最強の婚約者
ナマケモノシリーズは、姿は人間のナマケモノの特性を持つ少女の物語です。
作品は、それぞれ別個の独立したものとなっています。
人間の血と獣人の血をあわせ持つ王国の人々は、人間の豊富な魔力と獣人の高い身体能力を所有して生まれてくる。
そして重要なのが、姿が人間であっても祖となる獣人の特性をあらわすことであった。
特に番という、魂を鷲掴みにする存在と出会った時──この3歳のヴィリジアンのように、周囲を混乱の渦におとすことも多々起きたのだった。
「僕の番っ!!」
歓喜の声をあげて、金色の髪をなびかせてヴィリジアンが突進する先には、年若い夫婦がいた。後ろから追いかけてきたヴィリジアンの従者が、勢いのまま若い夫婦にぶつかる寸前にヴィリジアンを捕まえる。
「放せ! 僕の番だっ!!」
体格の立派な夫が妻を庇い前に出る。妻は困惑の表情をしていた。
「間違いではありませんか? わたくしは番の絆を感じておりませんが……」
妻が幼いヴィリジアンを優しく宥めるように綴る言葉を、夫は安堵しながら聞いた。妻を深く愛している夫は内心、妻を番だと呼ぶヴィリジアンの存在に恐慌していた。
場所は公爵家の茶会であったため、ヴィリジアンの母親の公爵夫人が形よい眉をしかめて、
「ヴィリジアン、お茶会に乱入してきての狼藉は許しませんよ。まずは話し合いをするべきです」
と言い聞かせるように柔らかな口調で諭す。
庭園での茶会であったため花と緑の甘く爽やかな香りが漂っていた。背の高い木々が落とす葉陰が影絵のごとく美しい。
テーブルセッティングは薔薇づくしで、花瓶には上品なホワイトローズ、グラスには薔薇の花びらが浮かべられて、食器の周りにはぐるっとつないだティアラのように薔薇の花が飾られていた。
「だって、僕の番がっ」
従者の腕の中でジタバタ暴れてヴィリジアンが叫んだ。
「夫人のお腹の中にいるのですっ!!」
「「「えっ!?」」」
と母親たちの驚愕を表すように、庭の盛りと咲く木々の花々が風に吹かれてさざ波のように舞い散った。春の始めの季節。白や、薄紅に薄桃、黄色、紫色、花房が揺れて花びらが振り落ちる。
「僕の番」
従者を振り払って、ヴィリジアンがうっとりと夫人の膨らんでいないお腹にくっついた。
「あらあら」
「まあまあ」
とほほえましげに夫人たちは笑うが、
「妻が~、まだ見ぬ娘が~」
と夫の方は涙を浮かべんばかりに情けない声をあげたのだった。
やがて、まだ妊娠初期で誰にも知られていなかった胎児は、産屋の扉の前で頭を抱えて落ち着きなくウロウロする父親と、両手を胸の前でぎゅっと握りしめて天を仰ぐヴィリジアンに今か今かと待ち望まれて産まれてきた。
番至上主義のヴィリジアンにとって、産まれた赤子セシーリアは生きる幸福だった。
セシーリアの名前もヴィリジアンが決めた。感激である。ロクサーヌと名付けようと思ったのに、と父親は泣いたが。
セシーリアの養育の手伝いもヴィリジアンがした。かわいい、最高である。ほっぺたは小餅のように柔らかくて、握った小さなこぶしは花の蕾のようだった。母親に抱かれるセシーリアを覗きこむヴィリジアンと少し離れた場所から眺める父親。父親といえども異性が近くにいることをヴィリジアンが許さなかったのだ。
しょぼん、とする父親を母親が慰める。
「セシーリアの特性はナマケモノよ。わたくしたち親の愛だけではなく、セシーリアが生きるためにはヴィリジアン様くらいに粘っこい愛が必要なのよ。ナマケモノの特性持ちが無事に成長することは稀なの、それほどにナマケモノは育つことが困難なのよ」
父親は熊、母親は豹、けれども祖先の混血によりセシーリアはナマケモノの特性を持って産まれてきた。
「わかっている、番と出会えるなんて砂漠で黄金の粒を発見するよりも貴重なことだ。セシーリアにはヴィリジアン様が必要なことも。でも全父親の夢として、大きくなったらパパと結婚するの、と娘に言われたいじゃないか」
「ありえません」
間髪入れずヴィリジアンが否定する。セシーリアを大事に大事に抱っこしながら、
「セシーリアが結婚するのは僕だけです」
と冷たく睨む。4歳児なのに威嚇が凄まじい。ヴィリジアンは公爵家からセシーリアの伯爵家に毎日通っていたが、隣の土地を買収して屋敷を建てていた。
