第三話:旅立ち
サイラス王との話を終えたレインは明日に備える為、城の外へ出て城門まで来た時だった。
そこには城壁に背を預けるグランが立っており、レインは思わず溜息を吐いた。
「先に屋敷に行っていろと言った筈だ」
「良いじゃねぇか別に、どの道目的地は同じなんだ。……それにお互い貴族街は好きじゃねえし、一緒に行った方が傷は浅いだろ?」
「……勝手にしろ」
そう返すとレインは自分の屋敷がある貴族街へと歩き始め、グランもその後に付いて来るように歩き出した。
♦♦♦♦
首都【グランサリア】の北エリアに、その場所はあった。
道を歩く人や家等の全てが一般の者が住んでいる場所とは違い、豪華な装飾や設備・雰囲気があり、見る人が見れば別世界だ。
【貴族街】――それがこのエリアの名であり、文字通り貴族のみが生活している居住区。
そんな貴族街の中を二人は屋敷へと向かう為に歩いているが、そんな二人は貴族街でも目立つ存在だった。
「おい、あの二人」
「まさかあれが……」
自分達の存在に気付いた貴族達は、思わず足を止めて顔を向けてくる。
四獣将であり、国民からの人気は高いから当然とも言えるが、それは庶民の話だ。
貴族達の表情は尊敬のものではなく、蔑む様なものだった。
「あれがサイラス王子飼いの獣共か」
「クロスハーツ家の長男、ロックレス家の次男か……フンッ」
「所詮は命を喰らうだけの獣よ……」
貴族達が自分達へ抱く感情が良い感情ではないのを、レインもグランも知っていた。
国の英雄と言えど、貴族達が自分達に抱くのは命を喰らう獣。
更に言えば貴族主義を潰したサイラス王の子飼い、そうなれば更に印象は悪い。
だが決定的なものは二人の出身。この国の“悪しき風習”だった。
「ったく……相変わらずみみっちい連中だ。貴族主義が無くなっても、成功している貴族だって多いってのによ……」
自分達に陰口を呟く者達を見てグランは面倒そうに呟くが、レインは沈黙を貫いた。
何故なら、これも見慣れた光景の一つに過ぎないからだ。
もう何年も変わらない人種、死ぬまでこのままの者達を殆ど気にしないまま、レインは屋敷へと歩き続けていた時だった。
「ん……なんか騒がしくねぇか?」
前方の道端で貴族達が集まっており、何やら騒がしい事にグランが気付いた。
無駄にプライドや品性にうるさい貴族達にしては珍しい光景で、レインも思わず足を止めてしまった。
「何事だ……?」
「おいおい、貴族街だっつうのにスゲェ騒ぎだな」
いくら安全な空間で平和ボケしている貴族でも、流石に白昼堂々と犯罪まがいの事はしないと思いながらも、その場所へ視線を向けた。
すると、その場所からは騒がしさというよりも、活気に満ちていた。
「いらっしゃい! いらっしゃい! 最高の一品見てってくださいな!」
そこには沢山の貴族達に囲まれている“露店”があった。
店主は、短パンとチューブチトップに大きな羽織一枚を羽織った銀髪の少女。
彼女が商品と思われる物を次々と出し、貴族達相手に商売を行っていた。
「はいはーい!――次は“ドワーフ”が装飾した大皿だよ! 近年では武器とか以外にも色々と作っているドワーフだけど、その職人技は健在! ちゃんとドワーフ直筆のサインもあるよ!」
少女は細かく、確かな技術が施されている大皿を貴族達に見せながら大声で宣伝し、周りの貴族達もどれどれと覗き込んでいた。
そして見終わると、貴族の歓声がレイン達にも聞こえてくる。
「こ、これは見事な……!」
「う~む、文句を付ければ逆に私の恥となるな。だが、ドワーフ達がここまでの物を作るとは……!」
武器等ばかり作るイメージが強いドワーフ達だが、その技術の高さは他にも活かしている。
故にドワーフが彫った証明のサインもあるが、それが無くても見事な装飾だ。
これが安物や偽物の類ではないと、貴族達へ分からせる程に。
「うむ……確かに見事だ。これなら買ってやっても良いだろう。――いくらだね?」
「ふふん!――本当なら金貨25枚は頂くけど、今回は初回の営業だから金貨20枚にオマケしてあげる。その代わり今後もこの<リオネ・エメラーナ>を御贔屓に!」
「差額の金貨5枚で己を売るか、大した商売人だ……その値で買おう! その代わり、次からはまず私に商品を見せてくれ?」
貴族のご老人がリオネと名乗った少女に金貨を渡すと、それを皮切りに他の貴族達も他の商品を見せろと騒ぎ出すが、彼女は一切慌てずに落ち着いて対処していく。
「慌てない慌てない! 次の商品はエルフ族が作ったドレスだよ!」
先程と変わらず自分のペースで貫きながら、貪欲な貴族達を相手にするリオネと言う少女。
