13話 ただ、知りたいんだ
「ノルベルト……!」
僕は咄嗟にイーリスの前に立ち塞がった。
アルヴィーも一歩前に出て、鋭い目でノルベルトを睨みつける。
「その杭……あなたが彼女を刺したんですか」
「当然です。魔女ですよ? 見逃す理由がありますか」
その声音には、微塵の迷いもなかった。
「“魔女”なんて言葉で、なぜ……!」
「君は知らないのですか。あの娘の母親が、何をしたかを」
「母親……?」
ノルベルトは一度目を伏せると、静かに語り出した。
「五年前。この街で“火の祈り”が行われました。原因は──“神なき声”を語る女が現れたからです。住民は女を……崇めていました。魔女として」
喉がごくりと鳴る。空気が重たくなり、足元の瓦礫が軋む音すら響いた。
「魔女は“救い”を語っていた。王の名も教会の名も出さず、ただ“森の声”を代弁すると。そして──実際に、神罰のような奇跡を起こしてみせた」
「それが……イーリスの、母親」
ノルベルトは小さくうなずく。
「だから、我々は派遣されました。討滅と鎮圧のために。だが、女を捕らえようとしたその夜──“神を裁く者”と呼ばれる存在が王都から来た」
「……王都から?」
「そう。突如としてその者が呪文を唱えると“神の形”が顕現し、女を奪っていった。女は一言も発さず、そのまま姿を消した。だが……それで終わりではなかった」
ノルベルトの視線が、崩れかけた宿の壁をなぞるように這った。
「街はすでに、魔女の“神”を信じていた。女がいなくなっても、彼女の教えは根を張って残った。だから、我々は──この街を、壊して、焼いた」
「……嘘だろ」
隣で、イーリスがかすかに息を飲む。顔は蒼白で、唇が震えていた。
「彼らは……ただ、祈っていただけだ。日々を守り、信じて……それが、どうして罪になるんですか!」
「罪だ。神の言葉を偽ること、それが最大の背信なのだ。君も知っているはずだろう、“選ばれし者”ならば──奇跡は、正しき神のもとにのみ、降る」
「あなたも……昔の僕とおんなじだ。自分の信じる神を正しいと信じて、疑いもしない」
ノルベルトが杭を構えた。
それはもはや武器というより、信仰そのもののように見えた。
「……その娘は、なぜか生き残り、母の血を継いだ。魔術で偽りの街をつくり、悪しき魂を留めた。ならば、今ここで断つしかない」
「させるか!」
アルヴィーが一閃、剣を振り下ろす。
火花が弾け、杭と激突する。
「お前の正義に、価値はない! 奪われた者の痛みを、見ようともしない!」
僕も叫ぶ。胸の奥から、焦げたような痛みと共に。
「“奇跡”は、神のためじゃない! 人のためにあるんだ!」
風がうねり、宿がさらに崩れる。
イーリスの幻影が完全に溶けていき、目の前には森の風景が広がっていた。どこまでも静かで、どこまでも深い。
ノルベルトが詠唱を始める。
杭が闇を吸い込み、禍々しい神具としての本性を顕わにする。影がうねり、空気が震える。
「ならば、“奇跡”を見せてみろ。お前たちの信ずる、神なき力を!」
僕は大きく息を吸い込み、震えるイーリスの手を取った。
「イーリス。君は、まだ終わってない。お母さんのこと、知りたいですよね?」
イーリスは顔を伏せ、小さく頷く。
「……うん。でも、私、怖い……。知っちゃったら、全部が、壊れてしまいそうで……」
その声には、子供のような不安と、少女のまっすぐな痛みが混ざっていた。
僕は彼女の手を強く握り返す。
「怖くていい。逃げてもいい。でも……君はもう、幻を超えて、生きてる!」
その言葉が空気に響いた瞬間──
「生きて…る」
風がざわめいた。
その瞬間、イーリスの胸の傷跡が淡く輝きながら消えていき、緑がかった光の翼の幻影が広がった。
森の気配が彼女の周囲に満ちていく。風が、葉が、息づくように共鳴し、彼女の胸に緑の花の紋章が浮かび上がった。
ノルベルトの目が見開かれる。
「……覚醒した、だと……!」