ヴィリジアンは公爵家でセシーリアを囲いこむ権力を持っていたが、望みはセシーリアの幸福だったので両親から引き離すことはしなかった。だが、番の本能により父親といえども異性が近づくことに警戒心が剥き出しになってしまうのだ。
お金も地位も権力もある4歳児。くわえて、ヴィリジアンは膨大な魔力があり知能も異常に高かった。
しかも、番。
4歳のヴィリジアンに負けて、ペソペソ泣く父親であった。
かわいそうな父親を横目に無視して、笑った、喋った、歩いた、と日々大喜びをして好きを更新するヴィリジアン。何でもない日常が、それが特別な毎日であり特別な時間であった。
「ヴぃー、らっこ」
ん、と小さな両手を上げるセシーリアは抱っこされると小さな頭をスリスリ動かす。丁度よい場所で頭をポスンと置き、あーんと小さな口を開ける。起きたばかりなので、ぴょこんと仔兎の尻尾のように跳ねる髪の寝癖が可愛い。
「セシーリアを抱っこしていいのは僕だけだよ」
可愛さに悶絶して独占欲を全開にするヴィリジアンは、
「おっきしたら、まずご飯を食べようね」
とセシーリアを膝に乗せて毎日楽しく給餌をした。
「あーん」
初めて食べさせる料理は、セシーリアの表情の変化を注意深く観察をするヴィリジアン。細かな配慮と優しい気遣い。こくん、と喉が上下する。
「おいちー」
花咲く笑顔にヴィリジアンも幸福を噛みしめるみたいに笑った。
ナマケモノのセシーリアは、睡眠時間は20時間で起きている時間はたったの4時間だ。
自然界のナマケモノならば葉っぱ数枚で生存が可能だが、人間のセシーリアは葉っぱ数枚では生きていけない。
食事、水分摂取、運動、勉強、身嗜み、と4時間の短い間に色々としなければならないので、ヴィリジアンは予想もしなかった嬉しさにウキウキランランだった。
上から下まで、頭の天辺から足の爪先まで何から何までお世話したいヴィリジアンにとってセシーリアはストライクど真ん中であったのだ。
動作も遅く、それが可愛い。まさに可愛さは罪。いや、罪というならば大罪人の可愛さであった。
ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと動くセシーリアはヴィリジアンの手の内から出ることはない。出られない。もう理想の爆誕である。素晴らしい、可愛くって死にそう、神様ありがとう、信じてもいない神に礼を言うヴィリジアンであった。
ヴィリジアンは、優しさで何重にも何重にもセシーリアをくるんで、ひたすら愛おしみ甘やかし、ちょこっと叱りきちんと善悪を教え、大切に大切に育てたのだった。
そんなこんなの可愛さに悶えつつの15年後、春の王宮大夜会での出来事。
その頃、ひとりの庇護欲をそそる可憐な見た目の男爵令嬢が話題となっていた。
魅了魔法ではないか? と噂されるほど複数の上位貴族の令息たちが男爵令嬢に溺れて首ったけとなり、社交界で顰蹙を買っていた。貴族の品格もなく見苦しいほどに、男爵令嬢に令息たちがこぞって侍りご機嫌取りをするからであった。
何より問題となったのが、令息たちが各々の婚約者を蔑ろにすることだった。
貴族なので、政略ありきの婚約である。家と家との契約でもあるので、婚約者を軽視することは相手の家を軽く考えていることに繋がり体面に泥を塗りつけるにも等しかった。
男爵令嬢の手練手管はある意味単純だ。男爵令嬢は話術が巧みで誘導が上手く、令息の婚約者に苛められたと被害者を装い、あっという間に令息の心を傾けて掴み取り、それを繰り返すのである。おとされた令息の中には第二王子の姿もあった。
第二王子の婚約者は公爵令嬢で、番であるが、第二王子の特性がライオンであるため仲が良いとは言えなかった。花の蜜に誘われて飛ぶ鳥のように第二王子は浮気性で、公爵令嬢を一番としても二番手三番手の浮気相手がおり、浮気を悪いとも思っていなかったから公爵令嬢は泣かぬ夜がないほどに苦しんだ。
嫌いになることができれば。
けれども番として心の奥底でどうしても相手を求めてしまって。
公爵家としても苦悩する娘が哀れで。
婚約の破棄を望んだが、番ゆえに破棄することもできずにいた。
このように番を冷遇する第二王子のこともあって、なおさらに男爵令嬢の逆ハーレム状態の取り巻き令息たちは、人々に不快の念を与えて軽蔑と非難の的となっていたのだった。
「お久しぶりです、ヴィリジアン様」
きらきらと光をおとすシャンデリアの下、男爵令嬢が取り巻きの令息たちを引き連れてヴィリジアンのもとへやって来た。
