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教員の正義

作者:

「誰かがこのカメラで私の着替えを盗撮してたんです!」

職員室に響き渡る甲高い声で万波は叫んでいた。


対応する教頭も慌てた様子で立ち上がり、キョロキョロし始めた。「またか」と内心思いながら、自分も周囲を見渡す。駆け寄る他の管理職や職員室を訪れていた生徒を急いで追い出す教員。手慣れた様子で自分の立ち位置を考え、事態が悪化しない方向へ各々が動き出した。


放課後、教室では気だるそうに部活へ向かうサッカー部や野球部を見送り、職員室では意気揚々と職員室を出てグラウンドに向かう顧問たちに対して、心のこもらない「お疲れ様でーす。」と声をかけ、のんびりとコーヒーをすすっていた。「今日は長く感じるなぁ」と思いながらパソコンに向き合い、明日の授業準備を行っていた。万波の叫び声が聞こえてきたのはそんな時だった。


万波はやけに豊満な胸を強調するようなぴっちりとしたジャージに着替えており、手には先ほどまで着ていたであろうスーツとペンが握りしめられていた。

「これ、ペンの形をしたカメラなんです!私がトイレで着替えているのを盗撮してたんです!」

必死に訴える彼女の表情は本気そのものだった。

「ただのペンにしか見えないんですけどねぇ。」

教頭も腕を組み、彼女のもったペンをいろんな角度から覗き込み、あたかも真剣に見ているようなしぐさをした。

後方のデスクから「またかよ」と小声で悪態をつく北村先生の声が聞こえた。ここにいる誰もが彼女のことを「自分のことを可愛いと思い込んでいるイタイ30代後半の勘違い女」として、認識しているらしい。なぜなら以前にも似たような事件があったからだ。3か月前、彼女は自分自身の使っていたリップが紛失したと騒ぎ立てていた。「自分のことが気になっている生徒か教員が、私のいない隙に盗んだんだ」と今回のように騒ぎ、結局のところ、彼女の帰り道で発見された。他にも「学校から家までつけられている気がする」「男性教員が私の旨ばかり見てくる」など、被害妄想的な発言を繰り返し、僕はひそかに『万波劇場』と名付けていた。今回もその類だろうと誰も本気で心配している様子はなかった。対応している教頭も形だけで本気で心配しているようには見えない。今回も彼女をおだてて落ち着かせて、黙らせるのか見ものである。


「ほら!このペンの頭の部分に小さい穴が開いてるでしょ!ここにカメラがついてるんです!」

ほとんどの教員がいつも以上にパソコンに向かって仕事をしているように見えるが、ほぼ全員が聞き耳を立てているのだろう。彼女が指示語を話すたびにちらっと彼女の方を見ているのが分かる。

「うーん、よくあるペンにしか見えないけどねぇ」

ペンを手に取り、カチカチしたり、ペン先部分を外してみたりと教頭が隅々まで確認する。

「私、こんな学校で安心して仕事できません!」

カメラがついていると信じてやまない彼女の熱のこもった叫び声に教頭も今回ばかりは丸く抑えられないのではと焦りを感じさせ始めた。

その時、

「でも、万波先生が見つけたなら、先生の盗撮のデータはそのペンの中にあるので、犯人は持ってないはずですよね?」

突然、黒縁眼鏡の式が話に割って入った。

「仮に盗撮されていても、データはそのペンの中だろうし、ペンを処分すれば、ひとまず大丈夫でしょう。」

続けて話す式に対して、

「でも、自分が盗撮されたデータを処分するなんて怖すぎます!」

本気でそう思っているのか?とも思えるほど、彼女は食い気味で反論した。

「それなら私がペンを保管しておきますよ。」

名乗りでたのは隣の席の春日先生だ。若く小柄な容姿には似つかないどっしりと構えた様子はギャップがあり、生徒からも人気の教員だ。

「私は鍵付きの机の棚にしまっておきます。今の状態では誰の物か分からないし、壊す訳にもいかないので、持ち主が現れたら、確認しましょう。それとも警察に証拠として渡しますか?」

