さようなら
それは大正14年(1925年)から始まったらしいので今年で98年を過ぎています
一世紀も目の前だったのに今年の9月11日に突然の発表がありました
令和5年12月20日をもって事業を廃止するとのことでした
大阪府内でも南東部の方にしかお馴染みでないかもしれません
それ以外の方は普段は気にもとめていないであろう会社でした
でも、昨日で終わっちゃったのですね
金剛自動車の路線バス事業が令和5年12月20日を終えて幕を閉じました
それに先立ち6月30日にタクシー事業を廃止していました
バスもタクシーもコロナ禍での収益の悪化で乗務員の削減をしたら、今度は乗務員が不足してしまい事業の継続が困難になったとのことだそうです、路線も田舎道が多いので赤字路線が多かったのも一因であるようです
車体はモスグリーン地でバンパーを含む最下部及びボディに描かれた細いラインとKONGO BUSの花文字が濃い緑で描かれています
社名の縁であろう大阪一高い山の金剛山の深緑を表しているのでしょうかね?
会社は大阪府南東部の中心都市富田林市に本社があり、そこを中心として南河内郡河南町、太子町、千早赤阪村を結んだ路線だったのですが、町中だけでなく葛城山・金剛山の麓を行き交うのです
山村やら田園やら里山やらそれはそれは昔ながらの風景の中を走るのです
昭和のドラマの一つのシーンでよくある、夏休みに孫が田舎にある祖父母の家に帰省するような家並みに溶け込んで走ります
それだけではなく山の上に開発されたニュータウンを走る路線もありました
あと、この地域は近つ飛鳥と呼ばれ、奈良県の飛鳥(遠つ飛鳥とも言う)とも深い関係があり、聖徳太子が活躍した時代の遺跡も多くあります
聖徳太子の御廟がある上之太子と言われる叡福寺、聖徳太子の父親である用明天皇、叔父で用明天皇の兄の敏達天皇、叔母で用明天皇の妹の推古天皇、敏達天皇のひ孫の孝徳天皇らの古墳もあります
また、蘇我馬子が創建したと言われる龍泉寺もありますし、あの古代豪族の氏名と関係する大伴という地名も残っています
そしてその時代の小さな遺跡群がある一帯を公園にした近つ飛鳥風土記の丘や、隣接されている近つ飛鳥博物館もあります
また、時代は下がって鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した楠木正成公生誕地もこの辺りで、さらにその正成公が後醍醐天皇の崩御を悼み創建した楠妣庵観音寺もあります
そしてこれらの場所を金剛バスは路線で結んでいるのです
歴史だけでなく大阪芸術大学もこのバスの沿線上にあるので、最寄り駅あら歩くと40分以上かかるであろう芸大生はどうするのかなぁなんて考えてしまいます
とても惜しまれながら事業を廃止する金剛バスなのです
地元の関係市町村での協議により今日21日からその市町村が運営主体となり、私鉄大手で隣り合ったエリアでバスを運行している近鉄バスと南海バスが引き継ぐらしいのですが、金剛バスの6~7割り程度の運行になるらしいのです
このローカルなバスですが、大阪でもこなんことが起こるのですから全国各地で同じような事案がどんどん頻発しているのでしょうかね?
運輸業界の2024年問題も目の前です
うまく回ればええのですがね・・・