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ワンルームシュガーライフ

掲載日:2020/09/25


 同棲中の彼氏と過ごす愛の巣はワンルーム。

 その話を聞かされた友人たちの反応はどれも似たり寄ったり。

 有り得ない、と悲鳴にも似た声を上げる者。喧嘩しても逃げ場ないじゃん、と呆れた様子で溜め息を吐き出す者。私なら絶対に無理、と体ごと引いてげんなりする者。


 プライベートなど有ってないような生活は、彼女たちにとっては苦行と変わらないようで。恋人との距離の近さを羨むよりも、心配事の方が先に出るらしい。


 高校時代から付き合って、大学時代は遠距離恋愛。就職先も日本の東西に別れたことで、遠距離恋愛は延長戦へ突入した。時間はあれど金はない学生時代とは違い、社会人ともなれば状況は真逆になる。相手を恋しがる暇もなく過ぎていく日々の中、自分のためにお金を使う余裕もない。喧嘩もないが愛を囁き合うこともうんと減った。それでも自然消滅することなく、大きな障害に悩まされることもなく関係が続いたのは、偏に大学時代に培った経験の賜物だろう。


 転機が訪れたのは社会人三年目の冬。

 タバコの消し忘れだったそうだ。乾燥した空気といい感じに吹いていた風に背中を押され、私の勤め先を含めた通り一帯は火の海へと変わった。火元となった事務所の従業員は退社済み。夜中であったために死傷者は出なかったものの、ホワイトな職場であることだけが強みだった会社は廃業。騒動が治まる頃には無職だった。


 退職金こそもらえたものの困り果てていたところへ、彼氏の方がこれ幸いと迎えに来たことが始まりだ。溜めに溜めた有給休暇をぶち込んで彼はやってきた。


 ピンチをチャンスに変えよう、と。興奮も笑みも全く隠せていない状態で、彼は私を頷かせることだけに初日を捧げた。


 遠距離にも飽きただろう。たまに会えるからこそ得られる喜びはもう十分理解した。次は約束が無くても毎日会える喜びを知りたい。夜眠る瞬間まで一緒に過ごせて、そのうえ朝目覚めた瞬間にも君が隣にいる喜びを毎日経験できるなんて最高じゃないか。


 目を輝かせる彼の言葉に、私もつい、それは最高ねなんて言ってしまって。けれど頷いてしまうには迷いもあって。そんな私に気づいてか、彼は少しだけ眉を下げて言葉を続けた。


 仕事のことはとりあえず後回しにしてほしい。これからの生活に不安もあるだろうし、即決は難しいだろう。でも、あらゆることを後回しにして、俺のためにうんといってくれないか。愛が人生の全てじゃないから、互いのことを考えてこれまで遠距離でも頑張ってきた。でも俺は、俺の人生の真ん中に君がいてくれないと嫌なんだ。後回しにしたことは全部、後で俺が君の何倍も必死に考えるから。だからどうか、君と一緒に過ごす時間を俺にください。


 遠距離恋愛はあくまでも、夫婦になるまでのつもりだった。将来、彼と結婚することはもう、私の中では決定事項だった。でなければ遠距離なんてしんどい恋愛を繋ぎとめるために頑張ったりしない。

 不安な時もあった。寂しい時もあった。それでも彼から連絡が来ればそんな気持ちは消し飛ぶし、声が聞ければ不安なことなんてどうでもよくなる、会ってしまえば寂しいなんて思ったことすら忘れてしまう。


 私の人生の真ん中には、いつだって彼がいた。物理的な距離なんてへっちゃらだ、と笑っていられるくらい彼のことが好きで、大好きで、愛していて。そんな人に、あんなに熱烈にお願いされたら、頷く以外の選択肢はなかった。


 翌日からの時間のほとんどを引っ越し作業に費やし、彼の有給休暇の終わりに合わせ、私たちは彼の家へ一緒に帰った。


 狭い玄関、細い廊下、別々だがコンパクトな風呂とトイレ。小ぶりなシンクに手狭なワークトップ、一つしかないコンロ。廊下側に設備を集中させるという自炊しない一人暮らしに最適化されたワンルームは思っていたよりずっと不便で、慣れるまでに繰り返した試行錯誤の日々は今ではいい思い出だ。


