第1章 第8話 二人の距離
「うおー! すげーっ! マジもんの川じゃんっ!」
お調子者の真壁が目の前に現れた川を見て声を上げる。言葉に頭の悪さが滲んでいたが、言っている意味はわかる。中の魚が見えるほどに透き通った水、野鳥の声に紛れる静かなせせらぎ、人が入った形跡のない綺麗な川原。まさしく真の清流といった趣がある。
「奥に行くと危ないからな!」
靴を脱ぎ捨て一直線に川に入った月長、金間、真壁に樹来が声をかける。それほど川幅が拾いわけではないが、確かに中央付近は大きく抉れていて水深が深い。浅瀬で遊ぶ分には問題ないが、調子に乗って泳いでしまうと危険だろう。
まぁこいつらは三年前にもここに来ている。その時事故が起こってないのだから、今回も大丈夫なはずだ。
「しばらく休憩だな」
誰に向けたわけでもない樹来の言葉にみんなが頷き、それぞれ自由な時間を過ごす。金間と真壁の馬鹿コンビは服を着たまま川ではしゃぎ、樹来と七海がその様子を近くの大きな岩に座って眺めている。
「お二人は入らないの~?」
「あたし泳げないからパス」
「俺は上から研究に使えそうなものがないか探してみるよ」
脚だけ川に晒している月長が王コンビに声をかけたが、断られてしまった。それを特に気にも留めなかった様子の月長は、少し離れたところに立っている俺と芽依に近寄ってくる。それに気づいた俺は芽依に小声で頼みごとをした。
「芽依、誘われたら入ってくれ」
「え? う……うん。それはいいけど……主水は?」
「俺はいいや。疲れたし」
「そ、そっか……」
軽く打ち合わせを終わらせたと同時に、ゆっくりと川を進んできた月長が到着した。
「お二人さんは~?」
「俺は少しやることがあるから大丈夫」
「わたしは入ろっかな」
芽依は指示通りにポーチを置いて靴を脱ぐと水の中に入っていく。川が冷たいのか小さな悲鳴が聞こえてきた。
「いや~備えあれば患いなしだな~。聞いて聞いて大矢く~ん。実は水菜ちゃんたち水着持ってきてるんだよ~」
「へぇ、運がよかったな」
脚で水を遊ばせている月長は俺の顔を見上げると、にっ、といたずらっ子のように口角を上げた。
「よろこべ男子~、明日は水菜ちゃんたちの水着姿が見れちゃうぜ~」
「…………。……そっか、楽しみにしてる」
やばいやばいやばいやばいやばいっ! かわいすぎるっ!
え? なにこの子めっちゃかわいくないかっ!? ていうか俺にだけこの態度、もしかして俺のこと好きなんじゃないかっ!?
いやいや落ち着け落ち着け。リルじゃないが、モテない男は少し女の子と話しただけで好きなんじゃないかと勘違いする傾向にあることくらい知っている。ここで下手に手を出したら確実に終わってしまう。
「じゃ、いこっか~」
「そだね」
心を必死に落ち着かせている内に、月長たちは少し深いところに歩いて行ってしまった。ふぅ……危うく勘違いするところだった。
「主水さーーーーんっ!」
「ごほっ!?」
せっかく落ち着いた心臓が突然の大声に再び鼓動を速めた。いつものセーラー服を脱ぎ捨て、純白のビキニを纏ったリルが水の中から現れたのだ。
「童貞がいきなり女子の水着を見たら鼻血ブーで死んでしまいます! 私で慣れてくださいねっ! おっと美しすぎる私の水着姿の方が刺激的でしょうかっ!?」
(いや……まぁ……うん……)
確かに綺麗だ。でも綺麗すぎるんだよな。女性の水着というより、美術の教科書に載っている全裸の銅像の方が近い。まだ露出が少ない方が扇情的に思える。
「うわめちゃくちゃ失礼……。それよりどうして川に入らないんですか? どう考えてもそっちの方がリア充感あるでしょう」
(いや俺潔癖っていうか汚いの無理なんだよな……。土とか草とか触れない)
「うわぁ……。現代っ子極まれりですね。ドン引きです」
ほっとけ別にいいだろ。それにそういうのに頼らなくてもリア充になれる方法を見つけたんだ。
(今後は芽依を使って作戦を立てていく。俺みたいな陰キャにはわからない考え方だけど、陽キャは友だちの友だちは友だちだと思ってる節があるからな。これで俺ががんばらなくても友だちはできる)
「なるほどだいたいそんな感じってことですね」
(わかんないけど違うと思う)
まぁ何にせよ勝ちパターンは見つけた。これで俺の高校生活は安泰のはず。……ん?
「あぶな……ポーチ開いてんじゃん」
芽依が置いていった水色のポーチの口が開き、中から生徒手帳がはみ出ている。この中には学生証が入っているはずだ。当然写真は入学前。美容院で見たあの暗い芽依が写っているはず。これを見られるわけにはいかないだろうに。
「みんな、聞いてくれ!」
ポーチに生徒手帳をしまおうとした瞬間、樹来の声が届いた。慌てて自分の上着のポケットに生徒手帳を避難させる。
「軽く見てみたけど、この川には色々な生物が棲息している。何よりこんな人通りのないところにある川だ。自由研究のテーマにぴったりじゃないか?」
誰もテーマのことなど気にしていないが、既にこのグループの頂点に君臨する樹来の言葉に逆らう奴はいない。何の反論もなく、俺たちのグループのテーマは川に棲む生物の観察となった。
「そろそろ昼食の時間だ。コテージに帰ろう」
樹来の指示に従い、全員川から陸に上がる。今日はテーマ設定まで。それが終わったグループは自由時間となっている。どうせこのメンバーで固まるだろうが、俺には芽依がいる。何の問題もない。
「芽依、これ落ちてた」
「え、あ、うん、ありがと」
川から上がり、二人っきりになった場面で生徒手帳を芽依に手渡す。
「気をつけろよ? 俺みたいに上着に……いや、明日は水着を着てもらわなきゃいけないからな。バッグの奥に隠しておいた方がいいと思う」
「うん……そうだね」
「あと今日からは風呂の後もなるべく一緒にいるようにしよう。そうすれば……」
「ちょうどよかった。わたしも似たようなことをお願いしようと思ってた」
「え?」
俺から学生証を受け取った芽依は、少し駆けてから振り返る。その表情には確かな強い意志がこもっていて。
「今日の夜10時、一人で共同コテージの裏に来て」
なぜだか凄く遠くにいるように感じた。




