表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/23

15話 僕の名声を汚さないでください!



 パンを分け合いながら、三人は街の奥にある小さな宿にたどり着いた。石造りの外壁に木の看板、入り口には鉢植えの花。こじんまりとしていながら、どこか懐かしさを感じる場所だった。


「ここ、よさそう。人の声もやさしい」


「うん。たぶん、ご飯も……美味しそうです!」


 受付の女将に案内され、僕たちは二階の角部屋に通された。ベッドは二つ。が、当然のようにイーリスが宣言する。


「ウーアと一緒に寝るからいいよ!」


 即答。僕は耳まで赤くなった。アルヴィーは「健全だな」と笑っていたが、たぶん全部わかっていて言っている。油断も隙もない。


 







「はぁ!? ウーアが通り魔!?」


 夜。宿屋の食堂の片隅。アルディーが声を荒げた瞬間、木製の椅子がぎしりと音を立て、隣の席の男がチラリとこちらを見た。


「しっ……! だから、僕の名前を……呼ばないでください」


 僕は顔を伏せ、慌ててアルディーの袖を引いた。


「……何それ、どうして、そんな……」


 イーリスが震える声で呟いた。手にしたスープの器がわずかに揺れて、中の液体が縁からこぼれそうになっている。


「……神を裁く者(ゴットリヒター)がらみか。あるいは、王都の仕込みかもしれないな」


 アルディーが低く唸るように言った。

 僕はスプーンを握りしめ、俯いたまま首を振る。


「とにかく、今は騒ぎを起こさないこと。名前を出されるだけでも危険です。疑われたら、終わりです……」


 誰かが聞いていたら、宿の人に気づかれたら——その先を考えたくもなかった。部屋の隅に置かれた灯火が、ゆらりと不安げに揺れた。





 


 食事を終えると、アルヴィーは書棚から適当な本を抜き、椅子に座って読みふけっていた。イーリスはベッドの上で、買ったばかりの布をちくちく縫っている。僕は、窓辺に座った。


 静かだ。騒がしい日中とはまるで別の場所のように、夜はどこかよそよそしい。


 (……落ち着かない)


 王都へ向かう道は、すでに見えている。でも、その先に何があるかは、僕にも分からない。


 (王都は、僕を待ってるのか……罠として、待ち構えてるのか)


「ウーア、まだ考えてるでしょ」


 イーリスの声に振り返ると、彼女が手にした小さな布袋を差し出してきた。


「何ですか、これ?」


「変装セットその2。……っていうのは冗談で、お守り袋だよ。ウーアの服の布、ちょっと切って使っちゃった。ごめん」


 中にこめられていたのは、ごく薄い奇跡(リヒト)の気配。   


「ありがとう」


「ううん。でもね、ウーア……」


 イーリスの声が少しだけ低くなる。


「もし誰かに、“通り魔”とか言われても……わたしが居るから。絶対。だから、ひとりで決めないで。怖くなっても、黙って消えないで」


 彼女はそう言って、まるで照れ隠しのようにベッドに飛び込んだ。


 僕はしばらく、手元の布袋を見つめていた。奇跡(リヒト)のぬくもりは、ほのかに指先に残って、あたたかかった。



 (──通り魔。目的は、おそらく僕を“陥れる”ため)


 それが王都の人間なら、王都に入った時点で、もう終わっているかもしれない。


 けれど。


 (行くしかない。始まりの地へ)


 その時、不意に空気が変わった。


 窓の外、石畳の通りの奥で、一瞬だけ“風”が揺れた。いや、違う。誰かの“気配”だ。


 (……見間違い? いや――)


 足音を立てぬように、僕はそっと窓を開けた。


 路地の向こう、薄闇の中。

 人影がひとつ、こちらを見上げていた。


 (僕を、知っている?)