そんな彼女の姿にグランは見入って感心してしていた。
「おいおい……大したもんだぜあの嬢ちゃん。あの貴族達に財布を開けさせやがった」
「事件性がないなら行くぞ」
グランとは違い、レインは特に興味がないので歩き出した。
そもそも、足を止めた理由は何か犯罪か何かの問題の可能性があったからであり、彼女自身への関心はもう低い。
そう言って歩き出すレインの後ろで、グランが『お前もマイペースだな』と笑っていた。
♦♦♦♦
貴族街の大通りをずっと進み、人が少なくなったエリアにレインの屋敷がある。
大きな屋敷で外見も貴族街に恥じないものだ。
強いて言えば場所が悪いぐらいだが、レインは気にしていない。
「お前の屋敷に泊まるのも久し振りだ……なぁレイン?」
こう言う共同の任務の時は大抵グランは、レインの屋敷に泊まる。
それは彼の家が首都にない事も理由であり、またグランからしてもレインの屋敷は伸び伸びと出来て落ち着ける場所だった。
けれどもレインも疲れがあるので、早くゆっくりしたいと思っていたが不意に足を止めた。
「どうしたレイン?」
聞いてくるグランだが、レインは黙って屋敷の前をジッと見つめていると、グランも屋敷の前へ顔を向けて納得した。
「なんだ……って、そういう事か」
屋敷の前、そこに壁に寄り添うにしている一人の小さな少女を見つけたグランは納得した様に頷いた。
屋敷の前で退屈そうに何かを待つ金髪の少女。
もう数年は経つだろうが、何故か少女はレインが返ってくる頃には屋敷の前に立っている。
「……あっ!」
少女はレインの姿を見るや否や近付こうとするが、途中で足を止めてしまう。
けれども、ずっとレインの顔をジッと見て、何やら言いたそうにもしていたがレインは心当たりがなかった。
「うぅ……あっ……だから……ぅぅ!」
何かを言いたいのは伝わって来るのが、少女は緊張なのか上手く言い出せない様子だ。
グランにとってもそれは何度も見てきた光景だが、やはり謎でしかない現状にレインへ聞いてみた。
「なぁレインよ……あの子、よくお前の屋敷の前にいるけど顔見知りなのか?」
「知らん。少なくとも身に覚えはない」
グランの言葉にレインはそう言い放った時だ。
その言葉に嘘はなく、本当に見覚えも、関わる機会もなかった筈が、レインのその言葉に少女の態度が変わった。
「!――ば、ばかぁぁぁぁぁっ!!」
怒ったように顔を真っ赤にし、涙目でレインへ地面に落ちていた石を少女は投げつけてきた。
けれども、レインは慣れた様に受け止めて地面へ落とす頃には、少女は走り去っていた。
そもそも、初めて出会った時もそうだった。
『あ、あの!』
『誰だお前は?』
そう言っただけで少女は怒って石を投擲。
これが数年は続いているのだから、付き合っている自分も大概だとレインは思ったが、すぐに頭を切り替えた。
「理由は知らんがいつもの事だ。行くぞ……」
「えっ……お、おう……!」
少女の様子に困惑するグランだったが、レインは気にした様子もなく屋敷の中へと入っていった。
♦♦♦♦
「お帰りなさいませレイン様、いらっしゃいませグラン様」
「よう! 世話になんぜテトラさん」
「変わりなかったか?」
二人を出迎えたのはザ・メイド長の様な姿の若い女性――<テトラ・メイドン>
レインの屋敷を一人で管理している自称・最強メイド。
まだ二十代前半の女性だが、屋敷を空ける事が多いレインが安心して遠出できる理由、それが彼女の存在だった。
家事もそうだが腕も立ち、一度盗みに入った強盗を10人も撃退した実績もあった。
「はい、特に変わりはありませんでした。――御夕食とお風呂の準備は出来ておりますのでどうぞ」
落ち着いた笑みで出迎てくれたテトラに案内され、屋敷に入ったレイン達を出迎えたのは、ただ広いだけの屋敷。
人の気配が全くなく、それがグランが落ち着くと言った理由だ。
「……他の使用人達は帰ったみたいだな」
「そうだろうな」
互いに理解している事を呟きながら一つの部屋に入ると、そこには縦長のテーブルの上に置かれた豪華な料理が準備されていた。
それは保温魔法で温度は整えられており、スープも冷めている様子はない。
料理・掃除等、使用人達はそれらを行ってはレインが帰宅する前に出て行く。
それが、この屋敷の日常だった。
十年以上このような生活を送っているレインだが、それを気にした事は一度もなく、屋敷に訪れる使用人の顔もテトラ以外は見た事がない。
レインが十年以上前に父親に与えられた屋敷。
その管理の方法を聞かされ、そして滞在しているテトラと、不思議と口に合う食事があるだけで充分だからだ。