ヴィリジアンは壁側に置かれたビロードの長椅子に座り、セシーリアを膝にのせていた。セシーリアとの時間を邪魔されて不機嫌そうに片眉をあげる。大天使のごとき美貌であるだけに、たじろぐほどの威圧感があった。
「ヴぃー、知り合いの方?」
挨拶するの? と胸元に預けていた頭を離そうとするセシーリアをやんわりとヴィリジアンが止める。ポンポン。セシーリアの背中を優しくたたいて、
「愚か者たちの集団だ。知り合いではない」
とヴィリジアンはバッサリ切り捨てる。
「無礼な!」
第二王子が前に進む。
「彼女がおまえの婚約者に酷い苛めを受けたと言うから来たのだっ! 慈悲深い彼女は謝罪すれば許すと言ってくれているものを! 彼女の慈愛にひれ伏すがいい!」
「ほう?」
ヴィリジアンの声に冷たい怒りが滲む。溶けることのない氷河のように冷え冷えとしている。
「嘘つき女。いつ、どこで、僕の可愛い可愛いセシーリアがおまえと接触する機会があったというのだ?」
「それは、えと、前回の夜会で……」
「前回? いつの前回だ? 僕の可愛い可愛いセシーリアは今夜、半年ぶりの夜会なのだが?」
「ええ! そうです、半年前の夜会で私を男爵令嬢と嘲笑して階段から突き落としたのです!」
「で、それはどこの夜会なのかな?」
「それ、は、その、半年も前だから忘れてしまって……」
「階段から突き落とされたのに忘れるのか? だいたい階段から突き落とされたのならば事件になっているはずだが、聞いたこともないのは不思議だが?」
ヴィリジアンの追及は容赦がない。
男爵令嬢は、しどろもどろになって焦りから語尾が弱くなっていた。
「このようなすぐ嘘だとわかる話を信じて腑抜けになるとは、貴族として教育をされてきただろうに、きさまら恥ずかしくないのか!?」
「我々を侮辱するな! 彼女だって階段から落ちたショックで記憶が不明瞭になっているだけだ!」
ヴィリジアンに第二王子がとっさに反論をする。
「ほう?」
ヴィリジアンの声が地鳴りのごとく響く。
「確かおまえとおまえ、きさまも、その嘘つき女が婚約者によって階段から突き落とされたと以前喚いていたな? ふーん、嘘つき女は何度も階段から落ちているのに怪我をしたとは耳にしたこともないが? 嘘つき女はずいぶんと丈夫なのだな」
「彼女はとても運がよいから怪我をしないのだっ!」
「ハハハ、本気で言っているのか!? 第二王子殿下の王族教育はどうなっているのだ?」
「ヴぃー」
喋らせて、とセシーリアが声を挟む。
セシーリアは、身内以外と話すことが苦手だ。たったの4時間の活動時間では、たいして教養や貴族らしい会話の勉強にさける時間はない。それでも一生懸命に言葉を紡いだ。
「あの、私、階段を自分で上がったり下がったりしたことがないのですけど。ヴぃーが危ないからといつも抱っこなのです」
「「「はぁ!? いくら番だからと言ってもそんな過保護すぎることはしないはずだ!!」」」
第二王子を含む取り巻き令息が声を揃えた。
「ヴぃー」
立たせて、とセシーリアが腰にまわされたヴィリジアンの腕をてしてしする。ヴィリジアンが長い腕の囲いをとく。
「仕方ないな、少しだけだぞ」
ヴィリジアンが慎重にセシーリアを立たせる。
離す瞬間、ヴィリジアンの手がセシーリアの真珠を溶かしたような白い肌を撫でて、名残惜しげに滑る。貴族らしく整えられた爪先が、爪痕を残すみたいにセシーリアの指先に一瞬からみ離れた。
にこり、と可愛らしくセシーリアが笑って一歩を踏み出した。サテンの艶やかなドレスの裾が揺れる。裾に咲く刺繍の色鮮やかな花々が微風にヒラヒラ舞っているようだ。右足が出ているのか、左手がゆっくりと動く。が、遅い。動作が緩慢過ぎて動きがスローモーションみたいだ。
果てしなくゆっくりゆっくりとした一歩であった。
「「「これは……!?」」」
「可愛い可愛いセシーリアの特性はナマケモノだ。さて、聴きたい。どうやって可愛い可愛いセシーリアが嘘つき女を階段から突き落とせるのか、方法を教えてほしいのだが?」
ヴィリジアンに番がいることは知っていたが、ナマケモノだとは知らなかった第二王子は黙りこんだ。
他の取り巻きの令息たちも何も言えない。
「頑張ったね」
再びセシーリアを膝の上に乗せると、ヴィリジアンは男爵令嬢と第二王子を含む取り巻き令息たちに氷点下の眼差しを向けた。
「後ろを見ろ」
