第1章 第6話 下種会話
順調だったのはバスの中だけではなかった。コテージに着いた後に行われた校則の確認、校歌の練習、簡単なレクリエーション。二度目ということでスムーズに物事は進み、その後の空き時間や夕食もバスのメンバーで固まり、問題なく歓談できていた。
だがそれもついさっきまでの話。もうそう上手くはいかないだろう。なぜなら、
2018年 4月2日(月) 22:14
ここからは男だけの世界だからだ。
「そういえばさっきカブトムシを見かけたよ。ずいぶん早起きだよね。主水君は虫とか平気な人?」
「いや、苦手だな。カブトムシなんてゴ……いや、なんでもない」
ここには男子寮と女子寮、共同用の三つのコテージがあり、クラスごとに部屋が分けられる大部屋仕様になっている。したがって今この部屋には17人の同じクラスの男子が全員集まっていることになる。
「はは、俺も虫は苦手だよ。子どもの頃は普通に触れたんだけどね」
「いや俺は子どもの頃も無理だったな……」
これまでの活動である程度のグループはできており、それぞれ固まりながら消灯時間までの余暇をトランプやスマホアプリで凌いでいる。俺しかわからないことだが、高三の頃のグループとは全く違う構成になっていることが驚きだ。
かく言う俺も全く関わりのなかった樹来と話しているわけだが、
「そうか、ずっと苦手なんだな」
「まぁ、そうだな。ずっと無理だ」
ありえないくらいに会話が盛り上がらないっ!
樹来が気を遣って色々話を振ってはくれているが、俺の返事がゴミすぎて消化不良的に話が終わってしまう。あのコミュ力の塊である樹来を困らせるほどの絶望的なセンス。申し訳なさすぎて死にたくなる。
「じゃあこういうとこ結構辛いんじゃないか?」
「まぁそうだな……い、いや、割と楽しんでるけどなぁ……!」
くそ、ここで肯定したら樹来と話すのが退屈みたいになるだろ! もっと早く気づけよ馬鹿! 俺の馬鹿っ!
ついさっきまで順風満帆な高校生活を送っていた俺がこんな昔のようなことになってしまったのは、芽依の不在によるところが大きい。
芽依に指示を出し、芽依をダシにし、大人数を維持することで保っていたグループ。それが樹来と二人きりになってしまった今、完全に崩れてしまっていた。
「でもまぁ、その……あれだよあれ……」
慌ててこちらから話を振ろうとしたが、マジで言葉が出てこない。そもそも俺は誰かと一言交わしただけでその夜反省会を開くような人間だ。サシの会話なんてレベルが高すぎる。
このままでは女子と一緒の時だけ張り切るイキリ野郎になってしまう。ここ数日は何とかなるだろうが、ずっと一軍にいるのは無理だ。
だがそれも今だけの我慢のはず。大丈夫、この状況はすぐに打開されるはずだ。なんせ一緒にいるのはキング、樹来紅なのだから。
「最近は多いんじゃね? 虫苦手な奴も」
そう口に出した人物は俺でも樹来でもない。近くで話を聞き、入ってくるタイミングを窺っていたであろう人間。180センチ越えが特徴的な派手な髪型をしたイケメン風の男、金間義勇だ。
「オレも得意じゃねーけどさ、やっぱ男だし触るくらいはできねーと困るよな。ほら、女ってみんな虫ダメじゃんか」
金間は笑いながらそう言うと自然な形で樹来の隣に座ってくる。この並びがとても自然に見えるのは、俺が三年間この形を見てきたからだろう。
王に媚び、下を虐げる正真正銘のイキリ野郎。それが金間だ。一応このクラスの男子ナンバー2の立ち位置にいるが、言葉で表すなら風見鶏。悪い意味での陽キャという言葉が似合ういけ好かない奴だ。
おそらくこの短時間で樹来こそがクラスのトップになるだろうと察し、ご機嫌伺いに来たのだろう。しかも発言的に俺を引き立て役にするつもりだ。こいつを含めた三人で固まることは避けたい。
なら俺より下を用意するのが一番だ。だが真実の意味で俺より下の人間なんて存在しない。でも人間は、そう単純ではない。俺より上でありながら、下にできるタイプは存在するのだ。
「そこ、何やってんの?」
俺は座りながら中位グループに入ってコソコソと動いている一人の男に声をかけた。
「おうおう後でそっちにも行こうと思ってたんだけどよ、」
俺に呼ばれ、やたら大きな声で近づいてきた小柄な金髪男、真壁淳。こいつは言うなればムードメーカー。常に笑いを取ることに熱を注ぐいじられキャラだ。
元々カースト上位の人間だが、こいつを仲間に引き入れられたら大きい。話は回してくれるし、自ら下に行ってくれるのだから。
「ちょっとお前らも教えてくれよ」
真壁は空いている俺の隣に座ると、タブレットの画面を見せてきた。そこに映っていたのは、バスの中の風景。そう言えば一度真壁が声をかけ写真を撮っていたっけ。全員の顔がかなり鮮明に映っている。でもこれで何を……。
「付き合うなら誰がいいっ!?」
こ、これは……! 下種会話っ!