 初めての同棲生活はお互い手探りで、付き合いたての頃より緊張したりして。今となっては笑い話だが、本当に毎日のようにドキドキしていた。

 おはようからおやすみまでの各種あいさつに始まり、仕事へ向かう彼の見送り、帰宅した彼の出迎え。手料理を振る舞ったことだって初めてじゃないのに、毎回やたら緊張した。


 朝、目が覚めて、隣には彼がいる。どれだけ静かにしたところで、料理中の音が筒抜けになるせいで完成前に自然と彼は起きてきて。

 おはよう、なんて言い合うのも照れたりした。


 最大の困難は友人が心配していた通り、喧嘩だ。

 毎日、顔を突き合わせて過ごしていれば、喧嘩の一つも勃発する。すぐ仲直りできた時はいい。問題は、互いに譲らず長期戦に突入した時。


 一度、大喧嘩をしたことがある。季節は夏で、きっかけは、帰宅してから夕飯は要らないと言われたことで私が怒った。メニューは頑張って作った角煮。とろとろプルプル、力作だった。煮卵の半熟具合は完璧で、一口食べると頬が落ちたと錯覚するほど。それを食べないなんてどういうことだ、と。明日に回しても問題ないメニューだったのに、がむしゃらに腹が立った。

 金曜日、彼の帰りはいつもよりずっと遅くて、くたくたになった彼はいつになく機嫌が悪かった。連絡してくれれば良かったのに、お米だって気合入れて三合も炊いたのに。感情任せに怒る私とは対照的に、明日でも食えるだろ、と彼の声は冷え切った。いつ帰るのか連絡もなく彼を待って食べずにいたことも、あったかいご飯を食べてもらおうと浮かれていたことも、全部が否定された気がしてかちーんときた。言葉では埒が明かないと互いに早々会話をやめて、喧嘩は冷戦に持ち込まれた。


 ワンルームでは逃げ場がない。これも友人の心配した通り。どんなに機嫌が悪くても、同じ部屋で隣り合って背を向けるくらいしか距離を置く方法がないのは困る。部屋の隅にいても互いの顔が見えてしまうから、泣きたくなったらトイレに隠れた。


「何か考え事?」

「ちょっとね、大喧嘩した時のこと思い出してた」

「……勘弁してくれよ。あれは本当に参ったんだ」

「ふふ、そうね」


 トイレにこもって泣く私は、ティッシュ箱とスマートフォンだけ握りしめて、ドアには鍵をかけた。彼からのノックは当然無視。言葉をかけられても、メールを送られても、全部知らん顔して泣き続けた。狭い個室に閉じこもって、暑さで汗が止まらなくて。限界を迎えて鍵を開けたら、取っ手を掴む前に彼がドアを開け放った。

 汗と涙でぐちゃぐちゃになった私を見て吹き出した彼はすぐに、きゅ、と体を縮めて私をトイレから追い出してドアを閉めた。限界だったらしい。


 コンビニに行けばよかったじゃない。歩いて五分とかからない場所にある。

 ドア越しに思わず声をかけた私に、玄関のドア閉めた音で俺が怒って出てったなんて思われたくなかったし君がトイレから出てきた時に俺がいなかったら寂しいかなって思たんだよ喧嘩してんだぞ、とやけくそ気味に声を張り上げた彼に、今度は私が吹き出した。

 確かに、この家は玄関のドアの音だって筒抜けだ。泣いてる最中に聞いていたら涙が止まらなかったと思う。トイレから出て空っぽになった部屋を見たら、引っ込んだ涙もまたあふれ出す。互いの部屋なんて当然ないこの家では、私の物も彼の物も一緒くたに置いてあるのだ。お互いのスペースと区切った境界線なんてとっくに曖昧になっていて、どちらかの私物が進撃しているなんて当たり前だ。着替えの上に放られた彼のシャツすら、あの時の私には泣く引き金になっていたに違いない。


「あなたったら、喧嘩してるのに優しいんだもん。びっくりしちゃった」

「反省したんだよ。ゴミ袋パンパンだし、水切りカゴえげつねえし。作り方とか知らねえけど、なんかすげえ頑張って作ってくれたんだなと思って……」


 そう、すげえ頑張って作った。だから食べてほしくて、美味しいって言ってほしくて、意地になって泣いてしまった。


「次の日、あれ食べてもっと後悔したけど」

「美味しかったでしょ?」

「今だって美味しいよ。でもあれは、あの日にすぐ食べるべきだった」


 仕事が終わってお腹を空かせて帰宅した状態で、白いお米と一緒に口いっぱいに頬張る。それが一番、美味しい瞬間だった。喧嘩の翌日、ぐっすり眠って整った体で食べても美味しさ半減だ。