男爵令嬢と第二王子を含む取り巻き令息たちが振り返ると、人々の視線があった。会場中の注目を浴びていたことにようやく気がつき、背筋に冷たい汗が流れる。
人垣の前列には、第二王子の婚約者の公爵令嬢が冷笑を浮かべていた。
「殿下、国王陛下が許可を下さいました。わたくしたちの婚約は殿下の有責で破棄されました」
「ありえないっ! 我らは番だぞっ!!」
「ええ。でもヴィリジアン様が番不感魔法という新たな魔法を作ってくれたのです。わたくしはもう殿下を番と感じることはできなくなりましたの」
ほほほ、と公爵令嬢が嬉しげに微笑む。
ザッと血の気を失った第二王子がヴィリジアンを睨んだ。
「僕から可愛い可愛いセシーリアを引き離す可能性のあるものは、全部掌中におさめないと。だから番不感魔法も、可愛い可愛いセシーリアがかかってしまう危険性を潰すために作ったのだが、公爵令嬢を喜ばす結果になったな」
しれっと言うヴィリジアンに、第二王子が全身の毛を逆立てんばかりに激昂する。
「番だぞっ! わたしの番を、よくもっ!!」
「番だと主張するならば命よりも大事にしろ! 大事にしないから見捨てられるのだっ!」
ヴィリジアンの厳しい声音に、会場中の人々がもっともだと頷く。第二王子の不実な振る舞いは社交界では有名であった。国王でさえ番を大事にしない第二王子に立腹していた。
いくらハーレム気質のライオンであったとしても、姿は人間なのだ。理性もあれば知性もある。自制心も。結局は、第二王子は自分の浮気心の言い訳にライオンの特性を使っただけである。
「ヴぃーは、ね」
セシーリアが第二王子に無自覚にトドメを刺す。
「私を心から大事にしてくれています。絶対に浮気なんてしないです。私も浮気なんてしない、好きな人を悲しませるなんて辛くてできないです」
ドサッ、と糸の切れた操り人形のように膝から第二王子が床に崩れた。四つん這いになってブツブツと公爵令嬢の名前を呼んでいる。番不感魔法によって公爵令嬢は番から解放されたが、第二王子はどっぷりと番の沼に沈んだままであるのだから。
男爵令嬢と取り巻きの令息たちは、人々の侮蔑する視線にさらされて動揺のあまり顔面が蒼白になっていた。
衛兵たちが第二王子たちを別室へと促す。力なく第二王子たちはヨロヨロと従って会場から消えていったのだった。
「ヴぃー」
春の淡雪のごとくたちまち消えていった男爵令嬢一行に、セシーリアが可愛く首をかしげる。
「あの男爵家の令嬢は何がしたかったのかしら?」
「顔のいい若い上位貴族を取り巻きにしていたから、僕もその一員にしたかったのだろうね。第二王子が番がいるのにコロリと靡いたから、僕のこともイケると考えたのかもね」
「やだ、ヴぃーは私のヴぃーよ」
「そうだよ、僕はセシーリアのものだよ。そしてセシーリアは僕のものだよね?」
「うん、私はヴぃーのセシーリア」
ニコニコと即答するセシーリアにヴィリジアンは目を細めた。ああ、可愛い。この世の全ての可愛いものを集めても、セシーリアの可愛さには敵わない。
「さて、僕らも帰ろうか」
ヴィリジアンがセシーリアを抱いたまま立ち上がった。
「ヴぃー」
セシーリアはヴィリジアンに対して愛情表現を惜しまない。下手をすれば自身の重すぎる執着心の塊のような愛に、ヴィリジアンが壊れてしまわないように。
「ヴぃー、大好き」
それに、告げる言葉によってヴィリジアンがそれはもう嬉しそうに微笑むのであるならば。
「セシーリア、生まれてきてくれてありがとう。愛しているよ、僕のセシーリア」
金色の髪の金狼は、番を死ぬまで離さない。いや、死んだ後も放す気はない。
こうして今シーズンの社交界において、話題沸騰となる春の大夜会は幕を閉じたのであった。
〈if〉
もしも男爵令嬢が乙女ゲームの転生者であった場合。
「信じられない、制作スタッフは何を考えているの!? 乙女ゲームの婚約者は悪役令嬢が定番なのに、ナマケモノだなんてあり得ない! ナマケモノに何ができるっていうの!
悪事どころか歩行で精一杯じゃないの! ミスよ、設定ミス! 制作スタッフが全部悪いのよっ!」
制作スタッフ
「だって三徹夜だったんだ……。つい睡眠欲求に負けてナマケモノを。でも、まさか、いくら最難関の難易度の天元突破とはいえヴィリジアンをクリアできた者がいないなんて。あり得ない……」
ナンチャッテ
読んで下さりありがとうございました。