心のないロボット
ーーーー冷たい。体が重い。・・・息ができない。
「・・・・!!!うぐぅ」
呼吸ができない事に驚いたツキジは慌てて目を開けると、薄暗いブルーが瞳いっぱいに広がる。
コポコポ、という音が口から溢れているのに気付き、ようやくここは水の中なのだという事を理解したツキジは酸素を求めて上へと泳いで行く。
「ぐ・・ぅ・・・ぶはっ・・・・・!!」
水中から顔を出せた瞬間、ツキジは地上の酸素をめいっぱい吸い込んだ。けれど水を鼻からも勢いよく吸ってしまったらしく、すぐに咳き込んでしまう。
「ゲホッゲッホ・・・・ああ・・・・・・ゲホッ・・・・」
ツキジの呼吸は未だに落ち着かず、状況把握する為に咳き込みながらも立ち泳ぎをしながら辺りを見渡す。
「・・・・・はぁ、はっ・・・ここ、どこ・・・・・」
ツキジの体半分が浸かっているのは川でも海でもなく、見た事のないくらいの巨大な湖らしく、その湖を囲う様にたくさんの木々がぐるりと並んでいた。
まるで童話の中にでも入り込んだかの様な光景にツキジは唖然とし、状況を整理しようとツキジは一人湖に浮かんだまま考え込む。
ーーーー先程自分は高層の建物から謎の少年と共にダイブ‥‥真っ逆さまに落ちてしまったはず。確実に下にこんな湖なんてものはなく、固いコンクリートの道路があったのは間違いないのだが‥‥それに何より‥
「‥‥夜?」
ツキジが謎の少年に引っ張られて屋上に出た時はまだ外は明るかった。なのに今、空を見上げれば暗闇に包まれた夜の世界に姿を変えているのだ。
「……なんなんだよ。もおおおやだああああ‥‥もう‥‥もう‥‥ああああ‥‥」
次々に起こる不可思議な展開についていけず、ツキジは不安と混乱に頭を抱えてべそをかいた。
一体自分が何をしたというのだ。確かに人の役に立つ事のなくむしろ人に迷惑ばかりかける人生を送ってきたが、こんな目に合うほど悪い事は行なってこなかったはずだ、とツキジは心の中で怒る。
ーーーーそれともここは"日向"のいる天国なのだろうか?
「ぁっくしゅ!!!ああああ寒い・・・・とりあえず上がらないと・・・体温下がる・・・・寒い」
色々と考えるのはさておき、夢であってもなくてもこの寒さには耐えられない。ツキジはざばざばと泳ぎ、この湖から上がれそうな場所を目指して進んで行く。
「あああ重い・・・全然進まない・・・・服で水の中に入ったのなんて、クラスメイトに騙されてプールに突き落とされて以来・・・」
びしょ濡れになって家に帰った事は今でも覚えている。最悪な思い出だ。あの日からツキジを騙したクラスメイト達を毎日呪ったものだ。どうかこの子達が一日に一回は足の小指をタンスの角に思い切りぶつけるようにと。
「・・・あと少し、あと少しよツキジ・・・」
着ている服が水を含み、その分泳ぐスピードは落ちるものの、泳ぐのが不得意ではないツキジは確実にゴールへと進んで行く。
目指すはツキジでも湖から上がれる高さの低い崖。あそこなら手をかければ何とか登ってこの湖から脱出できる。
ーーーーーーーー『ツキジ』。
「・・・・・・・・え?」
ラストスパートだ。そう思って泳ぐスピードをぐんとあげていたその時、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がしてツキジはキョロキョロと辺りを見回す。
「なに、今度は・・・・・」
けれど傍に誰かがいるなんて事はなく、いよいよ幻聴が聞こえる程に自分が精神的に追い詰められてしまったのだとツキジは思う他なかった。
「・・・ああ、ちきしょうっ、私、生きてるんだよな、生きてるなら、生きるしかない。死んでないなら、生きてやる・・・」
ツキジはようやく辿り着いた湖の上にある低い崖に手をかけ、そのまま登ろうと最後の力を振り絞って体に力を入れようとした時だった。
首元にヒヤリとした感触を感じ、違和感を覚える。・・・本能で、このまま動いてはいけないという直感を感じたツキジは顔だけをゆっくりと上に上げる。
「・・・・・・・・・・」
この湖の色よりも明るい綺麗な青色の瞳と目が合う。浅黒く焼けた肌に、さらさらとした銀色の髪の毛。銀の髪は月の光に照らされて一層キラキラと輝き、ツキジは思わず目の前の人物に見惚れてしまい、身動きが取れなくなる。