俺も一応声をかけられたことはある。誰がかわいいかとか、胸が大きいとか、そういう女子に聞かれたくない話を男で回す最低なやり取り。それをさっきまで行っていたのか。
だがこれはまずい。俺はこういうのが苦手だ。陰キャだから。こっ恥ずかしくて気持ち悪い感じになってしまう。
でもこれくらいなら、何とかするしかない……!
「これはチャンスですよっ! 尻と身長のデカい女の子と答えることで超親友になれますっ!」
(リル……今までどこで何やってたんだ)
高速を走っていってから姿を消していたリルが急に現れた。相変わらず何を言っているのかよくわからない。
「姿くらい消せますよ。でも近くにはいるので油断しないでくださいね。それよりそれより! どんな女がタイプなんですかっ!?」
(……いや、ここは俺のタイプなんてどうでもいい)
大事なのは、この三人と合わせないこと。好きな女子が一緒だと色々ギクシャクするだろうからな。
思い出せ……休み時間寝たフリをしながら聞き続けていた周りの話を。時期はわからないが、最終的には樹来と七海、芽依と金間が付き合っていたはず。それと真壁が月長に片思いしていたような気もする。
であれば芽依、月長、七海以外の誰かを選ぶ。
「ほーほー。好みは月長水菜さんですかー。あのふわふわした感じ、かわいいですもんねー」
こ、この天使、俺の心の奥底を読み取りやがった……!
「でもあれですよねー。誰にでも優しく、童顔な子がタイプとかいかにも陰キャっていうか……ふふ、わかりやすくておもしろいですね」
マジで黙っててほしいこの天使。まともな思考ができなくなってきた。とりあえず適当にこの子に、
「そうだな。俺はこの子が一番かわいいと思う」
「え? マジこの子!? なんか地味じゃね!?」
俺が指差した先生の隣に座っている暗い雰囲気の子を見て金間が余計な茶々を挟んでくる。確かにそうだ……たぶん三年間同じクラスだったけど、俺も名前をイマイチ思い出せない。陽キャ設定でいくならもっと派手な子にした方がよかったか。
「何だかんだ本当の好みを選んじゃいましたね」
(誰のせいだと思ってんだ)
まぁいい。これで痴情のもつれによる仲違いは避けられたのだから。
「悪いけど俺はいないかな」
とりあえずの危機回避にホッとしていると、空気の読めない発言が耳に飛び込んできた。だがそれを樹来が言ったのなら話が別だ。
「七海さんとずっと一緒にいるじゃんか。オレはてっきりもう付き合ってんのかと……」
「いや、ただ幼なじみってだけだよ。それに俺じゃ文には釣り合わない。もっと素敵な人がいるはずだよ」
俺と同じ考えの金間に、予想外の返答をする樹来。じゃあなんで俺の記憶では付き合ってたんだ? いや、そもそもあの時も付き合っていなかったのか? 確かに直接付き合ってるという話は聞かなかったが……。
「じゃあさ、じゃあさ! オレが七海さんを狙ってもいいかなっ!?」
「構わない……というか俺が決めることじゃないな。好きにすればいいよ。俺もできる限り協力しよう」
「マジでっ!? しゃあっ、がんばろーっ!」
しかも月長が好きだったはずの真壁が七海を狙っているときた。記憶と全く噛み合わないな。
「そりゃそうですよ、人間関係なんですから」
必死に過去の記憶を読み起こしているところに、俺の布団で横になっているリルが口を挟んでくる。
「好きだから付き合えるわけじゃない。好きじゃなくても付き合うこともある。人間関係そんなもんですよし、所詮恋愛なんてそんなもんです。恋愛に特別感を持っている童貞にはわからないかもしれませんが」
最後にはキレそうになったが、リルの言葉は間違っていない。俺は生まれてこの方恋愛には全く関わりがなかった。まぁ友だちもそうだけど……友情より恋愛の方が縁が遠いのは明らかだ。
つまり恋愛関係の話は、やり直しだとしても全くの初見。これが足枷にならないといいんだが……。
「オレは翡翠さんがタイプだな……!」
(お前は変わってないんかーい)
金間に対する脳内ツッコミに、リルが反応することはなかった。