「すぐにご準備いたしますか?」
既に食器等の全ての準備が出来ており、テトラがいつでも食事が開始出来る事を知らせると、レインはグランへ視線を向けた。
「……先に食べるか?」
「あぁ……いや、先に風呂に入らせてくれ」
流石にゴーレムの破壊故に汚れも多く、グランは食事よりも風呂を優先したかった。
マントや服にも破片や砂利が付いていて、グランは床に落とさない様に必死だ。
そんなグランにレインは「そうか」とだけ言い、グランはそのまま部屋を出て風呂へと向かっていった。
「マントを頼む……あと、準備は最低限だけで良い。――グランと話もある、今日はもう自由にしていい」
「かしこまりました」
残されたレインもマントを外してテトラへ預けると、テーブルの前に腰を掛けてグランが来るまで静かに目を閉じるのだった。
♦♦♦♦
風呂から戻り、シャンプー等の香りを纏わせながらグランは、髪を後ろで一纏めにして戻って来た。
そしてグランを待っていたレインも、彼が戻って来た事で二人は食事を取り始めた。
「いつも思うけどよ……美味いが多いよな?」
「そうだな……そして不思議な味だ」
料理の量はいつも一人用ではなく、ハッキリ言って多かった。
食べきれないのが前提だが、今日はグランがいるので丁度良いとレインは思いながら、コーンスープを口へ運んだ。
やがて、一通り食事を終えると今度はレインが立ち上がる。
「風呂に行ってくる……」
「おう! 俺はもう少し食ってるわ。ここの食事は優しい感じがあって好きなんだ」
レインは夕食を先に終えると風呂へと向かい、グランはまだ食べる様で新しいワインのボトルを持ってきていた。
それはレインが風呂から帰った後も続けていたらしく、戻って来ると既にワインの空ボトルが四本程テーブルに置かれていた。
「明日に響くぞ……?」
「大丈夫だ……俺は酒が強いからな」
呆れた様子のレインにグランは笑いながら返した。
実際、酒が強いのは知っており、様子を見る限り酔った様子もないが飲み過ぎに得はない。
「まぁなんだ、レインも一杯だけ飲もうぜ?」
グランはそう言って返答を待つよりも先にグラスにワインを注いだが、レインは断った。
「明日は任務だ。俺は飲まん……」
「一杯だけだ。それに寧ろ、飲むべきだろ……明日の任務ルナセリア王女の護衛。言わば敵国の姫さんの護衛だ。――『妖月戦争』を……いや『神導出兵』の生き残りである俺等にとって特別な筈だ」
そう語るグランの表情はどこか感傷的で、寂しそうだ。
すると、そんな姿を見て、サイラス王へも断ったレインだったが『神導出兵』の言葉を聞いたことで記憶が蘇った。
『また……みんなで騒ぎたいなぁ……』
嘗ての仲間の言葉が胸に響いて来た。
もう忘れていた胸の痛みが強くなっていくのを感じると、レインは忘れる為に腰を下ろしてグラスを持った。
そんな姿にグランは悪戯した子供の様に笑みを浮かべており、互いにグラスを掲げて口へと運んだ。
「……もう十年以上になるか」
グランも気を遣ってくれたのだろうと、レインは何となく分かった。
アルコールがなく、殆どジュースの様なワインを飲みながらレインが呟くと、グランも頷いた。
「……長かった筈なのに、あっという間だったよな」
思い出すように呟く二人はそう言ってグラスを置き、テーブルの上にあるユラユラと揺れた蝋燭の火を眺めながら過去の事を思い出した。
「無意味な戦争だったよな……なのに、未来に必要な命ばかり消えちまった」
ルナセリアとの間で起きた一つの戦争【妖月戦争】
それは、一つの国が亡ぶほどの大戦争。その裏で起こっていたアスカリア最大の過ち【神導出兵】
若き命が消え、生き残った者達は誰も祖国であるアスカリアへは帰ってはいない。――レインとグラン、そしてもう一人を除いて。
「……他の連中は何やってんだろうなぁ」
「……さぁな。だが死ぬような連中ではない」
感傷に浸るグランとは違い、レインは薄い反応しかしない。
何故なら、文字通り全員が化物みたいな実力者達だからだ。
野垂れ死にも、どっかで戦死もする様な連中ではない事はレインも分かっていた。
そして、そんな事を話していると、やがてグランは少し迷った表情でレインを見てた。
「なぁ……レインよ」
「なんだ?」
ワインを飲み干してグラスをテーブルの上に置いた後、レインは当然の様に聞き返すが、グランの目線は顔よりも腰の方に向けられていた。
――そこにあったのは黒刀魔剣・影狼。
そんな一本の魔剣をグランは昼間の豪快な感じを一切出さず、真剣な眼差しで見詰めながら呟いた。
「まだ――」
――“心”は残っているのか?