洋画にでも出てきそうな綺麗な人。おそらく男性だとは思うが中性的すぎて自信がない。とりあえず声を掛けてみようにも、緊張して声が出ない。
ツキジが金魚の様にパクパクと口を開けていると目の前の銀髪美形は眉を潜めて口を開いた。
「・・・・・・hegren ta ?」
「え、え、なに・・・・外人、さん・・・?」
銀髪美形の口から出てきた言葉はツキジの耳には聞き慣れない異国の言葉で、ツキジは間抜けな顔でパチパチと瞬きしてしまう。
「tou repia ta?」
「ご、ごめんなさい。外国語、わからないんだ。えーと、アイアム、ジャパニーズ・・・・」
「・・・・・・・・」
ツキジが自分と同じ言葉を喋れない事をようやく理解したのか銀髪美形は眉を潜めてツキジの顔を探る様な目付きでジロリと見つめた。
迫力のある鋭い目付きで睨まれ、ツキジは思わず銀髪美形から顔を逸らそうとする。
・・・けれどその瞬間、ピリッとした鈍い痛みが首筋に走り、ツキジは反射的に目線を首元に映す。
「え、う・・・わっ・・・・け、け・・・・」
先程感じた喉元にヒヤリとした感触は、剣だった。
本来なら真っ先に首筋に感じていた違和感の正体を探るべきだったが、銀髪美形に気を取られるあまりそのことを失念してしまったらしい。
「な、なんで、剣・・・・本物・・・・・」
もう少しも顔を動かせなくなってしまった。首元も心なしかじんじんして痛い気がする。・・・とゆうか、これ以上切れたら血が大量に溢れ出してまずいのでは。
「・・・・tou repia ta? al lu」
銀髪美形は先程と同じ発音らしき言葉を言うと、恐怖で固まってしまったツキジの顔を見て仕方なく首元から剣を下ろし、剣を持っていない方の手でツキジの後ろに向かって指差した。
「・・・え、なに。後ろ?後ろに何かあるの?」
ツキジは半分涙眼になりながら後ろを振り向くと、月の光に照らされてキラキラと輝く、これまた日本ではお目にかかれない様な剣が湖に浮いているのが目に入り、ぱちくりと瞬きをした。
「あ、あれがどうかしたの。・・・・なんかどっかで見覚えがある様な気がしないでもないけどあの剣は確実に私の物じゃないよ。ノーノー」
言葉が通じない為、ツキジは湖に浮く剣を指差してぶんぶんと銀髪の美形に向かって首を振った。
「・・・・loa」
銀髪美形は納得したのか異国の言葉を呟くとツキジからふい、と顔を逸らし、湖に浮かぶ剣を真っ直ぐと見据える。
ーーーーこの人はあの剣が欲しいのだろうか。
「あ、あの・・・・良かったらあの剣、取ってきましょうか?ほら、私もう服とか水に濡れちゃってるし。今から湖に入ってずぶ濡れになるの嫌でしょ?」
ジェスチャーであの剣を自分が取ってきます。というのを何とか伝えるも、銀髪美形には伝わっていないらしく首を傾げるばかり。
ーーーー仕方ない。ここはひとつ行動で表そうではないか。そんでもってこの人に恩を売って、今ここはどこなのか説明してもらおうじゃないか。・・・・まあ、言葉は通じないけど。
そう決心したツキジは銀髪美形にくるりと背を向けて湖に浮かぶお伽話に出てくる様な剣に向かって泳ぎ出そうとする。
けれどその瞬間、銀髪美形から異国の言葉でものすごい怒声を浴びせられ、ツキジはびくりとして後ろを振り向く。
「!な、なに・・・・」
先程下ろしたはずの剣の切っ先を再びツキジに向けて銀髪美形が物凄い形相でツキジを睨みつけていた。
まるで親の敵でも見るかの様な形相に、ツキジは思わず昔習っていたピアノや勉強で失敗ばかりして父親に怒鳴り散らされていた過去を思い出し、尋常でない程怯えてしまう。
「ひっ!と、とと、取ってくるって言ってるだけだって・・・!なんでそんなにおお、怒るの・・?」
ツキジがあの剣を先に横取りするつもりだとでも思ったのだろうか。銀髪美形は尚も剣を今にもツキジに向かって振り下ろしそうな勢いで異国の言葉で大声を投げかけてくる。
せめて少しでも英語が通じればまだ誤解解けそうなのだが、いかんせんツキジは簡単な英語すらまともに話せない。これでは平行線だ。