 男はフードを深くかぶっていた。

 顔は見えない。けれど、気配だけは……やけに馴染みがあった。


 次の瞬間、影は身を翻し、裏通りの闇へと消えた。

 気配も、空気の濁りも、すべてを引き連れて。



 






 その夜、夢の中で誰かが僕を呼んだ。


 暗い。濃い霧の中に、一歩ごとに靴音だけが響く。

 ここは夢の世界でも記憶の中でもない。もっと深いところ――誰かが、僕に触れようとしている。


 見えたのは、一対の瞳。


 鏡のように澄んでいるのに、何も映さない目だった。まるで、魂そのものを模したような。


 ――僕と、似ている。


「ウーア」






 名前を呼ばれた気がして、はっと目を覚ます。


 窓の外、遠くで鐘の音が鳴っている。時刻は、深夜を少し過ぎた頃だった。アルヴィーは椅子で本を開いたまま寝ており、イーリスは僕の隣で丸まって眠っている。どこかに行こうとして、僕は思いとどまった。


 (“何か”が、僕を見てる。‥…僕の名を使って、人を傷つけてる)


 僕の名。僕の噂。そのすべてを巧みに利用しながら、誰かが街で女ばかりを狙っている。


(止めなきゃ。もし……これが続いたら、誰も“本物の僕”を見ようとしなくなる)


 イーリスが寝返りを打ち、僕の袖を無意識に掴んだ。


 ……そうだ。誰にも、何も、奪わせない。


 僕はそっと立ち上がり、窓から外を見下ろした。夜の通り。灯りの消えた街角。その向こうで、“もう一人のウーア”がどこかを歩いているんだ。









 朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。淡く、静かで、優しいはずの光。けれど、なぜか落ち着かない。


 「……ん~……おはよう……」


 イーリスの寝ぼけた声が、ベッドの上から聞こえた。髪が少し跳ねていて、まぶたをこすりながら、僕の方を見て笑う。


 「……あれ、ウーア、もう起きてたの?」


 「うん。少し前に」


 「昨日、あんなに歩いたのに……すごいなあ」


 イーリスが伸びをする。となりの椅子では、アルヴィーがまだ眠っていたが、その声に反応したように、目を細めて起き上がる。


 「……朝か。なんだか騒がしいな」


 アルヴィーがつぶやいた。耳を澄ますと、確かに外から声が聞こえる。


 僕は立ち上がり、窓を開けた。


 外では、何人かの衛兵が通りを行き来していた。町の人たちも集まって、ざわざわと噂話を交わしている。中には泣いている女性の姿もあった。


 「……何があったんだろう」


 イーリスも窓辺に寄ってきて、心配そうに顔をのぞかせる。アルヴィーは、窓際の光に顔をしかめながら、小さくため息をついた。


 「事件、だな。どうやらまた“通り魔ウーア”が出たらしい」


 「……え」


 僕は何も言わなかった。ただ、胸の奥がじんと冷たくなったのを感じた。


 (――また、僕の名前)


 否応なく、意識の底がざわめく。昨夜、感じた“気配”が現実になった。


 「……僕、少しだけ見てくる」


 「ウーア?」


 イーリスの声が追いかけてきたが、僕はそれには答えず、そっと扉を開けた。足音を忍ばせて階段を降りる。


 朝食の準備には少し早い時間。宿の一階は、まだ静まり返っていた。


 (もし、あれが“僕”のふりをしているだけなら……)


 (いや、違う。僕は知ってる。あの目を、あの空気を…)


 昨夜、この街のどこかで、誰にも気づかれずに血を流した“誰か”がいる。


 その犯人は、僕に似ている“もう一人の僕”。


 「待て」


 背後から、低く落ち着いた声。


 振り返ると、アルヴィーが壁にもたれて立っていた。すでに支度を整えたその姿は、目覚めたばかりの朝の空気にそぐわぬほど、冴えた気配を放っていた。


 「アルヴィーさん……」


 「情報収集にうってつけの場所に、心当たりがある」


 その言葉に重なるように、軽やかな足音が階段を駆け降りてくる。


 「わたしもいくよ!」


 イーリスが寝癖を慌てて直しながら飛び出してきた。まだまぶたに眠気を残しながらも、しっかりと僕を見つめている。


 「ありがとう、ございます」


 そう言った僕の声は、朝の空気に溶けて、かすかに響いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