「お米も夜からの持越しだったし」

「炊き立てで食うべきだった」


 トイレを済ませた彼は黙ってしっかり手を洗って、まだ汗の残る体で廊下に座り込む私に向き合うように正座した。ごめんなさい、今度からきちんと前もって連絡を入れます、と。深々と頭を下げた彼につられて私も正座して、同じように頭を下げた。ごめんなさい、ムキになりました。そうして私たちの大喧嘩は終わった。

 夜中の一時になっていた。大の大人が二人揃って何をやっているのか。気が緩んだら今度は可笑しくなって、夜中だというのに二人して腹を抱えて笑った。


 お風呂だけ済ませて、あの日は二人で同じ布団で寝た。仕事終わりに喧嘩した彼と、泣き通しの汗だくになった私はくたくたで、きゅうきゅう鳴るお腹も気にならずあっという間に眠りに落ちた。

 翌日はいつもよりゆっくり布団で過ごし、ちょっと気まずい雰囲気の中、朝から角煮を食べた。喧嘩してもトイレを占領するのは禁止、と喧嘩した際のルールを決めたりしながら食べた角煮は、それでも美味しかった。


「君は喧嘩のたびにルールの穴をつくから困る」

「あなたはいっつも些細な言葉選びを間違えて私を怒らせる」

「お、責任転嫁は良くないぞ。君だって余計なこと言って俺を怒らせる」

「両成敗よ、喧嘩なんだから」

「ズルいぞ」


 何度言っても丸めたまま洗濯機に放り込まれている靴下。食事のあと、いつまで経っても出しっ放しの調味料。協力プレイのゲームで連続するミス。ゴミ出しの日に限って寝坊。くだらないきっかけで始まる喧嘩はもう、何度目になるか数えられない。

 二段のお弁当箱に白米だけ詰め込む新種の兵糧攻め禁止。主食副菜主菜すべてを白米で攻めるの禁止。麦茶の容器に出汁を入れるの禁止。主に食事面での攻撃をする私のやり方は大いに彼を困らせている。

 対して、わざわざ裏返して洗濯物をたたむの禁止。アイスを私では手の届かないクローゼットの上の棚に隠すの禁止。四色ボールペンの色をバラバラにするの禁止。彼の攻撃は地味だが効果は抜群で、こちらも私を困らせている。


「喧嘩が深刻化する前に相手を笑わせるって、いい案だろ?」

「大喜利じみてきて、喧嘩になりそうな雰囲気で思い出し笑いしちゃうのよね」


 最近では、ワンルームでよく喧嘩にならないわね、とお義母さんに感心されるほどだ。


「笑いは家庭円満の秘訣だから」

「どこ情報?」

「俺」


 ふふ、と声が漏れた。


「高校時代から考えてた秘訣だぞ。長年の経験で、正しさは証明されてる」

「はいはい、もうすぐできるからお皿出して」

「俺、味玉二個」


 はいはい、と返事をしながら希望通り二個、器に入れてあげる。

 今日の夕飯はとろとろ角煮と半熟味玉。お米は炊き立て。仕事帰りの疲れに染みる冷えたビール付きという豪華さで、今日はご機嫌な夜になること間違いなしだ。


 角煮を持った器とからしを持って食卓に行くと、すでにビールがコップに注がれていた。いそいそとおかずを並べてコップを手に取る。


「では、結婚記念日を祝しまして」

「かんぱーい」


 プライベートなど有ってないような生活。喧嘩をすれば逃げ場もなく、有り得ないと溜め息をつくこともある。でも、


「うんまぁ~」

「俺の奥さんってば天才」

「もっと褒めて~」


 無理、とげんなりするほどじゃない。

 ワンルームだって、私にとっては幸福で素敵な愛の巣だ。

 

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― 新着の感想 ―
[一言] ブックマークさせていただいたのはもう一年も前のことですが……。 折につけ、未だに読み返すほどのお気に入り作品です。
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