ーーーー全く、一体今日は何なのだろう。
初ライブの前にはかつてない緊張でしこたま吐いて、謎の少年に脅されて結構な高さのある建物から真っ逆さまに落っことされて、湖を服のまま寒中水泳して、終いには銀髪美形に剣を向けられ怒声を浴びせられる。
ツキジはもう頭がおかしくなりそうだった。いやもうとっくにおかしくなっていたのかもしれない。
もう駄目だ。これ以上冷静でいられるはずがない。そう思ったツキジはこのまま剣で銀髪美形に殺される可能性もあるというのに、理性が保てずに彼に向かって半ばやけくそで怒鳴り散らしてしまう。
「ああ、もう・・・なんなんだよ、訳が分からない・・・あんな剣知らないよ!!何もかもうんざりだ!!私は何も関係ないだろう!?私に構わないでよ!!元いた場所に、帰らせてよぉっ!!!」
銀髪美形はツキジの大声に眉を潜めると、鋭い瞳が、何かを呟いてから持っている剣をゆらりと振り上げた。
ーーーーああ、やっぱり殺されるか。勢い余って怒鳴らなきゃ良かった、剣で刺されたら、痛いかな。でももう疲れちゃった。生きてたのに、最後まで生きれなくて、ごめんね・・・。
なるべく一発で、できれば即死が良いと強く念じながらツキジは恐怖で反射的に目を瞑る。
「・・・・・っ!!!」
ヒュッ、とほんの一瞬だけ素早く風を切った様な音がしたかと思うと、ほんの少し遠くの方で、重い金属物がはじける様な恐ろしい音がしてツキジは驚いて「ゔぅっ!?」とくぐもった声をあげる。
「・・・・?」
今の謎の爆音は少なくとも、自分が剣で切られた音ではない。切られた感覚も、痛みも全くない。
一体何の音だったのだかと気になったツキジはうっすらと目を開ける。
「・・・・ゔぁ・・・ゔ・・・・・・・・」
目の前には先程ツキジに向かって剣を振り下ろそうとしはずの銀髪美形が腕を抑えてうずくまっている姿が見え、ツキジはまさかの光景に目を回した。
「な、なに・・・・なにが、どうなって・・・・」
銀髪美形の腕がじわじわと赤く染まっていくのが見え、ツキジは「ひっ」と小さく悲鳴を上げる。
先程の爆撃音は、銃声だったらしい。そしてその銃の弾が銀髪美形の腕を貫いたのだ。
目の前の状況を理解するも、ツキジはどうする事もできずただ湖に浮かんだままでいると、銀髪美形の後ろの草むらがサワサワとうごめき、黒い人影がだんだんと姿を表した。
「残念ですが、あなたを元いた場所に帰す事はできません、月光の戦士様」
「・・・・・・・は・・・・・・」
まるで音声を読み上げる機械が決められた言葉を淡々と読む様な抑揚のないロボットの様な話し方。
けれど生まれてから数十年。聞き慣れた言語である事は間違いがない。・・・・これは、日本語だ。
「あ、あ・・・・にほん、ご・・・・・」
「それと、あの湖に浮かぶ剣はあなたのものです。二度と他人に渡そうとしない様に」
「・・・・あの・・・あなたは・・・・・・」
混乱しながらも、ツキジは日本語で話しかけてきた人物に何者なのかを問いかけようとした瞬間、またも先ほどの銃声が鳴り響く。
「ぅっ、わ‥!!」
驚いて思わず耳を塞ぐ。一瞬今度は自分に打ち込んだのかと思ったが、目の前でドサッと人が倒れる音がしてツキジは顔をあげる。
先程まで腕を抑えて苦しんでいた銀髪美形がその場で倒れ込んでいたのだ。‥もう、ピクリとも動いていない様に見える。
「まだ動こうとしていたので、トドメをさしました。・・・・・早くその湖から上がってください」
「殺したの」
「はい」
ツキジの言葉に動揺もせず、銃を仕舞いながら淡々と答える人物の顔を、ツキジはそこで初めてようやくまじまじと見ることが出来た。
カラスの羽の様に真っ黒な髪に黒い瞳。彫りの深い外人の美しさとはまた違う、あっさりとした印象を受けるものの、綺麗に整っている顔立ち。・・・・けれどピクリとも表情を動かさないそれは、顔の綺麗さも相まってまるでマネキンの様だと感じた。
口元だけが淡々と動く、心を持たないロボット。ツキジは彼を見た時に真っ先にそんなフレーズが思い浮かんだ。
ああ、こんな人なら躊躇わずに人が殺せるんだろうなとなんだか妙に納得した瞬間、ツキジの意識はそこで途切れてしまった。