『警察』という単語に心臓がキュッとなり、万波の方を見ると、彼女も目をまんまると開け、驚いているようすだった。きっと彼女自身も警察に届けて「ただのペンでした」という結末を恐れているのだろう。

「分かりました。それでは預かっててもらえますか?」

汚物をもつかのように万波はペンを春日に渡した。ペンが盗撮アイテムである疑いを完全に晴らしたわけではない万波の微かな抵抗だったのだろう。自分で保管しようとしない点からしても、本気で盗撮犯がいると思い込んでるのかもしれない。いずれにせよ、春日先生の勇敢な行動のおかげで今回も万波劇場の幕は閉じた。


ペンを受け取った春日先生は着席し、鍵付きの棚にペンを放り込み鍵を閉めた。


「ナイス春日先生」

小声で伝えると、

「静かに仕事をしたかったので。」

こちらを向くことなく、いつも通りのクールな対応でパソコンをたたき始めた。


授業準備をし終えると、職員室にはだれもいなくなっていた。

生徒の書いた学級日誌をちらちら見ながら、春日先生の机を見た。


例のペンを入れた棚の鍵が無造作に置かれていた。春日先生は淡々と仕事をこなすが仕事が雑な部分が要所要所に見られる。「不用心だな」とつぶやきその鍵を手に取った。

「何してるんですか?」

誰もいなかったはずなのに、そこには式先生の姿があった。

「あ、式先生おられたんですね。」

普段世間話などしない式に対して適当に返す。

「もう一度言いますが何をしているんですか?」

いつもは不愛想で飄々としている式がこちらに詰め寄ってきた。

「何ってペンをもっときちんと管理できる場所に移そうと思ったんですよ。」

こちらの返答に対して、普段は顔色一つ変えない式が眉をひそめた。

「東間先生、そのペンってもしかして先生が用意したものですか?」

「だったらなんだ?」

何か悪いことをした生徒を指導するかのような式の口調に少し苛立ちを覚えた。

「彼女が男性教員に胸を見られるというわりに、胸が目立つ服装をするだろ!盗撮されていると思えば、少しはあのピッチりとしたジャージやスーツをやめるだろう!ただ他の教員を巻き込むわけにもいかないから、わざわざペンの形をしたカメラにしたんだ、被害妄想で頭がいっぱいな万波くらいじゃないと気づかないようにな!そもそも思春期の高校生を預かっているのにでかい胸を隠そうとしないのが悪いんだ!」

「万波先生も見せようとしているわけではないですよ。」

「そんなことない!男に構ってほしくてあんな恰好をしてるんだ!」

「東間先生はそうやって人を決めつけすぎです。」

「そんなことない!万波は風俗嬢みたいなリップを塗って、授業するような奴だぞ!生徒が欲情して帰宅中に後をつけられるかもしれないだろ!」

「だから、東間先生が万波先生のが帰るときに後をつけて、その途中に盗んだリップを捨てたんですね。」

「後をつけるわけないだろ!彼女が家に着くまで、生徒に襲われたりしないか見てただけだ!」

式のこちらの気持ちを逆なでするような言い方に自身の拳に力が入る。

「東間先生がしていることはストーカーです。万波先生の胸を凝視しているのも先生ですよ?これは本人も管理職へ相談していました。」

「そんなはずないだろ!僕は他の生徒や教員が彼女の胸を見てないか監視してたし、むしろ危機感を抱いていたんだぞ!」

こちらの意見に圧倒されてか、式は黙り込んだあと、静かに質問をしてきた。

「では先生のしたことはいいことですか?」

思わぬ質問に肩の力が抜けたことを感じた。大きく深呼吸をし、じっと黒縁眼鏡の奥に潜む式の瞳を見つめて生徒を諭すように伝えた。


「当たり前だ。教師の僕が悪いことするわけないだろう。」

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