「……」
部屋の中に響く小さなグランの言葉。
それは確かにレインの耳へと届いたが、返答せずに影狼を持って立ち上がった。
けれども、腰掛けるグランの横を通り過ぎる時、レインは呟いた。
「――俺にも分からない」
もう分からない、心とは何かなどと。昔とどう違うのかも。
そう言うとレインは部屋を出て行き、自分の寝室へと行ってしまった。
「分からない……か」
今のレインの言葉を呟きながら一人残されたグランは、残ったワインの中身を全てグラスに注いで一気にそれを飲み干した。
「ふぅ……そう思ってるなら、まだ大丈夫じゃねえのか?」
そう独り言を呟くグランの言葉は誰の耳に届く事もなく、部屋の中へ消えて行くのだった。
♦♦♦♦
「いってらっしゃいませ」
「今回は長くなる、屋敷の事は頼んだ」
「かしこまりました」
翌朝、日が昇ったばかりの時間帯。
それぞれの部屋で目を覚まし、テトラが用意した軽食を食べ、旅の準備を済ませたレインとグランが見送られながら屋敷を出た時であった。
レインは自分の持つ道具袋を確認し、表情を曇らせた。
「……不覚」
「ん、どうしたレイン?」
珍しく困った様子にグランも気付き、レインがジッと見ている道具袋を覗き込んでみると、中身は殆ど空に近かった。
薬品・魔法薬・魔物除けのどれもが数が足りず、長期になるであろう護衛任務には心許ない。
「おいおい……レインよぉ。お前が準備忘れなんてどうしたんだ? 殿下の護衛はそんなに道具を消費する程の任務だったのか?」
「……殿下は怪我をしやすい」
表情を変えずに呟くレインの言葉。
それを聞いたグランも『あぁ……そうだったな』と納得した様子で呟くと、呆れた様子で肩を落としていた。
つまり、戦いの才能がないアルセルが功を焦った結果、無駄に怪我をしてはレインが道具を使う。
また護衛には親衛隊もいたが、やはり質の下がった親衛隊は質の低い行動しかせず、その皺寄せを全てレインが対処した結果がこれだ。
「ったく……殿下も親衛隊の連中も大した仕事をしやがる」
グランも道具の事でグチグチと言いたくはなかったが、アルセルと親衛隊の評判は騎士達の間でも悪いが、レインはそこまで思っていない。
「……殿下の能力が活かされるのは戦いではない。――平和な世だ」
「今の世の中じゃ難しいな……どちらにしろ、今の世でも何も出来ない奴が平和な世で何か出来んのか?」
疑う様に問い掛けるグランの言葉。
それにレインが応えることはなく、そのまま門を出てしまい、グランも察するように後を追った。
「それで消耗品はどうすんだ?――俺のを渡しても大丈夫だぞ?」
「……自分で何とかする」
「何とかって、お前なぁ……」
その言葉にグランは悩むように頭をワシャワシャと弄った。
こんな早朝ではそこらの店は開いてはおらず、その手のギルドも店を開けてはいない。となると、残りの手段は城の倉庫から貰うしかない。
けれども、レインにはもう一つの考えがあった。
不意にレインは道から外れる様に歩き出し、ある場所へと向かった。
「おいレイン、どうし――」
どこに行くのかと問い掛けようとした時、そのレインの進む先にある物を見てグランは納得した。
貴族街に場違いの様に存在するそれは、いわゆる小さな露店。
――そう、昨日貴族達相手に色々と売っていた少女の店だった。
レインが露店を覗き込むと、店主である少女がいびきを掻いて寝ている。
「グゥ~グゥオ~」
整った顔と微妙に露出の多い服装。
そんな少女が堂々と寝ている事に思う事もあるが、少なくともレインは特に思わず、露店の上に置いてある呼び鈴を鳴らした。
すると金属の確かに高い音が鳴り、同時に少女の意識も覚醒させた。
「フガッ!?――えっなになに……?」
伊達に商人ではないらしく、少女は呼び鈴の音に条件反射の様に身体を起こした。
そして目を擦りながら顔を上げると、彼女の視界に入ったのは当然、呼び鈴を鳴らしたレインだ。
そんなレインと目が合うと、同時にマントの紋章にも気付いた。
「……アスカリア騎士の紋章?」
「そうだ」
騎士の紋章に気付いた少女にレインも頷くが、それで何を思ったのか少女の顔色が変わる。
