はいウーア、お主からいくのじゃ。幼少期の黒歴史、オープン・ザ・ブレイン!!」


「えええええええ!!??」


 デニスのステッキがピタリとウーアを指す。


「……ええと……恥ずかしい、記憶……」


 僕は指先を唇に添えて、静かに思案する。その顔は真剣そのもの。まるで神の黙示録を解読するかのような神妙さ。


 ──沈黙。

 ──さらに沈黙。


「……すみません、どうやら……」


「どうやら?」


「一つもありませんでした!」


「一つも……って……おい、真面目に探したのか?」


 アルヴィーが思わず割って入る。


「はい。ありとあらゆる過去の記録を、論理的かつ網羅的に再確認しました。

 幼少期、教会で神学問答に勝利した日、七歳で三つの予言を的中させた日、九歳で裁判官を論破した日……

 いずれも“恥ずかしい”という感情とは無縁でした」


「自慢話の棚卸しじゃないかっ!!」


 デニスが存在しない机を叩いた。


「いや、でも一度だけ──」


「おお!?恥ずかしみ!?恥ずかしみ来るのか!?」


「……馬から落ちたことがあります」


「ほう……それは期待でき──」


「落ちた姿勢が美しかったので、近くの羊飼いの老婆に“空を舞う天使みたい”って言われました!」


「だめじゃああああああああああああああ!!!」


 ガシャーン!デニスが墓石に突っ込んでいった。


 僕はキラキラと瞳を輝かせたまま、首をかしげる。


「……あれ?僕、何かやっちゃいました?」


「やっちゃってるわ! わらわの精神が粉砕されたわ!!」


「なんという強靭な自尊心……」


 イーリスがぽつりと呟く。


「むしろ清々しいな」


 アルヴィーもつい笑ってしまう。


 デニスは僕の目の前に立ち、赤い瞳をキラリと光らせる。


「どうしても恥ずかしい記憶がないというのなら──わらわが見つけ出してくれるのじゃ!」


「えっ、まさか──」


「そうじゃ! 額と額を……こう! ぴとっ!」


「うわっ、近っ!?」


 デニスはちんまりした身体で背伸びしながら、僕の額に自分の額をピタリと合わせた。


「いざ、記憶解放……!」


 ぐるぐると空間が歪み、僕の脳内が映像となってデニスに流れ込む。



 ---


【映像1:ウーア(7歳)、手紙で号泣事件】


 修道院の庭園。昼下がり。

 少年がもじもじしながら手紙を差し出す。


『あ、あの……これ。よかったら……』


 ウーア、手紙を受け取って開く。

 中にはつたない字で「いつもありがとう」の文字。ヘタだけどかわいい絵も添えられている。


『……これは……!』


 突然、ウーアが地面に崩れ落ち、手紙を抱きしめながらわんわん泣き始める。


『ああ……! 神よ……! この世界に、こんなにも尊い手紙が存在するとは……!』


 通りすがりの神父たちがざわめき出す。


『この手紙はきっと、“奇跡の写本”として後世に残すべきです!!』


『ちょ、やめて! 黙って捨ててもいいから!!』


『いや! これは聖典だよ!? せめて祭壇に──』


『やめてってばあああああ!!』


「人の黒歴史を量産しとるーーーッ!!」


 ---


【映像2:ウーア(8歳)、神殿で服を着ずに乱入】


 煌びやかな神殿のホール。

 神官たちが厳かな祈りを捧げる中──扉が音を立てて開き、ひとりの少年が姿を現す。


『誰だ!?』『服を……着ていない!?』


 ウーア、上半身裸で堂々と壇上へ。


『皆さま、本日のテーマは──“服ではなく、徳をまとう”です』


 背後から天使の合唱が響く。


『着飾ることで隠される心の弱さ。だからこそ、私は──裸でここに立つ!』


 観客一同、騒然。老神官は涙を流す。


『こ、これが……徳の具現化……!』


『ハ……ハックショーン!!』


 その時、ウーアのくしゃみで天井のほこりが舞い、ステンドグラスから差し込む光が、偶然、聖書の一節を照らす。


『……光が……!』『“来たれ、真理の風”って書いてある!!』

『これ……神の啓示では!?』


『違います! 今のは、ただのくしゃみです!!』


『ウーア、その鼻……聖職者向けかもしれん……』


『鼻はやめてくださいぃ!!』


「服着てないのに株が上がっとるぅ!? どういう世界線じゃーーー!!」


 ---


【映像3:ウーア(9歳)、告白未遂事件】


 夕暮れの修道院の庭園。

 ウーアは一輪のバラを手に、少女の前へ歩み出る。


『……君の瞳は、神の言葉がまだ書かれていない聖書の余白みたいに、静かで、美しいんだ』


『えっ……?』


『僕と……一緒に、神学書を読みませんか?』


『そ、それって……もしかして……?』


『告白です! 神学的な!』


 顔を真っ赤にして走り去る少女。


 ──その夜、修道院で話題騒然。


『ウーアが“神学”で告白したらしい』

『“啓典プロポーズ”は前代未聞』

『ついに宗派が分裂するのか?』


 一方その頃、ベンチで落ち込むウーア。


『……詩をアレンジしたのがまずかったかな……』


 となりに神学教師が座る。


『いや……むしろ、詩情があった。心が洗われたよ』


『やっぱりそうですよね! じゃあ次は──もっと長めの説教文で挑戦してみます!』


「プロポーズで“布教”するなぁぁぁ!!」



 ---


 デニスはよろめきながら額を離す。髪は逆立ち、顔色は蒼白。青い瞳もうつろだ。


「わ、わらわの常識が……粉々に……」


 僕はまっすぐデニスを見つめ、優しく問いかける。


「役に立ちましたか?」


「魂が持ってかれそうになっただけじゃ……!」


 イーリスは背を向けて震えて笑いを堪えている。


 アルヴィーは無表情で言った。


「これは、……栄光の列伝か?」


 僕は胸に手を当て、顔を誇らしげに上げて、堂々と頷いた。


「過去は、未来の礎です」


 アルヴィーはしばらく無言で僕を見つめていたが、

 やがて視線を少しだけ下に落とし、静かに口を開く。


「……ヴルストも覗きも、未来の礎か?」


 問いに込められた皮肉に、僕は一瞬だけきょとんとした。

 でもすぐに、全力の笑顔で答える。


「もちろん、そうに決まってるじゃないですか?」


 アルヴィーは頭をかきながら、やや目を伏せる。

 その目元には、わずかな疲労と諦念の色がにじんでいた。


「ウーア君……君はもう少し恥じらいを持ったほうがいいかもしれん……いや、ない事こそ君の美点なのか……」


 ぼそっと呟かれた言葉に、僕は悪びれる様子もなく、にこにこと笑った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