その声には、畏怖と怒りが入り混じっていた。
アルヴィーが叫ぶ。
「ウーア君、今だ!」
僕は頷き、イーリスに声をかける。
「……イーリス。いっしょに、行こう」
彼女が力強く頷いた。その目にはもう、迷いがなかった。
ふたりの手が重なった瞬間──第二の奇跡が走る。
イーリスの掌から奔ったツタが、まるで生き物のようにしなやかにうねり、杭へと向かって放たれる。
一閃。
緑光が弾け、ツタが絡みついた杭をへし折る。
ノルベルトの影が光に呑まれていく。
──だが、その最中でも彼の瞳は、最後まで揺らがなかった。
「……君たちが、どれだけ抗おうと。“神”は、見ている。背信の代償を……必ず」
その声とともに、ノルベルトの姿は森の闇に溶け込むように消えていった。
静寂が降りた。
イーリスの手の中で、淡く緑の光が脈打っていた。
まるで、母のぬくもりの残滓のように。
「……母は、本当に……」
イーリスがぽつりとつぶやく。
涙は落ちず、ただ風に目を細めていた。
僕はそっと、彼女を抱きしめる。
「まだ間に合うよ。きっと、お母さんは生きてる。そう思えるなら、それは……生きてるってことなんだ」
アルヴィーが静かに頷く。
僕は空を見上げた。
壊れた宿の天井の隙間から、夜空が覗いている。
──星が、一つだけ、光っていた。
「イーリス」
そっと声をかけると、イーリスはゆっくり顔を上げた。その瞳に宿っていたのは、不安でも恐怖でもなかった。かすかに震えてはいたが、確かな“決意”だった。
「……行きたい。お母さんが、どこにいるのか……。自分が、何なのかを、知りたい」
「……うん。行こう。僕たちで確かめよう。君の記憶も、過去に起きたことも、全部」
アルヴィーが頷く。
「“神を裁く者”は、おそらく王都にいる。魔女を連れ去ったという記録も、その真偽も、すべてあの地に集約されているはずだ」
イーリスが、不安げに視線を落とす。
「でも……王都って、教会の本拠地なんでしょ? 私が行ったら、すぐに捕まっちゃう……」
「それは、僕が守る。なんせ“選ばれしアポステル”らしいですからね」
ウーアは小さく、しかしどこか決意をにじませて笑う。
「利用できるなら、神の名前だって使いますよ。今度は──奪うためじゃなく、救うために」
空に、やわらかな風が吹いた。
森のざわめきが、まるで“道しるべ”のように三人の背をそっと押していく。
ふと、イーリスが思い出したように言った。
「……あれ?王都って……神殿だけじゃなくて、街じゅう警備が厳しいって……」
アルヴィーがサラリと返す。
「その点なら、任せておけ。私は顔パスで通れる」
「……え?」
僕とイーリスは同時に振り向く。
「って、それ……どういう意味?」
アルヴィーは肩をすくめ、どこか悪びれもせず告げた。
「一応、王都の枢機卿なんでな」
「……す、枢機卿⁉︎」
イーリスの声が跳ね上がる。
「って、あの……七人しかいないっていう、教会の頂点の⁉︎」
僕も口を開けたまま、絶句する。
「な、なんでそんな人が……こんな森の中に……!」
アルヴィーは苦笑し、夜空を仰いだ。
「教会が…腐ってたからだ。だから私は、自分の目で確かめに出た。本当に“神にふさわしい者”が、神を騙る者たちを裁けるのかどうか──それを知りたかった」
その声は、どこか哀しみを含んでいた。
「そろそろ時間だ。此処から王都に近い街は、三日は歩くか……。だが、風が味方してくれれば、もっと早く着けるだろう」
その言葉と同時に、イーリスの背で緑の光がふたたび脈動した。 木々がざわめき、森の奥がひとすじの光の道となって開かれていく。
「……イーリスの奇跡が、道を作ってくれましたね」
風が吹く。静かだが、確かに背を押す風だった。
「……行こう。今度は、幻じゃなくて“現実”を見に」
そう言って、手を差し出す。イーリスはためらいなく、その手を強く握り返した。
──旅の第二幕が、静かに始まる。