「ちょっ――ちょっと待ったぁぁぁぁぁ!!――待って待ってよ!? 貴族街で寝てたのは確かだけど、ちゃんと販売の許可証はあるよ!?」
少女から貴族街での販売を咎めていると思われたらしく、少女が慌てて一枚の用紙を取り出すと、そのままレインの顔へと突き付けた。
「貴族外での商売……その許可証か」
突き付けられたレインも用紙に書かれた内容を読むと、確かに目の前の少女に貴族街での商売を許可する事と、正規と証明するアスカリア王国の印が押されていた。
それは正式な許可証であって文句の付けようがないが、残念ながらレインの目的はそれではなかった。
「要件はこれだ……」
慌てている少女とは裏腹に、何事も無い様子で一枚のメモを少女へと渡した。
けれども、少女は何が書かれているのかと恐る恐ると様子で、受け取ったメモを読み上げる。
「た、逮捕状!? うそぉ……え、えっと……ヒール薬15個……魔力薬15個……魔物除けが……って何これ? 旅の必需品ばかり?」
レインが渡したメモの内容に少女は拍子抜けし、力が抜けた様な方を落とした。
逮捕状かなにかの類だと思ったが、内容は旅に出る人が買う物。
つまりは、旅道具一式と呼べるものだ。
それが分かると少女はゆっくりと顔を上げ、再びレインの顔を見詰めながらゆっくりと問い掛けた。
「もしかして……お客さん?」
「――そうだ。そこに書かれている品が欲しい」
その言葉に少女は口を大きく開け、そのまま疲れた様に肩を落とした。
また、徐々に肩を震わせ始め、その姿を見たレインは何が起こっているのか分からず、後ろにいるグランに顔を向けた。
だが、グランは少女の気持ちが分かっているので苦笑だけ返した。
「まぁなんだ……お前が悪い」
「何なんだ……?」
苦笑しかしないグランの様子を見て、状況が理解できないレインが振り返ると、目の前に少女の顔があった。
――何処となく怒っている様な表情で。
「だったら最初からそう言ってよ!! もぉぉぉぉ!!――本当にビックリしたんだからね!!?」
少女は今までの不安から解き放たれた反動からか、涙目になりながら感情に任せてレインへ向かって叫びをぶつけた。
けれども、レインは道具を買いたかっただけであり、何故ここまで彼女が感情を爆発させるのかが分からず、考える様に首を傾げた。
すると少女は鞄の中を漁り始め、次々とレインが欲しがった道具を取り出していく。
「なんだあるのか?」
「そりゃあるよ!?――もう! 渡りでも商人なんだからね? どこにでも置いている道具だって扱ってるに決まってるじゃん!」
レインの言葉に馬鹿にすんなと言わんばかりの気迫で品を揃えると、少女は叫びながらも置かれた道具袋にしまってくれていた。
それは丁寧な手つきであり、少女の商人としてのプロ意識の高さが分かった。
「はい全部で4700ビスト。数は少しサービスしてあげたから、帰りなのか早朝任務なのか分かんないけど頑張って」
少女はレインの道具袋をカウンターへ置きながら言うと、レインも事前に準備していた代金を置くと同時に、道具袋を持って素早く店を後にした。
「せめて礼とか言ってよぉ……こんな早朝から起こされたのに」
少女は眠そうに愚痴って二人の後姿を見送る様に眺めながら、レインの置いて行った代金を回収しようとした時だ。
不意に違和感に気付き、それを手に持ってみると、それは“金貨”だった。しかも5枚。
これは明らかに破格の支払いであり、これに気付いた少女は慌てて二人の後を追いかけた。
「ちょっとちょっと!?」
レイン達は歩いていた為、少女はすぐに追い付けた。
しかし、レインは少女が自分の隣に来ても歩みを止めるどころか顔すら合わせない。
けれども、少女も関係ないと言った勢いでレインへ金貨を突き付けた。
「ちょっとお兄さん聞いてるの! 私は4700ビストって言ったんだよ!? 金貨一枚でも足り過ぎてるのに五枚なんて貰えないよ! 金貨しかないなら四枚返してから、すぐにお釣り用意するから!」
「……構わない。五枚とも受け取れ」
レインからすれば金貨五枚は、料金以外に迷惑料と口止め料等の意味を込めており、別に間違ったとかの理由ではなかった。
だが、それはあくまでレインの考えであり、少女が察しているかは別の問題だ。
「そう言う訳にはいかないって!」
少女は得している筈が食い下がらず、レインも流石に無視できなくなった。
「一人の商人としてこの金貨は受け取れない。私は対等な商売しかしない……だからこの金貨は受け取れないって!」
彼女なりのポリシーがあるのか、過剰な代金を拒否するのも、それが理由らしい。
けれども、レインも昨日の事を覚えていた。
「昨日は、お前が提示した金額よりも多い額を貴族が支払った筈だ。その時は何も言っていない様だったが、それも対等な商売とは言えないんじゃないのか?」
「あれとは違う話だよ!?――あの商品達は本当に価値がある物ばかりなの……確かに値段を決めたのは私だけど、最終的にはそれを本当に欲しいって人達が決めた値段だから私は売買したの! でもこの商品は色んな人達向けに売られている一般的な物だから、過剰な金額は受け取れないって!」
高価なものでは価値観によって変えるが、日用品の様な物は全ての人に平等の値段で売る。
それが彼女の信念らしく、そう言って少女はすぐにお釣りを準備しようとするが、お釣り入れの鞄を除く少女の表情が固まった。
「あっ――足りない……」
少女は消えそうな程に小さな声で呟き、それをレインは聞き逃さなかった。
昨日の貴族との商売で、お釣り袋の中身が減っており、 鬱陶しいと思い始めていたレインは歩く速度を速めた。
「無いならば終わりだ」
「待っ……待ってよ! 店に戻れば払え――」
「待つ気は無い」
少女の言葉をレインは切り捨て、そのまま足を速めた。
これ以上は流石に店から離れる事も出来ず、少女の表情も暗くなるが、それでもついて来ようとするのは彼女の商人とての誇り故だろう。
「あぁ……! でも……あぁもう店も――」
後ろを何度も振り返りながら、店を心配しながらも自分に付いてくる少女に、流石のレインもとうとう根負けした。
これ以上、下手に付いて来られても迷惑だったので、レインはその足を止めて彼女の顔を見た。
「なら今度会った時にサービスしろ。それまでの投資とでも思え」
「えっ――」
突然のレインの言葉に少女は驚いた様に立ち止まるが、レインは言うだけ言って再び歩き出した。
すると、少女もレインを追う様な事はしなかった。
ただ諦めた様な溜め息を履くと、レインの背後から少女は叫んだ。
「名前は! サービスするお客さんの名前も分からなきゃ、話になんないでしょ!」
「――レイン・クロスハーツ」
「ついでだが俺はグラン・ロックレスだ!――頑張れよお嬢ちゃん!」
「お嬢ちゃんじゃないよ!――私はリオネ! リオネ・エメラーナって言うの! 今後とも御贔屓に!!」
少女――リオネの声を背に受けながらも、レインは振り返る事はしなかった。
グランが代わりに笑顔を向けながら手を振り、それはリオネが店に戻るまで続けた。
「全く大した嬢ちゃんだ。――けど、久しぶりにレインの珍しい姿が見れて俺は楽しかったがな」
「好きに感じろ……どうせあの商人と会う事はない」
おちょくる様に言ってくるグランを、レインは一蹴する。
サービスしろと言ったのも、あくまで話を終わらせる口実に過ぎないからだ。
レインは今後、リオネと再会する事はないと思った。
――けれども、近い内に再会する事になると知る由もなく。
♦♦♦♦
貴族街を出て、街の中を通ったレインとグランはアスカリア城に辿り着き、そのまま中へと入って中庭へと向かった。
この手の任務の時、大体サイラス王のお気に入りの場所である中庭に集まる、それが四獣将達の任務では常識となっていた。
だが今回か密命だ、そんな中庭にも注意を払いながら入った二人を出迎えたのは三人の人間。
サイラス王とバーサ大臣、そして護衛対象のステラ。
彼等が中央で待っており、三人へレインとグランは頭を下げた。
「遅くなり申し訳ありません」
「構わん。我々も今来たばかりだ……」
謝罪にサイラス王は気にするなと顔の髭を撫でていると、グランがある事に気付いた。
「ん?――陛下とバーサのおっさんはともかく……姫さん。あんたの侍女はどこにいるんだ?」
中庭にいたのは、王と大臣と護衛対象のステラの三人だけだった。
昨日の会談の時も侍女がいない事にグランは気になっていて、その事を問いかけるがステラは首を横へと振った。
「侍女の者達は連れて来ていません。――この度、アスカリア城に入ったのは私一人です。護衛の者達もすぐに返しました」
「返したって……おいおい、じゃあ姫さんは護衛無しで敵国に一人でいたってのか? 和平の為とはいえ大したもんだぜ」
ステラの言葉にグランは感心を通り越し、感服してしまった。
自国に一人、敵国の姫が来るなど誰が見ても無謀であり、同時に敵側からすれば好機でしかない。
その結果、人質、暗殺、周辺国からの評価は落とすだろうが、それでも他の者達がステラに何も仕掛けなかった事にグランは驚いた。
「……“七星将”の連中も連れてねぇのに、他の連中はよく何も言わなかったなバーサのおっさん?」
「陛下が他の者達に厳しく忠告したのだ。――不審な動きを見せただけでも首を刎ねるとな」
バーサは鋭い眼光を向けながら、グランへ事の真相を伝えた。
その場にいなかったグランに、その時のサイラス王が放っていた殺気を教えるかのようにだ。
そしてバーサ大臣の考えはグランに伝わったらしく、冷や汗を流しながら頷いた。
「ハハ、成る程……そりゃ納得だ。陛下を本気で怒らせても、馬鹿が出来る貴族はいねぇもんな」
サイラス王が本気で怒った姿を見たものならば、グランの言葉の意味も理解できる筈だ。
反発的な貴族達を抑えられるのはサイラス王が地位だけではなく、器も武も両方備えているからであり、嘗て見た事があった王の怒りの形相を思い出しながら、レインと話しているサイラス王へと視線を向けた。
そこでは、サイラス王がレインへ親書を、まさに渡していたところだった。
「これが親書だ。――レインよ……任せたぞ」
「――仰せのままに」
保護魔法で守られた親書。
それをレインは懐へ入れ、サイラス王の“色んな意味”が含まれている言葉に再び頭を下げて応える。
敵国の姫、ステラと親書の死守。
――そして異変が起こった場合、ステラの暗殺。
それ等の内容の密命。
それをレインは、今この場で正式に受けた事になり、その任務が始まりを告げた。
「そろそろだな……三人共、準備は良いな?」
良い具合に朝日が昇り始めたのを確認し、サイラス王はレイン・グラン・ステラの三名を一か所に集めると、足下に転送魔法の魔法陣を展開させた。
「このままルナセリアの護衛騎士がいる場所へと送る。そこからは、その者達と協力しルナセリア帝国へと向かうのだ。――レイン、グラン、ここから先はステラ王女の言葉を私の言葉と思い行動せよ」
サイラス王の言葉にレインとグランは頷いて返し、ステラも頭を下げた。
「サイラス陛下……バーサ大臣。この度は本当にありがとうございました」
「――うむ。次会う時は和平会談の時になる事を祈っているぞ」
「レイン、グラン。ステラ姫を守り通すのだぞ?」
バーサ大臣のからの言葉にレインとグランは力強く頷き、やがて魔法陣の光が大きく輝いた時には三人の姿は光と共に消えた。
重き任を背負った三人を見送ったサイラス王とバーサ大臣。二人は祈る様に空を見上げた。
「良かったのですか、これで?――向こうの“約束”を破った事になるのでは?」
「なぁに……これで破った事にはなるまい。――寧ろ問題はここからだ。万が一の事はレインに伝えておる。だがこの護衛の結果がどうなろうが……クライアスは荒れる。――忙しくなるぞバーサよ!」
「えぇ望むところです。――陛下にも楽はさせませんよ?」
そのバーサ大臣の言葉に、サイラス王の笑い声だけが中庭に響き渡るのだった。
♦♦♦♦
転送魔法の光が晴れると、レイン達は森の開けた場所に立っていた。
すぐにレインはグランと共に職業病の様に、辺りの状況を確認しようとしたが、それをする必要もなかった。
なぜならば、目の前には中型サイズの馬車。
そして、14名のルナセリア帝国の紋章を記したマントを羽織る者達が佇んでいたからだ。
「おわっ! なんだ貴様は!?」
「待て! あれは……姫様!」
突然の登場にルナセリア帝国の騎士達も困惑と警戒をするが、ステラの姿が確認できると肩の力を抜いて頷きあい、一人の騎士がステラへと近付いた。
「ステラ様! よくご無事で! 和平の話はいかがでしたか?」
「はい……無事にサイラス王からの親書を受け取れました。そして、ここからは帰国までレイン様とグラン様も護衛として同行してくれる事になりました」
その言葉に周囲がざわついた。
それは親書の事ではなく、レイン達の名前が出たからだ。
「レインとグラン?――まさか四獣将!?」
「黒狼のレイン……剛牛のグランの二名を護衛に出したのか……!」
「まさか……ここで我々を!?」
流石にアスカリアの最大戦力の一つを出すとは予想外だったらしく、騎士達はアスカリアの本気なのか、それとも何かの思惑なのかと話し出し、ざわつきは納まる気配がない。
しかし当然でもあった。アスカリアの最高戦力の一角、しかも2名も寄越すなど、普通ならば警戒する要素でしかない。
けれど、その反応に対してステラが声をあげた。
「静まりなさい! 皆に思う事があるのは分かっています。ですが、レイン様もグラン様もその様な想いでここにいるのではありません!」
ステラの言葉に騎士達のざわつきが消え、騎士達はその言葉に耳を傾ける。
「両国の溝、それがすぐに埋まる事がないのは私も理解しています。――ですが、私達が今からするべき事は和平の為の帰国なのです。 せめて帰国までの間だけでも恨みを忘れ、心を一つにしましょう」
騎士達に言い終えてから振り返ったステラは、レイン達へ申し訳なさそうな表情で頭を下げた。
「レイン様、グラン様……この様な事になり申し訳ありません」
謝る様に話すステラ。しかし、レインとグランは首を横へと振って返した。
「お気になさらず、ステラ王女」
「こういうのには慣れっこさ」
そもそも、二人気にしていなかった。
何故なら、立場と共に恨みがあるのは当然であり、敵国ならば四獣将を憎むのも多い筈だからだ。
そんな風に思っていると、一人の騎士がレイン達の下にやって来た。
「部下が失礼を……私は<ヴィクセル>と申します。この護衛団の隊長をさせて頂いております。色んな感情が渦巻き、やや不快にさせるとも思いますが宜しくお願い致します」
護衛隊長――ヴィクセル。
彼の言葉をレインとグランは何も言わずに聞いていたが、辺りから感じる殺気などは完全に消えてはいない。
護衛隊長の言った通り、色んな感情が渦巻いているが二人は特に言わなかった。
「――ではそろそろ出発致します。ステラ王女はこちらの馬車へ……お二人はこちらの馬車に」
馬型の魔物が二頭ずつ引く中型サイズの馬車。
それが縦に整列され、ステラは前から二番目、レイン達は最後尾の馬車へと案内された。
――最後尾か。
レインは最後尾の馬車に乗せられる事に違和感を抱いたが、その理由は己の胸の内に沈めた。
ようやく場が収まったのに難癖を付ければ状況は悪化、寧ろそれを狙っている可能性もあり、レインは何も言わずに案内に従った。
――瞬間、強烈な殺気と視線をレインは感じ取る。
「――!」
レインは反射的に殺気の方を向くと、発生源は一人の騎士だった。
他の騎士はルナセリアの紋章を目立たなく施した服装をしてはいるが、その騎士だけは顔もフードで隠していた。
「……あれも護衛か」
自分が乗らない訳にもいかず、レインは警戒するだけに留めて馬車へと乗り込む最中、もう一度だけ先程の騎士へ視線を向けた。
『……フフ』
その騎士はレインの視線に気付いているか分からないが、そのまま別の馬車へと乗り込んで行く。
だがレインは、その騎士のフードから微かに覗かせている顔が笑っている様な気がした。
「どうしたレイン?」
「――いや、なんでもない」
いつまでも乗らない事が気になり、グランが顔を出すが、レインは首を横へ振りながら馬車へと入って行く。
そして、全員が馬車に乗り込むと、やがて馬車は先頭から順に走り出した。
けれどもレインもグランも、そしてステラでさえ、この時はまだ知る由もなかった。
この旅が両国の和平だけではなく、この”世界”クライアスを巻き込んだ大きな旅になる事に。